一点だけ、桁が違う——ジェームズ・キャロル・ベックウィズ
九点のうち一点は、縦が三メートルを超える。残る八点は縦22センチから35センチの板である。面積では七十倍から二百倍ひらく。同じ数年に、この二つの桁が並行して作られている。落差を見たい。収蔵の年も、五十年離れている。

一点だけ、桁が違う
九点の寸法を並べると、一点だけが飛び抜けている。
縦304.8センチ、横228.6センチ。
三メートルを超える画面である。
残る八点は、縦が22センチから35センチ。
最も大きい八点の一つでも、縦34.9センチにとどまる。
面積で比べると、およそ七十倍から二百倍の開きがある。
同じ画家が、同じ時期に、この二つの桁の絵を作っている。
九点を並べて、その落差を見たい。

九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
カンヴァスに油彩が一点。板に油彩が八点。
年は1910年から1913年までの四年間である。
主題は、彫像が五点、街や建物の眺めが四点。
九点とも、同じ館に収まっている。
ただし、館に入った時期は五十年離れている。
二つの群
八点の板のうち、七点は同じ寄贈から来ている。
収蔵番号の頭が同じで、枝番だけが違う。
つまり、この八点はまとめて館に入った。
一人の画家の手元にあった板が、そのまま移ったのだろう。
大きな一点だけ、別の年に、別の経路で入っている。
額の内側で測る
大きな一点の寸法の欄には、他と違う語が付いている。
額の内側で見える範囲、という意味の語である。
つまり、この数字はカンヴァス全体の寸法ではない。
額に隠れた部分は、この数字に入っていない。
実際のカンヴァスは、これより数センチ大きいはずである。
なぜこの測り方をしたのか。
額から外さずに測ったのだろう。
三メートルの絵を額から外すには、人手も場所も要る。
三メートルという実感
縦304.8センチは、部屋の天井に届く高さである。
日本の住宅の天井は、二メートル半に満たないことが多い。
つまり、普通の部屋には立てられない。
横228.6センチも、壁一面に近い。
こうした絵は、公共の建物か、大きな展示場に掛けるために作られる。
家に飾るための絵ではない。
見える範囲、という考え方
額の内側で測るのは、間違った方法ではない。
見る側にとっては、見える範囲が絵の大きさである。
ただし、他の八点はこの語を使っていない。
八点は、板そのものの寸法だと考えられる。
同じ館の記録で、測る基準が二通りある。
比べるときには、この違いを知っておく必要がある。
三メートルの絵を描く
縦三メートルの絵は、腕の届く範囲を大きく超える。
台に乗り、離れて見て、また乗る。
全体を一度に見るには、部屋の反対側まで下がることになる。
描く場所も要る。天井の高い工房でなければ入らない。
そして、完成した絵をどこへ運ぶかという問題がある。
これだけの絵は、展示のために描かれたと考えるのが自然である。
1912年という年
大きな一点の年は1912年である。
八点の板は、1910年から1913年に散る。
つまり、大きな絵は八点の真ん中の時期にあたる。
同じ数年のあいだに、桁の違う二種類の絵が作られている。
一方は工房で、一方は旅先で。
作る場所も、かかる時間も違ったはずである。
何が描かれているか
大きな一点には、彫像が一体、背を向けて立っている。
長い衣をまとい、右手に杖のようなものを持つ。
台座の上に立ち、その向こうに広い空が開ける。
雲が層をなし、水平線の近くに赤い日が見える。
日の出か、日の入りか。
像の顔は見えない。
こちらに背を向けているためである。
逆光という条件
日を背にして立つものを描くと、こちら側は影になる。
輪郭だけが明るく縁取られ、面は暗く沈む。
この一点は、その条件で描かれている。
彫像の細部を見せる絵ではない。
形と、その周りの光を見せる絵である。
そして、逆光は夕方か朝にしか起きない。
つまり、描ける時間は限られている。
雲の描き方
空の雲は、幾つもの層に分かれている。
上のほうは暗く、水平線に近づくほど明るい。
日の近くだけ、赤と橙が入る。
大きな画面では、こうした移り変わりを広く見せられる。
小さな板では、同じことをしても目に入りにくい。
背を向けた像
彫像を描くとき、正面から描くのが普通である。
顔があり、姿勢があり、それが像の内容だからである。
しかしこの一点では、背中しか描かれていない。
像そのものより、像と空の関係が主題になっている。
夕暮れの光の中に、黒い塊として立つ。
輪郭だけが残り、細部は闇に沈む。
三メートルの画面で、これをやっている。
空が主になる
この一点で、画面の大半を占めるのは空である。
像は左寄りに立ち、上下に細長い塊として見える。
その周りに、雲と光が広がる。
彫像を描いた絵というより、夕暮れを描いた絵に近い。
像は、その中に置かれた黒い形である。
大きな画面だからこそ、空の広さが効く。
台座と手すり
像の足元には、四角い台座がある。
その下に、低い手すりが横に走る。
石造りの台か、庭の縁だろう。
手すりの向こうは、すぐに空になる。
高いところに立つ像だと分かる。
題について
大きな一点の題は、外国語の一語である。
皇帝、という意味の語である。
冠詞と名詞のあいだに、余計な空きが入っている。
もとの記録の入力の癖だろう。
どの皇帝を指すのかは、記録に書かれていない。
像そのものがどこにあるかも、書かれていない。

