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ラファエロ《アルバの聖母》の解説——なぜ円い画面で、何を手渡しているのか

ラファエロ《アルバの聖母》の解説。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある直径94.5センチの円い絵を、何が描かれているか、なぜ画面が円いのか、聖母はなぜ地面に坐るのか、幼児が握る十字の杖は何かの順に、館の記録と画面から読む。同じ館のラファエロ三点とも比べる。

アルバの聖母
ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

ラファエロ《アルバの聖母》は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある円い絵である。館の記録では1510年ごろの作で、板に描いた油彩をカンヴァスへ移してある。直径は94.5センチある。

アルバの聖母
ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》1510年ごろ。館の記録では、板に描いた油彩をカンヴァスへ移したもの。直径94.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ラファエロ・サンティ《アルバの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この記事では、まず画面に何が描かれているかを見る。次に、なぜ画面が円いのかを下絵とあわせてたどる。そのあと、聖母が地面に坐る理由、題の由来と来歴、同じ館の他のラファエロとの違いを確かめる。図版は当サイトで公開しているCC0の作品だけを使う。

《アルバの聖母》には何が描かれているか

円い画面の中で、聖母が草の斜面へ直に坐っている。青いマントが膝から足元へ大きく広がる。上は桃色の衣で、頭には緑の布を巻く。

右の背後には木の切り株がある。聖母は左腕をそこへ添わせ、その手で金の縁の小さな本を持つ。本は人差し指を挟んだまま閉じかけている。

幼児は裸で、母の膝に跨るように坐る。片足は曲げ、もう片方の足を地面へ下ろす。左では毛皮をまとった童子が跪き、細い十字の杖を差し出す。幼児は右手を伸ばし、その軸を握っている。

三人の注意は、どれもその杖に集まる。聖母は顔を左へ向け、杖の方を見やる。ヨハネは下から幼児を見上げる。顔の向きも腕の伸びも、同じ一点へ寄っていく。

前へ投げ出した聖母の右足には、紐を編んだ青灰色の履物が見える。足もとの地面には白い小花と菫、葉を広げた草が点々と生える。マントの下からは桃色の布の端が覗く。

三人は画面の中ほどから下にまとまり、上の部分は風景と空に空けてある。左奥には水面と四角い建物が見え、その先に青くかすむ山が連なる。右奥は木立と丘の上の家並みである。空は淡く、白い雲が浮かぶ。

所蔵館の解説は、淡い桃色と青、そして緑の風景が画面をやわらげていると述べる。人物の衣の色が、そのまま空と草地の色に響き合っている。

遠景の地平線は、聖母の胸から肩のあたりを横切る。坐った姿でありながら人物が大きく見えるのは、視点がそれだけ低く取られているからである。

なぜ画面が円いのか

円い画面はトンドと呼ばれる。所蔵館の解説では、この形はフィレンツェの絵画で好まれたものとされる。ラファエロはローマへ移る前、フィレンツェで仕事をしていた。そこで親しんだ形を、ローマで描いたこの絵に用いたことになる。

館の解説はもう一点を指摘している。三人の人物を低く広い三角形にまとめ、それを円の内側へ収めてあるという見方である。

画面を見ると、そのとおりに組まれている。聖母の頭が頂点になり、左右へヨハネと伸ばした足が下がる。

円には四隅が無い。縦横の枠に沿わせるという手が使えないので、安定は人物の並べ方だけで作ることになる。

円の縁に沿う線も用意されている。マントの裾、伸ばした足、背後の切り株が、画面の丸みと同じ向きに曲がる。

その結果、視線は人物から人物へ回り、円の外へ逃げない。円いことが、絵の構えそのものになっている。

下絵に残る組み立ての跡

構図を練った素描が残っている。フランスのリール美術館にある両面の一枚と、オランダのロッテルダムにある小さな一枚である。ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館の記録では、この絵のための習作は三点が残る。

リール美術館の記録では、赤いチョークと褐色のインクで描かれ、縦38.5センチ、横25センチある。表には円の中に全体の構図を描き、まわりに小さな習作を添える。

リール美術館の解説では、まわりの小さな習作は《小椅子の聖母》や《小カウパーの聖母》と比べられる。右下の幼児は、エディンバラにある《ブリッジウォーターの聖母》のための習作だという。一枚の紙の上で、いくつもの聖母子が同時に考えられていたことが分かる。

表の円の中を見ると、幼児は母の膝に跨り、顔を下へ向けてヨハネを見ている。ヨハネはうずくまり、両腕で何かを抱えている。完成作のような長い十字の杖は、円の中に見当たらない。

ロッテルダムの一枚は縦11.5センチほどの小品である。館の記録では、跪くヨハネだけを金属尖筆で描いた習作とされる。英国王室コレクションの記録は、このヨハネが子羊を抱いて上を見上げていると説明する。

