画家を知る

写真に仕事を奪われてから——エラストゥス・ソールズベリー・フィールド

一八三〇年代の肖像と、後年の巨大な建築の空想画。写真の普及で仕事を失った画家が、次に何を描いたか。九点で、九十五年の生涯の前後をたどる。見たものは近く、見ないものは遠い。人の大きさが、その距離を示している。

ポール・スミス・パーマー夫人と双子
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ポール・スミス・パーマー夫人と双子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

双子を膝に載せた母

一枚の肖像から始めたい。

ポール・スミス・パーマー夫人と双子
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ポール・スミス・パーマー夫人と双子》1835〜38年。油彩・画布。縦97.8センチ、横86.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ポール・スミス・パーマー夫人と双子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が椅子に座り、正面を向いている。

黒い衣を着て、肩に白いレースの襟をかける。

襟の縁は、細かい歯のような模様で切られる。

髪は中央で分け、両側で巻いて耳の上にまとめる。

膝の上に、幼い子が二人いる。

二人とも白い衣で、袖に赤い飾りがある。

一人は赤い靴をはく。

もう一人は、丸い果実のようなものを持つ。

椅子は黒く、背に赤い布が見える。

背景は灰茶色で、何も描かれない。

顔が、平らである

この絵の顔の描き方に注目したい。

影が、ほとんどない。

頬にも、鼻の脇にも、暗い部分が少ない。

その代わり、輪郭線がはっきりしている。

目は大きく、上まぶたの線が濃い。

眉は細く、弓なりに引かれる。

つまり、線で形を作っている。

明暗で立体を作る描き方とは、方向が違う。

結果として、顔が平らに見える。

レースを、どう描くか

一方で、襟のレースは細かい。

網目の一つずつが、白い線で描かれている。

縁の飾りも、規則正しく並ぶ。

顔は簡略なのに、レースは緻密である。

この配分は、注文の事情による。

顔は似ていればよい。

しかし衣装は、その家の格を示す。

だから、そこに手をかける。

見る人も、まずレースを見る。

描いた人について

エラストゥス・ソールズベリー・フィールドは、一八〇五年に生まれた。

マサチューセッツ州の農村の出身である。

一九〇〇年に没した。

九十五年の生涯である。

若いころ、ニューヨークで短期間、画家に学んだと伝えられる。

その画家は、当サイトの
画家としてのモースで扱った人物である。

のちに電信の発明で知られる人物でもある。

学んだ期間は、一年に満たなかったとされる。

つまり、ほとんど独学に近い。

夫の肖像

二枚目は、対になる一枚である。

ポール・スミス・パーマー
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ポール・スミス・パーマー》1835〜38年。油彩・画布。縦86.4センチ、横73.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ポール・スミス・パーマー》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が椅子に座り、正面を向く。

黒い上着に、白い胴着。

首には、黒い襟巻きを高く巻く。

髪は明るい茶で、額の上へ流す。

右腕を椅子の肘に載せ、指を垂らす。

左手は、腹の前に置かれる。

椅子には、赤い布がかかる。

背景は灰茶色で、平らである。

妻の絵より、ひと回り小さい。

対の肖像の寸法

二枚の寸法を比べたい。

妻と双子の絵が、縦97.8センチ。

夫の絵が、縦86.4センチ。

十一センチほど違う。

対の肖像では、寸法をそろえるのがふつうである。

ここで差がついているのは、人数の違いによるだろう。

三人を入れるには、面積が要る。

つまり、実際の必要から寸法が決まっている。

形式より、内容が優先されている。

手の描き方

この画家の手には、癖がある。

指が細く、長い。

関節の膨らみが小さい。

そして、指先がやや尖る。

三点の肖像すべてに、この特徴がある。

顔と同じく、手も型で描かれている。

観察より、覚えた形が優先される。

こうした一貫性は、帰属の手がかりになる。

同じ手が描いた絵だと分かる。

書物を持つ女性

三枚目も、肖像である。

ハーロウ・A・ピース夫人
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ハーロウ・A・ピース夫人》1837年ごろ。油彩・画布。縦89.6センチ、横74センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ハーロウ・A・ピース夫人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が正面を向いて座る。

