美術史・技法

十幅のうち、五幅がここにある——金処士《十王図》ほか

技法の欄に「十幅一組のうちの五幅の一つ」とある。三段の入れ子である。五百体一組のうちの一体、二十四枚のうちの十枚。組の名はもとの数を保ち、番号がいまの数を示す。引き算をして、失われた量を読みたい。同じ形式を十回繰り返すことの意味も考えたい。

十王図
金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

十幅のうち、五幅がここにある

メトロポリタン美術館の技法の欄に、こういう一行がある。

「十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ」。

読みにくい言い方だが、意味は明確である。

もともと十幅で一組だった。

そのうち五幅が、この館にある。

そして、その五幅の一つが、この一件である。

十のうち五、その一つ。

三段の入れ子になっている。

十王図
金処士《十王図》1195年以前。館の記録では、十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ、絹に墨と彩色。画面は縦129.5センチ、横49.5センチ。表装を含めると縦203.2センチ、横64.5センチ。番号は30.76.290。中国、宋時代。メトロポリタン美術館蔵。金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

画面の上のほうに、机に向かって座る人物がいる。

冠をかぶり、机の上の書物を見ている。

その背後に、屏風のようなものが立っている。

まわりに、従者や役人らしい人物が数人。

そして画面の下半分には、別の場面がある。

小さな人物たちが、責め苦を受けている。

裸で引き立てられる者、地に伏す者。

上と下で、まったく違うことが起きている。

上は法廷、下は罰の場面である。

五幅が、ほとんど同じ構図をしている

残りの四幅も見ていきたい。

十王図
金処士《十王図》1195年以前。館の記録では、十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ、絹に墨と彩色。画面は縦129.5センチ、横49.5センチ。軸首を含めると縦203.2センチ、横69.9センチ。番号は30.76.291。メトロポリタン美術館蔵。金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

こちらも、上に机と、そこに座る人物がいる。

赤い衣の従者が、書物を差し出している。

背後の屏風の位置も、ほとんど同じである。

そして下半分に、別の場面。

青い衣の人物が二人、棒のようなものを持っている。

その前に、裸の人物がいる。

十王図
金処士《十王図》1195年以前。館の記録では、十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ、絹に墨と彩色。画面は縦129.5センチ、横49.5センチ。番号は30.76.292。メトロポリタン美術館蔵。金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

三幅目である。

構図は、やはり同じである。

上に机と座る人物、背後に屏風。

下に、責め苦の場面。

こちらでは、下に火が描かれている。

十王図
金処士《十王図》1195年以前。館の記録では、十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ、絹に墨と彩色。画面は縦129.5センチ、横49.5センチ。番号は30.76.293。メトロポリタン美術館蔵。金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

四幅目である。

上の座る人物は、赤い顔をして髭を生やしている。

前の三幅の人物とは、顔つきが違う。

十人の王は、それぞれ別の人物である。

だから、顔と衣で描き分けられている。

下には、獣らしいものと、それに追われる人物がいる。

十王図
金処士《十王図》1195年以前。館の記録では、十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ、絹に墨と彩色。画面は縦129.5センチ、横49.5センチ。番号は30.76.294。メトロポリタン美術館蔵。金処士《十王図》メトロポリタン美術館蔵

五幅目である。

上に、机と座る人物と屏風。

下に、木のようなものと、その周りの人物。

五幅とも、同じ形式で描かれている。

上に法廷、下に地獄。

背後に屏風、まわりに従者。

十幅を通して、この形式が繰り返される。

同じ形式を、十回繰り返す

なぜ、同じ構図を十回描くのか。

主題が、そう決まっているからである。

十王とは、死者を裁く十人の王のことである。

死んでから決まった日数ごとに、順に裁きを受ける。

一人目、二人目と進み、十人目で終わる。

つまり、十という数は物語の構造である。

そして各幅は、それぞれの王の裁きの場面になる。

形式が同じなのは、比べるためでもある。

十幅を並べたとき、王の顔と、下の場面だけが違う。

違いだけが目に入る。

同じ形式を反復すると、差が際立つ。

これは、組で作られた絵によく見られる方法である。

寸法が、五幅とも同じである

五幅の画面の寸法は、すべて縦一二九・五センチ、横四九・五センチ。

一ミリの差もない。

これは、同じ絹を同じ寸法に切って使ったからだろう。

そして表装を含む寸法も、二〇三・二センチでそろっている。

一幅目だけ、表装を含む横が六四・五センチと書かれている。

残りの四幅には、その数字がない。

かわりに軸首を含む横が、五幅とも六九・九センチである。

記録の書き方に、わずかな揺れがある。

同じ組の五件でも、欄の埋まり方が違う。

もっとも、揃っている数字のほうが多い。

寸法がそろっていることは、一組であることの強い証拠になる。

五百体のうちの、一体

組の数え方には、もっと極端な例もある。

坐す羅漢
松雲元慶《坐す羅漢》1688年から1695年。館の記録では、五百体一組のうちの一体、木に漆と彩色と金箔。高さ85.1センチ、幅73センチ、奥行き66.7センチ。番号は27.69。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。松雲元慶《坐す羅漢》メトロポリタン美術館蔵

