十八葉で、番号が一つ——王鑑、金農、桑山玉洲ほかの画帖
画帖には、一冊で一件になるものと、一葉で一件になるものがある。分かれ目は作者の数である。一人なら一冊、複数なら一葉ずつ。まとめれば中身が見えず、分ければ冊子の姿が消える。その選択の理由を読みたい。枝番の範囲が、冊子の厚さを教えてくれる。

十八葉で、番号が一つ
前の回まで、一冊が頁に分けられる例を見てきた。
写生帖も、貼り込み帖も、扇を貼った画帖も、一葉ずつに番号が付いていた。
しかし、そうならない場合がある。
メトロポリタン美術館の東洋美術部門には、「画帖」という種別がある。
そこに登録されているものは、一冊で一件である。
十八葉あっても、番号は一つしかない。

番号を見てほしい。
一九八九・二三五の二の、aからuまで。
一つの番号のうしろに、枝番の範囲が示されている。
aからuまでで、二十一の文字がある。
葉の数は十八だから、残りの三つは表紙や題箋だろう。
いずれにせよ、これは一件である。
館の目録でも、当サイトでも、一つの作品として並ぶ。
そして、公開されている画像は一枚だけである。
十八葉のうち、一葉しか見えない。
見えているのは、山と川の風景である。
中央に大きな岩の塊が積み上がり、左に水が流れる。
上に淡い青の遠山。
右上と左下に、赤い印がある。
一葉で一件、一冊で一件
同じ館の同じ部門に、逆の例もある。

題に「画帖の一葉」と入っている。
そして番号は、六四・二六八の一である。
枝番の範囲ではなく、一つの数字である。
同じ画帖の別の葉は、六四・二六八の二、三と続く。
つまり、この画帖は一葉ずつに分けて数えられている。
なぜ、扱いが分かれるのか。
技法の欄に答えがある。
「多くの葉からなる合作の画帖の一葉」。
合作、つまり複数の画家が一冊に描いている。
作者が違えば、作者の欄が一つに書けない。
だから、葉ごとに分けるほかない。

同じ画帖の、別の葉である。
作者が違う。
年の欄も、こちらは「一六五四年から一六五五年ごろと推定される」となっている。
前の一葉は「一六五四年」と言い切っている。
同じ冊子のなかで、年の確からしさに差がある。
画面の寸法は、二点とも同じである。
縦二五・一センチ、横三三・三センチ。
同じ台紙に貼るのだから、当然そろう。
表装を含めた寸法も同じである。
開いた状態で、縦六〇センチ、横三五・九センチ。
画面が二五センチ四方ほどなのに、開くと六〇センチになる。
まわりの余白と、隣の葉の分である。
描かれているのは、山あいの家である。
手前に木立、奥に岩山、その谷間に建物が見える。
上の余白に、細かい文字が並ぶ。
名を並べる画帖
周亮工のための画帖という題は、少し変わっている。
周亮工は、この画帖を作らせた人である。
十七世紀の中国で、こうした画帖が作られた。
一人の人が、知り合いの画家たちに一葉ずつ描いてもらう。
集めて一冊にする。
前に見たマグワイアの貼り込み帖と、考え方が近い。
違うのは、はじめから一冊にする前提で頼んでいることである。
だから、紙の大きさがそろっている。
貼り込み帖では、来た紙の寸法がばらばらだった。
こちらは、そろえて渡している。
そして、集めた人の名が題に入る。
作者の名ではなく、依頼した人の名が単位の名になる。
館は、その名を題から外さなかった。
外すと、二つの葉が同じ冊子のものだと分からなくなる。
一冊で数えると、何が見えなくなるか
ここで、はじめの王鑑の画帖に戻りたい。
十八葉で一件。
公開されている画像は一枚だけ。
残りの十七葉は、当サイトからは見えない。
見えないだけで、存在はしている。
館の記録にも「十八葉からなる」と書いてある。
しかし、その十八葉が何を描いているかは分からない。
題は《古人に倣う山水》である。
古人に倣うとは、昔の画家の様式で描くことである。
十八葉それぞれが、別の画家に倣っているのだろう。
だとすれば、十八通りの様式が並んでいることになる。
その面白さは、一枚の画像からは伝わらない。