大きなレースの帽子をかぶる。

帽子の縁は、細かい飾りで縁取られる。

肩には、灰青色の襟布をかける。

その縁にも、白いレースが付く。

衣は黒で、袖が大きく膨らむ。

胸の下で、両手を組む。

右手に、書物を持っている。

書物の表紙は、赤茶に金の模様が入る。

背景は暗く、平らである。

袖の膨らみ

この時代の女性の衣は、袖が大きく膨らむ。

肩から肘にかけて、風船のように広がる。

一八三〇年代の流行である。

肖像の年代を推し量る手がかりになる。

画家にとっては、描きやすい形でもある。

大きな面ができるので、黒の階調を作れる。

膨らみの上部に光を当て、下を暗くする。

それだけで、丸みが出る。

顔より、袖のほうが立体に見える。

一八三〇年代という時期

三点の肖像は、いずれも一八三〇年代である。

この時期、フィールドは各地を回って肖像を描いていた。

農村の家々を訪ね、注文を受ける。

一軒で数点を仕上げ、次の町へ移る。

こうした働き方については、当サイトの
町から町へ、肖像を描いて回るで書いた。

需要は多かった。

写真がまだ普及していない時代である。

姿を残す手段は、絵しかなかった。

写真が、来る

しかし、状況は変わる。

一八四〇年代、写真が普及しはじめる。

金属板に像を定着させる方式である。

安く、速く、そして似ている。

肖像画の需要は、急速に減った。

各地を回る画家たちは、仕事を失う。

フィールドも、その一人だった。

以後、彼は別の主題へ向かう。

九点の後半は、その時期の作品である。

写真を、使う

もっとも、画家は写真を敵視しただけではない。

写真を下絵に使う画家も現れた。

フィールド自身も、写真を参照したとされる。

肖像の注文が減れば、写真から絵を起こす仕事も生まれる。

写真は白黒で、大きさも小さい。

それを大きな油彩にする需要があった。

つまり、写真と絵は競合しつつ、補い合ってもいた。

技術の交代は、単純な置き換えではない。

大きな建物の中の場面

四枚目から、主題が変わる。

初子の死
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《初子の死》1865〜80年。油彩・画布。縦88.9センチ、横116.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ガービッシュ夫妻の寄贈、1966年。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《初子の死》メトロポリタン美術館蔵

巨大な建物の内部である。

太い円柱が何本も並ぶ。

柱の上部には、装飾の帯が回る。

天井からは、複数の照明が下がる。

奥へ向かって、柱の列が続く。

その柱の間に、人々がいる。

倒れた人、抱きかかえる人、うずくまる人。

いずれも小さく、柱の高さの数分の一である。

建物の巨大さが、それで分かる。

主題は、旧約聖書の一場面である。

建築が、主役になる

この絵の主題は、出来事のはずである。

しかし、画面の大半は建物である。

人物は、床の高さに小さく散らばる。

つまり、建築が主役になっている。

これは、意図的な選択だろう。

出来事の悲惨さより、場所の巨大さを見せる。

見る人は、まず柱の列に圧倒される。

そのあとで、足元の人々に気づく。

順序が、そう仕組まれている。

古代の建築を、どう知ったか

フィールドは、エジプトへ行っていない。

では、この建築をどこで知ったのか。

答えは、印刷物である。

十九世紀には、古代遺跡を図版にした本が多く出ていた。

発掘や調査の記録が、版画になって流通した。

画家は、それを見て描く。

柱の形、装飾の帯、天井の高さ。

いずれも、図版に由来すると考えられる。

見ずに描く仕事の、典型的な例である。

行進する軍隊

五枚目も、同じ主題群である。

ファラオの軍勢の行進
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ファラオの軍勢の行進》1865〜80年ごろ。油彩・画布。縦89センチ、横116.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《ファラオの軍勢の行進》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

左右に、赤茶色の巨大な柱が立つ。

柱は画面の上端を超えて続く。

その間から、奥の景色が見える。

道が、遠くまでまっすぐ伸びる。

道の上を、軍隊が行進している。

赤や緑の服の兵が、隊列を組む。

戦車のようなものも見える。

手前には、白い衣の人々が立ち、見送る。

道の両側には、長い建物が続く。

空は薄く、上部に雲がかかる。

遠近法の使い方

この絵では、遠近法がはっきり使われている。

道の両側の線が、一点へ収束する。

建物の列も、同じ点へ向かう。

つまり、一点透視の作図である。

手前の柱は巨大で、奥の人物は小さい。

その差が、距離を作る。

肖像画では平らだった画面が、ここでは深い。

主題が変われば、方法も変わる。

同じ画家の中に、二つの空間感覚がある。

川が、赤くなる

六枚目は、色が印象的である。

主は水を血に変えた
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《主は水を血に変えた》1865〜80年ごろ。油彩・画布。縦76.8センチ、横102.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《主は水を血に変えた》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

