シカゴに集まった七枚——ピエール=オーギュスト・ルノワール
姉妹、昼食、曲馬団の少女、ピアノ、花、海、湖。主題はばらばらだが、いずれも七年のあいだに描かれた。そして三つの個人収集を経て、いま一つの館にある。離れて見て、近づいて見る。その往復がこの画家の絵の楽しみである。

赤い帽子の二人
一枚の絵から始めたい。

画面の手前に、二人が座る。
奥の一人は、赤い帽子をかぶる。
そして、濃い青の衣を着ている。
手前の一人は、幼い。
白い衣に、花で飾った帽子。
左下には、毛糸の玉が入った籠。
背景には、木立と川が見える。
赤という一点
この絵で最も強い色は、赤である。
帽子の赤である。
面積は、画面の十分の一もない。
しかし、最初に目が行く。
周囲が緑と青だからである。
補い合う色を隣に置くと、互いが強まる。
背景の作り方
背景を見たい。
木の葉が、小さな筆触で並ぶ。
そして、緑と青と白が混ざる。
つまり、輪郭を描いていない。
葉の一枚ずつを描くのではなく、光の粒として置く。
その中に、川と対岸がぼんやり見える。
人物だけ、輪郭がある
背景と人物を比べたい。
背景には、はっきりした線がない。
一方、人物の顔と手には輪郭がある。
つまり、描き分けている。
近くのものは明確に、遠くのものは曖昧に。
見るときの目の働きに近い作りである。
籠の中身
左下の籠を見たい。
丸い塊がいくつも入る。
色は、赤、青、黄。
つまり、毛糸の玉だろう。
手仕事の道具である。
日常の品が、画面の隅に置かれている。
手すりという線
二人の背後に、細い線が横切る。
金属の手すりだろう。
そして、その向こうが下がっている。
つまり、高い場所にいる。
題にあるとおり、テラスである。
一本の線で、場所が決まる。
署名の記録
館の記録には、署名の情報がある。
画面の右下に、名と年が記されるとある。
つまり、作者自身が年を書いている。
制作年が確かなのは、そのためである。
額の寸法まで、記録される
館の記録には、額を含む寸法もある。
縦119.1センチ、横100.1センチ、厚さ7.7センチ。
つまり、絵より二割ほど大きい。
美術館は、額も収蔵品として扱う。
そして、寸法を記録する。
絵と額は、一組の物である。
二人の関係
題は《二人の姉妹》である。
しかし、実際に姉妹だったかは分からない。
館の記録も、題を示すだけである。
絵の題は、後から付けられることがある。
だから、当サイトは題の意味に踏み込まない。
見えているのは、二人が並んで座る姿である。
一八八一年という年
制作年は、一八八一年である。
作者は一八四一年生まれと記録される。
つまり、四十歳ごろの仕事になる。
七枚の中では、後半に位置する。

卓を囲む三人
二点目は、屋外の食卓である。
三人が、卓を囲む。
右の一人は、白い衣で椅子にもたれる。
中央の一人は、背を向ける。
左の一人は、こちらを向く。
卓には、瓶と硝子の器が並ぶ。
背後には、格子と川が見える。
格子という枠
背後の格子に注目したい。
細い材が、斜めに交差する。
そして、画面の上半分を覆う。
つまり、規則的な模様が背景になる。
その隙間から、川と舟が見える。
光の斑
格子の隙間から、光が入る。
そして、人物の衣に斑を作る。
つまり、木漏れ日である。
白い衣の上に、青や黄の点が置かれる。
影を灰色ではなく、色で描いている。
卓上の硝子
卓の上を見たい。
背の高い硝子の器が二つ。
そして、緑の瓶がある。
硝子は、透けて背後が見える。
その透明を、わずかな白い線で示す。
細部だが、手数がかかる部分である。
背を向ける人物
中央の人物は、こちらに背を向ける。
顔は見えない。
つまり、誰かは分からない。
肖像ではなく、場面の一部である。
背中を画面の中心に置くのは、大胆な配置である。
湖の色
奥の湖を見たい。
淡い青と白である。
そして、手前の緑と対比される。
暖かい緑と、冷たい青。
その差が、奥行きを作る。
小さな画面
寸法は、縦55センチ、横65.9センチである。
七枚の中では、小さいほうである。
多人数の場面を、小さな画布に収める。
そのため、一人ひとりは小さい。
顔は、数センチしかない。
一八七五年という年
制作年は、一八七五年である。
七枚の中で、最も早い。
そして、一点目とは六年の差がある。
同じ画家の、異なる時期である。