この一点の公開画像は、見開きである。
右の頁に、立ち姿の女性が一人。
長い衣が、足元まで流れている。
左の頁は、びっしりと文字で埋まっている。
つまりこの画帖は、絵と文が交互に並ぶ作りである。
《九歌》は、古い詩の名である。
その詩の各章に、絵を一葉ずつ添えている。
だから絵と文が対になる。
見開きの写真は、その対を一組だけ見せている。
十一葉あるうちの、一組である。
年の欄は「十四世紀から十五世紀」と幅が広い。
作者の欄には一二五四年から一三二二年とあるから、没後の年も含まれている。
文化の欄も「元、あるいは明」である。
伝称の作品に対する、慎重な書き方である。
葉の数を、数字で書く
画帖の技法の欄には、必ず葉の数が入っている。
十八葉からなる画帖。
八葉からなる画帖。
十二葉からなる画帖。
十一葉からなる画帖。
十二図からなる画帖。
十四図と一書からなる画帖。
最後のものだけ、書き方が違う。

十四の絵と、一つの書。
つまり、絵だけではない。
書だけの葉が一つ交じっている。
冊子のなかで、絵と書が同じ扱いを受けている。
公開画像に写っているのは、縦長の一図である。
黒い枠のなかに、色の付いた山がある。
赤や薄緑の点が、木を表している。
左上に、細かい書き込みと印。
寸法の欄には、二つの数字が並んでいる。
各図が縦二二・五センチ、横一三・八センチ。
開いた全体が縦二六・七センチ、横三四・六センチ。
一図の横幅が一三・八センチで、開いた横幅が三四・六センチ。
つまり見開きにすると、余白を入れて二図ぶんが入る。
数字から、冊子の作りが読める。
そして、この一件は日本の画帖である。
九点のなかで、これだけが日本の作である。
同じ「画帖」という種別に、中国と日本のものが並んでいる。
八葉、十二葉、十二図

八葉の画帖である。
公開画像は、横長の一葉。
墨だけで描かれ、色がない。
左に大きな岩山、右に低い木立と水。
手前に、細い橋のようなものがある。
左上と右下に、赤い印。
年の欄は一八一四年と言い切っている。
どこかに年が書かれているのだろう。

十二葉の画帖である。
各葉が縦一五・九センチ、横一九・一センチ。
九点のなかで、いちばん小さい。
手のひらほどの画面である。
公開画像には、水辺の景色がある。
左手前に、点を重ねた木立。
その上に、白い雲の帯が横に走る。
雲の上に、また木立と土坡。
墨の濃淡だけで、遠近が作られている。
小さい画面だが、層が三つある。

同じく十二葉の画帖である。
こちらは縦長の葉である。
線が細く、乾いた筆で引かれている。
岩の面が、短い線の重なりで作られている。
上の余白に、四行の書き込みと印。
墨の量が少なく、紙の白が多く残る。

