美術史・技法

器に、もう一つの出所の行がある——クリアウォーターの銀器遺贈、1933年

館の帳簿は一九三三年を指す。ところが器の縁には、十八世紀に誰が教会へ贈ったかが彫られている。一つのものに、二つの出所が記録されている。彫りがあるものだけが溶かされずに残った理由も読みたい。急須が二十四点を占める理由も、あわせて考えたい。

皿
エドワード・ウィンズロー《皿》メトロポリタン美術館蔵

器に、もう一つの出所の行がある

出所の行は、館の記録の欄である。

作品が館に来た経緯を、一行で書く。

ところが、器そのものに同じことが書いてある場合がある。

誰が、どこへ、いつ贈ったか。

金属の面に、直接彫り込まれている。

今回は、そういう九点を並べたい。

出所の行は、いずれも同じ一行である。

アルフォンソ・T・クリアウォーターの遺贈、一九三三年。

当サイトで公開している分だけで、四十八点ある。

番号は三三・一二〇で始まり、枝番は一〇一から六二〇まで。

もとの遺贈は六百点を超えていた可能性がある。

種別は、急須が二十四点、カップが十二点、剣が三点、鉢が三点。

材料は、四十五点までが銀である。

皿
エドワード・ウィンズロー《皿》1705年ごろ。館の記録では、銀。1.9×25.1センチ、重さ450.3グラム。番号は33.120.319。出所の行は「アルフォンソ・T・クリアウォーターの遺贈、1933年」。メトロポリタン美術館蔵。エドワード・ウィンズロー《皿》メトロポリタン美術館蔵

浅い皿である。

中央の面は平らで、そこから縁がわずかに立ち上がる。

縁の幅は広い。

その縁に、細い線の彫りが一周する。

葉と巻きひげのような文様である。

線はきわめて細く、光の角度でしか見えない。

そして、縁の上部に、盾の形をした区画がある。

その中に、紋章らしい図が彫られている。

上に飾りの帯が付く。

径二十五・一センチ。

高さは一・九センチしかない。

重さ四百五十グラム。

重さが、必ず書かれる

九点の記録には、すべて重さの欄がある。

四百五十グラム。

七百五十三グラム。

七百二十二グラム。

八十五グラム。

四百十七グラム。

百九十三グラム。

五百八グラム。

五百八十八グラム。

二百二グラム。

第七回でも触れたが、銀器の記録には重量が入る。

材料そのものに値段があるからである。

そして、この寄贈のように点数が多い場合、重さの合計は財産の額に直結する。

もう一つ、重さは真贋と年代の手がかりにもなる。

同じ形の器でも、時代によって銀の厚みが違う。

薄く延ばす技術が上がれば、同じ形が軽くなる。

だから、寸法と重さを並べると、作られた時期の見当がつく。

記録の欄は、そういう使い方を想定している。

刻印を探す

銀器には、刻印が打たれる。

作った人の印。

品位を示す印。

都市を示す印。

国によって、制度が違う。

英国では、公的な検査所が品位の印を打った。

この制度は中世から続いている。

一方、当時のアメリカには、公的な検査所がなかった。

だから、作った人の印だけが打たれる。

姓の頭文字を組み合わせた印が多い。

九点の作者名が分かっているのは、この印による。

館の記録は、作者の欄に名前を書く。

しかし、その名前がどこから来たかは書かない。

印を読んだ結果である場合が多い。

そして、印は小さい。

高台の裏や、取っ手の付け根に打たれる。

公開されている画像では、たいてい見えない。

つまり、作者の欄は、画像からは確かめられない情報である。

記録を信じるほかない部分がここにある。

誰が作り、誰が売ったか

もう一つ、注意しておきたいことがある。

銀器に印を打った人が、必ずしも作った人とは限らない。

十八世紀の工房では、分業が進んでいた。

胴を打ち出す人。

取っ手を作る人。

彫りを入れる人。

組み立てる人。

そして、店の主人が自分の印を打つ。

だから、印は工房の名であり、責任の所在である。

第十五回で扱った「一点に何人が関わったか」の問題が、ここにもある。

館の記録の作者の欄は、その一人だけを書く。

彫りを入れた職人の名は、記録に残らない。

九点の彫りは、いずれも高度な技術で入れられている。

その手の主は、名前を持たない。

器に彫られた文

聖餐皿
サミュエル・ミノット《聖餐皿》1764年ごろ。館の記録では、銀。3.3×33センチ、重さ753.5グラム。番号は33.120.235。メトロポリタン美術館蔵。サミュエル・ミノット《聖餐皿》メトロポリタン美術館蔵

