美術史・技法

公募で買った千点——南紀男山焼・永樂保全ほか、名前のない出所の行

誰が払ったのかが書かれない行がある。公募による購入。数名の紳士による寄贈。画家の友人たちによる公募。そして匿名。人数が多すぎるか、名を出さないと決めているか。名前が消える四つの型を並べたい。寸法の欄が合わない皿もある。

蓋物
南紀男山焼《蓋物》メトロポリタン美術館蔵

誰が払ったのか、が書かれない行

出所の行には、たいてい一人の名前が入る。

誰それによる寄贈。

誰それの遺贈。

ところが、人数が特定できない書き方もある。

公募による購入。

数名の紳士による寄贈。

画家の友人たちによる、公募での寄贈。

匿名による寄贈。

いずれも、金を出した人が一人ではない。

あるいは、名を出さないと決めている。

今回は、そういう行を九点ぶん並べてみたい。

蓋物
南紀男山焼《蓋物》1850年ごろ。館の記録では、白磁に金を掛けたもの。偕楽園焼と記される。高さ11.4センチ、径17.8センチ。番号は79.2.955のaとb。出所の行は「公募による購入、1879年」。メトロポリタン美術館蔵。南紀男山焼《蓋物》メトロポリタン美術館蔵

公開されている画像は白黒である。

丸い鉢に、同じ形の蓋がかぶさっている。

蓋の頂に、小さな摘みが付いている。

表面は一様に暗く写っている。

記録によれば、全体が金で覆われている。

白黒の写真では、金は灰色にしか写らない。

そのなかに、白く抜けた部分が二か所ある。

そこだけ模様が線で描かれている。

金の地に、白い窓を開けたような作りである。

番号の末尾に、aとbが付いている。

鉢と蓋で、二つの部品があるからである。

公募という言葉

公募と訳した語は、もとの記録では申し込みによる募金を指す。

金額を決めて呼びかけ、応じた人が名前と額を書いて申し込む。

十九世紀の欧米では、建物や記念碑を作るときによく使われた方式である。

美術館がこの方式で買い物をしたのは、それなりの理由があったはずである。

館そのものに、まとまった資金がなかった。

しかし、買いたいものが目の前にあった。

一八七〇年代の後半、アメリカでは日本の工芸品への関心が急に高まっていた。

一八七六年にフィラデルフィアで開かれた万国博覧会が、その大きなきっかけである。

日本からは大量の陶磁器や漆器が出品された。

博覧会が終われば、出品物は売られるか、持ち帰られる。

買うなら、その時しかない。

館の記録が示すのは、一八七九年に千点規模の日本陶磁が一度に入ったという事実だけである。

どういう経緯で買われたかまでは、出所の行には書かれていない。

それでも、番号の並びと年と方式の三つを重ねると、事情の輪郭は見えてくる。

偕楽園焼という名

四点のうち三点の技法の欄に、同じ窯の名が入っている。

紀州の徳川家が、屋敷の庭に築いた窯である。

大名が自分の庭で焼かせた器を、御庭焼と呼ぶ。

売るためではなく、贈るために作られたものが多い。

だから数が少なく、まとまって残りにくい。

その窯の器が、複数まとめてアメリカへ渡っている。

三点目の作者は、京都の名家の当主である。

紀州の窯に招かれて仕事をした時期がある、と伝えられる。

館の記録は生没年を一七九五年から一八五四年とする。

四点目だけは、有田の窯である。

作者名と別に、製造元の名も併記されている。

同じ受け入れのなかに、御庭焼と輸出向けの磁器が混じっている。

買い集めた側が、両者を区別していたかどうかは分からない。

日本のやきものである、という一点で束ねられたのだろう。

千を超える番号

この番号を、よく見たい。

七九・二・九五五。

一八七九年、二番目の受け入れ、その九五五番目。

同じ受け入れの他の番号も見てみる。

七九・二・九五四。

七九・二・九七八。

七九・二・一〇五一。

千を超えている。

一度の受け入れで、千点以上が入ったことになる。

出所の行は「公募による購入」である。

一人の財布では、こうはならない。

大勢が少しずつ出し合って、まとめて買った。

そういう買い方が、この年に行われた。

花生
永樂保全《花生》19世紀。館の記録では、陶土に色釉を掛け、文様を浮き上がらせたもの。偕楽園焼と記される。高さ17.3センチ、径11.4センチ。番号は79.2.954。メトロポリタン美術館蔵。永樂保全《花生》メトロポリタン美術館蔵