十二図の画帖である。
公開画像には、川辺に腰かけた人物がいる。
その頭の上から、梅の枝が大きく垂れている。
枝には赤い花が点々と付く。
人物は白い衣を着て、右を向いている。
左上に、太い筆の文字が四行。
題の《墨戯》は、墨で遊ぶ、という意味である。
余技として描く、という含みがある。
枝番の範囲が、冊子の厚さを示す
一冊で一件の七点は、番号の書き方に特徴がある。
一九八九・二三五の二の、aからuまで。
一九八六・二六七の二の、aからhまで。
一九七九・四九九の、aからlまで。
一九七三・一二一の一五の、aからpまで。
一九八九・一四二の、aからlまで。
一九九七・四三九の、aからmまで。
範囲が示されている。
つまり、館は葉ごとに枝番を割り当ててはいる。
割り当てたうえで、一件としてまとめている。
これは、うまい折衷である。
一件として扱えば、作者も年も一つの欄で足りる。
枝番を割り当てておけば、あとで葉ごとに分けることもできる。
必要になったとき、aの葉、bの葉と指定できる。
実際、修理や貸出の記録では、葉ごとの指定が要る。
枝番は、そのための備えでもある。
そして読む側にとっては、範囲の広さが冊子の厚さを教えてくれる。
aからuまでなら二十一。
aからhまでなら八。
数えるだけで、おおよその葉数が分かる。
技法の欄の「十八葉からなる」という記述と、枝番の範囲は、たいてい一致する。
一致しないときは、表紙や題箋に枝番が振られている場合が多い。
桑山玉洲の一件だけ、寸法が二段になっている
寸法の欄を、九点ぶん並べてみる。
七点は、数字が一組だけである。
二点だけ、二組の数字がある。
桑山玉洲の画帖と、周亮工のための画帖の二葉である。
前者は「各図」と「開いた全体」。
後者は「画面」と「表装を含めて開いた状態」。
いずれも、絵そのものの寸法と、冊子としての寸法を書き分けている。
この書き分けには意味がある。
画帖の絵は、必ず台紙に貼られている。
台紙のほうが大きく、まわりに余白ができる。
その余白も含めて一葉である。
だから、二つの数字が要る。
書き分けていない七点では、どちらを測ったのか分からない。
推測はできるが、記録には書かれていない。
同じ種別の中でも、記入の細かさに差がある。
受け入れた年が違えば、方針も違う。
一九六四年、一九七三年、一九七五年、一九七九年、一九八六年、一九八九年、一九九七年。
三十年以上にわたる受入である。
その幅が、そのまま欄の書き方の幅になっている。
墨だけの画帖が、四つある
技法の欄をもう一度見ると、色の有無が分かれている。
墨だけのものが四点。
墨と彩色のものが五点。
そして墨だけの四点は、いずれも山水である。
伊秉綬、龔賢、戴本孝、そして趙孟頫。
墨だけで山水を描くのは、中国絵画の中心にある方法である。
色を使わないぶん、筆の当て方と墨の濃さで全部を決める。
龔賢の一葉では、点を重ねて木立を作っていた。
戴本孝の一葉では、乾いた線を重ねて岩の面を作っていた。
同じ墨でも、当て方が違えば、まるで違う質感になる。
一方、彩色のあるものは主題が広い。
金農は人物と梅を描き、王鑑は青い遠山を置いた。
桑山玉洲は、赤と薄緑の点で木を表した。
色があると、季節が入りやすい。
一冊の画帖のなかで、季節を巡らせることもできる。
十二葉あれば、十二か月に当てることもできる。
もっとも、館の記録は各葉の主題を書いていない。
だから、そこまでは確かめられない。
一件の中に、十二の絵がある
九点のうち七点が、一冊で一件である。
そして七点とも、公開画像は一枚しかない。
七冊のなかに、合わせて八十以上の絵がある。
見えているのは、七枚だけである。
これは、当サイトの都合ではない。
館が公開している画像が、そもそも一件につき数枚だからである。
画帖の全葉を撮って公開するのは、手間がかかる。
十八葉なら十八回、見開きなら九回撮る。
そして、そのすべてに説明を付けなければならない。
だから、代表の一葉だけを撮る。
一件で一件ぶんの手間、という原則が働いている。
数え方は、記録の手間と結びついている。
一葉ずつ数えれば、一葉ずつ撮ることになる。
一冊で数えれば、一枚で済む。
画帖という形の、利点
画帖は、掛軸や巻子に比べて扱いやすい。
掛軸は、掛けるための壁が要る。
巻子は、広げるための机が要る。
画帖は、膝の上でも開ける。
そして、しまうときは平らな箱に収まる。