門柱の上の像
いま見た一点には、甲冑をまとった像が座っている。
石の柱の上に据えられ、背後は濃い木立である。
題によれば、門の柱だという。
屋敷の入口を示す像だろう。
画面の下には、署名らしい文字が読める。
板に描く
八点の技法は、いずれも板に油彩である。
カンヴァスではない。
板は硬く、反りにくい。
小さな画面には向いている。
そして、その場で描いて鞄に入れられる。
八点の縦が22センチから35センチに収まるのは、そのためだろう。
持ち運べる大きさである。
板と、その下地
板に描くときは、まず下地を塗る。
木は水分を吸うので、そのままでは絵具が沈む。
白い下地を塗れば、上に置いた色が明るく出る。
八点の画像を見ると、下地の色は明るい。
暗い主題でも、下から明るさが返ってくる。
二つの判型
八点の寸法を並べると、二つの群に分かれる。
縦34.9センチのものが四点。
縦22センチから24センチのものが四点。
横は、前者が26センチ前後、後者が12センチから14センチ。
つまり、大きめの板と、小さめの板を持っていたことになる。
同じ寸法の板を何枚も用意しておけば、旅先で困らない。
同じ板を、何枚も
同じ寸法の板を何枚も用意しておく利点は、はっきりしている。
鞄の中で重ねられる。
乾いていない面が擦れないよう、間に仕切りを挟める。
そして、帰ってから並べたときに、揃って見える。
八点のうち四点が同じ縦の寸法なのは、そのためだろう。
縦34.9センチの四点
縦34.9センチの四点は、横がわずかに違う。
26.0センチが二点、25.8センチが一点、25.7センチが一点。
差は3ミリ以内である。
同じ寸法で切った板でも、これだけの差は出る。
館は、その差をそのまま記録している。
丸めていない。

題と、見えるもの
いま見た一点の題には、ある宮殿の名が入る。
しかし画面を見ると、街全体が広く描かれている。
宮殿らしい建物は、上のほうに小さく見えるだけである。
題が指すものと、画面の主役が一致していない。
その建物から見た眺め、という意味かもしれない。
題の読み方は、一通りではない。
細長い板
いま見た一点は、縦22.2センチ、横12.1センチ。
縦横の比が一・八になる。
かなり細長い。
画面の下半分は緑の斜面で、上半分に建物が並ぶ。
縦長の画面に、街を下から見上げる構図が収まっている。
細長い板は、こうした構図に向く。
単位の後の点
八点の寸法の書き方に、細かい揺れがある。
換算した数値の後に、点を打つものと打たないものがある。
九点のうち、点を打たないものが二点ある。
読むうえで支障はない。
しかし、同じ寄贈の同じ群でも、書式はそろっていない。

