画家を知る

自画像が、四点ある——アリス・パイク・バーニー

アリス・パイク・バーニーは自分の顔を何度も描いた。パレットを持つ姿は職業の宣言である。舞台の絵やパステルの小品も含めて、女性が画家として活動する条件を八点で読む。作品が残るかどうかは寄贈で決まるという点にも触れる。

パレットを持つ自画像
アリス・パイク・バーニー《パレットを持つ自画像》スミソニアン協会蔵

パレットを持って、こちらを見る

一枚の自画像から始めたい。

パレットを持つ自画像
アリス・パイク・バーニー《パレットを持つ自画像》1906年ごろ。油彩・画布。縦84.5センチ、横61.3センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《パレットを持つ自画像》スミソニアン協会蔵

女性が半身で描かれている。

白い上衣。袖が膨らみ、襟元に黒いリボンを結んでいる。

髪は短く縮れ、額の上で立ち上がっている。

顔はやや斜めを向き、目はこちらを見ている。

口は閉じ、口角がわずかに下がっている。

左手にパレットを持ち、指の間から筆の先が出ている。

背景は黄土色と緑で、斜めの筆跡が縦横に走る。

画面の左上に署名がある。

背景の作り方に注目したい。

黄土色の地に、細い筆で斜めの線が幾重にも引かれている。

一様に塗られた面ではなく、線の集まりで面を作っている。

このやり方だと、背景に動きが出る。

人物の白い上衣が静かに見え、周囲だけが震えているような効果になる。

19世紀末の肖像画で、しばしば使われた方法である。

写実的な室内を描かず、抽象的な地の上に人物を置く。

背景を平らに塗った16世紀の工房とは、狙いが逆である。

工房の一色の背景については別のコラムで扱った。

パレットは、職業の宣言である

この構図には決まった意味がある。

画家が自分をパレットとともに描くのは、職業を示す型である。

つまりこの絵は「私は画家である」という宣言である。

19世紀末から20世紀初頭のアメリカで、女性が画家として認められることは難しかった。

美術学校の課程、展覧会の審査、批評の扱い。いずれにも壁があった。

女性画家が置かれた条件については別のコラムで扱った。

その中で、自分をパレットとともに描くことは、立場の表明にあたる。

パレットの描き方も見ておきたい。

絵具が数か所に置かれ、まだ混ぜられていない状態である。

つまり作業の直前を描いている。

描き終えた画家ではなく、これから描く画家の姿である。

筆は数本まとめて握られ、先が上を向いている。

道具の描写が細かいのは、それが主題の一部だからだろう。

画家として活動する条件

19世紀末から20世紀初頭のアメリカで、女性が画家として働く条件を押さえておきたい。

美術学校には女性の課程が置かれるようになっていた。

しかし裸体の写生の授業は制限され、留学の機会も限られる。

展覧会に出品できても、批評では「女性らしい」という枠で語られる。

職業画家として生計を立てる道は狭い。

一方で、裕福な家の女性が絵を学ぶことは奨励された。

たしなみとしての絵である。

つまり「学べるが、職業にはしにくい」という状況があった。

その中間で活動した画家は少なくない。

この画家も、裕福な家の出身でありながら、職業画家として展覧会に出している。

自画像にパレットを描き込むことは、その位置の主張だと読める。

女性画家の条件については別のコラムで詳しく扱った。

自画像が、四点ある

この画家について、まず数を確かめたい。

当サイトが公開している作品は69点である。

そのうち自画像が四点ある。

1896年に三点、1906年ごろに一点。

一人の画家の自画像が四点まとまって公開されているのは、珍しい。

しかも三点は同じ1896年である。

同じ年に、自分の顔を三度描いたことになる。

描いたのは、誰か

アリス・パイク・バーニーは1857年、オハイオ州シンシナティに生まれた。

1931年、ロサンゼルスで没している。

所蔵館の記録は、この生没地と年をはっきり記している。

パリで絵を学んだと伝えられる。

裕福な家に生まれ、結婚後も絵を続けた。

つまり生活のために描く画家ではなかった。

その条件は有利にも不利にも働く。

学ぶ機会は得られるが、「趣味の絵」として軽く扱われやすい。

問い——なぜ自分の顔を、何度も描いたのか

ここから本稿の問いに入りたい。

同じ年に三点。十年後にもう一点。

自画像を繰り返す理由は何だったのか。

モデル代がかからないから、という実務的な説明もある。

しかしそれだけではないだろう。

四点を並べて、違いを確かめていきたい。

先に結論を書いておく。

四点は、それぞれ別の役目を持っている。

表情の研究、鏡を使った実験、職業の宣言、そして十年後の再確認である。

自画像は一つの型ではなく、目的ごとに構成が変わる。

一点目——手を頬に当てる

ジャボの自画像
アリス・パイク・バーニー《ジャボの自画像》1896年。油彩・画布。縦46センチ、横38.2センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《ジャボの自画像》スミソニアン協会蔵

