娘を、十六年ぶん描く——アリス・パイク・バーニー
九点の題には、ナタリーとローラという二つの名しか出てこない。いずれもこの画家の娘である。七歳の姿から、二十歳を過ぎた姿まで。題に年齢が入るので、並べれば年表になる。母が描いた十六年を追いたい。額ごと撮られた一点にも触れておきたい。

題に、名が繰り返される
九点の題を並べると、二つの名しか出てこない。
ナタリーが五点、ローラが四点である。ほかの人物は出てこない。
いずれも、この画家の娘である。姉と妹を、繰り返し描いている。
年を並べると、1883年から1899年まで及ぶ。十六年ぶんの記録になる。
一人の画家が、身近な二人だけをこれだけ描いた例は多くない。
当サイトが公開しているこの画家の作品は五十点を超える。人物画が大半である。
そのなかで、名前の分かる人物として最も多く出てくるのが、この二人である。
九点はその一部にすぎない。ただし、年の幅は十分に広い。
誰が題を付けたか
題に年齢が入るとき、誰が入れたのかという問題が出てくる。
画家自身が付けたのか、家族が付けたのか、館が付けたのか。
九点の記録には、その別が書かれていない。題だけが残る。
年齢は、あとから数えても分かる。生年が分かっていれば計算できる。
だから、館があとで補った可能性も残る。ここでは断定しないでおく。
年齢が、題に入る
九点の題には、年齢や年号が入るものがある。
七歳のナタリー。十五歳のローラ。十六歳のローラ。そして年号だけの題もある。
つまり、いつの姿かが題に書かれている。人物の名だけでは終わらない。
肖像の題に年齢が入るのは、成長を記録する意図があったからだと考えられる。
館の記録も、それをそのまま残している。題を並べれば、年表になる。
もっとも、年齢が入るのは四点だけである。残りは名と持ち物で題ができている。
持ち物が題に入るのは、毛皮の外套、首飾り、ヴァイオリン、聖務日課書である。
つまり題の作り方は二通りある。年齢を書くか、持ち物を書くかである。
同じ人物を何度も描くとき、題は区別のために働く。名だけでは足りない。
五点と、四点
九点の内訳をもう少し細かく見ておきたい。
姉を描いた五点は、1883年、1890年、1897年、1900年ごろ、そして年不詳である。
妹を描いた四点は、1893年、1894年、1896年、1899年である。
妹のほうが、間隔が詰まっている。三年のあいだに三点ある。
同じ時期に、片方を集中して描いていたことになる。
記録として描く
家族を描くのは、画家にとって手近な仕事である。
模特児を雇う必要がない。時間を選ばず、何度でも描ける。
しかし九点を見ると、練習台として扱われてはいない。どれも仕上げられている。
大きな画面もあり、額に入って展示された形跡のあるものもある。
身内を描きながら、作品として作っている。その両立が九点の性格である。
この画家は、絵を学ぶために海を渡り、画室で修業したと伝えられる。
家庭の余技ではなく、職業としての仕事である。九点の作りにもそれが出ている。
ただし、注文で描いた絵とは違う。誰にも合わせなくてよい。
自由に試せる相手が、身近にいた。九点はその条件の産物でもある。

小さな画面である。縦は40センチほどしかない。
少女が横を向く。顔は左を向き、視線も左へ流れる。
髪は明るい金色で、肩まで波打つ。額の上で分けられる。
頭に、濃い赤褐色の被り物が載る。円筒のような形である。
衣は白と緑で、胸元に金色の飾りが見える。
背景は暗い褐色で、輪郭が沈む。顔と髪だけが明るい。
筆は速い。髪の一房ごとに、太い筆の跡が残る。
九点のなかで、最も早い年である。以後の四点は、この人物の成長を追う。
背景には何も置かれない。室内か屋外かも分からない。
顔と髪だけを取り出す構えである。人物の周りの情報を削っている。
小さな画面で、そこまで削れば、印象は強くなる。
髪という主題
九点を見比べると、髪の描写に力が入っている。
七歳の一点では、金色の髪が顔と同じ面積を占める。
十四歳ごろの一点では、髪が背中まで流れ、画面の右半分を作る。
二十歳ごろの一点では、髪をほどいて顔の周りに広げる。
一方、妹を描いた四点では、髪はまとめられている。結い上げるか、後ろで束ねる。
同じ画家が、二人の髪を別々に扱っている。
十六年を、五点で
ナタリーを描いた五点の年を並べてみる。
1883年、1890年、1897年、1900年ごろ、そして年不詳の一点である。
七年、七年、三年と間が空く。毎年描いたわけではない。
節目に描いたのか、たまたま残ったのかは分からない。館の記録は理由を書かない。
ただ、七歳の姿と、二十歳を過ぎた姿が同じ館にあることは確かである。

