美術史・技法

描いた、作った、作っていた——署名に添えられる三つの動詞、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)

名のあとに、一語だけが添えられる。描いた。作った。そして、作っていた。終わった行いと、まだ続いている行いとが、同じ画面の上に現れる。九点の銘記の欄をその一語で読み分けると、作り手の構えの違いが見えてくる。

聖母子と聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ
チーマ・ダ・コネリアーノ《聖母子と聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

署名の中の、たった一語

絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。

九点とも、署名に動詞が入っている。

名だけではない。

名のあとに、一語が添えられる。

その一語は、三種類に分かれる。

描いた。作った。そして、作っていた。

最初の二つは、終わった行いを指す。

三つ目は、続いている行いを指す。

同じ絵の署名に、なぜ二種類の時制が現れるのか。

九点の欄を、その一語で読み分けてみたい。

まず、数えておく

九点のうち、描いたと書くものが三点。

作ったと書くものが三点。

作っていた、あるいは描いていた、と書くものが三点。

きれいに三つに分かれた。

これは偶然である。

そう並ぶように選んだわけではない。

未完了の形は、そもそも数が少ない。

九点のうち三点というのは、多いほうだ。

多いのは、そういう画家を含めたからでもある。

ラテン語で書く理由

九点の動詞は、いずれもラテン語である。

その土地の言葉ではない。

十七世紀のオランダの画家も、ラテン語を使う。

十九世紀のアメリカの画家も、ときどき使う。

なぜかというと、ラテン語が記録の言葉だったからだ。

墓碑も、記念碑も、公文書もラテン語で書かれた。

長く残すものは、ラテン語で書く。

そういう了解があった。

絵に名を残すのも、長く残すためである。

だから、同じ言葉を選ぶ。

署名がしばしば大文字で書かれるのも、同じ理由だろう。

石に彫る文字の形に、寄せている。

「描いた」という語

いちばん多いのは、描いたという語である。

絵に使うのだから、当然といえば当然だ。

九点のうち三点が、この語を使う。

いずれも、名のすぐあとに置かれる。

名と語のあいだに、点が打たれることが多い。

この語には、はっきりした終わりの感じがある。

描いた、もう終わった、という言い方だ。

責任を引き受ける形でもある。

これは私が描いたものである、と言っている。

聖母子と聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ
チーマ・ダ・コネリアーノ《聖母子と聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ》1492年から1495年ごろ。館の記録では、ポプラの板に油彩。縦47センチ、横68.6センチ。銘記の欄には、下の中央、台座の上に名と描いたという語があるとある。番号は1937.1.33。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。チーマ・ダ・コネリアーノ《聖母子と聖ヒエロニムス、洗礼者聖ヨハネ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面の中央に、聖母が座る。

