隅の一匹から、題だけの一匹まで——ファン・ケッセル・歌麿・ウェストほか九点
虫は、絵のなかで最も小さい生き物である。隅にいることが多い。だが、虫だけを主題にした絵もある。九点で、その扱いの幅を読みたい。題に虫があるのに、画面に見えない一点もある。九点のうち六点に、蝶が現れる。

隅にいる一匹
前の回で、鳥の居場所を見た。
枝と空と地面、そして装飾の面である。
今回は、もっと小さいものである。
虫である。
虫は、絵のなかで最も小さい生き物である。
そして、たいてい隅にいる。
画面の端、葉の裏、地面の上。
だが、虫だけを主題にした絵もある。
九点を並べて、その幅を見たい。
いちばん小さい扱いから、いちばん大きい扱いまで。
そして、最後の一点には、虫が見えない。
見えないのに、その虫が題になっている。

非常に小さい絵である。
一一・五掛ける一四センチ。
手のひらに載る。
そして、銅板に描かれている。
前の回でも、銅板の絵を見た。
表面が滑らかで、細い線が引ける。
だから、こうした主題に使われる。
画面は、灰色に近い淡い地である。
背景に何も描かれていない。
中央に、細い枝が横たわる。
葉が細長く、対になってつく。
青い小花が並ぶ。
館の記録では、ローズマリーである。
そして、そのまわりに虫が散らばる。
数えると、十三匹ほどいる。
蝶が三匹。
白いもの、黄色いもの、灰色に斑のあるもの。
蜂のような虫が二匹。
甲虫が三匹。
赤褐色のもの、黒いもの。
そして、羽の細い虫が数匹。
いずれも、重ならずに置かれている。
一匹ずつ、間隔を空けて並ぶ。
つまり、これは場面ではない。
標本の並べ方に近い。
第十四回で、こうした絵について書いた。
観察の記録として描かれた形式がある。
そして、影がほとんどない。
影を描けば、地面の上に見える。
影がなければ、紙の上に見える。
森の底

十七年ほどあとの一点である。
そして、扱いがまったく違う。
六八・三掛ける五二・七センチ。
縦長で、前の一点の二十倍以上の面積がある。
画面は暗い。
上のほうも、下のほうも、闇に沈む。
中央に、大きな植物が立つ。
茎が太く、葉が幾重にも重なる。
そして、いちばん上に赤い花が開く。
館の記録では、芥子である。
葉の色は、緑と暗い茶が混じる。
枯れかけた葉もある。
そして、その葉のあいだに虫がいる。
蝶が二匹か三匹。
一匹は左上、一匹は中ほど、一匹は下のほうにいる。
白いもの、橙のもの。
それぞれ小さい。
そして、地面のあたりに、別の生き物がいる。
館の記録の題は、爬虫類と言っている。
蜥蜴か蛇だろう。
暗くて判別しにくい。
右下に、石か木の切れ端がある。
つまり、これは森の底の情景である。
第十四回で、この形式について書いた。
暗い地面のうえに、植物と小動物を集める。
そして、腐ったものと生きたものを並べる。
前の一点と比べると、違いがはっきりする。
前の一点は、白い地に並べた。
この一点は、暗い場面のなかに隠した。
同じ虫でも、置き方が正反対である。
そして、この一点では、探さないと虫が見つからない。
虫の詩

前の回までに、この本の別の一葉を見た。
同じ本の、違う見開きである。
番号の末尾が違う。
二六・七掛ける一八・四センチ。
右と左に分かれる。
右の面に、草の茎が伸びる。
葉が広く、垂れている。
その葉の上に、緑の虫がいる。
体が細長い。
館の記録の題によれば、ばったである。
そして、左の面の下に、大きな虫がいる。
淡い黄色で、体が長い。
脚が前に伸びる。
館の記録では、かまきりである。
そのまわりに、細い蔓が絡む。
上部には、字が並ぶ。
館の記録によれば、詩を集めた本である。
第九回で、この形式について書いた。
虫を題にした詩に、絵を合わせる。
つまり、虫が主題である。
そして、虫が大きく描かれている。
かまきりの体は、紙の幅の三分の一ほどある。
実物より、はるかに大きい。
第十二回で、拡大について書いた。
小さいものを描くとき、実寸では読めない。
だから、拡大する。
そして、拡大すると、細部が見える。
この一葉でも、脚の節や、翅の筋が描かれている。
鐔の隅の蝶