技法の欄に「五百体一組のうちの一体」とある。

五百である。

十でも二十でもない。

写真には、木で彫られた坐像が写っている。

僧形で、両手を膝の上に置いている。

頭は丸く、耳が大きい。

顔には皺が刻まれ、口元がわずかに開いている。

漆が塗られ、暗い茶色になっている。

寸法の欄は、他の八点と書き方が違う。

高さ、幅、奥行き。

三つの数字がある。

彫刻だからである。

高さ八五・一センチ、幅七三センチ、奥行き六六・七センチ。

膝を組んで座った姿の、実際の大きさに近い。

五百体を並べれば、堂の中が像で埋まる。

そのうちの一体が、遠く離れた館にある。

四幅で、一件

ここまでの二例は、一体ずつ、一幅ずつが一件だった。

ところが、組をまとめて一件にする例もある。

遠山の霞と竹
鄭燮《遠山の霞と竹》1753年。館の記録では、四幅一組の掛軸、紙に墨。表装を含めた各幅は縦272.4センチ、横68.6センチ。番号は1990.322のaからdまで。中国、清時代。メトロポリタン美術館蔵。鄭燮《遠山の霞と竹》メトロポリタン美術館蔵

技法の欄は「四幅一組の掛軸」である。

「うちの一幅」とは書かれていない。

そして番号は、一九九〇・三二二のaからdまで。

枝番の範囲で、一件になっている。

公開されている画像には、四幅が並べて写っている。

黒い細い枠で仕切られ、四つの画面が続いている。

竹が、左から右へ生い茂っている。

幹が縦に伸び、葉が細かく重なる。

左の一幅の上に、書き込みがある。

四幅を並べると、竹林が一続きになる。

つまり、四幅で一つの絵である。

寸法の欄には「各幅」と断ってある。

一幅が縦二七二・四センチ、横六八・六センチ。

四幅を並べれば、横は二メートル七十センチを超える。

襖も、四面で一件

列子
狩野派《列子》1606年ごろ。館の記録では、四面一組の襖、金地の紙に墨と彩色と金箔。全体で縦182.9センチ、横731.5センチ。番号は1989.139.1のaからdまで。日本、桃山時代。メトロポリタン美術館蔵。狩野派《列子》メトロポリタン美術館蔵

こちらも、四面で一件である。

襖である。

部屋を仕切る建具に、絵が描かれている。

寸法の欄には、四面を並べた全体の数字が入っている。

縦一八二・九センチ、横七三一・五センチ。

七メートル三十センチ。

一面あたり、横は約一メートル八十三センチになる。

公開されている画像には、四面が並んで写っている。

金地に、雲と山と人物が描かれている。

左の二面に、崖と紫の岩。

右の二面に、雲に乗る人物と、鳥。

金の雲が、四面をつないでいる。

襖は、はじめから並べて使うものである。

一面だけ外すことは、まずない。

だから、四面で一件になる。

二十四のうちの、何枚か

二十四孝
歌川国芳《二十四孝》19世紀半ば。館の記録は、二十四枚一組のうちとして記す。木版画、紙に墨と彩色。高さ14.9センチ、幅10.5センチ。番号はJP3518のaからjまで。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。歌川国芳《二十四孝》メトロポリタン美術館蔵

