城の絵に、戦いは一点しかない——ブラウン・ミシャロン・サルスティほか九点
城は守るための建物である。ところが九点で数えると、戦いに関わる場面は一点だけだった。廃墟として、遊び場として、宮殿の陳列室として描かれる。城主が出てくるのも一点しかない。石の色は灰と褐色に偏り、旗が立つのは二点だけだった。守る形が飾りに変わっていく。

城が、丘の上で燃えるように光っている
一枚の素描に、城がある。
紙は18.8×27センチ。
茶色のインクと淡彩だけで描かれている。
画面の中央、少し右寄りに、岩の丘が立つ。
その上に、四角い建物が載っている。
四隅に、低い塔がある。
壁には狭間らしい凹凸が並ぶ。
建物の輪郭は暗く、背後の空は明るい。
太陽が、城のすぐ後ろにある。
光は放射状の線で描かれている。
丘の左右には、木立が広がる。
手前には水面があり、岸に草が茂る。
その手前、画面の下のほうに、人が二人いる。
一人は横たわり、一人は座っている。
羊飼いらしい。
近くに、羊か牛が数頭いる。
館の記述によれば、この城は北イタリアの砦を思わせる形だという。
同じ記述は、この画家がローマで学んだことにも触れている。
さらに、館の記録は署名の文面を写している。
そこには、画家の名と、ローマの地名と、年が書かれている。
ところが、その年の読みは記録上一致していない。
館は、末尾の数字に疑問符を付けている。
制作年の欄には1814年とあり、署名は別の年に読める。
館は、その食い違いを消していない。

城は、守るための建物である。
厚い壁があり、高い塔があり、狭い開口しかない。
その形は、住み心地よりも防御で決まる。
だから城の絵には、たいてい壁と塔が描かれる。
九点を並べて、その形がどう扱われるかを数えたい。
城の絵に、戦いは少ない
集めかたは、館の記録の題によっている。
城、宮殿、城館にあたる語が入るものを拾った。
九点のうち、城や宮殿の建物が描かれているのは五点だった。
残る四点は、語の広がりによって混じったものである。
そのうち一点は、日本の版画の店の名だった。
一点は、彫刻の置かれる予定の場所の名である。
一点は、宮殿の一室を描いた油彩。
もう一点は、宮殿という語が処刑の場に付いた細密画である。
まず、いちばん意外な数字を出しておきたい。
九点のうち、戦いの場面は一点しかない。
城は戦うための建物だが、絵では戦っていない。
廃墟として、遠景として、遊び場として描かれる。
廃墟としての城
十九世紀の写真がある。
大判の印画で、画面は38.1×47.9センチ。
紙は39.9×50.1センチある。
裁ち落としていないので、余白が残る。
館の記録は、その余白に数字が刷り込まれていると書く。
写っているのは、崩れた城である。
壁は残っているが、屋根がない。
窓の穴が、いくつも空いている。
塔の上部は欠けている。
手前は牧草地で、木が数本立つ。
右手前に、木の柵が写る。
人は一人もいない。
館の記述によれば、この城は十八世紀の終わりから見物の対象だった。
さらに、十九世紀初めの小説の題になって、訪れる人が増えたという。
館は、この城が五世紀ぶんの建築を含むとも書いている。
中世の砦から、十六世紀の宮殿までが重なっている。
つまり、一つの建物のなかに時代が積み重なっている。
崩れることで、その層が見えるようになった。

もう一点、城を遠くから描いた水彩がある。
37.8×45.4センチ。
画面の上のほうに、丘の稜線が走る。
その稜線の上に、城壁が長く伸びる。
塔が等間隔に並び、屋根は尖っている。
壁の色は、薄い灰と黄土である。
丘の斜面には、暗い緑の木が密生する。
手前は、耕された土地である。
赤茶、黄、緑の帯が斜めに並ぶ。
畝の線が、そのまま色の帯になっている。
空は灰色で、雲が厚い。
題は《古城》とだけある。
どこの城かは、記録に書かれていない。
制作年は1903年。
館の記録に、記述の欄はない。

