美術史・技法

扇が、掛軸に仕立てられる——池玉瀾、北斎、狩野永徳ほか九点

技法の欄に、二つの形が並んで書かれている。もとの形と、いまの形。扇、本の一葉、巻子の一段、屏風の二面。いずれも掛けるための形に作り替えられている。表装が全体の七割を占める理由も、数字から読める。九センチ幅の断簡まで、掛けるための形にされている。

滝のある秋景
池玉瀾《滝のある秋景》メトロポリタン美術館蔵

種別の欄が、二つの形を並べて書く

メトロポリタン美術館の東洋美術部門で、掛軸の記録を読んでいくと、こういう技法の欄に出会う。

「掛軸に仕立てられた扇」。

「掛軸に仕立てられた本の一葉」。

「掛軸に仕立てられた巻子の一段」。

「掛軸に仕立てられた屏風の二面」。

「掛軸に仕立てられた横長の絵」。

いずれも、二つの形が並んで書かれている。

もとの形と、いまの形である。

扇だったものが、掛軸になっている。

本の一葉だったものが、掛軸になっている。

館は、その両方を消さずに書いている。

今回は、この書き方をされた九点を並べたい。

滝のある秋景
池玉瀾《滝のある秋景》18世紀後半。館の記録では、掛軸に仕立てられた扇、紙に墨と彩色。画面は縦19.1センチ、横52.3センチ。表装を含めると縦132.7センチ、横78.1センチ。軸首を含めると横84.1センチ。番号は1975.268.95。メトロポリタン美術館蔵。池玉瀾《滝のある秋景》メトロポリタン美術館蔵

まず、寸法の欄を読んでほしい。

画面は、縦一九・一センチ、横五二・三センチ。

横長の帯である。

前の回に見た折扇の面と、同じ比率である。

ところが、表装を含めると縦一三二・七センチになる。

画面の縦の、七倍近い。

つまり、この一点のほとんどは表装である。

絵の部分は、全体のごく一部にすぎない。

写真を見ると、その様子がよく分かる。

淡い色の裂の中央に、扇形の絵が横たわっている。

上下に大きな余白があり、左右にも裂が回っている。

絵の周囲を、これだけの布で囲んでいる。

表装は、何のためにあるのか

掛軸は、壁に掛けて見るものである。

一枚の紙や絹をそのまま掛けることはできない。

上下に軸を付け、まわりを裂で補強する。

そうしてはじめて、垂らして掛けられる。

つまり表装は、掛けるための構造である。

同時に、見せ方の設計でもある。

上の余白を広く取れば、絵は下がって見える。

裂の色を選べば、絵の色が引き立つ。

そして、寸法の欄には三つの数字が並ぶ。

画面。表装を含めた全体。軸首を含めた横幅。

軸首とは、下の軸の両端に付ける飾りである。

そこまで含めた横幅が、いちばん大きくなる。

九点のうち五点で、この三段の数字が書かれている。

雲に乗る列子
狩野之信《雲に乗る列子》16世紀。館の記録では、掛軸に仕立てられた扇形の絵、紙に墨。画面は縦33.7センチ、横52.4センチ。表装を含めると縦121.9センチ、横62.4センチ。軸首を含めると横67.3センチ。番号は14.76.10。メトロポリタン美術館蔵。狩野之信《雲に乗る列子》メトロポリタン美術館蔵

この一点では、表装の裂がはっきり見える。

上下に、模様のある濃い裂。

その内側に、細い縁の裂。

中央に、扇形の絵。

絵は墨だけで描かれている。

雲に乗った人物が、右へ向かって進んでいる。

衣が風になびき、下に雲が渦を巻く。

左に岩山らしい形。

技法の欄には「扇形の絵」とある。

「扇」ではない。

扇として作られたのではなく、扇の形に描かれた絵、という意味だろう。

わずかな違いだが、館は書き分けている。

秋野の月
狩野之信《秋野の月》16世紀。館の記録では、もとは扇であったものを掛軸に仕立てたと記す。金地の紙に墨と彩色と銀。縦24.8センチ、横49.5センチ。番号は1997.140。メトロポリタン美術館蔵。狩野之信《秋野の月》メトロポリタン美術館蔵

