名画の楽しみ方

追悼画に書かれた碑文——19世紀アメリカの記念の絵九点

柳が垂れ、白い墓標が立っている。その面には、名と亡くなった日と齢が書かれる。一年一か月十五日。日にちまで数えて記した例もある。家の壁に掛けるために作られた、小さな墓のような絵の文字を読みたい。刺繍と水彩の九点を並べたい。

ニコラス・M・S・カトリンへの追悼
アメリカ、19世紀(作者不詳)《ニコラス・M・S・カトリンへの追悼》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

絵の中に、碑文がある

絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。

九点とも、画面の中に文字が書かれている。

墓標の面。

記念碑の台。

石板。

本の表紙。

そして、肖像の画面そのもの。

書かれているのは、名と日付である。

亡くなった日。生まれた日。描かれた日。

記念するための絵

十九世紀のアメリカには、追悼のための絵があった。

家族が亡くなったとき、それを記念して作る。

墓標を描き、柳を垂らし、名を書き入れる。

刺繍で作るものもあれば、絵具で描くものもある。

家に掛けて、日々目にする。

つまり、墓の代わりである。

墓地は遠く、いつでも行けるとは限らない。

家の壁に、小さな墓を作った。

石の碑を、絵で作る

石の碑を建てるには、費用がかかる。

石を切り、運び、彫る。

彫る職人に、文字数ぶんの手間賃を払う。

だから、長い碑文は高くつく。

絵なら、絵具の量は変わらない。

十行でも二十行でも、値は大きく変わらない。

そう考えると、絵の碑は安上がりである。

九点の碑文が長いのも、そのためかもしれない。

石では書けない量が、絵になら書ける。

もっとも、これは推し量りである。

定型の書き出し

碑文には、決まった書き出しがある。

誰それを記念して、という言い方だ。

そのあとに、名が来る。

続柄が続くこともある。

そして、亡くなった日。

最後に、齢が入る。

九点のうち三点が、この型をとる。

型があるから、書く人は迷わない。

読む人も、迷わない。

ニコラス・M・S・カトリンへの追悼
アメリカ、19世紀《ニコラス・M・S・カトリンへの追悼》1852年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦90.2センチ、横69.9センチ。銘記の欄には、中央右の墓標に、記念して、という語で始まる文が七行であるとある。名、両親の名、亡くなった日、齢が続く。番号は1955.11.7。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《ニコラス・M・S・カトリンへの追悼》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、幼い子が立つ。

赤い服を着る。

袖は短く、裾に横の襞が入る。

下に、白い袴と靴下が見える。

靴は青である。

右手を上げ、花に触れる。

左に、鉢に植えた花がある。

鉢は台の上に置かれる。

その下に、灰色の猫が座る。

右に、白い墓標が立つ。

背後に、柳が垂れ、水面が光る。

幼い子の絵が、多い理由

九点のうち五点は、幼い子を描いている。

当時、幼い子が亡くなることは珍しくなかった。

医療は限られ、流行病が繰り返し来た。

だから、追悼の絵にも子供が多い。

顔を残す手立ては、絵しかない。

写真は、まだ高価だった。

亡くなってから描かれた絵もある。

生前の姿を、記憶と言葉でたどって描く。

前の回で、そういう一点を見た。

九点の中にも、同じ事情の絵があるだろう。

齢を、日まで書く

この碑文の齢は、細かい。

一年、一か月、十五日、と書かれる。

年だけでは足りない、という感覚である。

幼い子の一年は、長い。

その長さを、日まで数えて記す。

前の回で、齢を月まで書いた例を見た。

こちらは、日まで書く。

数字が細かいほど、書いた人の思いが伝わる。

館は、その数字をそのまま写す。

碑文の行を、どう数えるか

館の欄は、行ごとに斜線で区切って写す。

だから、何行あったかが分かる。

七行、十四行、六行、四行。

行の数は、碑の形で決まる。

縦に長い碑なら、行数が増える。

横に広い碑なら、一行が長くなる。

つまり、行の数は物の形の記録でもある。

斜線という記号一つが、形を伝えている。

前の回で、点が語の切れ目を示すと書いた。

斜線は、行の切れ目を示す。

四人の名が、一つの碑に

九点のうち一点は、碑文が長い。

四人の名が、順に並ぶ。

それぞれに、亡くなった日と齢が付く。

一七九七年、一八〇三年、一八一九年、一八三〇年。

三十年以上にわたる。

つまり、この一枚は家族の記録である。

亡くなるたびに、名を足していったのだろう。

いや、まとめて描いたのかもしれない。

館は、そこまでは書かない。

書かれた順序と内容を、そのまま写す。

イートン家の追悼画
サミュエル・ジョーダン《イートン家の追悼画》1831年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。銘記の欄には、碑の台に画家の頭文字と刻んだという語と年、碑の面に四人の名と亡くなった日と齢があるとある。番号は1955.11.9。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サミュエル・ジョーダン《イートン家の追悼画》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面である。

