画家を知る

同じ顔を、量産する——クラーナハ工房のルター像

クラーナハ工房は、同じ寸法と同じ背景で肖像を作り続けた。蛇の標の翼の向きは年代を教え、顔だけが描き替えられる。ルターの肖像を含む九点で、作者性が仕組みに宿る過程を確かめる。板の産地や貼られた印刷文字まで手がかりになる。

マルティン・ルター
ルーカス・クラーナハ(父)《マルティン・ルター》メトロポリタン美術館蔵

背景が、一色で塗られている

一枚の肖像から始めたい。

マルティン・ルター
ルーカス・クラーナハ(父)《マルティン・ルター》おそらく1532年。板に油彩。縦33.3センチ、横23.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルーカス・クラーナハ(父)《マルティン・ルター》メトロポリタン美術館蔵

小さな板絵である。縦33センチ、横23センチ。

男性が正面を向いている。

黒い平たい帽子を目深にかぶり、髪は耳の下で外へ跳ねている。

顔は幅が広く、頬に厚みがある。目は細く、口はまっすぐに閉じている。

首元は黒い襟で、肩から下は黒い衣に沈んでいる。

そして背景である。

明るい青緑の一色で、上下左右まで均一に塗られている。

部屋も窓も風景も無い。影も落ちていない。

顔と黒衣が、この青緑の上に切り紙のように置かれている。

一色の背景は、工房の道具である

この背景の作り方には理由がある。

一色なら、塗るのが速い。

明暗の階調を作らなくてよく、乾きも待たなくてよい。

助手に任せることもできる。

そして、人物の輪郭がはっきり出る。誰の顔かがすぐ分かる。

つまりこの背景は、大量に作るための工夫である。

同じ青緑を、当サイトの公開作品の中に何度も見つけられる。

色そのものも見ておきたい。

青緑は、銅を含む顔料で作られる色である。

高価な群青ほどではないが、安い色でもない。

均一に塗るには、絵具の濃度と刷毛の運びを揃える必要がある。

つまり簡素に見えて、手を抜いた仕上げではない。

背景を平らに塗ることは、それ自体が技術である。

均一な面の上では、わずかな刷毛の跡も目立つ。

だから工房では、この作業に慣れた者が担当したはずである。

描かれた人は、宗教改革の中心にいた

描かれているのはマルティン・ルターである。

聖書のドイツ語訳で知られ、教会の改革を唱えた人物だ。

この画家は、ザクセン選帝侯の宮廷画家を務めていた。

選帝侯はルターを保護した側の君主である。

つまり画家と改革者は、同じ宮廷の圏内にいた。

ルターの肖像は、この工房で何度も作られている。

同じ顔が版画にもなり、書物の口絵にも使われた。

顔を広く知らせることが、運動の力になった時代である。

肖像は宣伝の道具だった。

この一点の描き方にも、その性格が出ている。

顔は正面を向き、背景に余計な物がない。

視線がまっすぐこちらへ来るため、対面しているような感覚が生まれる。

肖像の中には、横を向いて視線を外す型もある。

正面向きは、見る側との距離を詰める型である。

宣伝のための肖像に選ばれるのは、たいていこちらである。

そして、模写もしやすい。正面像は左右対称に近いため、写す手間が少ない。

複製を前提にした構図だと考えることもできる。

工房の規模

工房の規模にも触れておきたい。

この画家は宮廷画家であり、同時に市の要職も務めた。

印刷所と薬種の商いにも関わっていたと伝えられる。

つまり絵の工房は、複合的な事業の一部だった。

大量の注文を受けるには、人手と資金と流通が必要である。

絵師一人の才能では、この生産量は説明できない。

工房の作品を見るときは、経営の側も想像しておきたい。

印刷された文字が、貼られている

もう一枚、驚くべき作りの肖像がある。

ザクセン選帝侯ヨハン一世(不動公)
ルーカス・クラーナハ(父)《ザクセン選帝侯ヨハン一世(不動公)》1532〜1533年。板から画布に移された油彩。活版印刷の紙札が貼られている。縦21センチ、横14.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ルーカス・クラーナハ(父)《ザクセン選帝侯ヨハン一世(不動公)》メトロポリタン美術館蔵

縦21センチ。掌に収まる大きさである。

中央に男性の胸像。黒い帽子、白い襟、毛皮の縁のある黒衣。

顔は右をわずかに向き、髭が胸元まで伸びている。

背景は青緑。先のルターと同じ色である。

そして、画面の上と下に紙が貼られている。

上の小さな札には人物の名。下の大きな紙には、二段組の文章が印刷されている。

所蔵館の記録は、これを「活版印刷の紙札」と書いている。

手書きではない。印刷された文字が、絵に貼り込まれている。

つまりこの肖像は、印刷物と絵の合成物である。

同じ文章を刷って、複数の板に貼れば、同じ形の記念肖像が何枚も作れる。

工房の生産は、印刷技術と組み合わされていた。

この工房は、版画も手がけていた。

木版と活版の職人が近くにいたのだろう。

宗教改革の時代は、印刷物が急速に広まった時期である。

説教も論争も、刷られた紙で流通した。

その流れの中に、肖像画も置かれていた。

さらにこの一点は、板から画布へ移されている。

保存のために支持体を替えた作品である。

板絵の移し替えについては別のコラムで扱った。

問い——工房は、何を揃えていたのか

ここから本稿の問いに入りたい。

この画家の工房は、大量の肖像を作った。

その仕組みを支えたのは何だったのか。

背景の色。板の寸法。姿勢の型。そして、署名の代わりの標である。

以下、当サイトの公開作品を並べて確かめていきたい。

先に結論を書いておく。

この工房は、絵を「規格品として作る」仕組みを持っていた。

規格があるから速く作れ、標があるから誰の品か分かる。

現代の言葉で言えば、生産ラインと商標である。

十六世紀の絵画に、その両方が揃っていた。

蛇の標が、署名の代わりをする

まず、標の話をしたい。

男の肖像
ルーカス・クラーナハ(父)《男の肖像》1522年。板に油彩。描画面は縦57.6センチ、横39.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルーカス・クラーナハ(父)《男の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

緑の背景に、男性が半身で描かれている。

黒い大きな帽子。赤褐色の外套で、肩の線がなだらかに落ちる。

内側の衣は黒く、袖に白い切り込みの飾りが入る。

顔は左を向き、視線はこちらへ来ない。

画面の左上に、小さな文字と印がある。

所蔵館の記録が、その内容を書き留めている。

「1522」の年記と、その下に画家の標。

標の形も記されている。翼を立てた蛇が、口に指輪をくわえ、右を向いている。

この蛇の標が、この工房の署名にあたる。