題の中の小文字
いま見た一点の題には、地名が入っている。
その地名の一部が、小さな文字で書かれている。
他の語は大きく始まっているのに、そこだけ違う。
もとの言語の綴りをそのまま残したのだろう。
館の記録では、こうした揺れがしばしば残る。
日本語の題に直すと、この違いは消える。
ころ、の付く一点
八点のうち一点だけ、年に、ころ、という語が付く。
1910年ごろ、と書かれている。
残る七点は、年が一つに決まっている。
板の裏に日付が書かれていれば、年は決まる。
書かれていなければ、他の板との比較で推定するしかない。
一点だけ、その手掛かりがなかったということだろう。
赤い屋根
この一点では、街の屋根が赤く塗られている。
その上に、塔と丸屋根が立つ。
手前は濃い緑の木立で、画面の下三分の一を占める。
空には大きな雲が広がる。
小さな板に、街と空の両方が入っている。

縦と横が、合わない
いま見た一点の記録では、縦22.2センチ、横14センチとされる。
縦のほうが長い、ということになる。
ところが、公開されている画像は横に長い。
明らかに、横のほうが広い。
記録の数字と、画像の形が合わない。
縦と横が入れ替わって記録された可能性がある。
館の記録は、そのまま残っている。
ここでは、食い違いをそのまま書いておく。
横長の一点
八点のうち、画像が横長なのはこの一点だけである。
残る七点は、いずれも縦長である。
川と対岸を広く見せるには、横長が向く。
同じ板の在庫でも、向きを変えれば横長に使える。
つまり、板の向きは描く前に決められる。
川と橋
この一点には、川が広く描かれている。
対岸に町があり、その上に塔が立つ。
左手には、橋のような構造が水面に伸びる。
水面には、空の色が映っている。
橋は途中で切れているようにも見える。
有名な橋の話を知っていれば、そのことに思い当たる。
しかし、記録にはその説明がない。
署名
この一点の画面の左下には、細い文字が書かれている。
署名だろう。
八点のうち、署名が読み取れるものは二点ある。
小さな板でも、署名を入れている。
売るつもりだったのか、記録として書いたのか。
そこまでは分からない。

二つの土地
八点の題に出てくる地名を並べると、二つの国にまたがる。
ローマの名が二点、南フランスの地名が二点。
残る四点には、地名がない。
彫像の名だけが書かれている。
つまり、旅の道筋は題からは半分しか分からない。
最も細長い一点
いま見た一点は、縦24.1センチ、横13.3センチ。
縦横の比が一・八一になる。
九点で最も細長い。
画面の右上に鐘楼が立ち、その下は濃い緑の木立である。
空は、紫と黄が混ざった夕方の色をしている。
板の縁が画像に写り込んでおり、木肌が見える。
夕方の空
この一点の空は、紫と黄が混ざっている。
日が沈んだ直後の色である。
九点のうち、夕方の空を描いたものは四点ある。
昼の強い光より、夕方の柔らかい光が選ばれている。
そのほうが、影が長く、形が読みやすい。
板の縁
この一点の画像には、板の縁が入っている。
塗り残された部分に、木の色が見える。
つまり、板は下地を塗ってから描かれている。
縁まで塗り切っていないのは、急いで描いたからだろう。
その場で描く絵では、こうした跡が残る。