九点のうち、これだけが横長である。
少女が横向きで、椅子の背に上体を預ける。
椅子の背には、開いた本が置かれる。頁に細かい文字らしいものが並ぶ。
髪は赤みのある金色で、背中まで長い。うねりが大きく描かれる。
袖は白く、ふくらんでいる。肩の位置が高い。
椅子の下には、模様のある布が掛かる。赤と黄が混じる。
背景は灰色で、平らに塗られる。前の一点より明るい。
左上に、署名らしい文字と日付が入る。画像では細部まで読めない。
横長という選択
肖像は、たいてい縦長に描かれる。顔と上半身が縦に収まるからである。
この一点は横長である。人物が横を向き、本と椅子が横に伸びる。
つまり、顔だけを見せる絵ではない。何をしているかを見せる絵である。
題に本の名が入るのも、そのためだろう。人物と物の組み合わせが主題になる。
九点のなかで、この構えを取るのはこの一点だけである。
椅子の背に本を置くという配置も、変わっている。机ではない。
つまり、腰を落ち着けて読んでいる場面ではない。立ち寄って眺めている姿勢である。
その一時的な感じが、横長の画面と合っている。

七年後の姿である。少女ではなく、若い女性として描かれる。
正面を向き、こちらを見る。目に光が入る。
頭に大きな帽子を載せる。羽根飾りが上へ伸びる。
肩から胸にかけて、白い毛皮が広がる。外套の縁である。
その下は黒い衣で、首まで詰まる。
右手を胸に当て、左手は下に垂れる。指が細く描かれる。
背景は暗い褐色で、輪郭がほとんど溶ける。
明るいのは顔と毛皮だけである。二か所に光が集まる。
毛皮の描き方は速い。白い絵具を短い筆で何度も置く。
一本ずつ毛を描いてはいない。それでも毛皮に見える。
近くで見ると絵具の塊で、離れると質感になる。距離で変わる描き方である。
光の当て方
九点の光は、たいてい斜め前から来る。
顔の片側が明るく、反対側が影になる。輪郭は影の側で背景に溶ける。
これは画室の窓を使った照明である。屋外の光ではない。
背景を暗くすれば、この照明は強く効く。九点の多くが暗い背景なのは、そのためだろう。
明るい背景を使った一点だけ、顔の影が浅い。照明の条件が違う。
子どもから、大人へ
三点を並べると、描き方が変わっている。
七歳の一点では、顔が画面の中心にあり、髪が大きく取られる。
十四歳ごろの一点では、姿勢と持ち物が主題になる。
二十歳を過ぎた一点では、衣装と表情が主題になる。
年齢に応じて、何を描くかが移っている。人物の見せ方が変わる。
これは、描かれる側の変化でもある。子どもは動くが、大人は座っていられる。
長く座れるようになれば、細かく描ける。画面も大きくできる。
九点の大きさが年とともに増えていくのは、そのためかもしれない。
ただし、例外もある。年不詳の大きな一点があり、順に並ばない。

