画家を知る

輪郭を、機械で写す——サン=メマン

縦五十四センチ、ほぼ実物大の横顔である。装置で輪郭を写し取り、そこへ下塗りを引いた紙で仕上げる。六点を並べ、機械を使う肖像とは何かを考える。先住民の男性を描いた一枚にも触れる。実物大に近い横顔は、写真以前の記録として作られている。

ジョン・アダムズ
《ジョン・アダムズ》メトロポリタン美術館蔵

縦五十四センチの横顔

一枚の素描から始めたい。

ジョン・アダムズ
シャルル・バルタザール・ジュリアン・フェヴレ・ド・サン=メマン《ジョン・アダムズ》1800〜01年。コンテ、木炭とみられる画材、白チョークによる高光。グワッシュを引いた生成りの簀の目紙。縦54.6センチ、横38.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・H・ハンティントン寄贈、1883年。《ジョン・アダムズ》メトロポリタン美術館蔵

縦が54.6センチある。

前回扱ったパステルの横顔の、倍以上である。

その紙に、男の横顔が描かれている。

真横である。

顔は左を向く。

額は広く、鼻が高い。

顎は丸く、首が太い。

髪は白く、耳の後ろで束ねられる。

首元には、白い布が巻かれる。

上着は暗く、大きな襟がある。

背景は、灰色に塗られている。

実物大に近い大きさ

この横顔の顔の縦幅は、二十センチ近い。

つまり、実物より少し小さい程度である。

肖像画としては、異例の大きさではない。

しかし、素描としては大きい。

そして、真横だけを描く。

この組み合わせが、この画家の特徴である。

大きく、真横で、輪郭が正確。

その三つが揃っている。

輪郭を、機械で写す

ここで、この画家について伝えられている話に触れたい。

輪郭を写す装置を使った、という話である。

対象の横顔を器具でなぞると、紙に線が写る。

そして、別の器具で縮小する。

その線をもとに、素描を仕上げ、さらに版画にする。

十八世紀末から十九世紀初めにかけて、こうした器具が使われた。

サン=メマンの制作についても、この方法が広く伝えられている。

当サイトが確認できる館の記録に、その記載はない。

だから、伝えられている話として書いておく。

装置を使う意味

仮に装置を使ったとしても、絵が機械の産物になるわけではない。

輪郭が正確に取れる、というだけである。

そこから先は、手の仕事である。

髪の質、布の襞、顔の陰影。

いずれも、コンテと木炭と白チョークで作る。

前回のパステルの記事でも、同じことを書いた。

道具が変わっても、判断は人が下す。

装置は、最初の一歩を短縮するだけである。

下塗りを引いた紙

紙にグワッシュを引くのは、なぜか。

一つは、色を調整するためである。

紙の白をそのままにせず、中間の調子にする。

もう一つは、画材の食いつきをよくするためだろう。

滑らかな紙では、コンテが乗りにくい。

下塗りを引けば、表面がわずかに粗くなる。

六点とも、同じ処理がなされている。

つまり、この画家の定まった手順である。

描いた人について

シャルル・バルタザール・ジュリアン・フェヴレ・ド・サン=メマンは、一七七〇年に生まれた。

フランスの出身である。

一八五二年に没した。

革命の混乱を避けて、米国へ渡ったとされる。

そして、肖像の制作で生計を立てた。

各地を巡り、多数の横顔を残している。

のちにフランスへ戻り、美術館の職に就いたと伝えられる。

つまり、亡命者としての生涯である。

軍装の男

二点目も、大きい。

ジャン=ヴィクトル・モロー
サン=メマン《ジャン=ヴィクトル・モロー》1806年ごろ、または1811年。木炭とみられる画材、コンテ、白チョークによる高光。グワッシュを引いた生成りの簀の目紙。縦59.4センチ、横44.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。1883年寄贈。《ジャン=ヴィクトル・モロー》メトロポリタン美術館蔵

六点の中で、最も大きい。

縦59.4センチ。

男の横顔である。

顔は左を向く。

髪は短く、額に落ちる。

顎に髭がある。

首元には、白い布が高く巻かれる。

上着は暗く、襟に刺繍が入る。

その刺繍が、細かく描き込まれる。

背景は明るい灰である。

刺繍を、素描で描く

襟の刺繍に注目したい。

渦を巻く文様が、細かく描かれる。

白チョークで明るい線を引き、コンテで影を入れる。

つまり、二つの画材を交互に使う。

金の刺繍は、油彩なら黄と白で描く。

素描では、色が使えない。

だから、明暗だけで金属らしさを出す。

その処理が、この一枚の見せ場である。

描かれた人物

この人物は、フランスの軍人である。

革命後の戦争で活躍したとされる。

のちに国を追われ、米国に滞在した。

つまり、この素描は亡命中の姿である。

描いた画家も、亡命者だった。

同じ境遇の二人が、米国で出会っている。

九点ではなく六点の記事だが、その背景は共通している。

十九世紀初めの米国には、こうした人々が多くいた。

小さな水彩

三点目は、寸法がまったく違う。

オセージの戦士
サン=メマン《オセージの戦士》1805〜07年。水彩と鉛筆、生成りの紙。縦18.4センチ、横16.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。エリシャ・ホイッテルシー・コレクション、1954年購入。《オセージの戦士》メトロポリタン美術館蔵