大きな皿である。

径三十三センチ。

前の一点より、八センチ大きい。

中央は平らで、縁が広く取られる。

その縁に、文字が一周している。

大文字で人名らしいものが読める。

そして、その下に筆記体の文が続く。

寄贈の経緯を書いた文だろう。

縁の下部には、紋章と飾りが彫られている。

つまり、この皿は誰かが教会に贈ったものである。

その事実が、皿そのものに刻まれている。

館の記録の出所の行は、一九三三年の遺贈を書く。

しかし、皿に彫られた文は、それよりはるか前の贈与を書いている。

一つのものに、二つの出所が記録されている。

一つは館の帳簿に。

もう一つは、器の縁に。

教会の持ち物である、という彫り

両手付き蓋物カップ
ジョーゼフ・ローリング《両手付き蓋物カップ》1790年ごろ。館の記録では、銀。全体で29.5×22.4センチ、重さ722.5グラム。蓋を除くカップは高さ20.3センチ、重さ542.5グラム。口径12.7センチ、高台径10.6センチ。蓋は11.6×12.2センチ。番号は33.120.233。メトロポリタン美術館蔵。ジョーゼフ・ローリング《両手付き蓋物カップ》メトロポリタン美術館蔵

背の高いカップである。

胴は下がすぼまり、上へ向かって開く。

その下に、細い脚と丸い台が付く。

両側に、角ばった取っ手が一つずつ。

取っ手は上端が水平に伸び、そこから直角に下りる。

蓋は緩やかな円錐形で、頂に細長い飾りが立つ。

胴の正面に、楕円の区画が彫られている。

その中に、大文字と筆記体の文。

どこかの持ち物である、という趣旨の文言と、地名が読める。

つまり、これも教会の器である。

高さ二十九・五センチ。

重さ七百二十二グラム。

蓋と身で、重さが分かれる

この一点の寸法欄は、四段に分かれている。

全体。

蓋を除いたカップ。

口の径と、高台の径。

そして、蓋の寸法と重さ。

つまり、蓋と身を別々に測っている。

第十七回で扱った、カップと受皿の話に近い。

物としては二つ、記録としては一件。

そして、番号には枝番が付かない。

蓋と身を別々に数えていない。

一方、次の一点は枝番が付いている。

同じ館の記録でも、扱いが揺れている。

カップ
ケアリー・ダン《カップ》1784年から96年。館の記録では、銀。全体で7.5×10.3センチ、重さ85.7グラム。口径7.1センチ、高台径5.2センチ。番号は33.120.227。メトロポリタン美術館蔵。ケアリー・ダン《カップ》メトロポリタン美術館蔵

小さなカップである。

高さ七・五センチ。

九点のなかで、いちばん軽い。

八十五・七グラムしかない。

胴はまっすぐで、口がわずかに開く。

側面に、細い帯状の取っ手が付く。

上端が口の縁につながり、下端が胴の中ほどで留まる。

装飾はまったくない。

彫りも、文字もない。

銀の面が、そのまま光っている。

前の二点と比べると、性格が違う。

こちらは、日常の器である。

誰かに贈るためのものではない。

だから、何も彫られていない。

葡萄酒用カップ
ジョーゼフ・フォスター《葡萄酒用カップ》1800年ごろ。館の記録では、銀。全体で高さ24.1センチ、重さ417.8グラム。蓋を除くカップは高さ19.1センチ、重さ317.7グラム。蓋は5.7×10.2センチ、重さ100.1グラム。番号は33.120.231のaとb。メトロポリタン美術館蔵。ジョーゼフ・フォスター《葡萄酒用カップ》メトロポリタン美術館蔵

細い脚の上に、深い器が載る。

器の胴は、下がすぼまって上へ開く。

上端に、細い段が一つ。

蓋は緩やかに膨らみ、頂に小さな飾りが付く。

台は円形で、二段になっている。

胴の正面に、楕円の区画。

その中に、持ち主を示す文が彫られている。

前の一点と、同じ形式である。

そして、番号にaとbの枝が付く。

蓋と身を、別々に数えている。

贈った人の名が、彫られている

脚付きカップ
アルフレッド・ウェルズ《脚付きカップ》1800年から1830年。館の記録では、銀。全体で高さ14.3センチ、重さ193.8グラム。口径8.3センチ、台の径8.4センチ。番号は33.120.234。メトロポリタン美術館蔵。アルフレッド・ウェルズ《脚付きカップ》メトロポリタン美術館蔵

脚付きの杯である。

胴は丸みを帯び、上が開く。

脚は短く、途中に段が二つ。

台は円形で、大きく広がる。

胴の正面に、筆記体の文が彫られている。

区画で囲まれていない。

面に直接、四行ほど。

ある礼拝所に、ある人物から贈られた、という趣旨である。

贈った人の名が、はっきり読める。

女性の名前である。

九点のなかで、贈った個人の名が彫られているのはこの一点だけである。

ほかの二点は、持ち主である教会の名が彫られていた。

同じ「彫られた出所」でも、書く内容が違う。

誰の物かを書くか。

誰が贈ったかを書くか。

館の出所の行と、同じ選択がここにもある。

急須が二点

急須
ウィリアム・B・ヘイヤー《急須》1810年から20年。館の記録では、銀。全体で16.2×17.6×11.7センチ、重さ508.8グラム。蓋の径9.4センチ。胴の高さ14.6センチ、重さ422.1グラム。番号は33.120.101。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・B・ヘイヤー《急須》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

