美術史・技法

落款——署名と印を一組で置く——曾我蕭白、岸駒ほか九点

画面の隅に号を書き、そのすぐ下に印を押す。号は本名ではなく、自分で名のった別名である。作者の欄に二つの名が並ぶ理由と、生没年に疑問符が付いてしまう事情とを、九点の記録の欄から読みたい。号と印が一組になる理由も考えたい。

虎
岸駒《虎》メトロポリタン美術館蔵

隅に、署名と印が一組で置かれる

掛軸を九点、記録の欄で並べてみる。

九点とも、画面の隅に署名がある。

そして、そのすぐ下に印が押される。

署名と印は、たいてい一組で置かれる。

この組み合わせを、落款という。

落款がなければ、誰の作か分かりにくい。

だから、ほとんどの絵に付く。

置かれる場所は、余白のどこかである。

号は、いくつも持てる

一人が複数の号を持つのは、普通のことだった。

若いころの号。

中年の号。

隠居してからの号。

さらに、書に使う号と、絵に使う号を分けることもある。

だから、同じ人の作品でも署名が違う。

館の作者の欄は、代表的な一つを選ぶ。

そして、別名は別の欄で扱う。

前の回で、同じ画家が複数の記録に分かれる話をした。

号の多さは、その原因の一つである。

名ではなく、号を書く

署名に書かれるのは、本名とは限らない。

多くの場合、号が書かれる。

号とは、自分で付けた別名である。

住まいの名を取ることもある。

好きな言葉から取ることもある。

一人が、いくつも号を持つこともある。

そして、時期によって使い分ける。

だから、号を見れば時期の見当がつく。

表装の色と、絵の調子

九点の表装は、それぞれ色が違う。

褐色、灰色、青緑、緑と金。

表装は、絵に合わせて選ばれる。

淡い絵には、淡い裂。

濃い絵には、落ち着いた裂。

そして、掛ける場所や季節でも変える。

つまり、表装は着替えのようなものだ。

傷めば、仕立て直すこともある。

だから、いまの表装が当初のものとは限らない。

館の記録も、そこまでは書かない。

作者の欄に、二つの名が並ぶ

館の作者の欄には、しばしば二つの名が入る。

号と、括弧に入れた本名である。

九点のうち三点が、そうなっている。

なぜ両方書くのか。

号だけでは、同じ人と分からないことがあるからだ。

別の号で知られている場合もある。

本名を添えれば、まとめられる。

前の回で、仮の名で呼ぶ話をした。

こちらは、名が多すぎる場合の対処である。

虎
岸駒《虎》1790年。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。縦98.4センチ、横34.9センチ。年の欄には、日付ありと記される。番号は14.76.21。メトロポリタン美術館蔵。岸駒《虎》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