縦18.4センチ。

他の五点の三分の一ほどである。

男の横顔である。

顔は左を向く。

頭は剃られ、後頭部に短い毛が立つ。

そこに、赤と白の飾りが付く。

耳には、金属の飾りが幾重にも下がる。

首にも、飾りが掛かる。

肩から胸へ、白い毛皮のような布が掛かる。

背景は、紙のままである。

記録された人と、されなかった名

館の題は、オセージの戦士とある。

つまり、民族の名は記されている。

しかし、個人の名は記されていない。

一八〇四年から〇七年にかけて、複数の先住民の使節が首都を訪れた。

その一行を、サン=メマンが描いたことが知られている。

そして、その多くは個人名が記録されていない。

一方、白人の依頼主の名は、ほぼ全員が記録されている。

この差は、当時の記録の仕方そのものである。

誰が、誰を記録したか

この非対称について、書いておきたい。

描いたのは、フランスから来た画家である。

依頼したのは、米国の側だろう。

描かれたのは、条約の交渉に来た人々である。

つまり、記録する側と、される側が非対称である。

そして、その関係のまま、絵が残った。

当サイトの
記録という問題でも、同じ主題を扱った。

記録としての価値と、記録の偏り。

その両方を、同じだけ書いておきたい。

水彩という選択

この一枚だけ、技法が違う。

水彩と鉛筆である。

コンテも、木炭も、白チョークも使われていない。

そして、紙に下塗りもない。

つまり、他の五点とは制作の条件が違う。

理由は、いくつか考えられる。

急いで描いたのかもしれない。

あるいは、別の目的のためだったのかもしれない。

館の記録には、その説明がない。

三つの画材を、重ねる

技法欄を見ると、画材が複数書かれている。

コンテ、木炭とみられる画材、白チョーク。

そして、紙にはグワッシュが引かれている。

つまり、紙の表面が下塗りされている。

その上に、暗い画材と明るい画材を重ねる。

暗い部分はコンテと木炭、明るい部分は白チョーク。

紙の色が、中間の調子になる。

前回の記事で扱った、色つきの紙の考え方と同じである。

色を、使う

水彩なので、色がある。

頭の飾りの赤、耳飾りの金属色、毛皮の白。

そして、肌の色。

他の五点は、灰色と白と黒だけである。

つまり、この一枚だけが色を持つ。

装いの細部を記録するには、色が要る。

飾りの材質や、布の種類が、色で分かる。

記録としての性格が、技法に表れている。

装いを、細かく描く

この一枚では、装いが丁寧に描かれている。

耳の飾りは、環が幾重にも重なる。

首の飾りは、細い線でつながる。

頭の飾りは、赤い毛と白い紐で構成される。

いずれも、形が正確に取られている。

一方、顔の陰影は簡素である。

つまり、装いに力が注がれている。

何を記録したかったかが、そこから読める。

軍服の若者

四点目は、大きな素描に戻る。

ダイアー・シャープ・ウィンクープ
サン=メマン《ダイアー・シャープ・ウィンクープ》1800年。コンテ、木炭とみられる画材、白チョークによる高光。グワッシュを引いた生成りの簀の目紙。縦54.1センチ、横38.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。1966年寄贈。《ダイアー・シャープ・ウィンクープ》メトロポリタン美術館蔵

