名画の楽しみ方

後の手が、書き足した文字——ペルジーノ、ギルバート・スチュアートほか九点

後の手による。知られていない手による。九点の欄には、この言い方が並ぶ。書き足されたのは名、称号、生没年、そして家族の名である。忘れられてしまう前に誰かが書いた文字を、館はいまも消さずに残している。その筆跡もまた記録である。

男性の肖像
ハンス・レオンハルト・シェイフェライン《男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

後の手が、書き足す

絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。

九点とも、欄に同じ言い方がある。

後の手による、という語だ。

あるいは、知られていない手による、と書かれる。

つまり、描いた人が書いた文字ではない。

あとから、別の誰かが書き加えた。

館は、そう判断している。

前の回で見た偽りの署名とは、少し違う。

偽りと言い切ってはいない。

書いた人が違う、と言っているだけである。

三つの言い方を、分けて使う

館の欄には、似た言い方が三つある。

偽って書かれた。

後の手による。

知られていない手による。

一つ目は、判断を含む。

名が本物ではない、と言っている。

二つ目は、時期の話である。

描いたときより後だ、と言っている。

三つ目は、書いた人が誰か分からない、という意味だ。

三つは重なることもあり、重ならないこともある。

九点の欄には、二つ目と三つ目が現れる。

何を書き足すのか

書き足される内容には、傾向がある。

九点を並べると、はっきりする。

人物の名。

人物の称号や役職。

生まれた年と、亡くなった年。

家族の名。

そして、画家の名。

つまり、絵に描かれていない情報である。

顔だけ見ても分からないことが、書き足される。

書き足しの時期を、どう決めるか

後の手かどうかは、どう判断するのか。

いくつか手がかりがある。

まず、絵具の層である。

古い絵具の上に乗っていれば、後年だ。

次に、文字の形である。

書体は、時代とともに変わる。

十七世紀の書き方と、十九世紀の書き方は違う。

さらに、内容も手がかりになる。

亡くなった年が書いてあれば、死後である。

裏打ちの布に書いてあれば、裏打ちのあとだ。

こうした手がかりを重ねて、館は判断する。

判断の過程は、欄には書かれない。

書かれるのは、後の手による、の一言だけだ。

分からなくなる前に、書く

なぜ書き足すのか。

理由は、たぶん一つである。

忘れられるからだ。

絵が描かれたとき、誰の肖像かは皆が知っている。

書く必要がない。

ところが、二代、三代と過ぎる。

家の者でも、分からなくなる。

そこで、まだ知っている人が書く。

これは誰それである、と。

書き足しは、記憶が薄れる時期に起きる。

男性の肖像
ハンス・レオンハルト・シェイフェライン《男性の肖像》1507年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦45.4センチ、横35.6センチ。銘記の欄には、左上に組み合わせ文字、右上に年があり、いずれもおそらく後の手によるとある。番号は1937.1.66。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ハンス・レオンハルト・シェイフェライン《男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、こちらを向いて描かれる。