舞台の上の二人
三点目は、興行の場面である。
二人の少女が、砂の上に立つ。
いずれも、白い衣に金の飾り。
そして、黄色い長靴を履く。
右の一人は、腕に丸いものを抱える。
床には、同じ丸いものが転がる。
背後には、柵と観客が見える。
黄色い地面
床の色を見たい。
黄土色である。
そして、画面の下半分を占める。
つまり、大きな一色の面がある。
その上に、白い衣が置かれる。
明るい地に、さらに明るい白。
抱えているもの
右の少女が抱えるものは、丸く橙色である。
そして、床にも同じものが転がる。
果物だろう。
観客が投げ入れたものかもしれない。
もっとも、館の記録に説明はない。
だから、見えるとおりに書いておく。
二人の名
題には、二人の名が記されている。
つまり、誰を描いたか分かっている。
姉妹である。
そして、興行の一座で演じていた。
子どもが働く場であったことも、事実として書いておきたい。
上部の観客
画面の上端を見たい。
柵の向こうに、人の頭と手が並ぶ。
そして、いずれも切れている。
つまり、画面の外へ続く。
観客席の一部だけを見せる。
場の広がりを、切り取りで示す。
見る側と、見られる側
この絵には、二つの立場がある。
演じる二人と、見る観客。
そして、絵を見る私たちがいる。
つまり、見る行為が二重になっている。
構図が、その関係を作っている。
花を、二か所に
花は、二か所にある。
奥の人物の胸元に、小さな束。
そして、手前の人物の帽子の上に、大きな束。
つまり、同じ要素が二度使われる。
その繰り返しが、二人を結びつける。
屋内の一枚
四点目は、室内である。

女性が、鍵盤に向かって座る。
衣は、白に近い水色である。
そして、大きく広がる。
譜面台には、楽譜が開かれる。
両脇に、燭台が立つ。
左には、緑の植物がある。
座り方
女性の座り方を見たい。
体は横を向き、顔も横を向く。
そして、両手が鍵盤の上にある。
つまり、演奏の姿勢である。
正面を向いていないから、肖像ではない。
行為を描いた絵である。
白い衣の描き方
衣を細かく見たい。
白一色ではない。
青、灰、そして薄い黄が混ざる。
つまり、周囲の色が布に映っている。
白を白のまま塗ると、平らになる。
色を混ぜることで、厚みが出る。
髪の色
髪は、明るい金色である。
そして、後ろで結ばれる。
暗いピアノの前で、その髪が浮かぶ。
顔の周りを、明るい色で囲む。
視線を顔へ導く配置である。
黒い縦の線
衣の裾に、黒い線が入る。
そして、上半身にも黒い帯がある。
つまり、白の中に黒が置かれる。
その対比が、画面を締める。
左の植物
画面の左には、緑の植物がある。
葉が細く、垂れている。
そして、輪郭は曖昧である。
つまり、背景として扱われている。
室内でありながら、緑が入る。
屋外の絵と、色の系統がつながる。
ピアノという物
楽器を見たい。
黒く、大きい。
そして、画面の右半分を占める。
つまり、人物と同じくらいの存在感がある。
暗い塊が、明るい衣を引き立てる。
床の描き方
足元を見たい。
床は、暗い緑と茶で塗られる。
そして、模様はない。
つまり、描き込まれていない。
視線が下へ行かないようにするためだろう。
楽譜という細部
譜面台の楽譜を見たい。
白い紙に、細かい線がある。
そして、五線らしきものが見える。
つまり、音符までは描かれない。
近づけば線の集まりでしかない。
離れて見て、楽譜と分かる。
音を、描く
音は、目に見えない。
では、どう描くか。
指の位置、体の傾き、開いた楽譜。
そして、静かな色。
つまり、周囲の状況で示す。
見る人が、そこから音を想像する。
燭台の光
燭台には、蝋燭が立つ。
そして、金色に光る。
もっとも、火は点いていない。
つまり、昼の室内である。
光は、左の窓から入っている。
制作年の幅
年代は、一八七五年から七六年とされる。
つまり、二年にまたがる。
一つの絵を、年をまたいで描くことがある。
あるいは、記録が特定できないのかもしれない。
館は、幅を持たせて記している。