刀の鐔である。
第十八回で、この形式について何度も書いた。
大きさは六・五掛ける五・九センチ。
九点のなかで、いちばん小さい部類である。
形が四角に近い。
四隅が丸められ、縁が波打つ。
縁は金色である。
そして、地は黒に近い。
館の記録が挙げる赤銅である。
銅に金を混ぜ、黒く発色させる合金である。
地の表面は、細かい粒で埋められている。
中央に、刀身を通す穴がある。
その左右に、字が入る。
館の記録では、銘である。
右のほうに、大きな花がある。
金と銀で作られている。
花弁が幾重にも重なる。
牡丹だろう。
葉も添えられている。
下のほうには、細い流れの線がある。
水を示している。
そして、蝶がいる。
左上の縁のあたりに一匹。
左下に、もう一匹。
いずれも金色で、非常に小さい。
翅を広げている。
つまり、この蝶は隅にいる。
主題は花である。
蝶は、その花に来たものとして添えられている。
第十八回で、刀装具の意匠について書いた。
限られた面に、主題と添え物を配る。
そして、隅の空いた部分に、小さな図を入れる。
蝶は、そのために最も使いやすい。
小さく、丸く、どこに置いても不自然でない。
銘のある小柄

小刀の柄である。
第十八回で、この形式についても書いた。
細長い板である。
長さ九・七センチ、幅一・四センチ。
つまり、指ほどの細さである。
館の記録は、年を一八二八年と定めている。
第十七回で書いたとおり、銘に年が入る場合がある。
地は灰色である。
四分一という合金で、銀と銅を混ぜる。
そして、その面に細い植物が彫られている。
茎が縦に走る。
葉が数枚つく。
金色の装飾が、ところどころに入る。
小さな花か、実だろう。
そして、その茎のあいだに虫がいる。
判別しにくいが、細長い形が見える。
翅のようなものもある。
つまり、草むらの情景である。
九・七掛ける一・四センチという細長い面に、それが収まっている。
第十八回で、この形式の制約について書いた。
幅が狭いから、横に広がる図が使えない。
縦に伸びる図でなければならない。
だから、草の茎が選ばれる。
そして、虫はその茎に止まる。
つまり、面の形が主題を決めている。
桃色の地に舞う

小さな花瓶である。
高さ一五・九センチ。
胴が丸く、上がすぼまる。
口は短く、白い。
そして、胴が桃色である。
下へ行くほど、色が薄くなる。
上から下へ、色が抜けていく。
その桃色の面に、蝶が散っている。
数えると、七匹か八匹いる。
白いものが四匹ほど。
青いものが三匹ほど。
いずれも翅を広げている。
そして、大きさが揃っていない。
大きいもの、小さいもの。
配置も規則的ではない。
上のほうに集まり、下のほうは空いている。
つまり、散らす方法である。
前の回で、曲面の絵の解き方を五つ挙げた。
これはそのうちの三つ目にあたる。
正面がなく、回しても続きがない。
そして、館の記録が技法を細かく書いている。
釉の下に青。
釉の上に桃色と白の化粧土。
つまり、三段階の工程がある。
第十六回で、磁器の絵付けについて書いた。
釉の下と上では、使える色が違う。
釉下では、高温に耐える色しか使えない。
青は、その代表である。
釉上なら、多くの色が使える。
だが、表面に載るだけなので、剥がれやすい。
この一点は、両方を使い分けている。
ひび割れの上の蝶