城の庭で、子どもが遊ぶ
三点目は、リトグラフである。
館の記録に、寸法の欄はない。
画面は暗い。
黒が広く、白い部分は少ない。
左に、建物の一部が見える。
大きな丸窓と、壁の飾りがある。
中央には、細長い木が数本、まっすぐ立つ。
その手前に、台座の上の白い彫像がある。
彫像は明るく、画面のなかで最も目立つ。
台座の周りに、人が六、七人いる。
大きな輪を持って、遊んでいる。
輪は空中にもいくつか浮かんでいる。
輪回しの遊びである。
人物は影のように黒く、顔は見えない。
衣は大きく広がっている。
館の記録の題は長い。
石版画の技法の試作、という連作の名が前に付く。
筆と搔器を使った試み、と書かれている。
つまりこの一枚は、技法の実験でもあった。
城のテラスは、その実験の題材である。

宮殿の一室
四点目は、宮殿の内部を描いた油彩である。
31.5×25センチしかない。
縦長の小さな画面である。
手前は暗い部屋で、右に彫像の台が見える。
その奥に、明るい部屋が続く。
戸口の枠が、画面のなかに四角い窓を作る。
明るい部屋には、白い彫像が並ぶ。
壁には、横長の浮き彫りが掛かる。
床は木で、光を反射している。
その部屋の中央に、男が一人立っている。
赤い上着に、暗い色のズボン。
こちらに背を向け、彫像のほうを見ている。
手前の暗がりには、額に入った小さな絵が置かれる。
つまりこれは、宮殿のなかの陳列室である。
館の記録の題は、古代彫刻の間という。
宮殿が美術の収蔵と展示に使われている。
城が住むための建物でなくなった後の姿である。

唯一の戦いの場面
五点目が、九点で唯一の戦いの絵である。
十八世紀の中国で作られたエッチングの一葉。
画帖に仕立てられ、全体で51×87センチある。
横に長い画面である。
中央に、円形の陣がある。
天幕と旗が、輪を描いて並ぶ。
その周りを、騎馬の列が取り巻く。
人と馬は、数え切れないほど小さく描かれる。
奥には、山と木立が霞んでいく。
右上には、漢字の書き込みがある。
館の記録によれば、これは皇帝が加えた詩である。
館の記述によれば、この連作は遠征の記録として作られた。
将兵の働きを絵で残すためだったという。
十六葉に、銘記の二葉が加わる。
つまり、絵と文が組で一つの記録になっている。
題にある「開城」は、城を開いて降ることを指す。
戦っている場面ではなく、降伏の場面である。
九点で唯一の戦いの絵が、戦いの終わりを描いている。

宮殿という語が、処刑の場に付く
六点目は、細密画である。
全体で20×13.6センチ。
画面は上下二段に分かれている。
上の段には、王が座っている。
大きな玉座で、天蓋が黄色い。
その前に、人が数人立つ。
一人が、身を乗り出して訴えている。
館の記述によれば、それは王の侍女である。
下の段には、縛られた若者が膝をついている。
裸足である。
その周りを、武器を持った人が囲む。
背景は青く、床は黄土色である。
画面の下には、文字が十行ほど書かれている。
館の記録の題は、処刑の場へ連れ戻される場面という。
その場所を指す語に、宮殿にあたる語が使われている。
つまり宮殿は、住まいであると同時に、裁きと処刑の場でもあった。
館の記述は、この後に処刑が再び止められることも書いている。
物語の続きが、記録に書かれている。