左には、白い石造りの建物が並ぶ。

柱が立ち、階段が下りる。

中央には、大きな門のような構築物がある。

その右側に、赤い帯が広がる。

川である。

水が赤く染まっている。

空は暗い青灰で、稲妻のような光が走る。

手前の階段には、人々が集まる。

赤い水を覗き込む人、手を上げる人。

小さな人物が、十数人描かれる。

赤を、面として置く

この絵の赤は、思い切っている。

川面全体が、鮮やかな赤である。

濁りも、混色も少ない。

白い建物と、暗い空。

その間に、赤の帯が入る。

三色の対比が、非常に強い。

現実の水の色ではない。

出来事の異常さを、色で示している。

写実ではなく、記号としての色である。

空に走る光

この絵の空にも触れておきたい。

暗い青灰の中に、明るい筋が走る。

稲妻を示したものだろう。

線は細く、鋭く、白に近い。

暗い面に白い線を引くだけの処理である。

しかし、それで天候の異常が伝わる。

先の海の絵の波頭と、同じ方法である。

暗い地に、明るい線を置く。

独学の画家がよく使う、経済的な手である。

覚えれば何度でも使える。

民衆画家の色

こうした色の使い方は、独学の画家によく見られる。

混色を控え、原色に近い色を面として置く。

学校で学んだ画家は、中間色を多用する。

そのほうが自然に見えるからである。

しかし、原色の面には別の強さがある。

遠くからでも見え、印象に残る。

当サイトの
平らな絵の強さでも、近い話を書いた。

正確さと、効果は別の物差しである。

聖書を、絵にする理由

なぜ、聖書の場面を大量に描いたのか。

一つは、需要である。

十九世紀の米国では、聖書の場面の絵が求められた。

家庭にも、教会にも、掛ける場所があった。

もう一つは、画家自身の関心だろう。

彼は晩年、大きな連作を構想したと伝えられる。

歴史と聖書を貫く、壮大な計画である。

肖像の仕事を失った画家が、別の目標を見つけた。

そう読むこともできる。

小さな人物を、たくさん描く

四枚目から六枚目には、多数の小さな人物がいる。

いずれも、高さ数センチしかない。

顔の造作は、ほとんど描かれない。

輪郭と色だけで示される。

それでも、動作は分かる。

倒れている、抱えている、手を上げている。

姿勢の輪郭だけで、行為を伝える方法である。

大人数を描くとき、この省略は必須になる。

一人ずつ描き込めば、時間がいくらあっても足りない。

三点の寸法

四枚目から六枚目の寸法を見たい。

縦88.9センチ、横116.8センチ。

縦89センチ、横116.8センチ。

縦76.8センチ、横102.9センチ。

前の二点は、ほぼ同じ大きさである。

つまり、対、あるいは組として作られた可能性がある。

同じ主題群を、同じ寸法で並べる。

連作の作り方としては、自然である。

失われた他の場面も、あったかもしれない。

箱を運ぶ人々

七枚目は、寸法が小さい。

契約の箱
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《契約の箱》1865〜80年ごろ。油彩・画布。縦50.8センチ、横61.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《契約の箱》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

明るい黄の麦畑が、画面の下半分を占める。

その中に、人々がいる。

鎌を持ち、麦を刈っている。

数人は、後ろを振り返る。

一人は、両手を上げて叫んでいるように見える。

奥には、緑の丘と木立。

さらに奥に、灰色の岩山がある。

その手前を、行列が進む。

車のようなものを引き、旗を掲げる。

行列の人々の頭上に、金色の輪が描かれる。

光の輪という記号

行列の人々に、金色の輪がある。

聖なる存在を示す記号である。

これがあると、その人物が特別だと分かる。

麦を刈る人々には、輪がない。

つまり、二つの集団が区別されている。

日常の人と、聖なる行列。

同じ画面に、二つの層が同居している。

記号を使えば、説明なしにそれが示せる。

古い時代からの絵の約束である。

麦の描き方

手前の麦畑を、拡大して見たい。

黄色い地に、細い線が無数に引かれている。

穂の一本ずつを示す線である。

規則正しく、同じ方向へ並ぶ。

刈られた束は、斜めに寝かされる。

つまり、線の向きで状態を示している。

立っている麦と、倒れた麦。

単純な方法だが、はっきり分かる。

先に見た海の絵の水面と、考え方が近い。

異国の建物

八枚目は、主題が変わる。

タージ・マハル
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《タージ・マハル》1860〜80年ごろ。油彩・画布。縦88.7センチ、横116.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《タージ・マハル》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