支持体が変わる。カンヴァスではなく、板である。
髪は緩くほどけ、顔の周りに広がる。色は赤みのある金である。
顔はやや傾き、こちらを見る。目が大きく描かれる。
右手を顎の下に当てる。指のあいだに、細い鎖のようなものが見える。
衣は深い緑で、筆の跡が粗い。仕上げられていない部分がある。
背景には、家具らしい形が薄く見える。室内であることが分かる。
画面の四隅が欠けている。板の縁が割れ、絵具がはがれている。
保存の状態が、そのまま画像に写っている。館は修理せずに公開している。
傷みも、記録である
古い絵には、たいてい傷みがある。
九点のうち二点は、縁の絵具がはがれている。板や布の地が見える。
修復して撮り直せば、見た目は良くなる。ただし、いまの状態は分からなくなる。
公開画像は、たいていいまの状態を写す。整えた図版ではない。
だから画像を見れば、その絵がどう扱われてきたかの一端が読める。

九点で最も大きい一点である。縦は2メートル近い。
人物が椅子に座り、全身が入る。
衣は深い赤で、床まで届く。袖が大きく広がる。
右手に、細長い楽器を立てて持つ。弦楽器の胴と棹が見える。
左手には白い紙を持つ。楽譜だと思われる。
髪は下ろされ、頭に小さな飾りが付く。
背景は暗く、椅子の輪郭だけが見える。
顔は正面を向き、口を結ぶ。表情は硬い。
制作年は記録されていない。九点のうち、年不詳はこの一点だけである。
板と、布
九点の支持体は、七点がカンヴァス、一点が繊維板である。
繊維板は、木の繊維を固めた板である。安価で、扱いやすい。
ただし、湿気や衝撃に弱い。縁から傷みやすい。
実際、板の一点は四隅が欠けている。布の一点も縁がはがれている。
支持体の性質が、二百年に満たない年月でも表に出てくる。
楽器を持たせる
九点のうち二点で、人物は物を持つ。
一点は本、一点は楽器である。どちらも教養に結びつく物である。
肖像に楽器を持たせる型は古い。持ち主の素養を示す働きがある。
ただし、実際に弾けるかどうかは絵からは分からない。
館の記録も、その点には触れていない。持ち物の名を題に入れるだけである。
大きさが、意味を変える
同じ人物を描いても、大きさで性格が変わる。
小さな画面は、身内の記録として自然である。手元に置ける。
2メートルの画面は、そうはいかない。飾る場所を選ぶ。
つまり、この一点は人に見せることを前提にしている。展示や注文の場が想定される。
娘を描きながら、公の場に出す絵にしている。九点のなかで、性格が最も外向きの一点である。

ここから、もう一人の娘の四点になる。
小さな横長の画面である。縦は31センチほどしかない。
人物が横たわる。白い布に埋もれ、上半身だけが見える。
髪は暗く、頭の左に赤い花のようなものが挿される。
右腕を上げ、手が布の上に置かれる。
顔は上を向き、目を閉じているように見える。
周りは白と灰色の布で、筆の跡が荒い。
この画像だけ、額に入った状態で撮られている。木の額と、下辺の金属の銘板が写る。
銘板には文字が刻まれているが、画像では読み取れない。
額ごと撮る
九点のうち、額が写っているのはこの一点だけである。
ほかの八点は、画面だけが切り取られている。
同じ館の同じ画家の作でも、撮り方が揃っていない。撮影の時期が違うのだろう。
額まで写っていると、その絵がどう扱われてきたかが分かる。銘板が付くのは、展示された印である。
撮り方の差は、記録の差でもある。写っているものが違えば、読めることも違う。

横顔である。顔は左を向く。
髪は暗い茶で、後ろでまとめられる。頭の上に小さな飾りが見える。
首から肩にかけて、暗い紫の衣が続く。
背景は褐色で、上部に筆の跡が渦を巻く。
顔の輪郭は明るく、頬に光が当たる。鼻筋と唇が細かく描かれる。
画面の左端は、絵具が大きく欠けている。布の地が見える。
欠けは縦に長く伸びる。額の縁に当たっていた部分かもしれない。
白い布の中の顔
いま見た小さな一点は、九点のなかで異質である。
人物が横たわり、周りを白い布が埋める。
顔は上を向き、目が閉じているようにも見える。眠りか、休息か。
病の床とも読めるが、記録には何も書かれていない。ここでは判断しないでおく。
分かるのは、白い布の量が画面の大半を占めることだけである。
同じ姉妹を、別々に
九点は、姉妹を一枚に並べていない。
いつも一人ずつである。二人が同じ画面にいる絵は、この九点にはない。
一人ずつ描けば、それぞれの年齢を記録できる。並べれば比較になってしまう。
九点を通して、人物は正面か横顔で、単独で置かれる。背景は暗い。
型は共通している。姉妹を同じやり方で描いている。