こちらも白黒の画像である。

首がすぼまり、胴が丸く張った形。

地は暗く、そのなかに明るい円形の文様が浮かんでいる。

円の中に、細かい線で文字のような形が組まれている。

肩のあたりには、如意の頭のような形が連なる。

胴の下のほうにも、輪郭のはっきりした花の形がある。

記録には、文様を浮き上がらせた上に色釉を掛けたとある。

つまり、模様は絵ではなく、盛り上がりである。

指でなぞれば、段差が分かるはずである。

白黒でも文様がはっきり見えるのは、その段差のためだろう。

花生
永樂保全《花生》19世紀。館の記録では、陶土に釉を掛けたもの。偕楽園焼と記される。高さ14.6センチ、胴径8.6センチ、口径5.4センチ、高台径5.7センチ。番号は79.2.978。メトロポリタン美術館蔵。永樂保全《花生》メトロポリタン美術館蔵

前の一点とよく似ている。

同じ作者、同じ窯、同じ形の系統である。

高さは三センチ小さい。

そして、この画像には別のものが写っている。

台の右下に、白い札が置かれている。

館の名が印刷された、記録用の札である。

作品を撮るときに、番号を一緒に写しておくためのものだろう。

撮影は、かなり古い時期のものと思われる。

作品の写真であると同時に、事務の記録でもある。

こういう写真が残っていること自体が、受け入れの規模を語っている。

千点を一つずつ撮るなら、間違えない工夫が要る。

寸法の欄が、合わない

四点目は、色の付いた画像で見られる。

籠目文様の皿
蔵春亭三保《籠目文様の皿》1840年から1860年代ごろ。館の記録では、透明釉の上に色絵を施した磁器。有田焼、久富与次兵衛の製と記される。高さ2.2センチ、径1.9センチ。番号は79.2.1051。メトロポリタン美術館蔵。蔵春亭三保《籠目文様の皿》メトロポリタン美術館蔵

浅い皿である。

白い地に、赤と緑と青の花文が散らしてある。

縁に金の細い線が回っている。

裏の外側は籠目に作られていると記録にある。

画像では裏が見えないので、そこは確かめられない。

ここで、寸法の欄に目を移したい。

高さ二・二センチ、径一・九センチ。

径のほうが、高さより小さい。

皿でそれはあり得ない。

画像を見ても、明らかに横に広い。

もとの記録は寸を分数で書いている。

八分の七インチと、四分の三インチ。

このどちらかが、別の部位の数字だろう。

あるいは、桁が落ちている。

千点をまとめて登録した受け入れである。

一つずつ丁寧に測る余裕はなかったのかもしれない。

数の多さは、精度と引き換えになる。

数名の紳士

次に、人数が書かれない別の型を見たい。

ムラーノのガラス吹き
チャールズ・フレデリック・ウルリッヒ《ムラーノのガラス吹き》1886年。館の記録では、板に油彩。66.4×53.7センチ。番号は86.13。出所の行は「数名の紳士による寄贈、1886年」。メトロポリタン美術館蔵。チャールズ・フレデリック・ウルリッヒ《ムラーノのガラス吹き》メトロポリタン美術館蔵