城の名だけが残る二点
残る二点には、城の建物が描かれていない。
一点目は、大理石の彫刻である。
全体で170×85.4×49.5センチ。
等身に近い大きさである。
若い女性が立っている。
衣は足もとまで長く、襞が深い。
左手を、四角い台の上の壺に置いている。
右手は胸の前で軽く握られる。
顔は下を向き、目は伏せられている。
館の記録の題によれば、これは墓碑である。
そして括弧のなかに、ある城の礼拝堂のため、と書かれている。
つまり城は、この彫刻の置き場所である。
館の記述によれば、注文主は自分の墓碑として作らせた。
壺には文が刻まれているという。
その文面も、館の記録に写されている。
我らをこれほど愛した心が、ここにある、という意味である。
館はさらに、注文主が像の人物像まで指定したと書く。
慎ましい身分の徳ある女性であること。
その選択には、当時の思想の影響があるかもしれない、と館は書いている。

二点目は、日本の版画である。
紙は38.2×25.4センチ。
画面には、三人の女性がいる。
中央の一人は、背を向けて座っている。
前に丸い炉があり、そこで湯を沸かしている。
手には、柄杓のようなものを持つ。
その右に、立っている女性がいる。
左には、盆を持った女性が立つ。
三人とも、大きな模様の衣を着ている。
右上に、題を書いた枠がある。
館の記録の題には、女性の名と店の名が入る。
その店の名に、城の字が含まれている。
山城屋という名である。
建物としての城とは、まったく関係がない。
日本語の題を機械で引くと、こういう一致が起きる。

