画家を知る

九点とも、人の名が題にない——アリス・パイク・バーニー

えくぼ。夢の本。白い楽園。真鍮の湯沸かし。九点はいずれも肖像の形をしているのに、題に人の名が一つも出てこない。画面にない物を指す題もある。付けられた題の働きを、九点から読みたい。年の分からない一群も、四点ある。

ジプシー
アリス・パイク・バーニー《ジプシー》スミソニアン協会蔵

九点とも、人の名が題にない

九点は、いずれも人物を描いている。

顔を中心に据えた、肖像の形をしている。

ところが、九点の題には、人の名が一つも出てこない。

かわりに置かれているのは、種類の名でもない。

えくぼ。夢の本。白い楽園。真鍮の湯沸かし。

いずれも、誰かが選んだ言葉である。

つまり、これらの題は付けられた題である。

九点を並べて、その付け方を読みたい。

ジプシー
アリス・パイク・バーニー《ジプシー》制作年不詳。カンヴァスに油彩、板紙に貼る。館の記録では、縦23.8センチ、横30.5センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《ジプシー》スミソニアン協会蔵

九点の内訳

先に、九点の中身を確かめておく。

九点とも、油彩である。

支持体は三通りある。カンヴァスが七点、カンヴァスを板紙に貼ったものが一点、繊維板が一点。

寸法は、縦21センチから84.2センチ。

年は、四点が不詳、五点が1890年ごろから1912年までに散る。

九点とも、同じ館に収まっている。

描いた人について

この画家は、十九世紀後半から二十世紀初めにかけて活動した。

肖像を中心に、数多くの作品を残している。

館には、その大きな一群が収められている。

九点は、そのうちの九点である。

肖像の題は、どう付くか

普通、肖像の題は描かれた人の名になる。

名が伝わっていなければ、種類の名になる。

紳士の肖像、婦人の肖像。

この九点は、そのどちらでもない。

第三の道が選ばれている。

依頼で描く肖像との違い

依頼を受けて描く肖像なら、題は依頼主の名になる。

家に飾るものだから、誰かが分からなければ意味がない。

一方、自分の意思で描いた人物画では、事情が変わる。

売るために展覧会へ出すとき、個人の名は必要ない。

九点の題が人の名でないのは、そうした性格によるのだろう。

誰が付けたのか

この題を付けたのが誰かは、記録に書かれていない。

画家自身が付けたのかもしれない。

展覧会に出すときに、題は要る。

人の名を出したくなければ、別の言葉を選ぶことになる。

あるいは、後の持ち主か館が付けたのかもしれない。

記録は、題を作らない

館の記録は、伝わった題をそのまま使う。

人の名が伝わっていれば、それを題にする。

別の言葉が付いていれば、その言葉を題にする。

九点の題が人の名でないのは、館の判断ではない。

伝わってきた題が、そうだったということである。

題が示すもの

九点の題を分けると、いくつかの型になる。

画面の中にある物を指すものが三点。

人物の役割や性格を示すものが三点。

物語や場所を思わせるものが二点。

状態を示すものが一点。

いずれも、画面を説明するというより、画面に添えられた言葉である。

民族を指す語について

最初の一点の題は、ある民族を指す古い呼び名である。

いまでは差別的な語として、使用が避けられている。

ここでは、館の記録に書かれた題として記す。

そのうえで、この語が題に選ばれた事情を考えておきたい。

十九世紀の絵の主題として

十九世紀のヨーロッパやアメリカでは、この語を題に持つ絵が数多く作られた。

赤い布、黒い髪、大きな目。

そうした特徴を並べて、異国風の人物として描く。

描かれた人が実際にその民族だったとは限らない。

多くの場合、着せて描いた扮装である。

扮装としての題

この一点の画面を見ると、暗い赤の布をまとった若い女性が描かれる。

背景も暗い赤で、顔だけが明るい。

装身具はなく、髪は解かれている。

つまり、題が示すような具体的な手掛かりは、画面にほとんどない。

題だけが、その人物の性格を決めている。

いまの扱い

こうした題を持つ作品を、館はどう扱うか。

題を書き換えれば、もとの記録との対応が失われる。

そのまま残せば、差別的な語が公開され続ける。

多くの館は、題を残したうえで説明を添える方針をとっている。

ここでも、その方針に従って記した。

題が、見え方を決める

もしこの絵の題が、婦人の肖像だったらどうか。

赤い布をまとった若い女性の肖像として見えるだろう。

題が付くことで、見る側は別の枠に入れて見る。

つまり、題は説明ではなく、見方の指示になっている。

生のうちに
アリス・パイク・バーニー《生のうちに》制作年不詳。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦33.8センチ、横19.8センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《生のうちに》スミソニアン協会蔵