左に、白い四角い碑が立つ。

碑の面に、細かい文字が並ぶ。

その脇に、黒い服の人物が身を寄せる。

上に、柳が枝を垂らす。

右に、赤く染まった木立が広がる。

中央奥に、白い建物と教会が見える。

その手前を、細い道が横切る。

道を、白い馬が引く車が進む。

空は、上が青く、下が橙である。

雲が、横に長く伸びる。

職人の言葉を、借りる

彫った、という語は、石工や版画家が使う。

描いた、という語は、画家が使う。

この一点の画家は、前者を選んだ。

絵の中の碑に合わせたのだろう。

前の回で、動詞の選び方を見た。

描いたか、作ったか、作っていたか。

一語の選択に、仕事の見方が出る。

ここでは、絵の中の作り事に合わせて選んでいる。

署名が、絵の一部になっている。

彫った、と画家が書く

いま見た一点には、もう一つ文字がある。

碑の台に、画家の頭文字がある。

そのあとに、彫った、という意味の短い語が続く。

そして、年。

つまり、この画家は自分を彫刻師として署名した。

実際には、絵具で描いている。

しかし、碑を描いたのだから彫ったことにする。

絵の中の作り事に、署名まで合わせている。

念の入った工夫である。

型紙という、道具

型紙を使う方法は、当時広く教えられた。

厚紙に形を切り抜き、布に当てる。

刷毛で絵具を叩き込むと、形が出る。

型紙を替えれば、別の形が加わる。

こうすれば、線を引く技術が要らない。

女学校の課業に取り入れられた。

果物、花、鳥、そして追悼の図。

決まった図柄が、繰り返し作られた。

だからこそ、文字だけが一枚ごとに違う。

布に染めた、追悼画

九点のうち一点は、材料が違う。

毛羽のある布に、水彩で描かれている。

型紙を使って絵具を置く方法である。

型紙を当て、刷毛で色を入れる。

そうすると、絵の心得がなくても形が作れる。

学校の課業として、少女たちが習った。

つまり、これは家庭の手仕事である。

碑文も、その一部として描かれる。

慈愛のハワードを記念して
サロメ・ヘンゼル《慈愛のハワードを記念して》1823年。館の記録では、毛羽のある布に水彩、型紙を用いた技法。縦40.6センチ、横50.8センチ。銘記の欄には、中央右の碑に、記念して、という語で始まる文が六行であるとある。番号は1971.83.22。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サロメ・ヘンゼル《慈愛のハワードを記念して》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の布に、楕円の絵が描かれる。

中央に、柳が大きく垂れる。

その下に、白い碑が立つ。

碑の面に、文字が六行入る。

碑の左に、人物が三人集まる。

一人は青い服で立ち、腕を組む。

一人は褐色の服で座る。

一人は青い服で身をかがめる。

手前に、青い水が広がる。

左端に、褐色の岩がある。

背景の紙が、そのまま余白になる。

大文字だけで、書く

この碑文は、すべて大文字で書かれる。

前の回で、石に刻む文字は大文字だと書いた。

同じ約束が、ここでも守られている。

型紙で作った絵でも、そこは守る。

大文字のほうが、彫った感じが出る。

そして、幅が揃う。

縦に積んだとき、見た目が整う。

小文字を混ぜると、高さが不揃いになる。

見た目のために、書体が選ばれている。

名を、六行に分ける

この碑文は、六行に分かれている。

一行に一語か二語しか入らない。

記念して。

慈愛の。

そして、名。

短い語を、縦に積む。

石の碑では、こういう組み方をよくする。

幅が狭いからだ。

その組み方を、絵がそのまま真似ている。

館は、行の分かれ目まで写す。

名のある人と、ない人

この一点には、二つの墓標がある。

一つには、名と部隊の名が書かれる。

もう一つには、身元不明を示す語だけがある。

同じ場所に、両方が並ぶ。

名が分かれば、家族のもとへ帰せる。

分からなければ、そこに留まる。

絵は、その差をはっきり描いている。

館の欄も、両方を並べて写す。

一方だけを写せば、絵の意味が変わる。

墓標に、部隊の名

九点のうち一点は、主題が重い。

戦争のあと、埋葬された人を掘り起こす場面である。

家族のもとへ移すためだろう。

手前の老人が、木の墓標を持つ。

そこに、名と部隊の名が四行で書かれる。

そして、その足もとの別の墓標には、身元不明、とある。

二つの墓標が、並んでいる。

名のある人と、名のない人。

館は、両方の文字をそのまま写す。

掘り起こし
リントン・パーク《掘り起こし》1890年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦68.6センチ、横91.4センチ。銘記の欄には、老人の持つ墓標に名と部隊の名が四行、足もとの墓標に身元不明を示す語があるとある。番号は1953.5.27。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。リントン・パーク《掘り起こし》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面である。