若い男の横顔である。

顔は右を向く。

六点のうち、右を向くのはこれだけである。

髪は明るく、後ろで束ねられる。

首元には、白い布が巻かれる。

上着は暗く、大きな襟がある。

肩には、房のついた飾りが載る。

胸には、丸いボタンが並ぶ。

紙の地は、桃色がかった橙である。

紙の色が、変わっている

この一枚の紙は、桃色に近い。

他の五点は、灰色である。

もとから違ったのか、変色したのか。

技法欄には、生成りの紙とある。

つまり、もとは白に近かったはずである。

そこにグワッシュを引き、色を付ける。

その色が、時間とともに変わる。

六点の紙の色の差には、この変化も含まれている。

右を向く、ということ

六点のうち、五点は左を向く。

この一枚だけが右を向く。

理由は、いくつか考えられる。

対になる肖像があった可能性。

あるいは、輪郭を写す装置の向きの都合。

そして、単に本人の希望だったのかもしれない。

横顔の肖像では、向きが揃っていることが多い。

例外があると、理由を考えたくなる。

館の記録には、説明がない。

房飾りと、ボタン

肩の房飾りに注目したい。

細い糸が束ねられ、垂れる。

その一本ずつが、白チョークで描かれる。

そして、影がコンテで入る。

つまり、線を数十本引いている。

素描で金属や糸を描くのは、手間がかかる。

色が使えないぶん、線の数で示すしかない。

この一枚の肩は、その努力の跡である。

白チョークの使いどころ

六点の白チョークの置き方を見比べたい。

額の光、鼻梁の稜、襟の白、髪の艶。

いずれも、明るい部分である。

そして、置き方が違う。

面として広く塗る場所と、線として引く場所がある。

顔は面、髪と刺繍は線である。

つまり、対象によって使い分けている。

紙の下塗りの色が中間になるので、白の効きが大きい。

少しの白で、強い明るさが作れる。

顎と、首の線

横顔では、顎から首への線が難しい。

ここが甘いと、顔が浮いてしまう。

六点とも、この線がはっきり引かれている。

顎の先から、喉、そして襟へ。

その一続きの線が、頭部を体につないでいる。

そして、その線の下に影が入る。

影があることで、首の丸みが出る。

輪郭線と影の組み合わせが、この形式の骨組みである。

損傷のある一枚

五点目には、傷がある。

アレグザンダー・ライダーか
サン=メマン《アレグザンダー・ライダーか》1808〜09年。コンテ、木炭とみられる画材、白チョークによる高光。グワッシュを引いた生成りの簀の目紙。縦54.9センチ、横42.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。1883年寄贈。この作品は色のない画像で公開されている。《アレグザンダー・ライダーか》メトロポリタン美術館蔵

男の横顔である。

顔は左を向く。

髪は縮れ、耳の上で膨らむ。

顎に、短い髭がある。

首元には、白い布が巻かれる。

上着は暗く、襟が高い。

そして、胸の部分に白い欠けがある。

紙が失われた箇所だろう。

二か所ほど、はっきり見える。

欠けを、埋めない

紙の欠けが、そのまま残されている。

修復で埋めれば、見た目は整う。

しかし、どこが原作かが分からなくなる。

だから、埋めない判断もある。

館は、その状態のまま公開している。

当サイトでも、その状態を記す。

作品の傷は、隠すべきものではない。

来歴の一部である。

疑問符の付いた題

この一枚の題にも、記号がある。

人名のあとに、疑問符が付く。

つまり、人物の同定が確定していない。

伝来から名が推定されるが、確証がない。

そういうときに使われる。

六点のうち、疑問符が付くのは一点。

人名が記されていないものが二点。

つまり、半数は人物が特定されていない。

名前が、失われる

六点のうち、二点は人名がない。

一点は、オセージの戦士とだけある。

もう一点は、男性の肖像とだけある。

理由は違う。

前者は、記録する側が名を残さなかった。

後者は、伝来の途中で名が忘れられた。

同じ「名がない」でも、成り立ちが違う。

その差は、書き分けておきたい。

名のない男の肖像

六点目は、人名がない。

男の肖像
サン=メマン《男の肖像》1797〜98年。コンテ、木炭とみられる画材、鉛筆、白チョークによる高光。グワッシュを引いた生成りの簀の目紙。縦43.5センチ、横34センチ。メトロポリタン美術館蔵。1883年寄贈。この作品は色のない画像で公開されている。《男の肖像》メトロポリタン美術館蔵