しかも、写真を撮影したものらしい。

白い縁が周囲に見える。

器は、四角い台の上に載っている。

台の四隅に、獣の脚のような足が付く。

台の縁には、玉を並べた飾りが回る。

その上に、丸い胴。

胴の上下にも、玉の飾りが帯になっている。

注ぎ口は、上へ向かって細く伸びる。

取っ手は角ばり、上で直角に曲がる。

蓋は低い円錐で、頂に飾りが載る。

装飾が多い。

十九世紀の初めの様式である。

急須
イェロニムス・アルスタイン《急須》1787年から99年ごろ。館の記録では、銀。全体で15.7×29.1センチ、重さ588グラム。底は13.7×9.2センチ。番号は33.120.523。メトロポリタン美術館蔵。イェロニムス・アルスタイン《急須》メトロポリタン美術館蔵

こちらは、まったく違う形である。

胴は、角を落とした細長い箱の形。

面が平らで、稜線がはっきりしている。

上下の縁に、細い彫りの帯が入る。

正面に、盾の形の区画。

その中に、紋章が彫られている。

注ぎ口は、まっすぐ斜め上へ伸びる。

先が斜めに切られている。

取っ手は黒い木でできている。

金属だと、熱くて持てないからである。

上部が大きく湾曲し、下で胴に留まる。

蓋の頂に、小さな飾り。

高さ十五・七センチ、幅二十九・一センチ。

横に長い器である。

木の取っ手が、記録に書かれない

この一点の技法の欄は、銀とだけ書かれている。

しかし、取っ手は明らかに木である。

黒く塗られているか、黒檀のような材だろう。

記録は、そこを書いていない。

前の一点も、同じである。

材料の欄が、主要な材料だけを書く場合がある。

第八回で見た仮装用の甲冑は、十の材料が並んでいた。

同じ館の記録でも、詳しさに差がある。

部門によって作法が違うのだろう。

銀器の部門は、銀の重さを測ることを重視している。

木の部分は、重さの計算からは外れる。

そのため、記録の関心も薄くなる。

書かれていないものは、画像で補うしかない。

鉢
ルイス・フルニケ《鉢》1800年から1830年。館の記録では、銀。高さ4.8センチ、径14.6センチ、重さ202.1グラム。番号は33.120.125。メトロポリタン美術館蔵。ルイス・フルニケ《鉢》メトロポリタン美術館蔵