軸ごと、壁に掛けられた状態で写される。

上下に、淡い色の表装が伸びる。

中央の画面に、虎が一頭いる。

体を左へ向け、顔をこちらへ回す。

目は大きく、瞳が丸い。

口を開き、牙が見える。

体は黄褐色で、黒い縞が入る。

毛は、細い線で一本ずつ描かれる。

前脚を前へ出し、身をかがめる。

背景は、何も描かれない。

軸ごと写した、写真

九点のうち一点は、掛けた状態で写されている。

上下の軸まで、全部が写る。

普通、館の写真は画面だけを写す。

掛けた姿を写すのは、珍しい。

その一枚から、掛軸という物の姿が分かる。

上に細い棒、下に太い軸。

そして、左右に垂れる紐。

寸法の欄の数字が、そこで実感になる。

写真の撮り方も、記録の一部である。

虎を、見ずに描く

この画家は、虎の絵で知られた。

ただし、当時この国に虎はいなかった。

だから、見て描いたわけではない。

毛皮や、輸入された絵を参考にしたのだろう。

顔つきが猫に似ると言われることがある。

見ていないのだから、無理もない。

館の記録は、そういうことは書かない。

書かれるのは、題と年と技法と寸法である。

活動時期を、どう決めるか

生没年が分からないとき、活動時期を書く。

いつからいつまで活動、という書き方だ。

その根拠は、作品に書かれた年である。

いちばん古い年と、いちばん新しい年。

その幅が、活動時期になる。

もちろん、実際にはもっと長く働いただろう。

しかし、確かめられるのはその幅だけである。

前の回で、日付ありという語の意味を見た。

年の記録が、生没年の欄にまで影響している。

生没年に、疑問符が付く

九点のうち一点は、作者の欄が変わっている。

生年と没年の両方に、疑問符が付く。

正しくは、生年のあとに一つ。

没年の前に一つ。

つまり、どちらも確かでない。

こういう画家は、少なくない。

記録が残っていないからだ。

作品に書かれた年から、活動時期を推し量る。

前の回で、疑問符の使い分けを見た。

生没年の欄でも、同じ記号が働いている。

桐の下の雉
サイエン・ホウサイ《桐の下の雉》18世紀。館の記録では、掛軸、紙に墨。縦97.8センチ、横30.9センチ。作者の欄の生年と没年には、疑問符が付く。番号は1975.268.86。メトロポリタン美術館蔵。サイエン・ホウサイ《桐の下の雉》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

左右に、褐色の表装が伸びる。

画面の上のほうに、桐の葉が広がる。

葉は大きく、墨で塗られる。

その下に、細い枝が垂れる。

中ほどに、雉が一羽立つ。

長い尾が、右下へ伸びる。

首を上げ、上を見る。

足もとに、岩がある。

下のほうに、細い草が生える。

右下に、署名と印がある。

花鳥という、主題

九点のうち四点は、花と鳥を描く。

これは、当時とりわけ多い主題だった。

季節を示せる。

色が美しい。

そして、縁起がよいとされた。

掛け替えの利く主題でもある。

春には梅、夏には蓮、秋には菊。

季節ごとに掛け替える。

だから、家に何本もあってよい。

数が作られれば、残る数も多くなる。

墨だけで、鳥を描く

いま見た一点は、彩色がない。

雉は、色の美しい鳥である。

それを、墨だけで描く。

羽根の模様を、線と点で表す。

濃淡だけで、質感を出す。

これは、あえての選択だろう。

色を使えば、簡単に美しくなる。

使わなければ、技術が要る。

館の技法の欄が、そこを示す。

紙に墨、と書かれるだけである。

雪中の椿に鳥
宋紫石《雪中の椿に鳥》18世紀なかば。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。画面は縦99.1センチ、横28.6センチ。表装を含めると縦174.6センチ、横43.2センチ。番号は1975.268.84。メトロポリタン美術館蔵。宋紫石《雪中の椿に鳥》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

左右に、灰色の表装が伸びる。

画面の上のほうに、細い枝が広がる。

枝に、桃色の小花が咲く。

その下に、鳥が一羽止まる。

体は黄色く、頭が丸い。

嘴は短く、こちらを向く。

中ほどから下に、椿の枝が茂る。

葉は緑で、厚みがある。

花は赤く、大きく開く。

枝の上に、白い雪が積もる。

寸法が近いということ

同じ画家の二点の寸法を比べる。

一点は縦99.1センチ、横28.6センチ。

一点は縦104センチ、横34.7センチ。

近いが、同じではない。

つまり、対として作られたのではないだろう。

対なら、寸法を揃える。

別々に注文され、たまたま似た大きさになった。

前の回で、寸法の一致が対を示す話をした。

一致しないことも、同じくらい情報である。

同じ人の、二点

九点のうち二点は、同じ画家の作である。

どちらも、花と鳥を描く。

そして、どちらも細長い掛軸だ。

寸法も近い。

つまり、同じ型で作られている。

対にして掛けることもできる大きさである。

前の回で、対の作品の話をした。

こちらは、対と記録されてはいない。

しかし、並べれば揃って見える。

花鳥
宋紫石《花鳥》18世紀。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。画面は縦104センチ、横34.7センチ。表装を含めると縦186.8センチ、横47.8センチ。番号は1985.243。メトロポリタン美術館蔵。宋紫石《花鳥》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

