二十二年、同じ一行——サミュエル・H・クレス・コレクション
寄贈とも遺贈とも書かれない。コレクションの名だけが置かれた一行が、二千四百九十五点を束ねている。開館の二年前に始まった受入は、二十二年続いた。群の名で括ることの利点と副作用を、九点の番号から読みたい。

二十二年、同じ一行
サミュエル・H・クレス・コレクション。
九点の出所の行は、この一行だけである。
寄贈とも遺贈とも購入とも書かれない。
コレクションの名がそのまま置かれている。
一方、番号の頭は九点ともばらばらだ。
1939、1943、1946、1952、1952、1957、1959、1961。
最初と最後で、二十二年ひらく。
同じ一行が、二十二年ぶんの受入に付いている。
ナショナル・ギャラリー(ワシントン)が開いたのは1941年である。
つまり最初の受入は、開館の二年前に行われている。
二千四百九十五点という規模
提供元が公開しているデータで、この行を持つ作品を数えてみる。
二千四百九十五点ある。
一つの館の収蔵品として、極めて大きな塊である。
受入番号ごとに見ると、いくつかの山がある。
1939.1の枝番は133まで。
1961.9の枝番は200まで。
1952.5にも百点以上が並ぶ。
数十点規模の受入が、二十年以上にわたって繰り返された。
前回の記事で見た夫妻の寄贈と、形は似ている。
違うのは桁である。
こちらは一つの受入で百点を超えることがある。

暗い背景から、若い男が浮かび上がる。
黒い髪が額にかかり、耳を覆う。
顔はやや左を向き、目はこちらを見る。
眉は太く、鼻筋は通る。
口もとはわずかに開き、唇に光が入る。
首には白い布が巻かれ、胸で開く。
衣は暗い赤褐色で、肩から大きく落ちる。
その布の襞は、粗い筆で置かれる。
顔だけが細かく、衣は速い。
背景は褐色と黒が混ざり、輪郭を溶かす。
作者の欄には、通称が二つ添えられている。
修道士としての呼び名である。
一人の画家に、三つの呼び方がある。

少女が目を閉じ、頭を右へ傾ける。
赤い頭巾のような布が、髪を覆う。
そこから金色の飾りが垂れる。
首には白い襞飾りが巻かれる。
肩には青緑の衣が掛かる。
胸もとには黄土色の布が見える。
背後には、椅子の背らしい形がある。
背景は灰褐色で、何も描かれない。
顔は正面よりやや上から見た角度である。
まぶたの上のふくらみ、鼻の穴の影まで描かれる。
小さな画面だが、顔の作りは丁寧である。
眠る姿を描いた絵は、当時よく作られた。
同じ画家が、同じ形式で何点も残している。
開館前に、番号が動いていた
最初の受入は1939年である。
館が一般に開かれたのは1941年だった。
つまり二年のあいだ、絵は番号を持ちながら、公開されていなかった。
建物はまだ工事中で、収蔵の場所も限られていた。
それでも番号は付けられ、記録は作られている。
美術館の仕事は、展示より先に始まる。
受け入れ、番号を与え、寸法を測り、状態を書く。
その作業が済んでから、はじめて壁に掛けられる。
九点のうち二点は、この開館前の受入に属する。
1939.1.102と1939.1.107である。
枝番が百を超えているのは、それだけの点数が一度に入ったからだ。
提供元のデータでは、この受入は133点に及ぶ。
開館前の館が、百三十点を超える絵を受け取っている。
群の名は、いつ決まるか
出所の行が群の名になるのは、受け入れる側の判断である。
一点ずつ「誰それの寄贈」と書くこともできた。
そうしなかったのは、群として意味があると考えたからだろう。
同じ収集家が集めた、まとまりのある絵である。
ばらばらに書けば、そのまとまりが見えなくなる。
いったん群の名を決めれば、あとは追加するだけでよい。
新しい受入があっても、行は変えなくてよい。
書き方が固定されるので、記録の手間も減る。
そして年月が経つほど、群は大きくなる。
二千点を超えた時点でも、行は最初のままである。
最初の一行が、二十二年を支えている。
番号が、二つの世代をまたぐ
九点の番号の頭を並べると、途中で性格が変わる。
1939年から1952年までは、比較的短い間隔で続く。
その後、1957年、1959年、1961年と間があく。
出所の行は、そのあいだ一度も変わらない。
同じ名が、二十二年間そのまま使われる。
実際に手続きをした人が誰だったかは、この行からは分からない。
館の記録は、群の名だけを書く。
群として受け入れたのだから、群の名を書く。
個々の手続きの主体は、別の帳簿に残る。
出所の行は、そこまでは背負わない。
この割り切りが、記録を長持ちさせている。
人が替わっても、行は替わらない。