城の絵には、たいてい木がある
もう一つ、数えておきたいことがある。
城の描かれた三点には、いずれも木が添えられている。
丘の上の城の左右には、木立が広がる。
廃墟の手前には、大きな木が三本立つ。
城壁の下の斜面は、暗い緑で埋まっている。
木は、城の輪郭を際立たせる。
石は硬く、直線と直角でできている。
木は柔らかく、輪郭が不規則である。
その二つを並べると、石のほうが際立つ。
さらに木には、時間を示す働きもある。
城が建てられた後に育ったのが、その木である。
廃墟の写真では、崩れた壁のすぐ脇に大きな木がある。
その木は、城が使われなくなってから伸びたのだろう。
館の記述は、そこまで書いていない。
だが、崩れた壁と育った木が並ぶと、時の経過が見える。
石版画の城のテラスにも、細い木が並んでいた。
こちらは、庭として植えられた木である。
同じ木でも、意味が違う。
自然に生えた木と、植えられた木。
その区別は、並び方で読める。
等間隔なら植えられたもの、ばらばらなら自然に生えたもの。
九点では、その両方が出てきた。
数え直す
九点を並べ直したい。
城や宮殿の建物が描かれているのは、五点。
そのうち、外から見たのが三点である。
内部を描いたのが、二点。
崩れた城が、二点あった。
戦いに関わる場面は、一点だけである。
人が描かれているのは、六点。
そのうち、城の主らしい人物が出てくるのは一点だけだった。
玉座に座る王である。
残る五点では、城にいるのは羊飼い、子ども、見物人、兵、女性たちである。
つまり城の絵は、城主を描かない。
描かれるのは、その周りにいる人たちである。
城は、誰のものか
城の絵には、持ち主の問題がついて回る。
城は個人の建物であり、同時に土地の目印でもある。
九点で、その持ち主が記録に出てくるものを数えたい。
はっきり分かるのは、二点だった。
一点は、墓碑の置き場所になる城である。
注文主の名が題に入り、その人物の意向まで記述に残る。
もう一点は、宮殿の一室を描いた油彩である。
宮殿の名が題にあり、当時は美術の展示に使われていた。
残る七点では、持ち主が分からない。
丘の上の城も、廃墟の城も、古城も、誰の城か書かれていない。
戦いの絵に出てくる城は、降伏した側の城である。
だがその城の名は、題に書かれていない。
書かれているのは、降った首長の名だけである。
城は、人の名で呼ばれることもあれば、土地の名で呼ばれることもある。
そして、まったく呼ばれないこともある。
呼ばれない城は、風景の一部になる。
前に家を扱った回でも、同じことを書いた。
名のない建物は、風景に吸収される。
名のある建物だけが、歴史の側に残る。
その分かれ目は、記録に名が書かれたかどうかである。
九点では、二点だけがその側にいた。
城は、壁として描かれる
城の描かれ方には、共通点があった。
いずれも、壁が水平に長く伸びている。
丘の上の城は、稜線に沿って壁が続く。
廃墟の城も、壁が横に広がる。
素描の城は、四角い塊として置かれる。
垂直に伸びるのは、塔だけである。
つまり城は、横長の形として認識されている。
これは実際の造りとも合う。
守るためには、囲む長さが要る。
高さより、長さのほうが重要である。
そのため、城を描いた三点はいずれも横長の画面だった。
18.8×27センチ、38.1×47.9センチ、37.8×45.4センチ。
三点とも、幅が高さの一.三倍以上ある。
一方、宮殿の内部を描いた二点は縦長である。
31.5×25センチと、20×13.6センチ。
内部では、天井の高さを見せたくなるからだろう。
外から見れば横長、内から見れば縦長。
同じ建物でも、判型が反転する。
城の材は、石である
九点で、城の材を見ておきたい。
描かれた城は、いずれも石造りに見える。
丘の上の城は、壁が均一な灰色である。
廃墟の城も、崩れた面から石の層が見える。
水彩の城壁も、石を積んだ帯として描かれる。
石だから、崩れても輪郭が残る。
木の城なら、火と腐食で跡形もなくなる。
日本の城の多くが残らなかったのは、そのためでもある。
今回の九点に、木造の城は一つもなかった。
石の城が三点、宮殿の内部が二点。
そして、城の語だけを持つものが四点である。
作品そのものの材も、並べておきたい。
紙が五点、布が二点、大理石が一点、厚紙が一点。
いちばん重いのは、大理石の彫刻である。
高さ170センチの立像だから、相当な重さになる。
館の記録に、重さの欄はない。
美術館の記録は、たいてい重さを書かない。
書かれるのは、寸法だけである。
扱う側は重さを知りたいはずだが、公開データには出てこない。
これは、公開の目的が展示と研究にあるからだろう。
城は、遠くから見るもの
数えた結果から言えることを、まとめたい。
城の絵で、城に近づいたものはほとんどない。
三点とも、丘の下や牧草地から見上げている。
近づくと、壁しか見えなくなるからだと思われる。
厚い壁は、平らな面である。
平らな面を近くから描いても、画面が単調になる。
離れれば、建物全体の輪郭が見える。
輪郭には、塔の凹凸や、狭間の刻みがある。
その凹凸が、城らしさを作る。
だから城は、遠景として描かれやすい。
これは、屋根を扱った回で書いたことと似ている。
屋根も、遠くから見たときに家を示す記号だった。
城の塔も、遠くから見たときに城を示す記号である。
近づけば、どちらも記号でなくなる。
ただの石の面、ただの草の面になる。
絵は、記号が読める距離を選んでいる。
記録は、城の名を書かないことがある
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
城の建物が描かれた三点のうち、名が分かるのは一点だけだった。
イングランドの城を撮った写真である。
題に、城の名と州の名が入っている。
残る二点は、名がない。
一点は《古城》とだけ書かれている。
もう一点は、館の記述が「北イタリアの砦を思わせる」と書くにとどまる。
思わせる、という言い方である。
特定していない。
実在の城を写したのか、想像で描いたのかも分からない。
館は、そこを断定していない。
一方、建物が描かれていない二点では、城の名が題に入っている。
墓碑の置き場所の城と、店の名の城である。
描かれていないほうに、名が残っている。
これは偶然だろう。
だが、記録と画像の関係を考えるうえでは面白い。
題は画面の説明ではなく、その作品を識別する呼び名である。
呼び名には、画面に写っていない情報が入りうる。
置かれる場所、注文した人、店の名。
画面を見ても分からないことが、題に書かれている。
だから題と画像は、別々に読む必要がある。
そのうえで、二つを突き合わせる。
突き合わせて食い違ったら、食い違いのまま書く。
今回は、署名の年と記録の年が合わない一点があった。
館もそれを直していない。
直さないことが、記録としては正しい。