同じ画家の、別の一点である。

こちらの技法の欄は、さらに慎重である。

「もとは扇であったものを掛軸に仕立てた」。

「もとは」という語が入っている。

前の一点との違いは、確からしさだろう。

金地の紙に、秋の草が描かれている。

薄と、萩と、小さな花。

上に、白い円がある。

月である。

技法の欄に「銀」とあるから、月は銀で摺られているのかもしれない。

銀は、時間がたつと黒く変わる。

いまは白く見えているが、もとの色は分からない。

館の記録は、そこまで書いていない。

本の一葉が、掛軸になる

月光菩薩、金胎仏画帖より
宅間為遠《月光菩薩、金胎仏画帖より》12世紀半ば。館の記録では、掛軸に仕立てられた本の一葉、紙に墨と彩色と金。画面は縦25.4センチ、横13.7センチ。表装を含めると縦125.1センチ、横39.4センチ。番号は1975.268.8。メトロポリタン美術館蔵。宅間為遠《月光菩薩、金胎仏画帖より》メトロポリタン美術館蔵

画面は、縦二五・四センチ、横一三・七センチ。

葉書ほどの大きさである。

そこに、蓮の台に座る菩薩が描かれている。

頭に高い冠をつけ、両手を胸の前で組んでいる。

背後に、二重の光輪。

線は細く、朱と金が使われている。

上のあたりに、細かい文字の書き込みがある。

この一葉は、仏画の手本を集めた画帖の頁だった。

十二世紀の半ばというから、平安時代の末である。

その一葉が、いまは掛軸になっている。

表装を含めると、縦一二五・一センチ。

画面の縦の、五倍近い。

小さな一葉を、掛けて見るための形に作り替えている。

巻子の一段が、掛軸になる

時代不同歌合、源等の像
藤原信実《時代不同歌合、源等の像》13世紀。館の記録では、掛軸に仕立てられた巻子の一段、紙に墨。画面は縦29.8センチ、横19.1センチ。表装を含めると縦146.1センチ、横45.4センチ。番号は1975.268.34。館は作者の役を書き手として記す。メトロポリタン美術館蔵。藤原信実《時代不同歌合、源等の像》メトロポリタン美術館蔵

上に、和歌が三行ほど書かれている。

その下に、束帯姿の人物が座っている。

烏帽子をかぶり、こちらへやや身体を向けている。

線は細く、顔の造作はごく簡素である。

歌合の絵巻の一段である。

歌合とは、歌を左右に分けて優劣を競う催しである。

時代の違う歌人を組み合わせた歌合が、絵巻に作られた。

その一人ぶんが、切り取られて掛軸になっている。

もとの巻子には、他の歌人が何十人も並んでいたはずである。

いまは一人だけが、掛かる形になっている。

そして、館の記録は作者の役を「書き手」としている。

「画家」ではない。

絵と文字のどちらを担当したかで、役の欄が変わる。

この一点では、文字の側に名が結び付けられている。

紙が、二センチ足らずの幅で残る

法華経第十九章の断簡
九条兼実《法華経第十九章の断簡》12世紀後半。館の記録では、掛軸に仕立てられた巻子の断簡。切金と砂子と銀箔で飾った色紙に墨。縦25.4センチ、横9.1センチ。番号は1990.116。メトロポリタン美術館蔵。九条兼実《法華経第十九章の断簡》メトロポリタン美術館蔵