裏には聖母の姿だけを赤いチョークで描く。リール美術館の解説では、モデルになったのは若い男性だという。男性を写生し、そのあと女性の姿へ整えたと館は説明している。

この裏の素描では、モデルは片腕を前へ大きく伸ばし、肩越しに後ろを振り返る。完成作の聖母も、同じように上体と顔が別の向きへ回っている。

下絵の段階では、ヨハネの腕にあるのは子羊であって、十字の杖ではなかったことになる。三人の注意を一点に集める杖は、組み立ての途中で加わったと考えられる。

聖母はなぜ地面に坐り、童子は誰なのか

聖母が地面に坐るのは、謙遜の聖母と呼ばれる型だからである。玉座にも敷物にも坐らず、草の上に直に腰を下ろす。所蔵館の解説も、この絵をその型として挙げている。

左で跪く童子は洗礼者ヨハネである。毛皮の衣が目印で、この絵では肩から腰へ荒い毛皮をまとう。頭の上には細い光の輪が見える。

ヨハネが差し出すのは、細い棒を組んだ十字の杖である。幼児はそれを拒まず、軸を握って受け取る。

ヨハネの膝は地に着き、幼児は母の膝に坐る。わずかな高さの違いが、下から上へ差し出す動きをそのまま見せている。

館の解説では、幼児が十字を受け取るしぐさが三人の注意を集める要になっている。静かな風景とは裏腹に、絵の重みはそこにあるという。十字は、のちの受難を指す印として読まれてきた。

館の解説は、この絵にミケランジェロとレオナルドの影響が見られるとも述べる。リールの裏の素描で、聖母のモデルに捻った姿勢を取らせているのも、その一つの表れとみてよい。

なぜ「アルバ」と呼ばれ、どうやってアメリカへ来たのか

題の「アルバ」は、この絵を長く持っていたスペインのアルバ公爵家に由来する。注文したのはアルバ家ではなく、題は後世の持ち主の名である。

館の記録では、最初の持ち主はパオロ・ジョーヴィオだった可能性がある。ジョーヴィオは1528年にノチェーラの司教に任じられた人物である。ただし記録自身が「可能性」と書くとおり、確定はしていない。

リール美術館の解説は、ジョーヴィオを注文主として書いている。二つの館の書き方には、このように強さの差がある。当サイトでは、所蔵館の記録に合わせて「可能性」にとどめる。

記録はそのあとを次のようにたどる。ジョーヴィオからノチェーラのモンテ・オリヴェート聖堂へ移った可能性がある。そして1686年、ナポリ副王だったカルピオ侯ガスパル・デ・アロに売られた。

カルピオ侯は翌1687年に没し、絵は娘のカタリーナが受け継いだ。彼女がのちにアルバ公爵夫人となったことで、絵はアルバ家に入った。

アルバ家の最後の持ち主は、1802年に没した女公爵マリア・デル・ピラール・テレサ・カエタナである。記録では、セビーリャ近くのサンルーカルにあった。

その相続人がデンマークの駐スペイン大使ブルク伯に売り、1820年にはロンドンの収集家コースヴェルトの手に渡った。1836年、ロシア皇帝ニコライ一世のために買われ、サンクトペテルブルクのエルミタージュに入った。

1931年4月、この絵はベルリン、ロンドン、ニューヨークの画商を通じてアンドルー・メロンに買われた。同年6月にメロンの財団へ移され、1937年に館へ寄贈された。

同じ年の3月には、後で見る《聖ゲオルギウスと竜》も同じ経路でメロンに買われている。こちらは1772年、女帝エカチェリーナ二世がパリの収集家クロザの遺族から買い入れた作品である。仲介したのは思想家のディドロだった。

館の記録は、支持体が板からカンヴァスへ移されたことを明記している。いつ誰が行った処置かまでは、当サイトが参照できる記録には無い。

館の文献目録には、1986年に館の研究誌へ載った、館のラファエロ作品の調査と処置の報告が挙がっている。下絵との関係を論じた論文も、1978年に同じ研究誌に載った。詳しい技術の所見は、これらの報告に当たるのが確かである。

同じ館のラファエロと比べる

当サイトには、同じナショナル・ギャラリーにあるラファエロを他にも公開してある。並べると、円い画面が何を変えたのかが見える。

大きさも比べておく。《アルバの聖母》は直径94.5センチで、館の記録では額を含めると直径140センチを超える。以下の三点はいずれもこれより小さく、とくに《聖ゲオルギウスと竜》は手に取れるほどの板である。

小カウパーの聖母
ラファエロ・サンティ《小カウパーの聖母》1505年ごろ。館の記録では、板に油彩。59.5×44センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ラファエロ・サンティ《小カウパーの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の画面に、聖母と幼児が膝の上まで収まる。赤い衣に青いマント、脇には緑の布が当たる。頭の上には、細い金の輪が光背として浮く。