白と金の台座の上である。

青い衣を膝に広げる。

膝の上に、裸の幼児が立つ。

幼児は右手を上げ、左手に細い棒を持つ。

左に、上半身裸の老人が座る。

赤い布を腰に巻き、書物を持つ。

右に、赤い衣の若者が立つ。

細い十字を肩に掛け、手を上げる。

背後は丘の風景で、城と塔が見える。

台座の正面に、小さな文字が並ぶ。

名を、ラテン語に直す

この署名には、もう一つ特徴がある。

名がラテン語の形に直されている。

その土地の言葉での呼び名とは違う。

たとえば、ある画家の名は本来もっと短い。

それをラテン語の語尾に変えて長くする。

学のある書き方に見せるためだろう。

碑文や写本の言葉が、ラテン語だったからだ。

石に彫る文字の伝統に、寄せている。

つまり署名は、絵の一部でありながら碑文でもある。

台座の正面という場所

九点のうち三点は、絵の中の石の上に文字がある。

台座、石段、記念碑の面。

いずれも、本来なら文字が刻まれる場所だ。

現実の建物でも、台座には銘が入る。

その約束を、絵の中に持ち込んでいる。

見る人は、そこに文字があっても不思議に思わない。

むしろ、あるべきものがあると感じる。

署名を絵に馴染ませる方法として、うまい。

館の記録は、その物の名を必ず書く。

台座の上、石段の上、石の上。

位置だけでなく、何の上かを書く。

貼り紙に書く

九点のうち一点は、貼り紙の上に文字がある。

正しくは、貼り紙を描いて、その上に書いている。

紙の端がめくれ、影が落ちる。

本当に貼ってあるように見せる技だ。

そこに名と、描いたという語を置く。

こうすると、署名が絵の中の物になる。

絵に貼られた紙に、名が書いてある。

そういう場面として、絵の中に収まる。

館の記録は、貼り紙の上に、と書く。

物の名を書き添えることで、位置が分かる。

読書する聖ヒエロニムス
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ《読書する聖ヒエロニムス》1476年ごろ。館の記録では、板にテンペラ。縦33センチ、横23.8センチ。銘記の欄には、右下の貼り紙の上に名と描いたという語があるとある。番号は1939.1.311。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ《読書する聖ヒエロニムス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の小さな板である。

中央に、白い髭の老人が膝をつく。

青い衣をまとい、頭を垂れる。

両手で赤い表紙の書物を開く。

書物は、灰色の岩の上に置かれる。

左と中央に、大きな岩が積み重なる。

岩の割れ目に、小さな洞が見える。

右奥は、青い水と遠い山である。

手前の地面は、白っぽい砂地だ。

小さな木が二本、細く立つ。

右下の岩の下に、白い紙片が描かれる。

点と、上に付く印

九点のうち一点は、書き方が細かく記録されている。

ある文字の上に、二つの点が付く。

別の文字の上には、点が一つずつ付く。

これは飾りであり、読み方の助けでもある。

館の記録は、そこまで写す。

なぜかというと、真似のときに再現されにくいからだ。

大まかな形は写せても、点の数までは合わない。

だから、細かいほど照合に役立つ。

記録の細かさは、疑うための道具でもある。

聖母子
シモン・ヴーエ《聖母子》1633年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦100.3センチ、横79.4センチ。銘記の欄には、左下の台座に名と描いたという語と年があり、文字の上に点が付いているとある。番号は2016.20.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。シモン・ヴーエ《聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い背景に、女性と幼児が浮かぶ。

女性は左を向き、頬を寄せる。

髪は結い上げ、白い布で覆う。

赤い衣に、青い布を膝に掛ける。

黄色い布が、腰から垂れる。

幼児は裸で、女性の胸に抱かれる。

背を向け、左腕を女性の首に回す。

肌は明るく、輪郭が柔らかい。

左下に、灰色の石の台座が見える。

台の面は、平らに削られている。

そこに小さな文字が刻まれたように置かれる。

「作った」という語

次に多いのが、作ったという語である。

絵に使っても、おかしくはない。

ただし、この語は絵に限らない。

彫刻にも、金工にも、家具にも使う。

物をこしらえた、という広い意味である。

だから、絵に使うと少し工房の匂いがする。

描いたと言うか、作ったと言うか。

そこには、自分の仕事をどう見ているかが出る。

もっとも、これは読みすぎかもしれない。

単に、習慣で選んでいただけかもしれない。

物が、私と名乗る

九点のうち一点は、さらに変わっている。

作った、の前に「私を」が付く。

つまり、絵が自分のことを語る形になる。

誰それが私を作った、と絵が言う。

この言い方は、中世の作品によく見られる。

鐘にも、扉にも、器にも刻まれた。

物が一人称で語り、作り手の名を告げる。

近代の署名とは、向きが逆である。

作り手が名乗るのではない。

物が、作り手を名指す。

同じ情報でも、立つ位置が違う。

玉座の聖母子と四聖人
マルガリトーネ・ダレッツォ《玉座の聖母子と四聖人》1240年から1245年ごろ。館の記録では、板にテンペラ。縦96.5センチ、横71.1センチ。銘記の欄には、下の縁に沿って、アレッツォの名を伴う名と、私を作ったという語があるとある。番号は1952.5.12。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。マルガリトーネ・ダレッツォ《玉座の聖母子と四聖人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板の中央に、女性が座る。