九点でいちばん細い一点である。

縦二五・四センチ、横九・一センチ。

文字の行にすれば、六行から七行ほどだろう。

写真を見ると、金色の地に文字が並んでいる。

上の縁に沿って、細かい金の粒が散っている。

技法の欄には、三つの装飾が書かれている。

切金、砂子、そして銀箔。

切金は、金箔を細く切って貼る技法である。

砂子は、粉にした金を散らす技法である。

装飾を施した紙に、経文を書き写している。

これは、平安時代の末に作られた装飾経の一部である。

巻子だったものが切られ、断簡になった。

そして掛軸に仕立てられた。

九センチ幅の紙を掛けるには、まわりに広い裂が要る。

寸法の欄には、表装を含む数字が書かれていない。

だから、全体がどれくらいの大きさかは分からない。

屏風の二面が、掛軸になる

宮廷の庭の中国風の女性たち
狩野永徳《宮廷の庭の中国風の女性たち》16世紀後半。館の記録では、掛軸に仕立てられた屏風の二面、紙に墨と彩色と金と金箔。縦155.3センチ、横115.6センチ。番号は29.100.495のgとh。メトロポリタン美術館蔵。狩野永徳《宮廷の庭の中国風の女性たち》メトロポリタン美術館蔵

これは、扇や本の葉より大がかりである。

六曲の屏風のうち、二面が切り離されている。

そして、その二面が掛軸に仕立てられている。

縦一五五・三センチ、横一一五・六センチ。

九点でいちばん大きい。

金地の上に、建物と人物が描かれている。

左に、赤い衣の女性が二人。

その足元に、小さな子ども。

右に、青い衣の人物と、机。

背後に、金の雲がかかる楼閣。

手前に、白い花の咲く木と、青い岩。

そして、番号を見てほしい。

二九・一〇〇の四九五の、gとh。

同じ番号の四九五には、aからfまでもある。

そちらは、六面のままの屏風として残っている。

つまり、もとは八面あったのかもしれない。

あるいは、六曲一双の片方から二面が外されたのかもしれない。

館の記録は、そこまで書いていない。

分かるのは、同じ受入番号のなかで、六面と二面が別々の形になっているということである。

横長の絵が、縦に掛けられる

薬山と李翺の問答
直翁《薬山と李翺の問答》1256年以前。館の記録では、掛軸に仕立てられた横長の絵、紙に墨。画面は縦31.8センチ、横84.5センチ。表装を含めると縦124.8センチ、横86.4センチ。番号は1982.2.1。中国、宋時代。メトロポリタン美術館蔵。直翁《薬山と李翺の問答》メトロポリタン美術館蔵

技法の欄の「横長の絵」という言い方が、面白い。

扇でもなく、巻子でもない。

ただ、横に長い絵である。

もとが何だったかは分からない。

分かるのは、いまの形が掛軸だということだけである。

だから、こういう書き方になる。

画面には、二人の人物がいる。

右に、木の下に立つ僧。

左に、身をかがめた人物。

墨だけで、線は少ない。

背景は、ほとんど白い。

上の余白に、書き込みがある。

そして、この一点は表装を含めても横幅がほとんど変わらない。

画面が八四・五センチ、全体が八六・四センチ。

つまり、左右の裂がごく細い。

縦は、三一・八センチが一二四・八センチになる。

上下に、たっぷり裂を取っている。

横長の絵を縦に掛けるには、この作りになる。

扇を掛ける、という趣味

酔った朝比奈
葛飾北斎《酔った朝比奈》1810年ごろ。館の記録では、掛軸に仕立てられた扇、紙に墨と彩色。画面は縦24センチ、横51.3センチ。表装を含めると縦139センチ、横73センチ。軸首を含めると横78.7センチ。番号は1991.151。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《酔った朝比奈》メトロポリタン美術館蔵