題に「二十四枚一組のうち」と括弧書きされている。

そして番号は、JP三五一八のaからjまで。

aからjなら、十枚である。

二十四のうち、十枚がここにある。

それが一件にまとめられている。

前に見た十王図とは、扱いが逆である。

十王図は、五幅を五件にした。

こちらは、十枚を一件にしている。

理由は、たぶん大きさである。

高さ一四・九センチ、幅一〇・五センチ。

手のひらに乗る小さな版画である。

十枚まとめて一つの袋か帖に収められていたのかもしれない。

小さいものは、まとめて一件にする。

大きいものは、一つずつ数える。

そういう傾向が、目録にはある。

公開されている画像には、そのうちの一枚が写っている。

室内の場面である。

寝台に横たわる人物と、その足元に座る人。

赤と青と緑の色が、細かく摺り分けられている。

十王図の年が、一一九五年より前である

五幅の年の欄には、同じ書き方が並んでいる。

「一一九五年以前」。

上限だけが示されている。

なぜ一一九五年なのか、記録には書かれていない。

作品のどこかに年が書かれているか、あるいは関連する資料があるのだろう。

いずれにせよ、下限は示されていない。

いつ描き始めたかは分からない。

いつまでに描き終わったかだけが分かる。

前の回に見た写生帖では、逆の書き方があった。

「一八三八年ごろ以降」。

こちらは下限だけを示していた。

年の欄には、こういう片側だけの書き方がある。

分かる側だけを書き、分からない側は書かない。

作者の欄も同じである。

「十二世紀後半に活動」。

生没年ではなく、活動の時期だけである。

十王図のような主題は、工房で繰り返し作られた。

同じ図様の別の組が、他の場所にもある。

だから、一人の画家の名で括ることには限界がある。

館は、名を書きつつ、活動時期だけを添えている。

高さ二メートルの掛軸

十王図の表装を含む高さは、二〇三・二センチである。

二メートルを超える。

前の回に見た三幅対は、一八〇センチから一九一センチだった。

それより一回り大きい。

これは、掛ける場所の違いだろう。

日本の床の間は、天井の高さが決まっている。

寺院の堂内なら、もっと高く掛けられる。

十王図は、儀礼のために掛けられたと考えられる。

十幅を並べて掛ければ、横は五メートルを超える。

四九・五センチの十倍だから、四メートル九十五センチ。

表装を含めれば、六メートル以上になる。

つまり、堂の壁一面を使う規模である。

一幅ずつ見るものではない。

十幅そろって、はじめて場ができる。

いま五幅しかないということは、その場の半分が失われているということでもある。

組の数え方は、四通りある

九点を通して見ると、組の扱い方が分かれている。

一つ目は、一つずつを一件にする方法である。

十王図の五幅と、羅漢の一体。

二つ目は、組全体を一件にする方法である。

鄭燮の四幅と、狩野派の四面。

三つ目は、組の一部をまとめて一件にする方法である。

国芳の十枚。

四つ目は、前の回に見た三幅対の形である。

三本を三件にしつつ、技法の欄で組であることを示す。

どの方法を採るかは、いくつかの条件で決まる。

物として分かれているか。

大きさはどれくらいか。

そして、いつ、どういう形で館に入ったか。

一括で入れば、一件にまとめやすい。

別々に入れば、別々の件になる。

五百体を彫るという仕事

羅漢の一体について、もう少し書いておきたい。

五百体一組というのは、途方もない数である。

一体が高さ八十五センチ、幅七十三センチ。

これを五百体つくる。

年の欄は一六八八年から一六九五年。

七年ほどである。

単純に割れば、一年に七十体を超える。

一人で彫れる数ではないだろう。

工房で分担したと考えるのが自然である。

館の記録は、作者の名を一人だけ書いている。

工房の存在については書いていない。

これは、東洋美術に限らず、多くの目録に共通する書き方である。

代表者の名を書き、分担については書かない。

もっとも、五百という数そのものが、分担を示唆している。

そして、五百体という数には意味がある。

羅漢は、仏の教えを受けた弟子たちである。

その数を五百とする伝えがある。

つまり、五百は主題の一部である。

十王の十と同じである。

数が、主題によって決まっている。

だから、一体だけを取り出しても、五百という数は消えない。

技法の欄は、その数を書き続ける。

同じ絵を、十回描き分ける

十王図の五幅を並べて見ると、細部の違いが見えてくる。

上の王の顔つき。冠の形。衣の色。

背後の屏風に描かれた模様。

そして、下の場面の内容。

一幅では火が燃え、一幅では獣が現れ、一幅では棒を持つ者が立つ。

裁きの段階が進むにつれて、罰の内容が変わるのだろう。

十王の物語は、そういう構造を持っている。

だから、十幅を順に見ていくことに意味がある。

順序が分からなければ、その意味は届かない。

館の番号は、三〇・七六の二九〇から二九四まで連続している。

この順が、十王の順に対応しているかどうかは、記録に書かれていない。