年配の男の横顔である。

顔は左を向く。

髪は白く、耳の上で膨らむ。

後ろで束ねられ、黒いリボンが結ばれる。

額は後退し、鼻が高い。

首元には、白い布が幾重にも重なる。

上着は暗く、襟が高い。

背景は明るい灰である。

六点の中で、最も早い年代である。

一七九七年という年

この一枚は、一七九七年から九八年の作である。

画家が米国へ渡ってまもない時期にあたる。

つまり、初期の作である。

そして、六点の中では小さい部類である。

縦43.5センチ。

後年の作は、五十センチ台になる。

つまり、次第に大きくなっている。

もっとも、六点だけでは断定できない。

六点の寸法

寸法を整理したい。

縦18.4センチが一点。

縦43.5センチが一点。

縦54センチ台が三点。

縦59.4センチが一点。

つまり、五十センチ台が中心である。

これは、横顔の素描としては大きい。

そして、額に入れて壁に掛ける前提の大きさである。

前回扱ったパステルの横顔は、二十四センチだった。

倍以上の差がある。

大きくする理由

なぜ、これほど大きくするのか。

一つは、輪郭を実物大に近く取るためだろう。

装置で写すなら、実物大が基本になる。

もう一つは、値段である。

大きければ、高く売れる。

そして、飾ったときに目立つ。

もっとも、大きいぶん、描く面積も増える。

顔以外の部分をどう埋めるかが、課題になる。

背景を、灰色に塗る

六点のうち五点は、背景が灰色である。

平らに、あるいはわずかに調子をつけて塗られる。

紙の地をそのまま残す方法もある。

しかし、この画家は塗る。

理由は、輪郭を切り出すためだろう。

背景に調子があると、顔の輪郭が浮く。

そして、大きな紙の余白が締まる。

紙のままだと、間が持たない。

版画に、するために

もう一つ、伝えられている話がある。

サン=メマンは、素描をもとに小さな版画を作った、という話である。

輪郭を縮小し、銅版に彫る。

そして、依頼主に多数の摺りを渡す。

つまり、素描は原図であり、商品は版画だった。

素描一枚と、版画数十枚を一組で売る。

そういう商売だったと伝えられる。

館の記録に記載はないので、断定はしない。

素描が、原図になる

仮にそうだとすれば、素描の性格が変わる。

鑑賞のための絵ではなく、複製のための原図である。

だから、輪郭が正確でなければならない。

そして、大きくなければならない。

縮小するときに、細部が潰れないためである。

六点の大きさと、輪郭の明快さ。

その二つは、この用途と矛盾しない。

もっとも、これは推測である。

版画と、素描の関係

十九世紀初めの肖像には、この二段構えがよく見られる。

素描を取り、版画にして配る。

あるいは、油彩を描き、版画にして売る。

当サイトの
磨いた表面と、残した筆跡でも、同じ仕組みに触れた。

複製が、画家の収入を支える。

そして、名前を広める。

写真がない時代の、確実な方法だった。

六点の受け入れ年

来歴を並べたい。

一八八三年が四点。

一九五四年、一九六六年が各一点。

つまり、四点が同じ寄贈である。

しかも、一八八三年である。

前回の記事で扱ったメダルの寄贈者と、同じ名前である。

つまり、この収集家は版画やメダルだけでなく、素描も集めていた。

一人の収集の幅が、そこから見える。

一人の収集家

同じ寄贈者の名が、複数の記事に現れる。

メダル、そして横顔の素描。

いずれも、人物の顔に関わる品である。

つまり、顔を集めていたのかもしれない。

有名人の肖像を、材質を問わず集める。

そういう収集の型は、十九世紀に珍しくない。

当サイトの
金属に、顔を刻むでも、同じ名前が出てきた。

館の収蔵品には、収集家の関心がそのまま残る。

顔だけを、集める

顔を集める収集について、もう少し書きたい。

肖像は、人物の記録である。

だから、歴史の資料としても集められる。

美術品としてではなく、人物図鑑として。

十九世紀の収集家には、この動機がしばしばある。

そして、その集積が美術館へ渡る。

いま美術部門に置かれていても、もとは資料だった。

六点の性格も、その両面を持っている。

横顔という形式の終わり

横顔の肖像は、十九世紀の半ばに衰える。

理由は、写真である。

写真は、正面でも横顔でも撮れる。

そして、輪郭は自動的に正確である。

つまり、輪郭を写す装置の役割を、写真が引き継いだ。

六点の年代は、一七九七年から一八〇九年である。

写真が現れる、三十年ほど前にあたる。

技術の交代の、直前の記録である。

額に入れて、掛ける

これらの素描は、額に入れて飾られた。

縦五十センチ台なら、居間の壁に合う。

そして、複数を並べることもできる。

家族の顔、あるいは知人の顔を並べる。

十九世紀初めの住宅では、こうした飾り方が行われた。

同じ寸法で揃っていれば、並べたときに整う。

六点の寸法が近いのは、その用途に合う。

飾る場所を前提に、大きさが決まっている。

六点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

六点の輪郭線だけを、順に追ってほしい。

額から鼻、鼻から唇、唇から顎、顎から首。

その一続きの線が、六本ある。

いずれも、途中で途切れない。

そして、線の外側と内側で、調子がはっきり分かれる。

外は背景、内は顔。

その境目が、この形式の要である。

装置で取ったにせよ、手で描いたにせよ、線は一本である。

その一本を、目でなぞってほしい。

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