金茶の裂の中央に、扇形の絵が置かれている。

上下に、藍と金の細い縁。

扇の面には、横たわる人物が描かれている。

大きな身体が、画面いっぱいに広がっている。

顔は赤く、目は閉じかけている。

そばに、酒器らしいものが転がっている。

朝比奈は、力の強い武者として知られた人物である。

その大男が、酔って寝ている。

扇に描くには、ちょうどよい主題だろう。

扇は、人に見せる道具である。

広げれば、絵が現れる。

その扇を掛軸にすれば、いつでも見えるようになる。

九点の年代が、六百年に広がる

九点の年を並べてみる。

十二世紀半ば。十二世紀後半。十三世紀。一二五六年以前。

十六世紀が三点。十八世紀後半。一八一〇年ごろ。

いちばん古いものといちばん新しいもので、六百年以上の開きがある。

そして、九点とも同じ処置を受けている。

もとの形から外され、掛軸に仕立て直された。

処置そのものは、いつ行われたか分からない。

十二世紀の一葉が、十二世紀に掛軸にされたわけではないだろう。

もっと後の時代に、誰かが仕立てた可能性が高い。

古いものほど、途中の時間が長い。

その長い時間のあいだに、形が変えられる機会も増える。

だから、古い作品ほど、いまの形が最初の形ではないことが多い。

これは、東アジアの絵画を見るときの前提である。

いま掛軸として見えているものが、掛軸として作られたとは限らない。

種別の欄は、その前提を毎回思い出させてくれる。

表装の面積を、計算してみる

九点のうち、表装を含む寸法が分かるのは五点である。

その五点で、画面と全体の面積を比べてみたい。

池玉瀾の扇は、画面が約一〇〇〇平方センチ。

全体は約一万三六〇平方センチ。

画面は、全体の一割に届かない。

狩野之信の扇形の絵は、画面が約一七六〇平方センチ。

全体は約七六〇〇平方センチ。

こちらは、約二割三分である。

宅間為遠の本の一葉は、画面が約三五〇平方センチ。

全体は約四九三〇平方センチ。

画面は、全体の七分ほどしかない。

藤原信実の巻子の一段は、画面が約五七〇平方センチ。

全体は約六六三〇平方センチ。

こちらも一割に届かない。

直翁の横長の絵は、画面が約二六九〇平方センチ。

全体は約一万八〇〇平方センチ。

約二割五分である。

つまり、小さいものほど表装の割合が大きい。

当然といえば当然である。

掛ける以上、ある程度の大きさが要る。

小さな絵を掛けるには、まわりを大きく取るしかない。

数字を並べると、そのことがはっきりする。

そして、私たちが掛軸を見るとき、目に入る面積の大半は裂である。

絵は、その中央にある小さな部分にすぎない。

余白ではなく、裂である

日本や中国の絵を見るとき、余白という言葉をよく使う。

しかし掛軸の場合、絵のまわりにあるのは余白ではない。

別の素材である。

紙や絹に描かれた絵の外側に、織物が回っている。

素材が変わるところで、絵は終わっている。

その境目は、はっきりしている。

九点の写真を見ると、その境目がよく分かる。

狩野之信の扇形の絵では、絵の紙と裂のあいだに細い線が入っている。

北斎の扇では、金茶の裂と扇の紙で、明るさが違う。

池玉瀾の扇では、淡い裂の中に扇形が浮いている。

つまり、掛軸を見るとは、二つの素材を同時に見ることである。

絵と、それを支える布。

前の回に見た画帖では、絵は台紙に貼られていた。

台紙は、たいてい地味な紙である。

掛軸の裂は、そうではない。

模様があり、色があり、金糸が入ることもある。

支える側が、それ自体で見どころを持っている。

館が表装の寸法を別に書くのは、この事情による。

仕立て直しは、いつ行われたか

九点のいずれについても、いつ掛軸にしたかは書かれていない。

これは、前の回に見た画帖と同じである。

仕立て直しの記録は、ふつう残らない。

分かるのは、いまの形だけである。

そして、いまの形は最後の一回の結果である。

途中で何度仕立て直されたかも、分からない。

掛軸は、傷めば表装をやり直す。

裂が古びれば、新しい裂に替える。

だから、いま見えている裂が最初のものとは限らない。

館の記録が寸法を三段に分けて書くのは、そのためでもある。