長い金褐色の髪が、肩に垂れる。

頭に、平たい黒い帽子をかぶる。

目は大きく、まっすぐこちらを見る。

顔は面長で、頬がこけている。

肩に、白い毛皮の襟が広がる。

その下は、暗い色の上着である。

背景は黒に近い褐色で、平らだ。

輪郭が、はっきり浮き上がる。

画面の左上と右上に、小さな文字がある。

左は組み合わせた形、右は数字である。

おそらく、という留保が付く

この一点の欄には、おそらく、が付く。

おそらく後の手による、と書かれている。

つまり、断定していない。

なぜ断定できないのか。

絵具の層が近い場合、区別が難しいからだ。

同じ時期に見えるが、確証がない。

そういうとき、館は留保を付ける。

留保は、弱さではない。

分かっていないことを、分かっていないと書く強さである。

裏の地塗りに、名を書く

九点のうち一点は、裏に文字がある。

板の裏に塗られた、白い下地の上である。

その上に、画家の名が書かれている。

ただし、後の手によるとされる。

書かれた名は、有名な画家のものだ。

館の作者の欄は、その画家またはその追随者、となっている。

つまり、本人かどうか決まっていない。

裏の名は、決め手にならない。

後から書かれたものだからである。

ホロフェルネスの首を持つユディト
アンドレア・マンテーニャまたはその追随者《ホロフェルネスの首を持つユディト》1495年から1500年ごろ。館の記録では、ポプラの板にテンペラ。縦30.2センチ、横17.9センチ。銘記の欄には、裏の地塗りの上に、後の手で名が書かれているとある。番号は1942.9.42。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アンドレア・マンテーニャまたはその追随者《ホロフェルネスの首を持つユディト》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

細長い縦の板である。

中央に、青い衣の女性が立つ。

顔を横に向け、目を伏せる。

右手に、細長い剣を垂らす。

左手で、袋の口を押さえる。

その左に、小さな人物が立つ。

黄と赤の衣を着て、袋を持つ。

二人の背後に、桃色の天幕が開く。

天幕は左右に括られ、房が下がる。

奥に、寝台の脚が見える。

床は、灰色の石を敷き詰めた面である。

表に書かなかった理由

なぜ、裏に書くのか。

表に書けば、すぐ読める。

それでも裏を選ぶ人がいる。

理由は、絵を傷つけたくないからだろう。

表に文字を入れれば、画面が変わる。

小さくても、見え方に響く。

裏なら、何を書いても絵は変わらない。

そのかわり、額を外さないと読めない。

読まれにくいことを承知で、裏を選ぶ。

そこには、絵への敬意のようなものがある。

九点のうち三点が、裏に書かれている。

板の裏は、書きやすい場所

裏に書く例は、思うより多い。

理由は簡単で、表を汚さずに済むからだ。

板の裏は、地塗りをしただけの平らな面である。

墨でも、絵具でも、よく乗る。

そして、額に入れれば見えなくなる。

見えないから、書き方も丁寧でない。

走り書きに近いことが多い。

館は、裏の文字も表と同じ欄に書く。

位置に、裏、と付けるだけである。

下の縁に、称号を並べる

九点のうち一点は、画面の下に横一列の文字がある。

書かれているのは、人物の名と称号だ。

どこの司教である、という肩書きが続く。

これも後の手によるとされる。

つまり、描かれたときには書かれていなかった。

肖像が誰のものか、示す必要が生じたのだろう。

もとの絵には、それを示す物がない。

紋章も、持ち物もない。

だから、文字で補った。

アルトベッロ・アヴェロルド司教
フランチェスコ・フランチャ《アルトベッロ・アヴェロルド司教》1505年ごろ。館の記録では、ポプラの板に油彩。縦53.7センチ、横41.9センチ。銘記の欄には、下の縁に沿って、後の手で名と称号が書かれているとある。番号は1952.5.64。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フランチェスコ・フランチャ《アルトベッロ・アヴェロルド司教》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、胸から上で描かれる。

