ダ・ヴィンチ《ジネヴラ・デ・ベンチ》の解説——裏面の環は何を示すのか
ダ・ヴィンチ《ジネヴラ・デ・ベンチ》の解説。館の記録では1474年から78年ごろの油彩・板で、ワシントンのナショナル・ギャラリーが所蔵する。表は四分の三正面の若い女性、裏は月桂樹と棕櫚と杜松の環である。1枚の板の両面をCC0の画像で読む。

《ジネヴラ・デ・ベンチ》はどこで見られるか
レオナルド・ダ・ヴィンチの《ジネヴラ・デ・ベンチ》は、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある。
館の記録では、油彩・板。制作は1474年から78年ごろとされる。
当サイトが公開しているのは、この1枚の板の表と裏にあたる2面である。板の両側に絵があるため、記録も2件に分かれている。

表の面には、若い女性が胸から上で描かれる。
顔はわずかに右へ向き、体はこちらへ正対しない。この向きを四分の三正面という。
肌は白く、影がほとんど置かれていない。頬の丸みは、色の濃さではなく明るさの差だけで作られる。
赤みを帯びた巻毛が両頬を縁取る。頭頂は薄い被り物で押さえられ、髪はそこから下だけが自由に巻く。
衣は赤褐色で、胸元は青い紐で編み上げられ、紐に沿って金の環が並ぶ。肩からは黒い帯が垂れ、明るい肌の面を左右に断つ。
首には細い紐が回り、胸元で小さな飾りが下がる。飾りは小さいが、視線を顔から胸へ下ろす役をしている。
画面には縦に走る亀裂が幾筋も見える。板が乾いて縮むときに、木目の方向へ割れた跡である。
背景の暗い茂みは何の木か
画面の左半分は、針の形をした細い葉の茂みで埋まる。これは杜松である。
杜松はイタリア語でジネプロという。描かれた人物の名ジネヴラと、音がよく似ている。
同じ木は裏の面にも出てくる。表と裏で、同じ植物が二度置かれている。
右半分は開けている。水辺と細い木立があり、遠くに青い山と尖塔が霞む。
この遠景に輪郭線は無い。近くの巻毛を一本ずつ描き分けた筆と、同じ絵の中で使い分けられている。
遠くへ行くほど色は青に寄り、形はぼける。近景の赤褐色と遠景の青は、一枚の板の上で正反対の扱いを受けている。
茂みの側は暗く、水辺の側は明るい。人物の顔は、この暗い側を背にすることで輪郭が浮かぶ。
もし背景が一様な明るさだったら、白い肌はこれほど際立たない。木の茂みは、飾りであると同時に明暗の仕掛けでもある。
なぜ裏の面にも絵があるのか

裏には人物がいない。左から月桂樹の枝、右から棕櫚の葉が立ち上がり、環の形に結ばれる。
環の中心には、表と同じ杜松の小枝が立つ。下を巻物が横切り、「美は徳を飾る」と読める文が記される。
地は暗い赤褐色で、細かい赤い斑が散る。葉と巻物は灰色がかった金色で、石のような地から浮き上がる。
両面に絵があるということは、壁に掛けて表だけを見せる作りではないと考えられる。手に取って裏返す持ち物に近い。
館の記録では、表は油彩、裏はテンペラとされる。1枚の板の両面で、絵具の種類が変えられている。
油彩は乾くのが遅く、色を重ねて境をぼかせる。テンペラは早く乾き、線の形がそのまま残る。
表の肌のように、境目を消して丸みを作る面には油彩が向く。裏の葉のように、細い形を一筆で決める面にはテンペラが向く。
つまり両面の違いは、好みではなく仕事の内容に合わせた使い分けだと考えられる。
巻物の文は、美しさが徳を飾るという意味にあたる。人物の見た目と人柄を一続きに扱う言い方である。
同じころのフィレンツェの肖像と何が違うのか

同じ館に、ほぼ同じころのフィレンツェの肖像がある。こちらは完全な横顔である。
目は伏せられ、視線は画面の外に出ない。人物は見られる側に置かれたままである。

こちらは四分の三正面だが、背景は黒一色である。顔の左右が同時に見え、人物は場所を持たない闇に浮かぶ。
ジネヴラの面は、この二つのどちらとも違う。四分の三正面でありながら、背後に木と水と山のある外の景色が続く。
人物の向きと、その人物が立つ場所。この二つを同時に動かした絵だということが、並べると見えてくる。
板の形も違う。ジュリアーノは縦75.5センチ、横52.5センチの縦長で、人物を上から下へ収める形になっている。
ジネヴラの原板は縦38.1センチ、横37センチで、正方形に近い。この形では、顔の左右に景色を置く余地が生まれる。
板に描くこと自体は、当時のイタリアでは当たり前だった。板絵の作りは金地から顔への記事で扱っている。
画面の下はどうなっているのか
表の女性は、胸から下が画面に入っていない。手も描かれていない。
肖像では、手の置き方が人柄の説明に使われることが多い。この絵では、その手がかりが無いまま顔だけが残っている。
館の記録は、下端に後から継ぎ足された部分があるとする。原板は縦38.1センチだが、継ぎ足しを含めると縦42.7センチになる。
差は4センチあまりである。記録が二通りの寸法を並べているのは、どこまでが元の板かを区別するためである。
裏の環も、下で断ち切られている。左右から伸びた枝は、下端に届く前に画面から消える。
つまり、いま見えている縦の長さは、もとの板の長さと同じではない。両面の絵は、同じ一枚の板がたどった同じ来歴を共有している。
1枚の板の両面が別々の記録になっているように、作品の単位も館の判断で決まる。誰の手によるかを決め直す手順は帰属の記事で扱っている。