正面を向き、目を大きく開く。

頭の後ろに、金の丸い光がある。

紺の衣に、金の星が散る。

膝の上に、小さな人物が座る。

その人物にも、金の光が付く。

赤い椅子の背が、両脇に見える。

左右の縁に、細い人物が四人並ぶ。

いずれも小さく、立ち姿である。

板の地は金で、平らに輝く。

いちばん下の縁に、横一列の文字がある。

花の絵に、作ったと書く

九点のうち一点は、花の静物である。

大理石の台の前に、名と作ったという語がある。

花の絵は、当時よく売れた。

同じ画家が、似た構図を何度も描く。

だから署名は、区別のためにも要る。

どれが本人の手か。

工房の手か、写しか。

そこを分けるための一語である。

もっとも、署名だけでは決まらない。

筆の癖と、絵具の層と、来歴を合わせて判断する。

壺の花
ヤン・ファン・ハイスム《壺の花》1720年から1722年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦79.4センチ、横60.6センチ。銘記の欄には、左下の大理石の天板の正面に名と作ったという語があるとある。番号は1977.7.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ファン・ハイスム《壺の花》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、大きな花束が立ち上がる。

中央に、白と桃色の芍薬が開く。

その上に、赤い罌粟が二つ。

左に、青と白の菖蒲が伸びる。

上のほうに、細い茎の花が跳ねる。

葉は濃い緑で、方々へ広がる。

花器は褐色の壺で、下半分だけ見える。

台は灰色の大理石である。

台の上に、小さな鳥の巣が置かれる。

巣の中に、青い卵が並ぶ。

台の正面、左下に文字がある。

名の前に、出身地が入る

九点のうち二点は、名の前か後ろに地名がある。

どこそこの誰、という形だ。

これは中世からの書き方である。

同じ名の人が多いので、地名で区別する。

生まれた町か、働いた町かは、場合による。

多くは、生まれた町である。

地名が入ると、署名は長くなる。

長くなると、書く場所が要る。

だから、こういう署名は横に広い場所に置かれる。

画面の下の縁や、台座の正面である。

短い署名が隅に収まるのとは、対照的だ。

二人で作った、と書くとき

九点のうち一点は、作り手が二人いる。

そして動詞が、二人ぶんの形になっている。

一人なら、一人ぶんの語尾。

二人以上なら、複数の語尾。

ラテン語には、その区別がある。

館の記録は、その語尾のまま写す。

だから、二人が作ったと分かる。

もし一人ぶんの語尾なら、話が変わる。

一人が代表して署名したことになる。

語尾の一文字が、そこまで決める。

クラウズリー・ショヴェル提督の記念碑
セバスティアーノ・リッチとマルコ・リッチ《クラウズリー・ショヴェル提督の記念碑》1725年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦222.2センチ、横174.8センチ。銘記の欄には、左下の石の上に二人の名の頭文字と姓、そして二人が作っていたという語があるとある。番号は1961.9.58。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。セバスティアーノ・リッチとマルコ・リッチ《クラウズリー・ショヴェル提督の記念碑》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の大きな画面である。