意味の取りにくい題

いま見た一点の題は、二つの語でできている。

生きているあいだに、という意味にも読める。

実物を前にして、という意味にも読める。

どちらとも決められない。

画面には、青い帽子をかぶり、黄色い衣をまとった女性が描かれる。

題と画面のつながりは、はっきりしない。

黄色と青

この一点では、黄色い衣と青い帽子が対比になっている。

背景は濃い青緑で、そこに顔が白く浮かぶ。

色の数は少なく、面は大きい。

短い時間で描かれたことが、筆の跡から分かる。

描きかけの画面

この一点は、画面の一部が塗られていない。

下のほうに、カンヴァスの地の色が広く残る。

上のほうも、縁まで塗り切られていない。

つまり、仕上げられていない状態である。

仕上げていない絵の題

仕上げていない絵にも、題が付いている。

画家が付けたのなら、描く前から題を決めていたことになる。

後から付けたのなら、描かれたものを見て言葉を選んだことになる。

どちらであるかは、記録からは分からない。

縁に残る釘

この一点の画像を見ると、下の縁に金具らしいものが見える。

カンヴァスを何かに留めた跡だろう。

木枠に張っていない状態で描かれたのかもしれない。

技法の欄には、カンヴァスに油彩とだけ書かれる。

えくぼ
アリス・パイク・バーニー《えくぼ》制作年不詳。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦45.7センチ、横40.6センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《えくぼ》スミソニアン協会蔵

縦長の画面

この一点は、縦33.8センチ、横19.8センチ。

縦が横の一・七倍ある。

九点の中で、最も細長い。

上半身だけを入れるなら、この形でも足りる。

顔の一部を、題にする

いま見た一点の題は、顔の一部を指している。

笑ったときに頬にできる窪みである。

画面には、横を向いて笑う女性が描かれる。

たしかに、頬に窪みが見える。

つまり、この題は画面の中の細部を取り出したものである。

笑っている肖像

この一点の人物は、笑っている。

歯が見えるほどではないが、口の端が上がっている。

肖像で笑顔を描くのは、実は難しい。

長く見ていると、表情が固く見えてくる。

九点のうち、はっきり笑っているのはこの一点だけである。

髪の飾り

この一点の女性は、頭の上に大きな飾りを付けている。

白い羽のようにも、布のようにも見える。

背景は黄土色で、形のあるものはない。

明るい背景に明るい飾り。輪郭は溶けかけている。

細部を題にすると

顔全体でも、人物でもなく、頬の窪み。

そこに焦点を当てると、見る側の目もそこへ行く。

肖像として見るのではなく、一つの表情として見ることになる。

誰を描いたかは、問われなくなる。

題で、名を隠す

ここに、一つの働きがある。

題に人の名を出さなければ、その人が誰かは分からない。

肖像でありながら、個人の記録にはならない。

九点がいずれもそうなっているのは、偶然ではないだろう。

署名の位置

この一点の左下には、署名が読める。

九点のうち、署名が見えるものは五点ある。

上のほうに書くものが二点、下のほうに書くものが三点。

画面の暗い部分を避けて、明るいところに書いている。

銃士
アリス・パイク・バーニー《銃士》制作年不詳。繊維板に油彩。館の記録では、縦21センチ、横15.7センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《銃士》スミソニアン協会蔵