聖母が正面をやや外して座る。
赤い衣の上に、緑がかった青い外套をまとう。
外套の縁には金の飾りが入る。
頭には白い薄布が掛かり、髪を覆う。
膝の上の子は裸で、体を左へ向ける。
子の手は母の胸のあたりに置かれる。
背景は明るい青で、雲がない。
聖母の後光は、細い線で円が描かれる。
衣の襞は硬く、彫刻のような稜線を持つ。
作者の欄は「に倣う」で始まる。
もとになった作品があり、それを写した、という意味だ。
誰が写したかは書かれていない。
写した時期も、はっきりしない。

横長の画面に、平らな土地が広がる。
左に石造の門が立つ。柱が二本、上に梁が渡る。
門の下に、白い頭巾の女が座る。
その右に、数人の人物が立つ。
子どもが二人、大人が三人ほど。
赤や青の衣が、灰色の景色の中で目立つ。
奥には道が伸び、小さな人影が続く。
さらに奥に、低い建物と木立が見える。
空は画面の半分以上を占める。
雲は灰色で、横に長く伸びる。
人物は小さく、風景に埋もれる。
しかし顔の向きは一人ずつ違う。
こちらを見る者と、見ない者がいる。

この一点だけ、寸法の欄に重さが書かれている。
116キロ。板絵としては、かなり重い。
九点の中で重さが記されているのは、これだけである。
大きな板は、掛けるための金具や壁の強度が問題になる。
重さは、その判断に必要な数字だ。
画面には、石の台の上に横たわる遺体が描かれる。
上半身は裸で、腕が左へ伸びる。
その手を、緑の衣の人物が支える。
左には黒い衣の女が立ち、顔を寄せる。
右には赤い衣の人物が背を向ける。
手前には、褐色の衣の人物が跪く。
足もとには小さな壺が置かれる。
背後の左には木立と空が見える。
上部には石造の建物の一部が写る。
主題は、十字架から降ろされた場面である。
色は暗く、白い体だけが明るい。
板とカンヴァスの、比率
九点の技法の欄を数えると、板が四点、カンヴァスが五点である。
板は十五世紀と十六世紀の作品に集中する。
カンヴァスは十七世紀と十八世紀に多い。
これは絵画の歴史の順にほぼ従っている。
板は重く、大きくすると割れやすい。
カンヴァスは軽く、大きくできる。
九点でいちばん重いのは、板に描かれたピエタである。
116キロという数字が記録されている。
いちばん大きいのは、そのピエタで、縦175.8センチ。
板でこの大きさを作るには、何枚も継ぐ必要がある。
継ぎ目は、時間が経つと開く。
だから重さの記録が必要になる。
カンヴァスの作品には、重さの記載がない。
支持体の違いが、記録すべき項目の違いを生んでいる。
一つの名が、地図になる
この行を持つ作品は、ワシントンだけにあるのではない。
同じ収集は、米国各地の館にも分けられた。
そのため、別の州の美術館にも同じ名の行が並ぶ。
一つの名が、複数の館をまたいで存在する。
出所の行は、館ごとに閉じていない。
同じ行を検索すれば、館を越えて群が見えてくる。
これは、公開されたデータがあってはじめてできることだ。
紙の目録の時代には、館ごとに調べるしかなかった。
いまは、行の文字列で横断できる。
記録の書き方が変わらなかったことが、そのまま役に立っている。