左右に、青緑の表装が伸びる。

画面の上のほうに、細い枝が伸びる。

枝に、小さな白い花が咲く。

その枝に、鳥が二羽止まる。

一羽は上を向き、一羽は下を向く。

体は青と褐色である。

尾が長く、下へ伸びる。

中ほどに、白い花が大きく開く。

葉は緑で、切れ込みが深い。

下のほうに、岩と草がある。

新しい様式が、名を変える

十八世紀のなかば、中国から新しい絵が入った。

写生を重んじ、色を細かく重ねる描き方である。

学んだ人は、その様式で描いた。

そして、名前まで寄せた。

号を中国風にすることで、立場を示す。

つまり、名前が看板になっている。

前の回で、署名の型が古い時代を意識する例を見た。

ここでは、名前そのものが選択になっている。

中国風の名を、名乗る

この画家の号は、中国風である。

姓にあたる一文字と、二文字の名。

当時、中国から入った絵の様式が流行した。

それを学んだ人は、中国風の号を使うことがあった。

つまり、名前が様式の宣言になっている。

館の作者の欄には、その号だけが入る。

本名は、括弧にも入っていない。

号のほうが通りがよかったからだろう。

寺という、学びの場

当時の寺は、絵の学び場でもあった。

書物が集まり、人が集まる。

中国から来た僧が、新しい様式を伝える。

それを、周りの人が学ぶ。

僧でない人も、寺に通って学んだ。

つまり、寺が学校の役目を果たしていた。

九点の作者のうち二人が僧であるのは、偶然ではない。

館の記録は、そこまでは書かない。

書かれるのは、名と生没年だけである。

僧が、絵を描く

九点のうち二点は、僧である。

一点は、号のあとに括弧で僧としての名が入る。

もう一点は、寺の名を号にしている。

当時、絵をよくする僧は珍しくなかった。

寺は、学問と芸術の場でもあった。

そして、中国から来た僧が新しい様式を伝えた。

その影響を受けた人が、絵を描く。

九点のうち何点かは、その流れの中にある。

蘭
鶴亭《蘭》18世紀なかば。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。縦74.3センチ、横36.8センチ。番号は36.100.34。メトロポリタン美術館蔵。鶴亭《蘭》メトロポリタン美術館蔵

縦長の掛軸である。

周囲に、緑と金の細かい模様の表装が回る。

画面の中央に、蘭の株が立つ。

葉は細長く、弧を描いて垂れる。

一枚ずつ、墨の線で引かれる。

線の太さが、途中で変わる。

葉のあいだに、白い花が咲く。

花は小さく、五弁に開く。

茎は細く、まっすぐ立つ。

根もとには、何も描かれない。

右下に、署名と印が縦に並ぶ。

蘭を、線で描く

蘭は、線の練習として描かれた。

葉を一筆で引く。

途中で太さを変え、先を細くする。

一本の線に、始まりと終わりがある。

書の一画と、同じ考え方である。

前の回で、書と絵が近い話をした。

蘭や竹は、その最も近いところにある。

だから、書をよくする人が好んで描いた。

唐獅子
横谷宗珉《唐獅子》18世紀初め。館の記録では、掛軸、紙に墨。画面は縦68.9センチ、横20.6センチ。表装を含めると縦153.7センチ、横32.9センチ。番号は36.100.73。メトロポリタン美術館蔵。横谷宗珉《唐獅子》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

周囲に、灰色の細かい模様の表装が回る。

画面の中央に、獅子が一頭いる。

体を丸め、こちらを向く。

顔は大きく、目が丸い。

鼻がつぶれ、口を開く。

たてがみが、渦を巻いて広がる。

前脚を揃え、後脚を折る。

尾は、体の後ろで巻き上がる。

墨の線だけで描かれる。

右下に、小さな署名がある。

彫ると、描く

金属を彫る仕事と、紙に描く仕事。

道具は違うが、線を引く点は同じである。

彫刻刀で、細い線を刻む。

筆で、細い線を引く。

どちらも、手の速さと圧の加減が要る。

だから、両方できる人がいる。

前の回で、看板書きと絵描きの話をした。

同じことが、こちらでも起きている。

技術は、分野を越えて使われる。

金工の人が、絵を描く

この一点の作者は、金工で知られた人である。

刀の装具に彫刻を施す仕事だ。

前の回で、鐔や小柄の作り手を見た。

その世界の人物である。

彫る仕事と、描く仕事は近い。

どちらも、線で形を作る。

だから、両方をこなす人がいる。

館の作者の欄には、そこまで書かれない。

書かれるのは、名と生没年だけである。

山水
曾我蕭白《山水》1761年から1763年ごろ。館の記録では、掛軸、絹に墨と彩色。画面は縦45.7センチ、横63.5センチ。表装を含めると縦138.4センチ、横75.2センチ。番号は36.100.66。メトロポリタン美術館蔵。曾我蕭白《山水》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