左に、馬が引く黒い車が止まる。

その周りに、人が数人集まる。

手前の地面に、赤と白の布が広がる。

人々が、身をかがめて作業する。

右に、太い木が立つ。

葉は褐色で、秋の色である。

中央奥に、青い水が広がる。

白い帆の舟が、二艘浮かぶ。

空は青く、白い雲が横に流れる。

対岸に、低い家並みが見える。

石板という、消える板

石板は、書いては消す道具である。

白い石筆で書き、布で拭えば消える。

つまり、そこに書かれた文字は仮のものだ。

碑の文字は、消えない。

石板の文字は、消える。

同じ石でも、性質が正反対である。

その板に、聖句が書かれている。

消える板に、消えない言葉を書く。

館は、そこまでは書かない。

写されるのは、句だけである。

石板に、聖句を書く

九点のうち一点は、子供が石板を持つ。

学校で使う、黒い板である。

そこに、白い文字で一文が書かれる。

幼な子らをわれに来たらせよ、という言葉だ。

新約聖書の一節から取られている。

子供の絵に、この句が選ばれる。

追悼のためかもしれない。

学びの場面かもしれない。

館は、句を写すだけで、理由を書かない。

石板を持つ少女
プライア=ハンブリン派《石板を持つ少女》1845年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦68.6センチ、横58.4センチ。銘記の欄には、石板に、幼な子らをわれに来たらせよ、で始まる一文があるとある。番号は1953.5.66。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。プライア=ハンブリン派《石板を持つ少女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、幼い子が立つ。

白い服を着る。

袖と裾の縁が、赤い。

裾は大きく広がる。

下に、白い袴と黒い靴が見える。

両手で、黒い石板を持つ。

石板は横長で、木の枠が付く。

顔は丸く、目が大きい。

髪は明るい褐色である。

背後は暗い褐色で、平らである。

右に、赤い布が垂れる。

本に、われを忘るな

九点のうち二点は、本に文字がある。

一点は、われを忘るな、という二語。

もう一点は、人物の名そのものである。

どちらも、追悼と結びつく言葉だ。

忘れないでほしい、という願い。

あるいは、名を残したいという願い。

小さな本の表紙に、それが置かれる。

前の回で、書名を書いた例を見た。

こちらは、書名ではない。

願いである。

メアリーとフランシス・ウィルコックス
ジョゼフ・ホワイティング・ストック《メアリーとフランシス・ウィルコックス》1845年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦121.9センチ、横101.6センチ。銘記の欄には、本に、われを忘るな、という二語があるとある。番号は1959.11.2。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・ホワイティング・ストック《メアリーとフランシス・ウィルコックス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、二人の子が立つ。

左の子は、青い服を着る。

右手を上げ、指を立てる。

右の子は、緑の服を着る。

両手を下げ、まっすぐ立つ。

どちらも、下に白い袴を履く。

足もとに、金の縁の台がある。

台の上に、小さな本と玩具が並ぶ。

左に、赤い布が垂れる。

床に、模様のある敷物が敷かれる。

背景は暗く、平らである。

ソフィア・ミード
アメリカ、19世紀《ソフィア・ミード》1845年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。銘記の欄には、本に人物の名があるとある。番号は1953.5.47。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《ソフィア・ミード》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、女性が座る。

黒い服を着る。

襟元に、白い細かい飾りが並ぶ。

頭に、白い帽子をかぶる。

帽子の縁に、襞が寄る。

顔はこちらを向き、口を結ぶ。

右手に、小さな緑の本を持つ。

膝の上に、青い布を広げる。

布に、白い模様が散る。

椅子の背が、右に見える。

背景は灰褐色で、平らである。

対の絵は、寸法が揃う

この二点は、寸法が同じである。

縦76.2センチ、横63.5センチ。

前の回でも、同じ数字を見た。

当時、この寸法の布がよく使われていた。

夫婦の対を注文すれば、二枚とも同じ大きさになる。

そして、文字の位置は左右で対になる。

一方は右上、他方は左上。

向かい合わせに掛けたとき、外側に来る。

内側は、顔に近い。

文字を外に寄せるのは、そのためだろう。

肖像の面に、直接書く

九点のうち二点は、碑ではない。

肖像の画面に、直接文字が書かれる。

名。

生まれた日。

そして、描かれた月と年。

つまり、碑文の書式を肖像に持ち込んでいる。

墓標がなくても、同じことが書ける。

二点は、同じ画家の手で、同じ年に描かれた。

夫婦の対と思われる。

イライザ・R・リード
ロイヤル・ブリュースター・スミス《イライザ・R・リード》1833年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。銘記の欄には、中央右に名と生まれた日と描かれた月が三行であるとある。番号は1978.80.17。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロイヤル・ブリュースター・スミス《イライザ・R・リード》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、女性が座る。