四点のうち最も小さい。縦46センチ、横38.2センチ。

暗い背景から、顔と手が浮かび上がっている。

髪は大きく広がり、輪郭が背景に溶けている。

右手を頬に当て、指を軽く曲げている。

手首には白い袖口の襞飾りが見える。

胸元には灰色の布と、白いジャボ(襟飾り)。

目は大きく開き、正面を見ている。

口はわずかに開いている。

背景は褐色一色で、筆の跡が荒い。

つまりこの一点は、顔と手だけを見せる構成である。

パレットも画室も描かれていない。

職業の宣言ではなく、表情の記録に近い。

寸法の小ささも関係している。

縦46センチなら、机の上で描ける。鏡を近くに置けばよい。

大きな画面では、鏡との距離を取る必要があり、姿勢も固定される。

小品の自画像は、条件が軽いぶん表情を試しやすい。

だから小さな自画像は、しばしば実験になる。

二点目——鏡に映る自分を描く

鏡に映る自画像
アリス・パイク・バーニー《鏡に映る自画像》1896年。油彩・画布。縦90.1センチ、横78.2センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《鏡に映る自画像》スミソニアン協会蔵

こちらは大きい。縦90.1センチ、横78.2センチ。

画面は円形に近い形に描かれている。

中央に女性が座っている。淡い金色の衣で、袖が膨らむ。

腰に桃色の帯。首元は開き、肌が明るい。

顔は正面を向き、頬に赤みがある。

そして画面の右に、もう一つの顔がある。

同じ人物の横顔である。鏡に映った姿として描かれている。

つまり一枚の絵に、正面と横顔が同時に入っている。

自画像で鏡を描くことには、二重の意味がある。

鏡は自画像の道具である。それを画面の中に描けば、制作の場を示せる。

同時に、自分を二つの角度から見せることができる。

もう一つ、円形に近い画面の効果もある。

四隅が暗く落ち、視線が中央に集まる。

装飾画で好まれた形式で、壁の一角に掛けることを想定している。

つまりこの一点は、飾ることを前提にした自画像である。

自分の顔を、装飾として壁に掛ける。強い自己主張だと言える。

三点目——画室の衣で立つ

画衣の自画像
アリス・パイク・バーニー《画衣の自画像》1896年。油彩・画布。縦106.7センチ、横73センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《画衣の自画像》スミソニアン協会蔵

四点のうち最も大きい。縦106.7センチ、横73センチ。

女性が立ち、こちらを向いている。

淡い藤色の衣を羽織り、下に色の濃い服が見える。

左手にパレットを持ち、右手で筆を握っている。

パレットには絵具が置かれ、赤と黄と白が混ざっている。

背景は淡く、輪郭がぼやけている。左下に青い帯が見える。

顔は正面。目はやや見開かれ、口は閉じている。

左上に署名がある。

先の一点と同じ1896年である。

しかし構成が違う。全身に近い立ち姿で、道具を明示している。

つまり同じ年に、二通りの自己像を作っていることになる。

一つは表情の絵。もう一つは職業の絵である。

衣にも注目したい。

淡い藤色の羽織は、外出着ではない。

絵具で汚れることを前提にした画室の衣だろう。

つまり「働いている場所」を示す服装である。

服装と道具の二つで、職業を説明していることになる。

四点を並べて分かること

四点の寸法を並べてみたい。

46×38.2センチ、90.1×78.2センチ、106.7×73センチ、84.5×61.3センチ。

小品から等身大に近いものまで幅がある。

つまり用途が違う。小品は手元に置き、大作は展示に出すためだろう。

自画像は、練習でもあり、展示作でもあり、名刺でもある。

画家として活動するには、自分の顔と名前を知らせる必要がある。

その道具として、自画像は最も手近な材料だった。

制作年の並びも意味を持つ。

三点が1896年に集まっている。この年に何かがあったと考えられる。

新しい画室を得たか、展覧会に出す準備をしたか。

公開されている記録からは判断できないため、推測にとどめる。

ただし、同じ年に自画像を三点作るのは、明確な意図があったはずである。

舞踏家を描く

自画像以外の仕事も見ておきたい。

ルース・セント・デニス
アリス・パイク・バーニー《ルース・セント・デニス》1910年。油彩・画布。縦93.7センチ、横60.6センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《ルース・セント・デニス》スミソニアン協会蔵