縦長の画面の中央に、人物が立つ。
白い布を腰から肩へ巻く。
右手を上げ、指を二本立てる。
左手には細い旗竿を持つ。
旗には赤い十字が入る。
背後は黄色に近い金色で、放射状の線が広がる。
光を表す線である。
足もとには石の縁があり、その下に円い飾りが置かれる。
円の中は緑色で、石をはめ込んだように見える。
体の描き方は硬く、輪郭がはっきりしている。
胸や腹の陰影は、面として置かれる。
背景の金と、白い布の対比が強い。
この板は、大きな祭壇画の一部だったと考えられている。

女性が立ち、こちらを見る。
髪は短く巻かれ、額の上で分けられる。
黒い衣の上に、白い袖が大きく膨らむ。
袖の布には細かい襞が寄る。
胸には黒い宝石の飾りが留まる。
腰から下は黒い衣が広がる。
右手には、房のついた扇が下がる。
左手は体の脇に自然に置かれる。
背景は灰褐色で、何も描かれない。
白い袖だけが強く光る。
黒と白の面が、画面を大きく二分する。
顔の肌は薄く塗られ、青みを帯びる。
名を、群として残すということ
出所の行が「コレクション」で終わるとき、それは群を指す。
一点ずつの寄贈ではないという意味だ。
群として受け入れた以上、群として扱う。
だから二十二年にわたる十以上の受入が、同じ行を共有する。
これは記録の設計としては合理的である。
しかし副作用もある。
一点ずつの事情が、見えにくくなる。
いつ、どこから来たのか。誰が仲立ちをしたのか。
そういうことは、来歴の欄に書かれる。
出所の行は、あくまで館との関係だけを示す。
二つの欄が、役割を分けている。

小さな画面に、五人が詰まる。
中央に聖母が座り、膝に幼な子を寝かせる。
子は裸で、布の上に横たわる。
聖母は青と赤の衣をまとう。
赤い衣が膝で大きく広がる。
その左に、年配の女が顔を寄せる。
右奥には、髭の男が立つ。
右下には、もう一人の幼な子が身を寄せる。
背景は暗い雲で、青灰色が渦を巻く。
人物の輪郭は伸び、体が細長い。
指は長く、関節が強調される。
色は補色に近い組み合わせで置かれる。
小さいが、密度の高い画面である。