地は、黄緑を帯びた絹である。

中央に、大きな山が横たわる。

山肌は、濃い墨で塗られる。

輪郭は丸く、こぶのように重なる。

その手前に、木立が茂る。

葉は、点を重ねて描かれる。

右下に、小さな家が並ぶ。

屋根が、低く連なる。

左奥に、細い峰が霞む。

右上に、署名と印がある。

もとの形を、想像する

横長の画面は、もとが別の物だった可能性がある。

襖の一枚。

屏風の一扇。

あるいは、画帖の一葉。

それを切り離し、掛軸に仕立て直す。

こういうことは、実際によく行われた。

前の回で、家具が絵画になる例を見た。

同じことが、絵の中でも起きる。

館の記録は、いまの形だけを書く。

過去の形は、寸法の比率が示唆するだけである。

横長の掛軸

いま見た一点は、横長である。

掛軸としては、珍しい形だ。

多くの掛軸は、縦長である。

横長にすると、床の間に収まりにくい。

それでも作られたのは、注文があったからだろう。

あるいは、もとは別の形だったのかもしれない。

襖や屏風の一部だった可能性もある。

館の記録は、そこまでは書かない。

書かれるのは、いまの形だけである。

秋の景色
日高鉄翁《秋の景色》1862年。館の記録では、掛軸、繻子に墨。縦115.5センチ、横52.4センチ。番号は1975.268.110。メトロポリタン美術館蔵。日高鉄翁《秋の景色》メトロポリタン美術館蔵

縦長の掛軸である。

左右に、青緑の表装が伸びる。

画面の下のほうに、木立が茂る。

葉は、細かい点で描かれる。

その中に、小さな家が見える。

中ほどに、川が横に流れる。

上のほうに、丸い山が積み上がる。

山肌は、短い線で埋まる。

さらに上に、遠い峰が薄く見える。

右上に、文字が数行入る。

その下に、赤い印が押される。

繻子に、描く

この一点の地は、繻子である。

光沢のある絹の織物だ。

前の回で、書に使われる例を見た。

こちらは、絵に使われている。

繻子は、墨を弾きやすい。

だから、滲みが出にくい。

その代わり、線がはっきり残る。

材料の選択が、画面の調子を決めている。

館の技法の欄が、それを一語で示す。

筍
蜀山人《筍》1820年。館の記録では、掛軸、絹に墨。縦96.8センチ、横33.8センチ。番号は1975.268.134。メトロポリタン美術館蔵。蜀山人《筍》メトロポリタン美術館蔵