高さ一七・五センチ。
前の一点と、ほぼ同じ大きさである。
そして、同じ主題である。
胴が丸く、上がすぼまる。
口が細い。
地は白に近い。
そして、全面に細かいひびが入っている。
前の回でも、この仕上げを見た。
釉薬を意図的に割る技法である。
ひびに色が入り、網の目に見える。
その面に、青い蝶が描かれている。
一匹だけである。
大きい。
胴の幅の半分以上を占める。
翅を広げ、正面を向く。
上の翅に、丸い模様がある。
下の翅にも、点がある。
輪郭が太い線で描かれている。
つまり、前の一点と正反対である。
一方は、小さな蝶を多数散らした。
こちらは、大きな蝶を一匹置いた。
そして、位置が正面に決まる。
前の回で書いたとおり、これは区画を作る方法に近い。
区画の線はないが、絵が一か所にまとまる。
だから、この花瓶には正面がある。
そして、ひび割れの網が背景になる。
細かい線の上に、太い線の図を置く。
第十三回で、線の粗密について書いた。
背景を細かくすると、図が浮き上がる。
縁を回る蝶

皿である。
直径一七・八センチ。
館の記録は、八角形と書いている。
つまり、丸ではない。
八つの辺が、縁を作る。
地は濃い青である。
そして、金彩が全面に使われている。
中央に、大きな木の枝がある。
金色で描かれている。
そして、その枝のあいだに鳥が飛ぶ。
三羽か四羽いる。
前の回で、鳥の位置について書いた。
これは装飾の鳥である。
翼を広げた姿で、面を埋めている。
下のほうには、草が生える。
そして、縁の帯に蝶がいる。
八つの辺に沿って、繰り返し並ぶ。
数えると、十匹以上ある。
いずれも金色で、小さい。
翅を広げている。
つまり、これは縁飾りである。
前の回までに、縁を埋める花を見た。
同じ働きを、蝶がしている。
第十六回で、縁飾りの単位について書いた。
小さく、対称に近く、繰り返せる形が要る。
花と蝶は、その条件をどちらも満たす。
そして、この一点では、中央が場面、縁が繰り返しである。
役割がはっきり分かれている。
館の記録は、作者の役を絵付けと書いている。
つまり、器を作った人とは別である。
第十七回で、分業について書いた。
素地を作る人と、絵を描く人が分かれている。
虫の大きさを比べる
八点で、虫が画面に占める割合を見たい。
いちばん大きいのが、ひび割れの花瓶である。
蝶一匹が、胴の幅の半分以上を占める。
次が、虫の本の一葉。
かまきりが、紙の幅の三分の一ほどある。
次が、標本のような一点。
一匹ずつが、画面の十分の一ほど。
次が、桃色の花瓶。
蝶が、胴の五分の一ほど。
そして、鐔と小柄。
いずれも、面の十分の一以下である。
皿の縁の蝶も、非常に小さい。
いちばん小さいのが、森の底の一点である。
蝶が、画面の五十分の一もない。
つまり、五十倍以上の幅がある。
そして、実物の虫の大きさは、どれも数センチである。
つまり、この差はすべて描き方の選択である。
第十二回で、拡大と縮小について書いた。
主題にするなら、拡大する。
添え物にするなら、縮小する。
そして、その中間はほとんどない。
虫は、大きく描かれるか、点になるかのどちらかである。
見えない蜂