収蔵の記録
この一枚の来歴を見ておきたい。
館の記録では、ある夫妻のコレクションとされる。
つまり、個人の収集から館へ入った。
同じ収集から、もう一枚が続く。
花だけの一枚
五点目は、人物がいない。
卓の上に、器が置かれる。
そして、そこから花が溢れる。
白、黄、そして橙。
背景は、赤茶色である。
卓には、青い模様の布が掛かる。
花の描き方
花を細かく見たい。
一輪ずつの輪郭はない。
短い筆触が、いくつも重なる。
そして、その集まりが花に見える。
離れて見ると、形が立ち上がる。
近づくと、絵の具の塊になる。
菊という花
題は《菊》である。
花弁が細く、放射状に開く。
そして、色は白、黄、橙。
日本では秋の花として知られる。
十九世紀の欧州でも、庭で育てられていた。
館の記録は、それ以上を記していない。
背景の赤
背景の赤茶に注目したい。
平らではない。
筆の跡が、縦横に走る。
そして、明るい部分と暗い部分がある。
つまり、背景も筆で作られている。
塗り潰しではない。
溢れる形
花の塊を見たい。
器の口から、四方へ広がる。
そして、画面の上端に近づく。
つまり、余白が少ない。
画面いっぱいに、花を詰める。
その密度が、この絵の性格である。
器の透明
花を挿す器を見たい。
硝子だろう。
そして、内側に茎が見える。
水面の位置も、線で示される。
つまり、透明を描いている。
二点目の硝子と、同じ扱いである。
卓の布
卓には、布が掛かる。
白地に、青い模様がある。
そして、縁が垂れる。
その白が、画面の下を明るくする。
暗い背景と、明るい卓。
上下で、明暗が分かれる。
光の向き
明るい部分を追いたい。
花の左上が明るい。
そして、卓布の左側も明るい。
つまり、光は左から来ている。
背景の右下は、暗く沈む。
静物という主題
花を描いた絵は、静物と呼ばれる。
人物も物語もない。
つまり、色と形だけの絵である。
注文に応じるのではなく、自分の関心で描ける。
画家にとっては、試すための主題でもある。
二枚の共通点
四点目と五点目は、同じ収集から館へ入った。
館の記録では、同じ夫妻のコレクションである。
つまり、一人の収集家が二枚を持っていた。
そして、館へ渡した。
収集の趣味が、館の中身を作る。
二枚の寸法
四点目と五点目の寸法を比べたい。
四点目が縦93センチ、五点目が縦54.8センチ。
つまり、大きさが違う。
人物の絵は大きく、花の絵は小さい。
主題によって、画布の大きさを変えている。
人のいない海
六点目は、海である。

画面の上半分は、空である。
そして、下半分が海。
青と灰が混ざる空の下で、波が砕ける。
白い泡が、横に長く伸びる。
手前には、砂か岩が見える。
人物も、舟もない。
海の色
海の色を見たい。
青、緑、灰、そして白。
一色ではない。
手前ほど白が多く、奥ほど青が濃い。
つまり、距離で色が変わる。
波の描き方
波を細かく見たい。
白い絵の具が、厚く置かれる。
そして、筆の跡がそのまま残る。
つまり、平らに均していない。
絵の具の凹凸が、泡の質感になる。
厚塗りという方法
絵の具を厚く置くことには、効果がある。
まず、光が絵の具の凹凸に当たる。
そして、実際の影ができる。
つまり、描いた影のほかに、本物の影が加わる。
波の泡には、この効果が効いている。
空の筆
空も見たい。
青、灰、そして白。
短い筆触が、斜めに並ぶ。
その向きが、風を感じさせる。
雲の輪郭は、描かれていない。
手前の陸
画面の下端を見たい。
茶色い帯がある。
砂か、岩だろう。
そして、その上に波が寄せる。
つまり、岸から見た海である。
舟の上からではない。
水平線
画面の中ほどに、水平線がある。
そして、そこだけ緑がかっている。
上は空、下は海。
一本の線が、画面を二分する。
単純な構図である。
署名と年
館の記録によれば、右下に名と年が記される。
七九年と読めるとされる。
つまり、制作年が作者自身の手で残っている。
推定ではない。
三つの層
この絵は、三つの層でできている。
空、海、そして手前の陸。
いずれも、横に長い帯である。
つまり、水平の三層構造である。
単純だが、崩れない構図である。
主題を、選ばない
人物のいない海を描く。
これは、注文の絵ではないだろう。
売るための絵でもないかもしれない。
つまり、自分のために描いた一枚である。
七枚の中では、性格が違う。