庭の像
いま見た一点には、白い彫像が立っている。
女性の姿で、腕に麦の束を抱えている。
麦は、実りの女神の持ち物である。
題にも、その名が書かれている。
台座は四角く、下へ向かって細くなる。
背後は刈り込まれた生垣で、その向こうに空が見える。
生垣と空
この一点の背景は、刈り込まれた生垣である。
上端をそろえて刈られ、まっすぐな線を作っている。
その向こうに、明るい空が広がる。
人の手で整えられた庭であることが、この線から分かる。
自然の木立とは、輪郭が違う。
大きな一点との違い
この一点と、三メートルの一点は、主題が近い。
どちらも、庭に立つ彫像である。
しかし、扱いはまったく違う。
大きな一点では、像は黒い塊になり、空が主になる。
この一点では、像そのものが細かく描かれる。
顔も、衣の襞も、麦の粒も見える。
画面が小さいのに、描かれている情報は多い。

白い石
この一点の彫像は、白い石で作られている。
木立の暗さの中で、白がはっきり浮かぶ。
彫像を庭に置くとき、白い石が選ばれることが多い。
緑の中で目立ち、光をよく返すからである。
八点のうち、白い石の像を描いたものは三点ある。
題が、四つに分かれる
いま見た一点の題は、九点で最も長い。
彫像の名。彫った人の名。作られた年。そして置かれている場所。
四つの情報が、区切り記号で並んでいる。
途中に、他の題では使われない記号が入る。
つまり、この題は絵の題というより、彫像の説明である。
描いた画家が、その場で札を読んで書き留めたのかもしれない。
1689年という年
この題には、1689年という年が入っている。
絵の年は1913年である。
つまり、二百二十四年前に作られた彫像を描いている。
年の欄には1913年しか入らない。
題を読まなければ、彫像の年は分からない。
泉水の名
題の最後には、庭の泉水の名が入る。
その泉水のそばに置かれた像だ、という意味だろう。
場所まで書けば、後から探しに行ける。
描かれた彫像の年
九点のうち五点は、彫像を描いている。
しかし、彫像の年が分かるのは、この一点だけである。
残る四点の題には、彫像の作られた年がない。
同じ画家の同じ群でも、題に入る情報の量が違う。

暗い一点
いま見た一点は、九点で最も暗い。
彫像は緑がかった黒で、木立に沈んでいる。
白い石ではなく、金属の像だろう。
奥には水盤らしいものが見え、水が噴き上がっている。
上部にだけ、明るい空が細く覗く。
水と像
この一点には、水が描かれている。
彫像の奥に水盤があり、水が上へ噴き出している。
庭の泉水だろう。
九点のうち、水の噴き上がる場面はこの一点だけである。
暗い画面の中で、その部分だけが白く光る。
五十年の差
九点の収蔵番号は、二つに分かれる。
大きな一点は1924年、八点は1974年である。
五十年の開きがある。
つまり、大きな絵が先に館へ入り、小さな板は後から入った。
大きな展示用の絵は、早くに人の目に触れる。
旅先で描いた小さな板は、長く手元に残る。
その順序が、収蔵の年に出ている。
一群としての八点
八点は、まとめて一人の手元から出ている。
だから、判型がそろい、技法がそろい、時期も近い。
一点ずつ見れば、小さな板の絵である。
八点を並べれば、数年の旅の記録になる。
その読み方ができるのは、まとまって残ったからである。
枝番の飛び
八点の枝番は、1、3、5、6、9、10、13、16である。
抜けている番号が多い。
つまり、この寄贈には少なくとも十六点が含まれていた。
八点は、その半分にすぎない。
残りの八点がどこにあるかは、この記録からは分からない。
二つの桁を、行き来する
最後に、もう一度大きさの話に戻る。
三メートルの絵と、二十センチの板。
同じ画家が、同じ数年のあいだに両方を作っている。
板は旅先で描き、大きな絵は工房で描いたのだろう。
板に描いた彫像が、大きな絵の材料になった可能性もある。
しかし、記録にはそう書かれていない。
分かるのは、九点の寸法の欄が、二つの桁に分かれていることだけである。
同じ画家の庭の絵については、木立の下の白い像——ジェームズ・キャロル・ベックウィズで扱った。
板に描くという方法については、板に描くということ——メムリンクとヘラルト・ダヴィトも参照されたい。