暗い工房の中である。

奥に炉があり、そこだけが赤く光っている。

炉の前に立つ人が、長い棹を扱っている。

棹の先に、熱を持ったガラスの塊がある。

手前には木の台が並び、職人が座っている。

左の男は棹を回している。

右の女たちは、できたものを並べている。

床には青緑色の瓶が置かれ、そこにも炉の光が映る。

天井は低く、奥の窓から白い光が細く入る。

働いている人の数が多い。

十人以上が同じ空間にいる。

一人の職人の絵ではなく、作業場の絵である。

出所の行は、数名の紳士による寄贈。

作られた場所と同じで、贈った側も複数だった。

単数と複数が、そろっていない

もう一点、同じ書き方のものがある。

デイヴィッド・シアーズ・ジュニア
ギルバート・スチュアート《デイヴィッド・シアーズ・ジュニア》1815年ごろ。館の記録では、布に油彩。69.2×59.7センチ。番号は81.12。出所の行は「数名の紳士による寄贈、1881年」。メトロポリタン美術館蔵。ギルバート・スチュアート《デイヴィッド・シアーズ・ジュニア》メトロポリタン美術館蔵

若い男の胸から上である。

青灰色の背景から、顔が浮かび上がっている。

髪は薄い茶色で、右へ流している。

黒い上着に、白い襟を高く立てている。

胸元に、細かい襞の入った白い布が重なる。

顔は正面よりわずかに左を向く。

頬に赤みがあり、生気がある。

輪郭は柔らかく、境目がぼかされている。

この二点は、五年しか離れていない。

そして、出所の行の書き方も同じである。

ただし、英語の綴りが違う。

一八八六年のほうは複数形。

一八八一年のほうは単数形で書かれている。

同じ意味の行が、単数と複数で揺れている。

意図があるとは考えにくい。

書き写すときの誤りだろう。

記録は、こういう小さな揺れを抱えたまま残っている。

そして、直さずに公開されている。

直せば読みやすいが、もとの帳簿に遡れなくなる。

画家の友人たち

三つ目の型は、目的が書かれている。

わが相棒
チャールズ・シュライフォーゲル《わが相棒》1899年に完成。館の記録では、布に油彩。64×86.4センチ。額を含めると84.8×121×10.2センチ。番号は12.227。出所の行は「画家の友人たちによる、公募での寄贈、1912年」。メトロポリタン美術館蔵。チャールズ・シュライフォーゲル《わが相棒》メトロポリタン美術館蔵

乾いた黄土色の平原である。

空は明るい水色。

中央で、馬に乗った兵が身をかがめている。

その腕が、地面にいるもう一人の兵をつかんでいる。

引き上げようとしているところである。

馬は前脚を上げ、体をひねっている。

右手に、別の騎兵が銃を構えて走る。

奥にも白い馬が一頭。

砂埃が低く上がっている。

助け起こす動作が、画面の中心にある。

題も、その関係を指している。

出所の行の年は一九一二年。

画家が亡くなった年である。

友人たちが金を集めて、この絵を館へ入れた。

追悼の行為が、そのまま出所の行になっている。

公募という語が、ここでは別の意味を持つ。

一八七九年の公募は、館が呼びかけたものだった。

一九一二年の公募は、画家を惜しむ人たちが自分で始めたものである。

同じ語でも、誰が言い出したかで意味が変わる。

額の寸法まで書かれている

一九一二年の絵と一九六二年の絵には、額の寸法が併記されている。

作品が六十四センチ、額を含めると八十四センチ。

もう一点は、八十六センチに対して百センチ。

差が二十センチ前後ある。

額は作品の一部として扱われることも、そうでないこともある。

寸法欄に額を書くのは、その額が作品と一緒に来たという意味である。

売り立てで買われた絵は、額ごと動くことが多い。

友人たちが金を集めて贈るときも、額を外して渡すとは考えにくい。

寸法の欄の二段書きは、そういう受け渡しの形まで残している。

一八七九年の陶磁には、当然ながら額の欄はない。

代わりに、蓋と身で番号に枝が付いている。

物の形に応じて、記録の書き方が変わる。

名前を書かない、という選択

最後の型は、名前を出さないと決めた寄贈である。

追跡
チャールズ・シュライフォーゲル《追跡》1900年以降。館の記録では、布に油彩。86.7×62.9センチ。額を含めると100×76×7センチ。番号は62.241.4。出所の行は「匿名による寄贈、1962年」。メトロポリタン美術館蔵。チャールズ・シュライフォーゲル《追跡》メトロポリタン美術館蔵