描く場所
海を描くには、海へ行く必要がある。
そして、風と光の中で描く。
つまり、屋外での制作である。
絵の具を持ち運べる筒が普及したのは、この時代である。
道具の変化が、絵の題材を広げた。
木立の中の二人
七点目は、水辺である。
左手前に、麦わら帽子の男性がいる。
そして、中央に女性の後ろ姿。
二人は、柵にもたれている。
奥には、湖と対岸が見える。
画面の上部は、枝と葉で覆われる。
帽子の男性
左手前の人物を見たい。
麦わら帽子をかぶる。
そして、横を向いている。
顔は、簡略に描かれる。
つまり、誰かを特定させる意図はない。
葉で、囲む
上部の葉に注目したい。
緑の筆触が、密に並ぶ。
そして、画面の三方を囲む。
その隙間から、湖が見える。
つまり、葉が枠になっている。
一点目の背景と、作り方が近い。
小さな画面
寸法は、縦47.5センチ、横56.4センチ。
七枚の中で、最も小さい。
そこに、二人と風景を収める。
だから、一つひとつが小さい。
顔は、数センチしかない。
後ろ姿という選択
中央の女性は、背を向ける。
つまり、顔が見えない。
二点目の人物と、同じである。
顔を見せないことで、場面の一部になる。
肖像ではない絵の作り方である。
柵という線
二人がもたれる柵を見たい。
赤茶色の横線である。
そして、画面の下部を横切る。
その線が、手前と奥を分ける。
人物は手前、湖は奥である。
七枚の年代
七枚を、年代順に並べたい。
一八七五年が一枚、七五から七六年が一枚。
七九年が二枚、七九から八〇年が一枚。
八一年が一枚、八一から八二年が一枚。
つまり、七年ほどの幅に収まる。
七年の集中
七年という幅は、短い。
作者は七十八年生きたと記録される。
その中の七年である。
つまり、この七枚は活動の一時期を切り取っている。
同じ時期の、違う絵
七年のあいだに描かれた七枚を比べたい。
大きな人物画もあれば、小さな風景もある。
厚く塗った海もあれば、細かく描いた室内もある。
つまり、一つの方法に固まっていない。
同じ時期でも、主題ごとに描き方を変えている。
なぜ、シカゴに集まったか
七枚は、いずれも一つの館にある。
そして、来歴は三つに分かれる。
四枚が、ある実業家の収集から。
二枚が、別の夫妻の収集から。
一枚が、記念のコレクションから。
収集家という存在
十九世紀の終わりから二十世紀の初め、米国で欧州の絵が買われた。
そして、その多くが美術館へ寄贈された。
七枚も、その流れの中にある。
個人が買い、館が受け取る。
美術館の中身は、そうして形づくられた。
一人の収集が、四枚
四枚を持っていた収集家について、触れておきたい。
館の記録では、名を冠したコレクションとして扱われる。
つまり、まとまった一群として館へ渡った。
海、湖、曲馬団、そして昼食。
主題はばらばらである。
一人の目が、それらを選んだ。
額も、収蔵される
館の記録には、七枚すべての額の寸法がある。
つまり、額が管理されている。
絵だけを収蔵するのではない。
物としての一組が、記録の単位である。
主題の幅
七枚の主題を、並べてみたい。
姉妹、昼食、曲馬団の少女、ピアノ。
そして、花、海、湖。
つまり、人物、静物、風景がすべてある。
一人の画家が、分野を限っていない。
描き方の共通点
主題は違っても、描き方は共通する。
短い筆触を重ねる。
輪郭線を、あまり引かない。
影を、灰色ではなく色で作る。
そして、背景を曖昧に残す。
七枚に、同じ手が働いている。
遠くと、近く
最後に、見方を提案したい。
まず、離れて見てほしい。
形が立ち上がり、場面が見える。
次に、近づいてほしい。
形が崩れ、絵の具の粒になる。
その往復が、この画家の絵の楽しみである。
見えているのは、光の粒の集まりである。