細長い掛軸である。

上下に、褐色の表装が伸びる。

画面の上半分に、文字が並ぶ。

崩した仮名が、右から左へ流れる。

行の長さは、揃っていない。

下のほうに、筍が二本描かれる。

先が尖り、皮が重なる。

墨の線だけで、簡素に描かれる。

その脇に、細い草が伸びる。

余白は、下に広い。

左下に、小さな署名がある。

歌を書く人が、絵も描く

この一点の作者は、狂歌で知られた人である。

前の回で、狂歌の本を見た。

その世界の中心にいた人物だ。

そして、絵も描いた。

正しくは、歌を書き、その脇に絵を添えた。

つまり、主は文字である。

館の役の欄は、画家となっている。

しかし、画面を見れば文字が主だと分かる。

落款の位置を、まとめておく

九点の落款の位置を並べる。

右下が四点。

左下が二点。

右上が二点。

左上が一点。

つまり、下の隅が多い。

前の回で、西洋の署名も下辺に集まると書いた。

同じ傾向が、ここにもある。

理由は、たぶん同じだろう。

見終わったときに、目が行く場所である。

署名の下に、必ず印がある

九点とも、署名の下に印がある。

これは、決まりに近い。

署名だけでは、足りないと考えられていた。

印は、彫って作るものだ。

だから、その場では作れない。

つまり、あらかじめ用意した道具である。

用意した道具で押すことが、正式さを示す。

前の回で、印が複製の道具だと書いた。

同じ形が繰り返されることが、信用になる。

号を読むには、慣れが要る

落款の文字は、崩して書かれることが多い。

しかも、号は普通の言葉ではない。

だから、読むのが難しい。

慣れた人は、形で覚えている。

この画家の落款は、この形だ、と。

つまり、読むというより見分けている。

前の回で、組み合わせ文字の読み方を書いた。

やっていることは、近い。

文字を図形として扱う。

記録が、号を採る

館の作者の欄は、号を主として書く。

本名は、括弧に入れて添える。

これは、通りのよさで決めているのだろう。

作品に書かれているのは、号だからだ。

作品を手がかりに探す人は、号で探す。

だから、号を前に出す。

前の回で、書かれた文字が題を決める例を見た。

作者の欄も、書かれた文字に従っている。

記録は、現物に寄せて作られている。

落款が、絵の終わりを示す

落款は、たいてい最後に書かれる。

絵を描き終え、乾かし、署名する。

そして、印を押す。

つまり、落款は完成の宣言である。

これで終わりだ、と本人が決める。

前の回で、署名が最後の一筆だと書いた。

こちらでは、それがもっとはっきりしている。

印を押すという、区切りの動作が入る。

押した瞬間に、作品になる。

印を押す位置が、決まっている

印は、署名のすぐ下に押される。

離れすぎると、別のものに見える。

近すぎると、文字にかぶる。

指一本ぶんほどの間を空ける。

そして、署名の行と中心を揃える。

こうすると、一組として見える。

九点とも、その作法が守られている。

決まりが書かれているわけではない。

見て覚え、真似て身につける。

そういう伝わり方をしてきた作法である。

記録に残らないものを、見る

九点の欄には、印のことが書かれない。

号の由来も書かれない。

表装の裂の名も書かれない。

つまり、書かれないことのほうが多い。

それでも、画像を見れば分かることがある。

赤い印の位置。

表装の色。

署名の大きさ。

記録は、入口である。

入ってから先は、自分の目で見ることになる。

九点の年を、並べておく

九点の年を、順に並べる。

18世紀初め。18世紀なかばが二点。18世紀。

1761年から1763年ごろ。1790年。1820年。1862年。

そして、年の欄に幅だけが入る一点。

つまり、九点とも十八世紀から十九世紀にかかる。

このうち、日付ありと書かれるのは一点だけである。

残りの八点は、様式や来歴から推し量られた年だ。

前の回で見た中国の絵とは、比率が逆になっている。

款記に年を書く習慣の差が、そこに出ているのだろう。

もっとも、九点だけで言えることではない。

ARTWORKSこの記事で紹介した作品

RELATEDあわせて読みたい

美術史・技法の記事一覧
  • 美術史・技法

    印象派とは何か——特徴・代表画家・作品の見方をやさしく解説

    印象派とは何かを、特徴・代表画家・見方の順にやさしく解説します。モネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、カイユボットの実作六点を、当サイトが公開しているCC0の図版と所蔵館の記録から読みます。影の色をどう見るか、という一点からの入り方も示します。

  • 美術史・技法

    形の名前は、用途の名前——古代ギリシャの壺

    ヒュドリア、クラテル、キュリクス。呪文のようなカタカナの名前は、実はそのまま使い方の名前である。水汲み、宴会、化粧道具。シカゴ美術館の九つの壺の形と把手を読むだけで、二千五百年前の暮らしの一日が家の中まで見えてくる。

  • 美術史・技法

    色を、塗らずに入れる——ルイス・C・ティファニーのガラス

    ティファニーのガラスは、模様を塗っていない。色は素材の内側にあり、熔けたガラスを動かした痕跡が葉や羽根の形になる。値札が残る底、工数を書き込んだ図案、白黒写真しか残らない八点。自然を写すという言葉の中身を十点から考える。