二年後の姿である。画面が大きくなる。
正面を向き、上半身が入る。
髪は暗く、ふくらんでいる。二本の細い簪のようなものが挿される。
衣は褐色と緑が混ざり、模様が入る。肩から胸に広がる。
背景は赤みのある褐色で、上部が明るい。
顔は丁寧に描かれる。目に光が入り、唇に赤みがある。
九点のなかで、最も完成度の高い一点に見える。筆の跡が整理されている。
前の二点より、絵具が薄く均一に置かれる。
二年で、変わること
十五歳の一点と、十六歳の一点を並べてみる。
画面の大きさは、面積で三倍以上になる。
構えも変わる。横顔から正面へ、胸像から上半身へ。
そして描き方が変わる。粗い筆から、整った筆へ。
一年か二年のあいだに、何が起きたかは記録にない。ただ、扱いが変わったことは分かる。

九点の最後は、後ろ姿である。
人物が背を向け、顔だけを右へ回す。
髪は高く結い上げられる。うなじが見える。
肩から下は黒い衣で、画面の下半分を占める。形はほとんど分からない。
左の肩だけが露わになり、肌の色が出る。
背景は深い緑で、暗い。黒衣との差はわずかである。
顔は小さく、横顔に近い。目は伏せられる。
大きな画面だが、描かれているのは首から上と肩だけである。ほかは黒い面になる。
後ろ姿という選択
肖像で後ろ姿を選ぶのは、思い切った判断である。
顔が小さくなり、表情が読みにくくなる。似ているかどうかも確かめにくい。
それでも後ろ姿を選ぶのは、形として美しいからである。首から肩への線が出る。
注文の肖像では、まず選ばれない構図である。身内だからできる。
九点のなかで、この一点だけが構図の実験になっている。
黒を、面として使う
この一点は、黒い衣を大きな面として置いている。
形を描き分けず、輪郭も曖昧にする。
そのぶん、肩と首の明るさが際立つ。見る側の目は、そこへ集まる。
同じ手は、毛皮の外套の一点にも使われていた。暗い面と明るい面を対比させる。
九点を通して、この対比が繰り返される。画面の作り方に一貫した好みがある。
番号がまとまっている
九点の受入番号を見ると、七点が同じ大きな番号の下に並ぶ。
残る二点は、別の番号である。館に入った時期が違う。
まとまって入った七点は、一括の寄贈だと考えられる。個別に集めたのではない。
家族の肖像は、家に残る。売られずに伝わり、まとめて館へ渡ることが多い。
九点がそろっているのは、その事情による。
身内を描くということ
家族を描いた絵は、公の記録としては扱いにくい。
注文書も、売買の記録も残らない。年が不詳になりやすい。
九点のうち一点は、実際に年が空欄である。
それでも、題に年齢が入っているおかげで、順序が読める。年表として使える。
家の中の絵が、館に入って公開される。そのとき、私的な記録が資料に変わる。
十九世紀末という時期
九点の年代は、1883年から1899年である。
写真が広まりつつあった時期にあたる。家族の姿を残す手段は、絵だけではなくなっていた。
それでも油彩で描くのは、写真では得られないものがあるからである。
大きさ、色、筆の跡。壁に掛けたときの存在感が違う。
九点のうち大きな二点は、明らかに掛けることを前提にしている。
二人の顔を、並べて
同じ画家の別の題材については、自画像が、四点ある——アリス・パイク・バーニーで扱った。
年の書かれない作については、年が、書かれない二点——アリス・パイク・バーニーにも書いた。
この九点は、その二つの間にある。人物は決まっていて、年はおおむね分かる。
十六年のあいだに、二人の娘が子どもから大人になる。その過程が、九枚の布と板に残っている。
描いたのは母である。そのことを知って見ると、暗い背景の意味も少し変わって見える。