古代の廃墟が、左から奥へ続く。

太い円柱が数本、途中で折れる。

中央に、緑の木が高く茂る。

右に、細い方尖塔が立つ。

その根もとに、白い獅子の像がある。

手前に、白い石の記念碑が置かれる。

碑の上に、小さな人物の像が立つ。

碑の周りに、人が数人集まる。

赤や青の衣が、点のように見える。

左下の石の面に、文字が刻まれる。

「作っていた」という語

三つ目が、作っていたという形である。

終わっていない行いを指す。

なぜ、完成した絵にこれを書くのか。

一つの説明が、古くから伝わっている。

ローマ時代の博物誌の序文に、その話が出てくる。

昔の名高い作り手は、未完了の形で署名した。

まだ手を入れる余地がある、という構えだ。

もし出来が悪ければ、途中だったと言える。

謙遜であり、逃げ道でもある。

その話を読んだ後世の画家が、真似をした。

つまり、古代を引くための一語である。

引用としての、署名

この読み方が正しいかどうかは、確かめようがない。

画家本人が、理由を書き残していないからだ。

ただ、状況証拠はある。

未完了の形を使う画家は、たいてい学があった。

古代の文物に関心を持ち、碑文の形を知っていた。

そういう人が、偶然その形を選ぶとは考えにくい。

とはいえ、断定はできない。

館の記録も、理由は書かない。

書かれるのは、その語の形だけである。

キリストの降誕
ペリーノ・デル・ヴァーガ《キリストの降誕》1534年。館の記録では、板に油彩、のちカンヴァスへ移された。縦278センチ、横184.5センチ。銘記の欄には、下の中央の板の上に文字があるとある。ローマ数字の年、フィレンツェの人であることを示す語を伴う名、そして作品と作っていたという語が並ぶ。番号は1961.9.31。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ペリーノ・デル・ヴァーガ《キリストの降誕》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の大きな画面である。

中央下に、白い布の上の幼児が横たわる。

その右に、青と赤の衣の女性がひざまずく。

左に、桃色の衣の人物が身をかがめる。

奥に、老人と若者が数人並ぶ。

右上に、緑と赤の衣の人物が立つ。

上方の雲の上に、幼い天使が群がる。

左に、裸の男性が柱にもたれる。

背後に、崩れかけた石の建物が見える。

奥は青い遠景である。

画面の下の中央に、板が描かれ文字が入る。

「描いていた」と書く肖像

未完了の形は、描くという語にも使われる。

九点のうち一点が、そうである。

十六世紀の肖像画だ。

左上に、名と、描いていたという語と、年が並ぶ。

この画家は宮廷で働き、各地の王に仕えた。

学のある人物と付き合いがあった。

未完了の形を選んだのは、その環境と無縁ではないだろう。

もっとも、これも推し量りである。

書かれているのは、語の形だけである。

紳士の肖像
アントニス・モル《紳士の肖像》1569年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦119.4センチ、横88.3センチ。銘記の欄には、左上に名と、描いていたという語と、年があるとある。番号は1937.1.52。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アントニス・モル《紳士の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、身体をやや左に向けて立つ。