五点の署名

署名は、いずれも姓と名を続けて書いた形である。

小さく、細い筆で書かれている。

書かれていない四点は、署名がないのか、見えないだけなのか。

画像からは判断できない。

記録にも、署名の有無は書かれていない。

役割を、題にする

いま見た一点の題は、昔の兵士の呼び名である。

物語や芝居に出てくる役柄でもある。

画面には、暗い中に顔が浮かんでいる。

帽子も、剣も、衣装も見えない。

つまり、題が示す役柄の手掛かりは、画面にない。

見えないものを、題にする

画面に手掛かりのない題は、九点のうち三点ある。

役柄を示す題、物語の名の題、本を指す題である。

いずれも、画面を見ただけでは題にたどり着けない。

題が先にあって、画面が後から結びつけられている。

最も小さい一点

この一点は、九点で最も小さい。

縦21センチ、横15.7センチ。

そして、九点で最も暗い。

顔の輪郭がかろうじて読み取れる程度である。

繊維板という支持体

この一点だけ、支持体が違う。

繊維板と記録される。

木の繊維を固めて作った板である。

カンヴァスより安く、硬い。

二十世紀の初めから使われるようになった材料である。

支持体の三通り

九点の支持体を分けると、三通りになる。

カンヴァスが七点。

カンヴァスを板紙に貼ったものが一点。

繊維板が一点。

カンヴァスを板紙に貼るのは、保護のために後から行うことが多い。

もとはカンヴァスだけだったのだろう。

白い楽園
アリス・パイク・バーニー《白い楽園》1900年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦71.4センチ、横51センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《白い楽園》スミソニアン協会蔵

帽子の羽

いま見た一点の題は、色と場所を組み合わせた言葉である。

白い楽園。

画面には、黒い帽子をかぶった女性が描かれる。

その帽子から、白く長い羽が伸びている。

この時代、帽子には鳥の羽が飾りとして使われた。

その中に、楽園という名を持つ鳥の羽がある。

羽の飾りについて

この時期、鳥の羽を帽子に飾ることが流行した。

その需要のために、多くの鳥が捕獲された。

そのことが問題とされ、後に保護の運動が起きている。

絵に描かれた白い羽は、そうした時代の産物でもある。

いま見るときには、その背景も踏まえておきたい。

題の読み方

そう考えると、この題は帽子の羽を指しているのかもしれない。

白い羽と、その鳥の名を組み合わせた言葉である。

画面の中で最も目立つのも、その白い羽である。

ただし、記録にはそうした説明がない。

読む側の推測である。

年が、記録される五点

この一点の年は、1900年ごろである。

九点のうち、年が記録されるのは五点だけである。

残る四点は、制作年不詳と書かれる。

年が分かるものと、分からないものが、ほぼ半々である。

不詳と書く

制作年不詳という書き方は、空欄とは違う。

分からないと確認したうえで、そう書いている。

推定の年を入れて、あるように見せてはいない。

九点のうち四点が、その状態にある。

夢の本
アリス・パイク・バーニー《夢の本》1901年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦50.5センチ、横40.7センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《夢の本》スミソニアン協会蔵

画面にない物を、題にする

いま見た一点の題は、本である。

しかし、画面に本らしいものは見当たらない。

描かれているのは、薄い布をかぶった女性の横顔である。

耳には、長い飾りが下がる。

肩のあたりに赤い花のような形があるが、本ではない。

題が、画面の外を指す

つまり、この題は画面の中の物を指していない。

夢という語と、本という語の組み合わせである。

何かの物語や、詩の題かもしれない。

記録には、その説明がない。

上に書かれた署名

この一点の署名は、画面の左上にある。

暗い背景の中で、明るい色の文字が読める。

下のほうは布の描写で埋まっているので、上を選んだのだろう。

署名の位置も、画面の作りで決まる。

薄い布

この一点では、女性の顔に薄い布がかかっている。

その下の肌と髪が透けて見える。

透ける布を描くには、下の色を先に置き、上から薄く重ねる。

手のかかる部分である。

年が、一つに決まる

この一点の年は、1901年である。

ころ、が付かない。

九点のうち、年が一つに決まるのは三点だけである。

エンデュミオン
アリス・パイク・バーニー《エンデュミオン》1910年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦46.3センチ、横38.1センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《エンデュミオン》スミソニアン協会蔵

物語の名を、題にする

いま見た一点の題は、古い物語に出てくる人物の名である。

眠り続ける若者の名である。

画面には、横を向いた若い男性が描かれる。

肩が露わになり、背景は褐色に暈される。

名が、二重になる

ここで、面白いことが起きている。

題は人の名である。

しかし、描かれた人の名ではない。

物語の中の名を、描かれた人に当てはめている。

つまり、名がありながら、誰かは分からない。

九点で唯一の男性

この一点だけ、描かれているのが男性である。

残る八点は、いずれも女性らしい人物である。

物語の名を当てはめる題も、この一点だけである。

目を伏せる

この一点の人物は、目を伏せている。

眠りに近い表情である。

題の物語に合わせた姿勢だろう。

つまり、題と画面が対応している。

九点の中では、対応のはっきりした例である。

城館の女主人
アリス・パイク・バーニー《城館の女主人》1912年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦84.2センチ、横63.3センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《城館の女主人》スミソニアン協会蔵