対応していれば、五幅を並べる順が決まる。

対応していなければ、順は分からない。

前の回に見た三幅対では、番号の順が掛ける順だった。

ここでは、確かめようがない。

五幅しかないので、比べる相手も足りない。

失われた五幅があれば、順序も見えたかもしれない。

半分が欠けるとは、そういうことでもある。

一件にまとめると、何が見えるか

鄭燮の四幅と、狩野派の四面は、一件にまとめられている。

そして、公開されている画像には、四つが並んで写っている。

これは、五幅を五件にした十王図とは対照的である。

十王図は、一幅ずつの画像しか見られない。

五幅を並べた姿は、当サイトでは見られない。

一件にまとめると、組の姿が画像に写る。

分けて数えると、写らない。

数え方が、見え方を決めている。

もっとも、一件にまとめれば中身が見えにくくなる、という問題もある。

鄭燮の四幅は、並べて写っているぶん、一幅ずつは小さくなる。

竹の葉の一枚ずつは、見えない。

十王図なら、一幅ずつが大きく見られる。

上の法廷と下の地獄、どちらも細部まで追える。

どちらの数え方にも、得るものと失うものがある。

そして館は、その選択を作品ごとに行っている。

「五幅の一つ」という言い方

はじめの技法の欄に戻りたい。

「十幅一組の掛軸のうちの五幅の一つ」。

この言い方には、二つの情報が入っている。

もとの組は十幅だったということ。

そして、館にあるのは五幅だということ。

後者は、館の所蔵状況である。

作品そのものの性質ではない。

それでも、技法の欄に書かれている。

なぜかといえば、五幅がまとまって一つの群れをなしているからだろう。

十のうち五。

半分が失われ、半分が残った。

その半分が、同じ館に集まっている。

残り五幅がどこにあるかは、記録に書かれていない。

別の館にあるのかもしれないし、失われたのかもしれない。

襖は、建具でもある

狩野派の四面について、もう一点書いておきたい。

襖は、絵であると同時に建具である。

部屋と部屋を仕切り、引いて開ける。

だから、絵は使われる面に描かれる。

そして裏面にも、別の絵が描かれていることが多い。

館の記録は、この四面の裏面について書いていない。

寸法の欄も、四面を並べた全体の数字だけである。

厚みも書かれていない。

建具としての情報が、ほとんど出てこない。

これは、絵として扱っているからだろう。

分類の欄は「襖」となっているが、部門は絵画である。

つまり、建具の記録ではなく、絵の記録である。

そう考えると、寸法の書き方も納得がいく。

縦一八二・九センチ、横七三一・五センチ。

これは、四面を並べたときの画面の広がりである。

部屋のどこにあったかは、書かれていない。

もとの建物も、記録には出てこない。

建具が建物から外され、絵として館に入る。

このあとの回で、西洋の家具に描かれた絵についても同じことを見ることになる。

もとの場所を離れると、物は絵になる。

数が、主題に組み込まれている

十王、二十四孝、五百羅漢。

いずれも、数そのものが主題の一部である。

十人の王が順に裁く。

二十四の孝行の話が並ぶ。

五百の弟子が並び座る。

だから、一点だけを見ても、数が背後にある。

これは、これまで見てきた組とは少し性格が違う。

三幅対の三は、掛ける場所の都合だった。

対の肖像の二は、夫婦という関係だった。

こちらの十や五百は、物語や教えの側から来ている。

数を減らすことができない。

九人の王では、十王図にならない。

だから、五幅しかなくても、題は《十王図》のままである。

二十四のうち十枚、という中途半端さ

国芳の一件は、二十四のうち十枚である。

なぜ十枚なのか。

記録には書かれていない。

売られたときに十枚だったのかもしれない。

集めた人が十枚しか持っていなかったのかもしれない。

十四枚が失われたのかもしれない。

分かるのは、いま十枚が一件になっているということだけである。

そして題は、二十四という数を保っている。

もし十枚を十件に分けていたら、この事情は見えにくかっただろう。

一件にまとめてあるから、「二十四のうち十枚」という状態が一目で分かる。

まとめることには、そういう効き目もある。

一件が、組の残り具合をそのまま示す。

組の名は、残された数を示さない

《十王図》という題は、十人の王を指している。

五幅しかなくても、題は変わらない。

《二十四孝》という題も、二十四の話を指している。

十枚しかなくても、題は変わらない。

《五百体一組のうちの一体》も同じである。

一体しかなくても、五百という数は消えない。

組の名は、もとの数を保っている。

そして、いま何点あるかは、技法の欄と番号が示す。

二つの数字が、別々の場所に書かれている。

もとの数と、いまの数。

その差が、失われたぶんである。

十から五を引けば、五。

二十四から十を引けば、十四。

五百から一を引けば、四百九十九。

引き算をしてはじめて、失われた量が見えてくる。

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