最後の一点である。
九点のなかで、群を抜いて大きい。
そして、画面が円形である。
直径がおよそ一二二センチ。
第五回で、円い画面について書いた。
天井や壁の丸い区画に嵌める形式がある。
画面には、二人がいる。
右に、女性が座る。
赤と緑の衣が、体の下に広がる。
上半身は、ほとんど裸である。
髪を上げ、顔を左に向ける。
そして、その左に子どもが立つ。
背に、小さな翼がある。
館の記録の題によれば、これは愛の神である。
子どもは、指を上げている。
女性が、その指に顔を近づける。
つまり、刺された指を見ている。
背景は、暗い緑の木立である。
左奥に、明るい空と地面が見える。
小さな人影も見える。
そして、蜂はどこにいるか。
見当たらない。
館の写真を見るかぎり、蜂は描かれていない。
あるいは、非常に小さく、見つけられない。
つまり、題になっている虫が、画面にない。
第十二回で、絵が示す出来事について書いた。
絵は、一つの瞬間しか描けない。
刺された瞬間ではなく、そのあとを描いている。
だから、蜂はもう飛び去ったのだろう。
そして、見る側は題を読んで、いない蜂を知る。
二つの銅板
九点のうち、銅板に描かれたものが一点ある。
そして、前の回でも銅板の一点を見た。
一六二三年のチューリップの絵である。
こちらは一六五三年。
三十年の差である。
どちらも小さい。
チューリップの一点が二四・一三掛ける一九・〇五センチ。
虫の一点が一一・五掛ける一四センチ。
つまり、虫の一点はさらに小さい。
九点のなかで、最小である。
第十五回で、銅板の性質について書いた。
木や布とちがって、繊維の目がない。
だから、筆が引っかからない。
そして、絵具が滲まない。
細い線が、そのまま残る。
虫の脚や触角のような線には、この性質が要る。
布に描けば、目に沿って線が太る。
そして、銅板は重い。
だから、大きくすると扱いにくくなる。
その結果、銅板の絵は小さいものが多い。
材料の性質が、大きさと主題を両方決めている。
蝶が七点
九点で、どの虫が出るかを数えたい。
蝶が、六点に出る。
標本の一点、森の底の一点、鐔、桃色の花瓶、ひび割れの花瓶、そして皿。
甲虫が、一点。
標本の一点である。
蜂のような虫が、二点。
標本の一点と、題だけの一点。
ばったとかまきりが、一点。
虫の本の一葉である。
そして、判別できないものが一点。
小柄である。
つまり、蝶が圧倒的に多い。
理由は形だろう。
蝶は翅を広げると、左右対称の面になる。
そして、模様がある。
つまり、描きやすく、彫りやすい。
甲虫は丸い塊で、模様が少ない。
蜂は小さく、翅が透ける。
前の回で、装飾に向く形について書いた。
対称で、輪郭がはっきりし、面がある。
蝶は、その条件を全部そなえている。
だから、装飾の四点すべてに蝶が使われている。
虫の周りにあるもの
八点で、虫が何とともに描かれるかを見たい。
標本の一点は、ローズマリーの枝である。
森の底の一点は、芥子と爬虫類。
虫の本は、草と蔓。
鐔は、牡丹と流水。
小柄は、細い草。
桃色の花瓶は、何もない。
ひび割れの花瓶も、何もない。
皿は、木と鳥と草である。
つまり、六点で植物が伴う。
例外は、二点の花瓶だけである。
そして、その二点は器の装飾である。
背景を描かない代わりに、器の地の色が背景になる。
第十六回で、器の地について書いた。
桃色の面、ひび割れの面。
それ自体が、絵の地として働く。
一方、絵や金工では、植物が要る。
虫だけを宙に置くと、大きさが分からない。
葉があれば、それとの比で大きさが読める。
前の回で、鳥にも同じことを書いた。
小さな生き物には、支えが要る。
三百年と四つの地域
九点の年を並べたい。
いちばん古いのが、一六五三年の標本の一点。
次が、一六七〇年ごろの森の底。
次が、一七七四年の円い絵。
次が、一七八八年の虫の本。
次が、十八世紀の鐔。
次が、一八二八年の小柄。
次が、一八八五年からの皿。
次が、一八九一年からの花瓶。
そして、十九世紀後半の花瓶。
つまり、二百五十年ほどの幅がある。
地域は、オランダ、英国、米国、日本の四つである。
そして、扱い方に地域差がある。
十七世紀のオランダの二点は、観察に近い。
種類が描き分けられている。
日本の三点は、意匠である。
輪郭を整え、繰り返しに向く形にしている。
米国の三点も、意匠である。
そして、英国の一点だけが、物語である。
虫が、出来事の原因になっている。
見えないものを、題が示す
最後に、この回の締めくくりを書いておきたい。
九点のうち八点には、虫が描かれている。
一点だけ、描かれていない。
だが、その一点の題には、虫が入っている。
つまり、記録の題と画面の関係が、逆になっている。
これまでの回で、何度も書いてきた。
描かれているのに、題に書かれない虫や犬や花。
見えているものが、記録に残らない。
この一点は、その反対である。
記録にあるのに、見えない。
そして、どちらも同じことを示している。
題と画面は、別のものである。
題は、その絵が何についてかを言う。
画面は、その一瞬に何が見えるかを示す。
出来事の原因は、しばしば画面の外にある。
刺した蜂は、もう飛び去った。
残るのは、指を上げた子どもと、それを見る母である。
つまり、絵は原因ではなく、結果を描いている。