紙が台紙で支えられているので、傷みにくい。
小さな絵を長く保つには、この形が向いている。
九点の画面は、どれも三十センチ前後である。
掛軸なら小品にあたる大きさである。
小さい絵を一枚ずつ掛けるのは、間が持たない。
十二枚まとめて一冊にすれば、順に見ていける。
画帖は、小品のための器である。
そして、器がしっかりしているぶん、中身は散りにくい。
散らずに残ったものが、いま一件として記録されている。
散ったものは、一葉ずつの記録になっている。
九点のなかに、その両方が並んでいる。
分ける理由と、分けない理由
ここまでを整理しておきたい。
一冊で一件になるのは、作者が一人で、はじめから一冊として作られた場合である。
一葉で一件になるのは、作者が複数の場合か、もともとばらばらだったものを集めた場合である。
周亮工のための画帖は前者にあたらない。
多くの画家が描いているから、葉ごとに分かれる。
扇を貼った画帖も同じである。
扇は一本ずつ別の人が描き、あとから集められた。
だから一葉ずつ数える。
この区別は、理屈が通っている。
ただし、結果として見え方は大きく変わる。
一冊で一件のものは、中身が見えない。
一葉で一件のものは、中身は見えるが、冊子の姿が見えない。
どちらを選んでも、片方は隠れる。
出所の行が、いちばん長い一件
桑山玉洲の画帖の出所の行は、九点でいちばん長い。
パッカード氏の東洋美術蒐集品、その寄贈と、複数の基金による購入、そして遺贈と寄付。
基金の名が五つ以上並んでいる。
一つの品を買うのに、複数の財源を組み合わせている。
これは、金額の大きい取引でよくある形である。
一件ぶんの資金が、一つの基金では足りない。
だから、いくつかの基金から少しずつ出す。
そして、出した基金の名をすべて書く。
出所の行が長いということは、それだけの手間がかかったということである。
一方、いちばん短いのは「シーモア基金、一九六四年」である。
周亮工のための画帖の二葉が、この行を持つ。
短い行と長い行が、同じ目録のなかに並んでいる。
行の長さは、作品の価値を示すものではない。
買い方の複雑さを示している。
見えていない葉のことを、どう書くか
当サイトは、館の公開画像をそのまま使っている。
一冊で一件のものは、一葉しか出せない。
このとき、記事の書き方には気をつけなければならない。
見ていない十七葉について、想像で書くことはできない。
技法の欄が「十八葉からなる」と言っているのだから、十八葉あることは確かである。
しかし、その十八葉が何を描いているかは、こちらには分からない。
だから、書けるのは見えている一葉と、記録の欄までである。
《古人に倣う山水》という題から、十八通りの様式が並んでいると推測はできる。
推測であることを断ったうえで、そこまでにする。
記録にないことを埋めないというのは、地味だが大事な作法である。
埋めた瞬間に、記事は記録から離れる。
一冊は、いつばらされるか
周亮工のための画帖は、いま何葉あるのだろうか。
当サイトで確認できるのは、六四・二六八の一と三である。
二番もあるはずだが、公開されていない。
そして四番以降があるかどうかも分からない。
技法の欄には「多くの葉からなる」とだけある。
数が書かれていない。
つまり館も、もとの冊子が何葉だったかを確定していない。
こういう場合、冊子はすでにばらされている可能性が高い。
一葉ずつ売られ、いくつかが館へ入った。
残りは別の場所にある。
もとの姿は、題のなかの「周亮工のための画帖」という語にだけ残る。
その語があるおかげで、離れた葉どうしが結び付けられる。
ばらされた冊子を、記録の上で再び集める。
題は、そのための道具になる。
冊子という単位を、どう扱うか
最後に、一つだけ付け加えておきたい。
画帖は、めくって見るための品である。
一葉ずつ順に現れ、前の葉が隠れる。
その順序と、めくる時間が、画帖の見え方を作っている。
十八葉を一枚の壁に並べたら、別のものになる。
館が一冊で一件と数えるとき、その順序は保たれている。
分けて数えるとき、順序は番号のなかに移る。
六四・二六八の一、二、三。
数字の順が、めくる順になる。
どちらの数え方でも、順序は消えていない。
消えるのは、めくるという行為のほうである。
そして、それは記録の側では、どうしようもない。
冊子の記録は、いつも冊子そのものには届かない。