若い女性が立っている。

衣装は緑と金。薄い布が体に沿い、裾が広がる。

胸元には金の飾りが縫い付けられ、光を反射している。

頭には宝石を並べた被り物。

右手を腰に当て、左手を下げている。

顔は上向きで、視線は画面の外へ向く。

背景は黄と緑の斜めの筆跡で埋められている。

描かれているのは、アメリカの舞踏家である。

所蔵館の記録は、描かれた人物の名を「ルース・セント・デニス」と記す。

20世紀初頭に活動した舞踏家で、東洋の主題を取り入れた舞台で知られる。

つまりこれは、同時代の舞台芸術の記録でもある。

衣装の描写に力が入っているのは、舞台の装いを示すためだろう。

舞台を描くという仕事

舞踏家の肖像について、もう少し書いておきたい。

20世紀初頭は、舞台芸術と美術が近づいた時期である。

舞踏家や俳優の肖像が、絵にも写真にも数多く作られた。

理由は宣伝である。公演の宣伝物として肖像が使われた。

同時に、動きのある身体は絵の主題としても新しかった。

止まった姿勢の中に動きの予感を入れる。難しい課題である。

この一点では、腰に当てた手と、上を向いた顔がその役をしている。

体は静止しているが、次の動作が想像できる。

役者の姿を版画にした日本の例と、需要の形が似ている。

その事情は別のコラムで扱った。

パステルと油彩を使い分ける

材料にも触れておきたい。

この画家はパステルの肖像も多く作ったと伝えられる。

当サイトの公開分は油彩が中心である。

パステルは短時間で仕上がり、肌の質感を出しやすい。

一方で定着が難しく、扱いに注意が要る。

油彩は保存に強く、展覧会にも出しやすい。

つまり用途によって材料を選び分けていたと考えられる。

公開されている画像の構成が、その使い分けを見えにくくしている。

収蔵と公開の偏りは、画家像に影響する。

装飾的な大画面もある

女と孔雀
アリス・パイク・バーニー《女と孔雀》1900年ごろ。油彩・画布。縦73センチ、横117.9センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《女と孔雀》スミソニアン協会蔵

横長の画面である。縦73センチ、横117.9センチ。

右に女性が半身で描かれている。緑の上衣で、黒い髪を結っている。

顔は横を向き、目を伏せている。

その手前に、青い大きな壺がある。表面に光沢がある。

そして画面の左から中央へ、孔雀の羽が広がっている。

羽の目玉模様が点々と並び、灰色の壁に重なる。

壁には彫刻のような装飾も見える。

つまりこれは肖像ではなく、装飾的な画面である。

19世紀末から20世紀初頭には、こうした装飾画が流行した。

平面的な構成、抑えた色、東洋の意匠の引用。

同じ趣味は、ガラスや家具にも現れている。

その事情は別のコラムで扱った。

表情を主題にした小品

赤い頭巾の女
アリス・パイク・バーニー《赤い頭巾の女》制作年不明。油彩・画布。縦60センチ、横50.1センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《赤い頭巾の女》スミソニアン協会蔵

暗い画面である。

女性が横を向き、目を閉じている。

赤い頭巾を深くかぶり、肩まで覆っている。

胸の前で両手を合わせ、指を組んでいる。

首に黒い紐と、小さな飾りが下がる。

背景は暗褐色で、右に細い明るい帯が縦に走る。

祈る姿とも、物思いの姿とも読める。

制作年は記録されていない。

主題も特定されていない。

つまり、人物ではなく状態を描いた絵である。

こうした絵は、当時「情緒の絵」として好まれた。

物語も人物名もなく、雰囲気だけを見せる。

暗い画面に一人を置き、光を顔に集める。

写真の肖像が普及した時代に、絵にできることを探した結果とも読める。

写真と絵の役割分担については別のコラムで扱った。

赤褐色の習作
アリス・パイク・バーニー《赤褐色の習作》1904年。油彩・画布。縦51.1センチ、横41センチ。スミソニアン米国美術館蔵。アリス・パイク・バーニー《赤褐色の習作》スミソニアン協会蔵