二点の暗い背景

この一点と、先に見た一点は、どちらも褐色の背景である。

形のあるものは何も描かれていない。

人物の輪郭が、背景の中に溶けていく。

肩の線が、途中で消えている。

輪郭を描き切らないのは、この画家の九点に共通する。

立場を、題にする

いま見た一点の題は、屋敷を治める女性を指す言葉である。

役職に近い言葉である。

画面には、大きな黒い帽子をかぶった女性が描かれる。

背後には、格子と緑の木立が見える。

庭にいるらしい。

帽子という主題

九点のうち四点で、女性が帽子をかぶっている。

黒く、大きく、羽や布の飾りが付く。

二十世紀初めの帽子は、顔より大きいことも珍しくない。

帽子が大きいと、顔が小さく見え、影が落ちる。

肖像としては、扱いの難しい要素である。

最も大きい一点

この一点は、九点で最も大きい。

縦84.2センチ、横63.3センチ。

最も小さい一点の、十六倍近い面積である。

胸から上ではなく、腰の近くまで入っている。

格子の向こう

背景の格子は、庭の垣根だろう。

その向こうに、木立と空が見える。

屋外で描いたのか、屋内で背景を作ったのかは分からない。

明るい背景

この一点の背景は、九点で最も明るい。

黄緑と青が広がり、格子の線が斜めに走る。

残る八点は、いずれも暗い背景である。

背景が明るいと、人物の輪郭が黒く沈む。

黒い帽子が、その効果を強めている。

真鍮の湯沸かし
アリス・パイク・バーニー《真鍮の湯沸かし》1890年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦78.6センチ、横61.3センチとされる。スミソニアン協会蔵。アリス・パイク・バーニー《真鍮の湯沸かし》スミソニアン協会蔵

物を、題にする

いま見た一点の題は、人ではなく物である。

真鍮の湯沸かし。

画面には、若い女性がその湯沸かしを抱えている。

金色に光る大きな器で、画面の下半分を占める。

器を持つ姿勢

この一点の女性は、両手で器を抱えている。

胸の前に持ち上げ、体をわずかに傾けている。

手に物を持たせると、姿勢が決まる。

何もない手は、置き場所に困る。

肖像でよく使われる工夫である。

人より、物が題になる

人物が描かれているのに、題は物である。

しかも、その物は画面の一部でしかない。

なぜ、そちらが題になるのか。

金色の器は、画面で最も明るく、最も目を引く。

見た人が最初に覚えるのは、その光かもしれない。

最も古い年

この一点の年は、1890年ごろである。

九点で最も古い。

最も新しい一点は1912年である。

年が分かる五点は、二十年余りに散る。

単位の後の点

九点の寸法の書き方には、細かい揺れがある。

換算した数値の後に、点を打つものが五点。

打たないものが四点。

同じ館の同じ画家の九点でも、書式はそろっていない。

小数の桁

もう一つ、揺れがある。

一点だけ、末尾に意味のない零を残している。

21.0センチ、15.7センチ。

残る八点は、そうした零を落としている。

題を、まとめる

最後に、九点の題をまとめておく。

画面の中の物を指すものが三点。

人物の立場や役割を示すものが三点。

物語の名や、場所を思わせるものが二点。

意味の取りにくいものが一点。

いずれも、描かれた人の名ではない。

四点の年不詳

年が分からない四点は、いずれも小さめの作である。

縦21センチ、23.8センチ、33.8センチ、45.7センチ。

年の分かる五点は、縦46.3センチから84.2センチ。

大きい作ほど、年が残っている。

展覧会に出したものは、記録が残りやすい。

名を出さない肖像

九点は、いずれも一人の人物を正面から扱っている。

顔があり、表情があり、装いがある。

しかし、その人が誰かは記録されていない。

題が、その情報の場所を別の言葉で埋めている。

題という装置

題は、作品の名である。

同時に、見る側への案内でもある。

九点では、その案内が個人から離れる方向に働いている。

肖像を、肖像ではないものとして見せる。

そのために、題が使われている。

同じ画家の年の記録については、年が、書かれない二点——アリス・パイク・バーニーで扱った。

自画像については、自画像が、四点ある——アリス・パイク・バーニーも参照されたい。

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