同じ絵を、六十回——ヒックスの「平和の王国」
クエーカーの説教者にして看板職人だったヒックスは、獅子と幼子の同じ絵を生涯描き続けたと伝えられる。反復は貧しさではなく、祈りの形式だった。理想の図像と植民の史実との距離まで含めて、「平和の王国」の画家の七点を読む。

幼子が、獅子と豹の間に立つ
一枚の絵から始めたい。

横長の小さな画面である。縦45.4センチ、横60.6センチ。
家庭の壁に掛かるほどの、慎ましい大きさである。
画面には、動物たちが間近に、大きく描かれている。獅子がいる。豹がいる。牛がいる。
その真ん中に幼子が立つ。獅子と豹の、ちょうど間である。
猛獣に挟まれて、幼子は少しも怯えていない。
そのすぐそばでは、牛と獅子が並んで草を食んでいる。
肉を裂くはずの獣が、牛と同じ草に口を寄せている。
獅子のたてがみは、一房ずつ丁寧に描き分けられている。
豹の斑も、一つずつ規則正しく置かれている。
毛並みの艶より、模様の正確さ。描き方そのものが、どこか職人的である。
現実にはありえない光景である。しかし、この光景には出典がある。
旧約聖書のイザヤ書11章である。
「狼は小羊とともに宿り、豹は子山羊とともに伏す」。
「牛は獅子とともに草を食み、幼子がこれを導く」。
預言者イザヤが語った、来たるべき平和の幻である。
神に従う正しい世が来るとき、世界はこうなるという預言である。
強い者が弱い者を害さない。幼い者が群れを導く。
獅子、豹、牛。画面の主役は、いずれもこの聖句に名指しされた動物である。
絵は聖句を、一語ずつ画面に置き換えたような作りになっている。
この一節は、争いの絶えた世界の約束として、長く読み継がれてきた。
とりわけ、平和主義を信仰の芯に置くクエーカーにとって、特別な聖句だった。
武器を取らない人々である。獅子が草を食む幻は、その信仰の絵解きになる。
ヒックスは説教でも、この聖句をたびたび引いたと伝えられる。
語り続けた言葉を、そのまま絵にした。出発点はそこにある。
そのうえで、注目したいのは顔である。
幼子の顔は、あどけなくない。正面を見据えて、ひどく真剣である。
動物たちの目は、大きく見開かれている。獅子も豹も、落ち着かない目でこちらを見る。
まるで獣たち自身が、この平和を信じ切れずにいるかのようである。
だが幼子だけは違う。迷いのない顔で、獣たちの真ん中に立っている。
信じている者と、まだ信じ切れない者たち。
その両方が、一つの画面に描き込まれている。
平和の絵のはずなのに、画面はかすかに張りつめている。
この張りつめこそが、画家エドワード・ヒックスの核心だと当サイトは考える。
説教者が、筆を持っていた
エドワード・ヒックスは1780年、ペンシルベニアに生まれた。
所蔵館の記録は、生地を同州ラングホーン、没地を同州ニュータウンと記す。没年は1849年である。
本業は画家ではない。馬車や看板に色と文字を入れる、塗装職人である。
若いころ、馬車の工房で塗装の修業をしたと伝えられる。
やがて工房を構え、近隣の注文を受けて暮らしを立てた。
絵筆は、芸術のためではなく、生業のために握られたのである。
腕は良かったと伝えられる。看板、馬車、家具。頼まれれば何でも塗った。
文字の注文も絵の注文も、同じ工房でこなす。それが当時の職人の常だった。
そして、もう一つの顔があった。クエーカー(キリスト友会)の巡回説教者である。
クエーカーの説教者は、職業ではない。報酬を受けず、信徒のまま語る務めである。
ヒックスは説教のため、遠くの集会まで馬で巡ったと伝えられる。
当時のペンシルベニアは、クエーカーが多く暮らす土地だった。
ウィリアム・ペンが信仰の自由を求めて拓いた植民地に、始まりを持つからである。
このペンの名は、のちに見る絵でもう一度あらわれる。
ヒックスの一生は、この植民地の記憶とともにあった。
さて、クエーカーは飾りを警戒する信仰共同体である。
華美な衣服も、装飾のための芸術も、虚飾として遠ざける傾向があった。
だから絵を描くことに、ヒックス自身が深く葛藤したと伝えられる。
看板は実用である。それはよい。しかし、絵画はどうなのか。
装飾的な絵付けの仕事を、一度はやめようとしたという話も残る。
農業に転じようとして、うまくいかなかったとも伝えられる。
その揺れの中で、彼は一つの答えにたどり着いたのだろう。
説教になる絵なら、描いてよい。
見る者の心を、聖句へ連れ戻す絵。飾りではなく、務めとしての絵である。
《平和の王国》は、その答えの形である。
看板の技術が、そのまま絵になる
この絵の作りを、もう少し近くで見ておきたい。
塗りは平滑である。筆あとを残さず、色面をきっちり塗り分けていく。
動物の輪郭は、はっきりした線で囲われている。看板の文字を縁取る手つきと、同じである。
看板の絵は、遠目でも一目で読めなければならない。
だから形は単純に、色は明快に塗る。この絵の文法そのものである。
構図は定型的である。同じ配置を、何度でも正確に繰り返せる作りになっている。
どれも、看板職人の技術である。
逆に言えば、陰影の妙や筆さばきの見せ場は、この絵にはない。
その素朴さを、稚拙と見るか、様式と見るか。
当サイトは様式と見る。用途に磨かれた、揺るぎない型である。
美術学校の訓練を受けない職人が、注文に応じて絵を描く。
19世紀アメリカの地方には、そういう絵の経済が確かにあった。
村から村へ、顔を描いて回る職人たちもいた。
巡回肖像画家たちで扱った人々である。
ヒックスも、その世界の人だった。ただ、描く動機が違った。
彼にとって絵は、商品である前に説教だった。
そして説教者は、同じ説教を何度でも繰り返すものである。