黒い上着に、短い襞襟をつける。

首の周りだけ、白が細く光る。

胸に、金の鎖を何重にも掛ける。

腰に、細身の剣を差す。

左手を柄に添える。

右手を下ろし、犬の頭に触れる。

犬は白と褐色で、口を開く。

背景は暗く、上が黒に沈む。

腰から下は、大きく膨らんだ袴である。

左上の暗い部分に、小さな文字がある。

大きさの幅

九点の寸法を見ておく。

いちばん小さいのは、縦33センチ、横23.8センチの板絵だ。

手に持てる大きさである。

いちばん大きいのは、縦278センチ、横184.5センチ。

見上げる大きさである。

面積では、六十倍を超える。

それでも、どちらにも同じ形式の署名がある。

名があり、動詞があり、年がある。

大きさは、書き方を変えない。

変えるのは、置く場所だけである。

小さな絵は隅に、大きな絵は下の縁に置く。

三つの語を、並べ直す

九点の動詞を、年の順に並べてみる。

1240年代、私を作った。

1476年ごろ、描いた。

1492年から1495年ごろ、描いた。

1534年、作っていた。

1569年、描いていた。

1624年、作った。

1633年、描いた。

1720年ごろ、作った。

1725年、二人が作っていた。

順序に、傾きはあるか

並べてみると、はっきりした流れはない。

未完了の形は、十六世紀と十八世紀の両方にある。

完了の形も、十三世紀から十八世紀まで散る。

つまり、時代で決まるものではない。

画家ごと、あるいは絵ごとの選択である。

ただし、一つだけ言えることがある。

いちばん古い一点だけが、物の側から語っている。

私を作った、という形だ。

これは中世の書き方である。

以後の八点は、すべて作り手の側から語る。

そこには、たしかに切り替わりがある。

一人称が、消えたということ

物が語る形が消え、人が語る形になる。

この変化は、署名だけの話ではない。

契約書にも、注文の記録にも、同じ変化が見える。

作品が誰のものかという問いが、変わったのだろう。

注文主のものか、作り手のものか。

その答えが移るにつれて、文の主語も移る。

そう考えると、一語の形は小さな証拠である。

ただし、証拠は一点では足りない。

九点でも足りない。

数百点を並べて、はじめて傾きが見える。

館が一点ずつ写しておくのは、そのためである。

岩を打つモーセ
ヨアヒム・ウテワール《岩を打つモーセ》1624年。館の記録では、板に油彩。縦45.4センチ、横66.4センチ。銘記の欄には、左下に頭の二文字を組んだ形と姓、作ったという語、年号を示す語と年が三行であるとある。番号は1972.11.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヨアヒム・ウテワール《岩を打つモーセ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、大勢の人がひしめく。

左上の岩から、水が細く落ちる。

岩の上に、赤い衣の人物が立つ。

杖を高く掲げる。

中央から手前にかけて、人が座り込む。

器を差し出す者、身をかがめる者がいる。

裸の子供が、地に伏せる。

右手前に、大きな籠と壺が並ぶ。

牛や羊が、人のあいだに混じる。

奥は暗い木立で、上に青い空が開く。

左下の暗い地面に、三行の文字がある。

板から布へ、という記録

九点の技法の欄には、変わった記述が一つある。

板に描かれ、のちにカンヴァスへ移された、とある。

板が割れたり反ったりしたとき、絵具の層だけを剥がす。

そして新しい布に貼り直す。

十八世紀から十九世紀に、よく行われた。

大きな板ほど、危険が大きい。

割れれば、絵が二つに裂ける。

だから、先手を打って移す。

いまはあまり行われない。

移すこと自体が、絵を傷めるからだ。

署名も、この作業で失われることがある。

いちばん薄い層にあるからだ。

残っているのは、運がよかったということでもある。

動詞のない署名は、どうなるか

参考までに、動詞のない署名を思い出しておく。

名だけを書く。

名と年だけを書く。

十九世紀以降は、こちらが多数である。

動詞が落ちた理由は、はっきりしない。

短くて済むから、というのが分かりやすい説明だ。

あるいは、書かなくても分かるからだろう。

絵に名が書いてあれば、描いた人だと誰でも思う。

わざわざ描いたと言う必要がない。

言葉は、通じるようになると省かれる。

一語が、残す情報

それでも、動詞のあった時代の署名は残っている。

そして記録に写されている。

だから、いま比べられる。

描いたか、作ったか。

終わったか、続いているか。

一人称か、三人称か。

どれも、絵そのものからは分からないことだ。

絵は、描き終わった姿しか見せない。

途中の構えは、言葉にしか残らない。

その言葉が、隅に一語だけ残っている。

記録が写すのは、語尾である

館の欄を読むとき、いちばん面白いのは語尾だ。

一人ぶんか、二人ぶんか。

終わったか、続いているか。

その差は、最後の数文字にしかない。

翻刻する人は、そこを間違えない。

間違えれば、意味が変わるからだ。

九点の欄は、いずれも語尾まで正確に写されている。

読む側は、そこを見ればよい。

絵の隅の一語が、四百年ぶんの構えを運んでくる。

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