白い建物が、画面の中央に立つ。

大きな丸屋根が載る。

その周りに、四本の細い塔が立つ。

正面には、高い尖頭の入口がある。

建物の右には、同じ形の小さな建物が並ぶ。

手前には、緑の木が数本と、低い塀がある。

空は明るい水色で、雲が薄い。

人物は、ほとんど描かれていない。

建物だけが、静かに置かれている。

また、見ずに描く

この建物も、画家は見ていない。

版画や写真の複製から描いたと考えられる。

十九世紀には、世界の名所を集めた図版集が流行していた。

そこには、異国の建築が並んでいた。

読者は、行かずに世界を見る。

画家も、行かずに世界を描く。

つまり、印刷物が視覚の経験を作っていた。

いまの写真や映像と、役割は似ている。

描き写すことの精度

この絵の建物は、意外に正確である。

丸屋根の比率、塔の位置、入口の形。

いずれも、大きく外れていない。

つまり、下敷きにした図版が正確だったのだろう。

そして、それを丁寧に写している。

見ずに描くことは、いい加減に描くことではない。

資料の質と、写す精度に依存する。

その二つが揃えば、行かなくても描ける。

八角形の画布

九枚目は、形が違う。

レヴェレット池
エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《レヴェレット池》1860〜80年ごろ。油彩・画布。縦55.8センチ、横69.1センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。エラストゥス・ソールズベリー・フィールド《レヴェレット池》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

四隅が、斜めに切り落とされている。

八角形に近い形である。

画面には、静かな水面が広がる。

手前は、黄土色の草地である。

左に、松のような木が数本立つ。

水面の右側から、岬が突き出す。

岬には、木が茂る。

奥には、青紫の山並みが横たわる。

空は薄い青と桃色で、雲が薄い。

隅を落とす、という選択

なぜ、四隅を落とすのか。

一つは、額の形に合わせるためである。

八角形の額が、当時よく使われた。

もう一つは、構図の効果である。

隅を落とすと、視線が中央に集まる。

そして、絵が装飾品らしくなる。

風景画では、この形がしばしば選ばれた。

家庭の壁に掛ける品としての性格が強まる。

地元の風景

この池は、画家の暮らした地方にある。

つまり、実際に見て描ける場所である。

聖書の場面やタージ・マハルとは違う。

同じ画家が、見た風景と見ない風景の両方を描いた。

そして、描き方も違う。

この風景は、色が穏やかで、輪郭も柔らかい。

赤い川や巨大な柱とは、まったく別の絵に見える。

対象との距離が、絵の調子を変えている。

九十五年の生涯

フィールドは、一九〇〇年まで生きた。

一八〇五年の生まれである。

つまり、十九世紀のほぼ全体を生きた。

肖像画で始まり、写真に押され、聖書の絵へ移った。

その間に、米国は大きく変わった。

鉄道が敷かれ、写真が広まり、戦争があった。

九点は、その長い時間の中の点である。

一八三〇年代の肖像と、一八七〇年代の空想画。

同じ人の手だとは、すぐには思えない。

民衆画家の再評価

フィールドの評価は、二十世紀に確立した。

米国の民衆絵画への関心が高まった時期である。

学校で学ばなかった画家の作品が、あらためて見直された。

平らな顔、原色の面、簡略な形。

それが欠点ではなく、性格として扱われるようになった。

九点のうち複数が、同じ収集家夫妻から寄贈されている。

その収集が、再評価の土台になった。

集める人がいなければ、残らなかった作品である。

背景を、描かないこと

肖像三点の背景を、もう一度見ておきたい。

いずれも、灰茶色の平らな面である。

家具も、風景も、装飾もない。

これは、当時の各地を回る肖像画家に共通する。

背景を描けば、時間と絵具がかかる。

注文主が求めているのは、顔と衣装である。

だから、そこに集中する。

後年の聖書の絵で、背景が画面の大半を占めるのと対照的である。

同じ画家が、まったく逆の配分をしている。

需要の違いが、絵の作りを決めている。

九点を、順に見る

最後に、見方を提案したい。

九点を、画面の中の人の大きさで並べてほしい。

肖像では、人が画面いっぱいを占める。

聖書の場面では、人は柱の数分の一しかない。

風景画では、人は一人も描かれていない。

同じ画家の中で、人の大きさがこれだけ変わる。

近くの人を大きく描き、遠い出来事を小さく描く。

見たものは近く、見ないものは遠い。

その距離が、画面の中の寸法になっている。

九点を並べると、その遠近がよく見える。

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