黒い平たい帽子をかぶる。

髪は短く、耳が出る。

顔はこちらを向き、口を結ぶ。

赤い外衣を、肩から羽織る。

内側は白い衣である。

左手を胸に当てる。

指がはっきり描かれる。

背景は、緑の野と青い山である。

川が細く曲がり、遠くに町が見える。

画面のいちばん下に、横一列の文字が並ぶ。

名を書くことと、題を決めること

書き足された名は、しばしば題になる。

館は、描かれた人の名を題に使う。

その名が分かるのは、書き足しのおかげである。

九点のうち五点は、人物の名が題に入っている。

そのうち三点は、書き足しから分かった名だ。

つまり、後の手が題を決めている。

三百年前の誰かの走り書きが、いまの題になる。

もし書かれていなければ、題は違っていた。

男性の肖像、女性の肖像。

そう呼ばれていただろう。

九点のうち二点は、実際にそう呼ばれている。

十字の印で、語を区切る

この一列には、語と語のあいだに印がある。

小さな十字である。

点の代わりに使われている。

聖職者の肖像だから、十字を選んだのだろう。

ただし、これは推し量りである。

館は、印の形をそのまま写すだけだ。

十字と書く。

なぜ十字かは、書かない。

読む側が考えることにしている。

来歴を、全部書き込む

九点のうち一点は、書かれた量がいちばん多い。

右上に、四行の文字が並ぶ。

人物の名。

住んでいた土地。

授かった位。

生まれた年と、亡くなった年。

そして、誰が何年に描いたか。

つまり、この絵についての情報が全部ある。

いま館が欄に書くことと、ほとんど同じだ。

書いたのは、後の手である。

亡くなった年まで書いてあるから、死後に書かれた。

サー・ジョン・ディック
ギルバート・スチュアート《サー・ジョン・ディック》1783年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦91.5センチ、横71.1センチ。銘記の欄には、右上に後の手で名と土地と位、生没年、画家の名と年が四行で書かれているとある。番号は1954.1.10。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ギルバート・スチュアート《サー・ジョン・ディック》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、椅子に座って左を向く。

白い巻き毛の鬘をかぶる。

濃紺の上着に、金の飾り紐が並ぶ。

胸に、赤い帯を斜めに掛ける。

帯の上に、星形の勲章が付く。

首から、丸い飾りが下がる。

両手で、書類を広げて持つ。

書類には、細かい線が引かれる。

背後の左に、太い柱がある。

右は暗く沈む。

右上に、細かい文字が四行入る。

一年のずれを、どう扱うか

後の手が書いた年が、館の年と一年違う。

こういう小さなずれは、よくある。

数えの違いかもしれない。

新しい暦と古い暦の違いかもしれない。

単なる記憶違いかもしれない。

館は、どちらかを消したりしない。

年の欄には、資料に基づく年を入れる。

銘記の欄には、書かれた年をそのまま写す。

両方が並べば、読む人がずれに気づく。

気づけば、調べ直せる。

消してしまえば、気づく機会も消える。

書かれた年と、館の年が違う

この四行には、画家の名と年が書かれている。

年は1782年である。

ところが、館の年の欄は1783年だ。

一年ずれている。

後の手が書いたものだから、記憶違いかもしれない。

館は、別の資料から1783年と判断したのだろう。

どちらが正しいかは、欄には書かれない。

ただ、二つの年が並んで残る。

食い違いを消さずに置くのが、記録の作法である。

娘である、と書く

九点のうち一点は、裏に説明が書かれる。

女性の名と、誰の娘であるかが記される。

父親の名と、その敬称まで入る。

つまり、家の中での位置を書いている。

十八世紀の肖像では、これが重要だった。

誰の妻で、誰の娘か。

その情報が、絵の意味を決める。

表には、画家の署名だけがある。

裏には、人物の素性がある。

二つは、別々の人が書いた。

エフィンガム伯爵夫人エリザベス
ベンジャミン・ウエスト《エフィンガム伯爵夫人エリザベス》1797年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦127センチ、横101.9センチ。銘記の欄には、右下に画家の名、裏の布に後の手で人物の名と父の名が書かれているとある。番号は1947.17.101。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベンジャミン・ウエスト《エフィンガム伯爵夫人エリザベス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が、身体を左に向けて立つ。