二人の後ろには低い石の壁が横に走る。その向こうに湖と木立が開け、右の丘には丸屋根の建物が建つ。幼児は母の首に腕を回しながら、顔だけをこちらへ向ける。

ニッコリーニ・カウパーの聖母
ラファエロ・サンティ《ニッコリーニ・カウパーの聖母》1508年。館の記録では、板に油彩。80.7×57.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ラファエロ・サンティ《ニッコリーニ・カウパーの聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは背景を青緑一色で埋め、風景を省いている。聖母は目を伏せて幼児を見下ろし、幼児は白い布の上からこちらを見る。幼児の手は、母の胸元の衣の縁へ伸びる。

その衣の縁には、館の記録によれば1508年の年と画家の名が書き込まれている。この絵の年が「ごろ」ではなく1508年と言い切れるのは、そのためである。

二点の題にある「カウパー」は、英国のカウパー伯爵家の名である。館の記録では、第三代カウパー伯が1770年代から80年ごろにフィレンツェで二点を手に入れた。「ニッコリーニ」は、その前の持ち主だったフィレンツェの一族の名である。《アルバの聖母》と同じく、題は持ち主の名を伝えている。

館に入った経路は二点で異なる。《ニッコリーニ・カウパーの聖母》は1928年にメロンが買い、1937年に寄贈された。《小カウパーの聖母》は1914年に米国の収集家ワイドナーが買い、1942年に寄贈された。

二点とも、人物は画面の縦の軸に沿って立つ。《アルバの聖母》のように、体を斜めへ倒して円に合わせる必要が無いからである。

《アルバの聖母》を含めて三点の年を並べると、1505年ごろ、1508年、1510年ごろとなる。所蔵館の解説では、ラファエロがローマへ移ったのは1508年で、《アルバの聖母》はローマに来て間もないころの作である。

このころローマでは、ヴァチカン宮殿の「署名の間」の壁画に取り組んでいた。ヴァチカン美術館の解説では、この部屋の壁画は1508年から1511年に描かれた。《アテネの学堂》や《聖体の論議》があるのもこの部屋である。

《アルバの聖母》は、その大仕事と同じ数年に描かれた板絵になる。ラファエロは1520年に三十七歳でローマに没しており、その十年ほど前の仕事である。

聖ゲオルギウスと竜
ラファエロ・サンティ《聖ゲオルギウスと竜》1506年ごろ。館の記録では、板に油彩。28.5×21.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ラファエロ・サンティ《聖ゲオルギウスと竜》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が28.5センチしかない小さな板に、前脚を上げた白馬と、長い槍を竜へ突き下ろす甲冑の男が詰まる。男は上体を大きく捻り、マントが背後へ翻る。右奥には、手を合わせて祈る女性が小さく描かれる。

館の記録では、馬の胸の帯に画家の名があり、男の脚の帯には英国のガーター勲章の標語の書き出しが記される。

この絵は1627年までに英国のペンブルック伯の手にあり、のちに国王チャールズ一世へ贈られた。英国の勲章の標語が描き込まれていることと、早くから英国にあったことは、館の記録の上で並んで残っている。

《アルバの聖母》の聖母にも、この騎士と同じ捻りがある。坐った姿でありながら、肩と腰が別の向きへ回る。小さな板で激しく見せた捻りが、四年ほどのちには円い画面の中で静かな姿に収まっている、とみることもできる。

ラファエロの他の代表作はラファエロの代表作と特徴でまとめた。同じ館にあるレオナルドの一点はレオナルド《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》の解説で扱っている。

《アルバの聖母》はどこで見られるか

実物はワシントンのナショナル・ギャラリーにある。1937年の寄贈以来、館の所蔵品である。展示されているかどうかは館の発表で確かめてほしい。

題から、スペインやロシアの館にあると思われることがある。しかしアルバ家の手を離れたのは十九世紀の初め、エルミタージュを出たのは1931年である。

館の記録に残る展覧会歴を見ると、この絵は何度か海外へ貸し出されている。2004年から翌年にロンドンのナショナル・ギャラリーで開かれたラファエロ展が一つ目である。2020年のローマ、2022年のロンドンのラファエロ展にも出品された。

2004年には、サンクトペテルブルクのエルミタージュでも展示された。1836年から1931年まで置かれていた館へ、一時戻ったことになる。

画像は《アルバの聖母》の作品ページで大きく見られる。当サイトが扱うのは、館がCC0として公開した画像だけである。

実物の前でどこを見るか

まず円の縁に沿って、マントの裾と伸ばした足、切り株の曲がりを追うとよい。円と同じ向きに曲がる線が、思ったより多いことに気づく。

次に、三人の注意が集まる十字の杖を見る。画面の要でありながら、杖は細い線で描かれている。リールの下絵には見えなかった品が、完成作では構図の中心を担っている。

最後に足もとの草花と、聖母の手にある本を見る。指を挟んだままの本は、読みかけて顔を上げた一瞬を示している。

同じ画家のほかの作品はラファエロ・サンティの画家ページに並べてある。この記事で挙げた三点も、そこから開ける。

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