画面の寸法は変わらない。

表装の寸法は、仕立て直すたびに変わりうる。

二つを分けておけば、どちらが変わったかが分かる。

切ることと、掛けること

九点のうち、四点は明らかに何かから切り離されている。

本の一葉。巻子の一段。巻子の断簡。屏風の二面。

残りの五点は、扇か横長の絵である。

扇は、切り離されたというより、外されたと言うべきだろう。

骨から絹や紙を外す。

いずれにせよ、もとのまとまりから離れている。

そして、離れたものを掛軸にするという処置が共通している。

なぜ掛軸なのか。

一つには、掛軸が日本と中国で最も一般的な鑑賞の形だからである。

床の間に掛け、季節や客に応じて掛け替える。

一つの部屋に、一点だけを掛ける。

この見方は、一点という単位を強く要求する。

巻子なら、広げながら見る。

画帖なら、めくって見る。

どちらも、複数の場面を続けて見る形式である。

掛軸だけが、一場面を単独で見せる。

だから、束から離れたものは掛軸になりやすい。

離れたものに、単独で見られる形を与える。

仕立て直しとは、その作業である。

出所の行に、同じ長い一文が三度出る

九点のうち三点は、まったく同じ出所の行を持っている。

パッカード氏の東洋美術蒐集品と、複数の基金による購入を並べた、長い一文である。

一九七五年の受入である。

一人の収集家の蒐集品が、まとめて館に入った年にあたる。

三点の内容は、まるで違う。

十八世紀の扇、十二世紀の仏画、十三世紀の歌合の一段。

時代も、主題も、素材も違う。

共通しているのは、掛軸に仕立てられていることと、来た道である。

収集家は、形式で集めていたのかもしれない。

床の間に掛けられる形のものを、時代を問わず集める。

そういう集め方は、珍しくない。

館の記録は、集め方の方針までは書いていない。

しかし、同じ出所の行を持つ三点を並べると、傾向は見えてくる。

出所の行は、作品の来歴であると同時に、集めた人の目の記録でもある。

断簡という言葉

巻子から切り取られた紙を、断簡と呼ぶ。

九点のうち二点が、これにあたる。

法華経の一段と、歌合の一段である。

断簡は、日本では古くから珍重されてきた。

古い写経や古筆の断片を集め、手鑑という帖に貼る習慣もあった。

つまり、切ることが否定されていたわけではない。

むしろ、良い部分を切って一点として扱うことが行われてきた。

九センチ幅の法華経の断簡も、そうして残ったものだろう。

一巻のまま伝えるより、切ったほうが多くの人の手に渡る。

渡れば、大事にされる可能性も増える。

もっとも、失われるものは大きい。

その巻がどこから始まり、どこで終わっていたかは、もう分からない。

第十九章の一部、という位置だけが記録に残る。

位置が分かるのは、経文だからである。

文字が読めれば、どの章のどこかが特定できる。

絵の場合は、そうはいかない。

歌合の一段は、誰の像かが分かっている。

上に書かれた歌から、特定できたのだろう。

文字があると、断片でも位置が決まる。

もとの形を、なぜ書き残すのか

最後に、はじめの問いに戻りたい。

館は、なぜ「掛軸に仕立てられた扇」と書くのか。

「掛軸」とだけ書けば、いまの形は伝わる。

それでも、もとの形を書く。

理由は、絵の作りがもとの形に従っているからである。

扇の面に描かれた絵は、横に長く、上が広く下が狭い。

その形に合わせて構図が作られている。

本の一葉に描かれた仏画は、頁の大きさに合わせて描かれている。

巻子の一段は、続きがあることを前提にしている。

もとの形を知らなければ、なぜその構図なのかが分からない。

だから、種別の欄に二つの形を並べる。

そして、この書き方は、一点という単位についても語っている。

いま一件として数えられているものは、もとは別の何かの一部だった。

扇の面。本の一葉。巻子の一段。屏風の二面。

いずれも、単独で作られたものではない。

切られ、外され、仕立て直されて、いまの形になった。

その来歴が、技法の欄の一行に畳み込まれている。

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