白い衣を着て、赤い布を肩から掛ける。

赤い布は大きく広がり、床まで届く。

袖は白く、ふくらむ。

胸元に、金の刺繍が入る。

髪は栗色で、頭の上に結い上げる。

首に、細い紐を掛ける。

左手で、赤い布の端を握る。

右手を胸の前に置く。

背後の左に、青い空と雲が見える。

右に、暗い赤の布が垂れる。

五人の名が、一枚に収まる

家族の肖像は、人数が多い。

誰がどの人かは、外からは分からない。

そこで、並び順に名を書くことがある。

左から順に、名を挙げる。

さらに、続柄まで添える。

二番目の妻である、と書く。

最初の結婚の一人娘である、と書く。

言い方が細かいのは、家の事情があるからだ。

血のつながりと、そうでないつながりを分けている。

こうした情報は、絵からは読めない。

書かれなければ、消えている。

裏打ちの布に、家族の名

九点のうち一点は、裏打ちの布に文字がある。

裏打ちとは、傷んだ布の裏に新しい布を貼ることだ。

だから、この文字はもとの絵より新しい。

書かれているのは、家族全員の名である。

医師の名、妻の名、二番目の妻であること。

子の名、そして最初の結婚の一人娘であること。

住んでいた町の名と、おおよその年まで入る。

一枚の絵に写った五人が、全部特定されている。

裏打ちのときに、分かる人が書いたのだろう。

ジョン・サフォード医師と家族
ルーベン・ローリーに帰属《ジョン・サフォード医師と家族》1830年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦60.3センチ、横75.6センチ。銘記の欄には、裏打ちの布に後の手で五人の名と町の名と年が書かれているとある。番号は1980.62.46。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルーベン・ローリーに帰属《ジョン・サフォード医師と家族》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、五人が横に並ぶ。

左端の男性は、濃紺の上着に淡黄の袴。

その右の女性は、黒い服に白い帽子。

中央に、黄褐色の服の子供が立つ。

手に、帽子を持つ。

右の二人は、白い服の若い女性である。

一人は日傘を持つ。

足もとは緑の草地である。

背後に、太い木が並ぶ。

木々のあいだから、明るい空が見える。

丸太の上に、別の画家の名

九点のうち一点は、場面の中の物に文字がある。

左下の丸太の上だ。

そこに、別の画家の名が後の手で書かれている。

同じ絵の右のほうには、頭文字が一つある。

館は、そちらを画家の署名と見る。

つまり、この絵にも二種類の文字が同居する。

一つは本人のもの。

一つは、後から足されたものだ。

足された名は、当時よく売れた画家の名である。

立つ男女のいる酒場の場面
ヤン・ヤンス・ファン・ビューセム《立つ男女のいる酒場の場面》1653年かそれ以降。館の記録では、板に油彩。縦47センチ、横64.8センチ。銘記の欄には、右の卓の下に頭文字、左下の丸太の上に後の手で別の名が書かれているとある。番号は2025.11.4。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ヤンス・ファン・ビューセム《立つ男女のいる酒場の場面》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、薄暗い室内が広がる。

左に、卓を囲んで人が座る。

窓から、光が斜めに入る。

中央に、男女が立つ。

女性は白い頭巾をかぶり、赤い前掛けを締める。

男性は帽子をかぶり、身をかがめる。

右に、大きな樽と壺が並ぶ。

手前の床に、桶と籠が転がる。

籠に、白い野菜が積まれる。

床は土で、藁が散る。

左下に、太い丸太が横たわる。

二度移された板

この一点の技法の欄は、変わっている。

板に描かれ、いったんカンヴァスへ移された。

そのあと、さらに木へ移されている。

二度の移し替えを受けている。

そのたびに、絵具の層は薄くなる。

裏に何か書いてあっても、二度目には残らない。

表の文字が残っているのは、幸運である。

欄干の中央という、目立つ場所だったからだろう。

見えていれば、作業のときに気を遣う。

見えないものは、気づかれずに失われる。

欄干に、有名な名を書く

九点のうち一点は、欄干に名が書かれる。

十五世紀のヴェネツィアの画家の名である。

館の作者の欄は、その画家の追随者、となっている。

つまり、本人ではない。

書いた人が誰かは分からない。

だから欄には、知られていない手による、とある。

偽って、とは書かれていない。

書いた人の意図が分からないからだろう。

信じて書いたのかもしれない。

聖母子と諸聖人
ジョヴァンニ・ベッリーニの追随者《聖母子と諸聖人》1490年から1500年ごろ。館の記録では、板に油彩、カンヴァスを経て木へ移された。縦58.1センチ、横77.2センチ。銘記の欄には、下の中央の欄干に、知られていない手で名が書かれているとある。番号は1943.4.37。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョヴァンニ・ベッリーニの追随者《聖母子と諸聖人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面の中央に、女性が立つ。