裸の男が、柱に縛られて立つ。
腰に灰色の布が巻かれる。
体は正面を向き、顔は上を向く。
頭上には、白い柱が高く伸びる。
背景は黒に近く、柱と体を浮かせる。
足もとには、石の台がある。
台の面には、彫刻が彫り込まれている。
小さな人物が並ぶ浮彫である。
その下に、割れた石材が転がる。
古代の遺構を思わせる作りだ。
体の描き方は硬く、筋肉の区分が明確である。
矢は描かれていない。
主題を示す道具がないのに、題は定まっている。
姿勢と柱が、それを示している。
「に倣う」と書かれた一点
九点のうち一点は、作者の欄が特殊である。
アンドレア・デル・ヴェロッキオに倣う、と書かれている。
これは、その画家の作品を写した誰かの手による、という意味だ。
写した人の名は分からない。
分からないが、写したもとは分かる。
だから「に倣う」という形で記録される。
この書き方は、価値を下げるための言葉ではない。
事実として、そう考えられているというだけである。
同じ収集の中には、こういう作品がいくつも含まれる。
大きな群を集めるとき、すべてが真筆であることはまずない。
館は、受け入れたあとで一点ずつ検討する。
その結果が、作者の欄に反映される。
行が変わらないのに、作者の欄は変わりうる。
出所の行は固定され、作者の欄は動く。
二つの欄の性格が、ここではっきり分かれる。
眠る顔と、こちらを見る顔
九点のうち、人物を主にした絵は六点ある。
そのうち五点は、目を開けてこちらを見る。
一点だけが、目を閉じている。
眠る少女の絵である。
見られていることを前提にした肖像と、そうでない絵。
この違いは、注文の性格の違いでもある。
肖像は、その人を知る誰かのために描かれる。
眠る姿の絵は、特定の誰かのためではない。
市場に出すために、同じ形式で何点も作られた。
顔立ちを写すのではなく、表情を作って売る。
だから題も、人の名ではなく状態を書く。
《眠る少女》という題は、そういう成り立ちをしている。
同じ画家の同種の作品が、各地の館に残っている。
題の付け方が、絵の作られ方を映している。
大きさが、十倍ひらく
九点の面積を計算してみる。
いちばん小さいのは、エル・グレコの聖家族である。
縦53.2センチ、横34.4センチ。約0.18平方メートル。
いちばん大きいのは、モレットのピエタである。
縦175.8センチ、横98.5センチ。約1.73平方メートル。
面積では、およそ九倍から十倍の差になる。
小さいほうは、個人の祈りのための絵だと考えられている。
手もとに置き、近くで見るための大きさだ。
大きいほうは、教会の壁に据えるための絵である。
離れて見上げることを前提にしている。
同じ受入の中に、この二つが混在する。
用途の違う絵が、一つの群にまとめられている。
これも、群の名で束ねることの帰結である。
置かれるべき場所を離れた絵が、館では横に並ぶ。
番号の枝が、何を並べているか
九点の枝番を見ると、1と102と107が混ざる。
1961.9.1、1952.5.1、1957.14.1。枝番が1のものが三点。
1939.1.102と1939.1.107は、百番台である。
枝番が1なら、その受入の先頭に置かれた作品だ。
百番台なら、百点を超える受入の中ほどにある。
つまり枝番の大きさは、その受入の規模を教えてくれる。
枝番が3桁なら、少なくとも百点は入っている。
枝番が1桁なら、小さな受入かもしれない。
もっとも、1桁でも大きな受入の先頭ということはある。
だから枝番だけでは決められない。
提供元のデータで、同じ番号帯を数えれば分かる。
1957.14は、データ上わずかな点数しかない。
1961.9は、200まで枝番が続く。
同じ「1」でも、背後の規模はまるで違う。
番号は、それ自体では規模を語らない。
同じ帯の他の番号と並べて、はじめて意味を持つ。
行が動かないことの、価値
記録の欄には、動くものと動かないものがある。
作者の欄は動く。研究が進めば書き換えられる。
年の欄も動く。技法の欄も動く。
寸法の欄でさえ、測り直せば変わりうる。
動かないのは、番号と出所の行である。
この二つは、いったん決まれば原則として変えない。
変えてしまうと、過去の文献との対応が切れるからだ。
十年前の論文が引いた番号が、いまも同じものを指す。
そのために、番号は動かさない。
出所の行も同じである。
贈った側との約束にあたるので、勝手には変えられない。
九点の行が二十二年変わらないのは、この原則による。
館の記録は、動く欄と動かない欄でできている。
どちらの欄を読んでいるかを意識すると、記録は読みやすくなる。
二十二年ぶんを、一行で束ねる
九点は、時代も国も違う。
十五世紀のイタリアから、十八世紀のイタリアまで。
フランドルの肖像も、スペインの宗教画も、フランスの風景もある。
板もあれば、カンヴァスもある。
小さいものは縦45.4センチ、大きいものは縦175.8センチ。
面積では十倍以上ひらく。
その全部が、一行で束ねられている。
束ねたのは、絵の似ている点ではない。
同じ人の名で受け入れたという一事である。
美術館の記録は、こういう束ね方をよくする。
出所の行は、分類ではなく、経路の記述だからだ。
経路が同じであれば、中身が違っても一つになる。
その群を解きほぐすには、番号の頭の四桁を見るしかない。
四桁が違えば、別の年の受入である。
一行と四桁。二つを合わせて読むと、二十二年が見えてくる。
行は群を示し、四桁は時間を示す。
役割が違うから、両方が要る。