浅い鉢である。

胴は下へすぼまり、底が小さい。

口の縁は、わずかに外へ開く。

装飾はない。

彫りも文字もない。

銀の面が、光を柔らかく返している。

内側に、うっすらと使用の跡が見える。

細かい擦り傷が、放射状に散る。

使われていた器である。

急須が二十四点ある

この遺贈の内訳で、目を引くのは急須の数である。

当サイトの公開分四十八点のうち、二十四点が急須である。

半分である。

これは、偶然の偏りではないだろう。

十八世紀から十九世紀のアメリカで、銀の急須は特別な器だった。

茶は輸入品で、高価だった。

その茶を淹れる器も、家のなかで最も目立つ持ち物になる。

だから、良い銀で作られ、大事に扱われた。

そして、形の変化が追いやすい。

球形から、洋梨形へ。

洋梨形から、角のある筒形へ。

さらに、脚付きの丸い胴へ。

三十年ごとに、流行が変わっている。

九点に含まれる二点も、形がまるで違う。

一方は角のある筒形。

もう一方は、台に載った丸い胴。

作られた時期は、二十年ほどしか離れていない。

しかし、様式は別の時代のものに見える。

急須を集めると、様式の変化が一覧できる。

集める側にとって、これは大きな魅力である。

同じ用途の器で、形だけが変わっていく。

比べるための材料がそろう。

使われた跡

九点の画像を見ると、傷の入り方が違う。

装飾のない鉢には、内側に細かい擦り傷がある。

放射状に散っている。

洗ったときの跡だろう。

一方、彫りのあるカップは、面がなめらかである。

儀式のときだけ出され、ふだんは仕舞われていた。

使用の頻度が、表面に残る。

銀は柔らかい金属である。

爪でも傷が付く。

だから、使えば必ず跡が残る。

館の記録は、状態について何も書かない。

寸法と重さと材料だけである。

しかし、画像を丁寧に見れば、その器がどう扱われてきたかは読める。

第十七回でも書いたが、記録に無い特徴は画像から拾うほかない。

そして、銀器の場合、その情報はかなり多い。

彫られたものと、彫られなかったもの

九点を、彫りの有無で分けたい。

文字が彫られているものが三点。

紋章だけが彫られているものが三点。

何も彫られていないものが三点。

きれいに三つに分かれる。

文字が彫られているのは、いずれも教会に関わる器である。

紋章が彫られているのは、家の持ち物だろう。

何も彫られていないのは、日常の器である。

つまり、彫りの有無が、そのものの立場を示している。

公の場に置かれるものほど、文字が多い。

そして、文字が多いものほど、来歴が追える。

九点のうち、もとの持ち主が特定できるのは、彫られた三点だけである。

三つの教会の器

文字が彫られた三点を、並べて考えたい。

一点は聖餐皿である。

一点は両手付きの蓋物カップ。

一点は脚付きのカップ。

いずれも、礼拝で使われる器である。

聖餐皿は、パンを載せる。

カップは、葡萄酒を注ぐ。

つまり、これらは実際に儀式で使われていた。

そして、教会の器は、信徒からの寄贈で賄われることが多かった。

家で使っていた銀器を、教会に納める。

あるいは、新しく作らせて贈る。

そのとき、贈った証しとして文字を彫る。

これは、館の出所の行とまったく同じ機能である。

誰が、いつ、どこへ渡したかを残す。

違うのは、記録の媒体である。

紙の帳簿ではなく、器そのものに彫る。

帳簿は失われることがある。

器に彫られた文字は、器が残るかぎり残る。

そして、実際に残った。

教会から、市場へ

では、教会の器がなぜ収集家の手に渡ったのか。

理由はいくつも考えられる。

教会が閉じた。

建て替えのために資金が要った。

古い器が使われなくなり、新しいものに替えられた。

十九世紀から二十世紀にかけて、こうした事情で古い銀器が市場に出た。

それを、収集家が買い集める。

そして、館へ渡る。

出所の行は、その最後の一歩だけを書く。

途中の経緯は書かない。

ただし、器の文字が「もとは教会のものだった」と主張し続ける。

館の記録と、器の彫りが、少し食い違ったまま並んでいる。

この食い違いは、消せない。

彫られた文字は、削らないかぎり残るからである。

銀が残った理由

ここで、銀器という分野について書いておきたい。

銀は、溶かせば地金になる。

だから、必要になれば現金に換えられる。

十八世紀から十九世紀のアメリカでは、銀器は財産だった。

家計が苦しくなれば、溶かされた。

流行が変われば、作り直された。

つまり、大量に作られ、大量に失われている。

いま残っているものは、溶かされなかったものである。

では、なぜ溶かされなかったのか。

一つの答えが、彫られた文字である。

教会に贈られた器は、個人の判断では処分できない。

紋章が彫られた器は、家の記念品になる。

彫りが、そのものを守っている。

何も彫られていない器が残っているのは、むしろ幸運である。

遺贈という形

出所の行を、もう一度読みたい。

遺贈、と書かれている。

生前の寄贈ではない。

亡くなったあと、遺言によって館へ移った。

これは、大きな収集にはよくある形である。

生きているあいだは、手もとに置きたい。

しかし、散逸させたくもない。

その両方を満たすのが、遺贈である。

第三回で見た初期の寄贈者たちには、生前の寄贈が多かった。

こちらは遺贈である。

年は一九三三年。

そして、六百点規模である。

一人の生涯を通じた収集が、一度に館へ移った。

器が語る、二つの時間

最後に、この九点の読み方をまとめたい。

館の出所の行は、一九三三年を指す。

器に彫られた文は、十八世紀を指す。

その間に、百五十年以上ある。

そのあいだ、器は誰かの家か、教会にあった。

そして、ある時期に収集家の手に渡った。

その経路は、記録には書かれていない。

分かるのは、両端だけである。

作られたときと、館に入ったとき。

真ん中の百五十年は、空白である。

ただし、彫られた文字が、その空白の入り口を示している。

教会の名を頼りに、記録を追うことはできる。

出所の行が語らないことを、器そのものが語っている。

次の回では、逆の例を読みたい。

作られてから百年もたたないうちに館へ入った、新しい器の話である。

そこでは、彫られた文字も、紋章もない。

代わりに、作った窯の名と、作った年が記録の中心になる。

同じ工芸品の収集でも、記録の性格が入れ替わる。

古い器は、彫りが来歴を語る。

新しい器は、帳簿だけが来歴を語る。

その差がどこから来るのかも、あわせて考えたい。

百年という時間の差が、記録の形を変えている。

そして、記録の形が変われば、読み方も変わる。

器を見るか、帳簿を見るか。

手がかりの置き場所が、時代とともに移っていく。

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