こちらは明るい画面である。

赤褐色の髪の女性が、半身で描かれている。

淡い黄色の衣で、肩の線が大きく開いている。

顔はやや傾き、目は正面を見る。

頬と唇に赤が置かれ、肌は白く明るい。

背景は薄い黄土色で、筆の跡が残る。

上部に署名がある。

題名に「習作」とあるとおり、細部は仕上げられていない。

衣の描写は数回の筆で済まされている。

描かれた相手の顔ぶれ

肖像の相手にも注目したい。

公開分には、舞踏家、詩人の周辺の人物、家族、そして無名のモデルが含まれる。

つまり芸術の世界の人々を多く描いている。

19世紀末から20世紀初頭には、芸術家同士の肖像が盛んに作られた。

互いに描き合い、贈り合う。名前を残す仕組みでもあった。

一方で、名前の記録されていない肖像もある。

「赤い頭巾の女」のような題名は、モデルの名を伝えていない。

つまり同じ画家の中でも、記録される人と記録されない人が分かれている。

その差は、身分と関係の差である。

肖像は誰の記録かという問いは、常に付いて回る。

六十九点という数

公開されている点数についても書いておきたい。

一人の画家の作品が六十九点も同じ館に揃うのは、多い方である。

当サイトの公開分でも、これほどまとまった例は限られる。

そのおかげで、自画像を四点並べるような比較ができる。

作品が散らばっていれば、同じ検討は難しい。

研究や記事の書きやすさは、収蔵のまとまりに左右される。

まとまって残ることには、それ自体の価値がある。

そして、その価値は寄贈者の判断によって生まれた。

見立て——自画像は、名刺である

まとめておきたい。

この画家は、自分の顔を四度描いた。

小さな表情の絵、鏡を使った実験、道具を示す立ち姿、そして再びパレットの絵。

いずれも「画家である自分」を確かめる作業である。

女性が画家として認められにくい時代に、
自分の姿を繰り返し描くことは、自己の位置づけの作業だった。

そして69点の作品が、まとまって一つの美術館に残っている。

家族からの寄贈によって、散逸を免れたためである。

残るかどうかは、寄贈で決まる

受け入れ記録を見ると、寄贈の年が並んでいる。

1939年、1951年、1952年、1963年、1966年。

つまり複数回にわたって、まとまった寄贈が行われている。

個人の画家の作品が数十点も一館に集まるのは、こうした経緯によることが多い。

逆に、寄贈者を得られなかった画家の作品は散る。

美術館の収蔵品の構成は、作品の質だけで決まるわけではない。

誰が残そうとしたかによって決まっている。

家と、活動の拠点

活動の場についても書いておきたい。

この画家は自邸に画室を構え、そこを人の集まる場所にした。

展示、朗読、演劇の催しが開かれたと伝えられる。

つまり作品を作るだけでなく、場を運営していた。

画家が集まりの場を用意する例は、19世紀末から20世紀初頭に多い。

公的な機関に入りにくい人々が、私邸で場を作る。

女性の画家にとって、それは活動の条件でもあった。

作品の数と同じくらい、場の維持に労力が割かれていたはずである。

暮らしへ——自分の顔を、二通り撮ってみる

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

自分の写真を、二通り撮ってみてほしい。

一つは顔だけ。もう一つは、仕事の道具を持った姿。

道具を持つと、写真の意味が変わる。

職業や関心が写り込み、説明が加わる。

百年前の画家がパレットを持って立った理由が、少し分かる。

そして、鏡を使って撮るのも面白い。

正面と横顔が同時に写ると、自分の顔が別人のように見える。

自画像を四点残した画家も、同じ実験をしていた。

飾るなら、自分や家族の肖像は寝室や書斎に向く。

人が集まる部屋に掛けると、視線が集中して落ち着かない。

掛ける場所の考え方は別のコラムにまとめた。

そして、同じ人を十年後にもう一度撮ってみてほしい。

同じ設定、同じ角度、同じ光。二枚を並べると、変化が正確に見える。

四点の自画像が十年の幅を持っていたのも、同じ効果を生んでいる。

記録は、間隔を空けて重ねることで価値が出る。

見る側にできること

最後に、こうした画家の作品をどう見るかを書いておきたい。

作品数が多く、まとまって公開されている画家は、比較に向いている。

自画像を四点並べ、年代順に見る。それだけで発見がある。

一点ずつ鑑賞するより、群として扱うほうが情報が増える。

公開画像の利点は、この群としての扱いにある。

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