黒い服を着る。

袖はふくらみ、肘から下が細い。

肩に、黒い透ける布を掛ける。

頭に、褐色の飾りと白い透けた帽子を付ける。

耳に、金の飾りが下がる。

首に、金の鎖を二重に掛ける。

右手を膝に置き、白い布を握る。

背景は深い緑で、平らである。

右上のあたりに、小さな文字がある。

椅子の背が、左に見える。

ジョン・G・リード
ロイヤル・ブリュースター・スミス《ジョン・G・リード》1833年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。銘記の欄には、中央左に名と生まれた日と描かれた月が三行、左下の本に有用な知識という語があるとある。番号は1978.80.18。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロイヤル・ブリュースター・スミス《ジョン・G・リード》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、男性が座る。

黒い上着を着る。

内側に、白い胴着が見える。

首元に、白い布を高く巻く。

髪は褐色で、額の上で分ける。

顔はこちらを向き、頬がこける。

右手に、赤い本を持つ。

本の背に、金の帯が横に走る。

背景は深い緑で、平らである。

左上のあたりに、小さな文字がある。

椅子の背が、右に見える。

二つの記録を、一つの面に

生まれた日は、家の聖書に書かれることが多かった。

家族の誕生と死を、余白に書き足していく。

そこから写したのだろう。

描かれた月は、画家が知っている。

つまり、二つの出どころの情報が並ぶ。

一つは家の記録から。

一つは仕事の記録から。

それが、同じ面に三行で書かれる。

前の回で、表と裏で情報が分かれる話をした。

ここでは、同じ面で混ざっている。

生まれた日と、描かれた月

この二点の書き方は、そっくりである。

名、生まれた日、描かれた月と年。

三行に分かれる。

生まれた日は、月と日と年まで書く。

描かれた月は、月と年だけである。

つまり、精度が違う。

生まれた日は、家の記録から取ったのだろう。

描かれた月は、画家が書いたのだろう。

二つの情報の出どころが、違う。

有用な知識、という書名

男性の絵には、もう一か所文字がある。

手に持つ本の背に、二語ある。

有用な知識、という語である。

これは、当時よく使われた書名の一部だ。

実際に、そういう題の叢書があった。

読む人の教養を示す本である。

つまり、この人は学ぶ人だ、と示している。

前の回で、書名が人物を語ると書いた。

同じことが、ここでも起きている。

柳と墓標という、型

追悼画には、決まった図がある。

柳が垂れ、その下に墓標が立つ。

女性が、碑にもたれて悲しむ。

背景に、水と教会が見える。

九点のうち三点が、この型に近い。

型があるということは、手本があったということだ。

版画や刺繍の見本帳が、出回っていた。

それを写して、名前だけを変える。

だから、絵は似て、文字だけが違う。

名前だけが、違う

型が同じなら、絵の中身は変わらない。

変わるのは、碑に書かれた名だけである。

つまり、この種の絵では文字が主役だ。

絵は、名を載せるための器である。

前の回で、貼り紙が文字の台になる話をした。

追悼画では、絵全体が台になっている。

そう考えると、変わった絵である。

見せたいのは、風景ではない。

一つの名と、一つの日付である。

記録が、悲しみを書かないこと

館の欄は、内容を淡々と写す。

名。日付。齢。

悲しい絵である、とは書かない。

追悼のためだ、とも書かない。

読む人が、そう受け取ればよい。

前の回で、記録が判断を書かない話をした。

ここでも、同じ姿勢が保たれている。

書かれるのは、事実だけである。

事実だけのほうが、かえって伝わることがある。

九点の日付を、並べておく

九点に書かれた日付を並べる。

1797年12月22日。

1803年10月6日。

1819年4月12日。

1830年8月14日。

1852年4月19日。

そして、生まれた日が二つ。

1799年11月1日と、1811年2月19日。

いずれも、日まで書かれている。

年月日が揃うと、その人が実在したことがはっきりする。

家の壁に、名を残す

これらの絵は、教会や公の場のものではない。

家の壁に掛けるための絵である。

見るのは、家族だけだ。

その家族に向けて、名と日付が書かれる。

外の人には、必要のない情報である。

しかし、いま館の欄に写されて、誰でも読める。

家の中の言葉が、外へ出た。

出たことで、二百年後にも残っている。

書いた人は、そこまでは考えなかっただろう。

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