赤い衣に、青い布を頭から掛ける。

頭の後ろに、細い金の輪がある。

その前に、裸の幼児が立つ。

幼児は台の上に足を置く。

左に、白い髭の老人が見える。

右に、頭を布で覆った人物が並ぶ。

いずれも胸から上だけである。

背景は暗く、平らである。

手前に、灰色の欄干が横に走る。

欄干の中央に、小さな文字がある。

少年の頭の上に、称号

最後の一点は、頭の上に文字がある。

黒い絵具で、短く書かれている。

名の一部と、第四代の侯である、という称号だ。

書いたのは、知られていない手である。

肖像は横顔で、少年が描かれる。

顔だけでは、誰か分からない。

だから、名と称号が足された。

いま、この絵の題はその称号を使っている。

つまり、後の手の文字が題を決めた。

マントヴァ第四代侯フランチェスコ2世ゴンザーガ
バルダッサーレ・デステ《マントヴァ第四代侯フランチェスコ2世ゴンザーガ》1474年から1480年ごろ。館の記録では、ポプラの板にテンペラ。縦25.7センチ、横17.9センチ。銘記の欄には、頭の上に黒い絵具で、知られていない手により名と称号が書かれているとある。番号は1943.4.41。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。バルダッサーレ・デステ《マントヴァ第四代侯フランチェスコ2世ゴンザーガ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな縦長の板である。

少年の横顔が、左を向いて描かれる。

髪は褐色で、耳の下で切りそろえられる。

頭に、褐色の丸い帽子をかぶる。

鼻筋がまっすぐで、唇が薄い。

首は細く、肩がわずかに見える。

衣は暗い色で、金の刺繍が光る。

背景は濃い青である。

平らに塗られ、影がない。

輪郭が、青の上にはっきり出る。

頭のすぐ上に、小さな文字がある。

九点の場所を、数えておく

書き足しの位置を、まとめておく。

裏が三点。

画面の上のほうが三点。

画面の下の縁が二点。

場面の中の物の上が一点。

つまり、表と裏がおよそ半々である。

表に書くときは、隅か縁を選ぶ。

顔や手には、まず書かない。

大事な部分を避けている。

避けているということは、絵を見ている。

書き足した人は、絵を大切に思っていた。

位置の選び方に、それが出ている。

後の手は、絵に何をしたか

九点を並べて、共通することがある。

書き足しは、どれも情報を増やしている。

誰か、いつか、どこの人か。

絵が語らないことを、文字が語る。

その意味では、親切な行いである。

同時に、危うくもある。

書いた人が間違えれば、間違いが残る。

そして、後の人はそれを信じる。

九点のうち何点かは、実際に混乱の原因になった。

書かれた名と、館の判断が食い違っている。

それでも、消さない

前の回と同じ結論になる。

館は、後の手の文字も消さない。

そのまま残し、後の手によると書く。

書き足しもまた、その絵の歴史の一部だからだ。

誰かが、この絵を大事に思った。

分からなくなるのを惜しんだ。

だから書いた。

その手つきは、絵と一緒に伝わってきた。

正しいか間違っているかとは、別の価値である。

記録は、二重になる

いま、館の欄には二種類の文字がある。

絵に書かれた文字。

そして、それについての館の判断。

後の手による、という一言がそれだ。

つまり、記録の上にもう一層の記録が乗っている。

三百年前の誰かが書いた。

百年前の誰かが、それを後の手と判断した。

いま私たちが、その両方を読んでいる。

三つの時間が、一つの欄に重なっている。

RELATEDあわせて読みたい

名画の楽しみ方の記事一覧