雪の斜面である。

奥に赤茶けた岩山が立ち上がる。

手前を、馬に乗った男が下ってくる。

長い髪を背に垂らし、片手に銃を持つ。

馬の脚が雪を蹴り上げている。

雪の白と、岩の赤茶と、馬の栗色。

色は三つしか使われていない。

構図は縦長で、上から下へ動きが流れる。

画面に描かれているのは先住民の男である。

題も含めて、これは十九世紀末から二十世紀初めのアメリカで作られた、西部の物語の絵である。

当時の白人の観客に向けて描かれ、売られていた。

館の記録の題をそのまま訳したが、その題が誰の視点から付けられたものかは、見る側で意識しておきたい。

前の一点と同じ画家、しかも同じ主題の系統である。

一方は友人たちが名を連ねて贈った。

もう一方は、名を伏せて贈られた。

五十年の開きがある。

一九八六年の椅子

もう一点、匿名の寄贈を見ておきたい。

肘掛椅子
ヘンリー・ホブソン・リチャードソン《肘掛椅子》1880年ごろ。館の記録では、樫材。83.8×63.5×73.7センチ。番号は1986.447.2。出所の行は「匿名による寄贈、1986年」。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・ホブソン・リチャードソン《肘掛椅子》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

低く、幅の広い椅子である。

背もたれは板ではなく、太い横木が二本渡してある。

肘掛は、外へ向かって斜めに開いている。

肘掛の側面に、渦を巻く彫りが入る。

脚は角材で、下に丸い玉の足が付く。

座面は張られておらず、枠だけが見える。

装飾は彫りだけで、曲線は少ない。

設計したのは建築家である。

建物のために作られた椅子だろう。

八十三センチの高さは、背もたれとしては低い。

深く腰を落として座る形である。

名を書かない理由は、一つではない

匿名の寄贈には、理由がいくつも考えられる。

税や相続の事情を知られたくない。

家族のあいだで話がまとまっていない。

前の持ち主との約束がある。

単に、目立ちたくない。

記録は理由を書かない。

匿名、とだけ残す。

一方で、公募や「数名の紳士」は、匿名とは違う。

名前を書かないのではなく、書ききれないのである。

人数が多すぎるか、名簿が館に渡っていないか。

同じ「名前がない行」でも、意味は反対に近い。

白黒の写真が残っている理由

九点のうち四点は、白黒の画像しか公開されていない。

一八七九年の陶磁三点と、一九八六年の椅子である。

色のある写真に撮り直されていない。

館の所蔵は数百万点にのぼる。

すべてを新しく撮り直すことはできない。

古い写真がそのまま使われ続ける。

金の器が灰色に写り、色絵の文様が濃淡だけになる。

見る側は、記録の技法の欄で色を補うことになる。

白磁に金、と書かれていれば、灰色の地を金と読み替える。

色釉、と書かれていれば、明暗の差を色の差と読み替える。

不便ではあるが、これも記録の一部である。

そして、四点目の皿だけが色付きで公開されている。

同じ受け入れのなかでも、撮り直された点と、そうでない点がある。

どれを撮り直すかにも、何らかの優先順位があったはずである。

その順位は、記録には書かれていない。

出し合って買うということ

九点を並べ直してみたい。

一八七九年の陶磁四点は、公募で買われた。

一八八一年と一八八六年の絵は、数名の紳士から贈られた。

一九一二年の絵は、画家の友人たちが金を集めた。

一九六二年と一九八六年は、匿名の寄贈である。

百年以上にわたって、複数の手が関わる受け入れが続いている。

そして、そのすべてで、出所の行は個人名を持たない。

館の所蔵の由来を追うとき、この種の行はいちばん行き止まりになりやすい。

誰に礼を言えばよいのかも分からない。

それでも、この行は嘘をついていない。

一人ではなかった、という事実は正確に残されている。

贈った人と、描かれた人

一八八一年の肖像には、描かれた人の名が題になっている。

若い男の名である。

肖像は、注文した人がいて成り立つ。

そして、その家に代々置かれる。

家から出るときが、館へ入るときになる。

数名の紳士がこれを買って贈った、という行は、そのあいだの経緯を省いている。

家から誰かの手に渡り、そこから紳士たちが買った。

少なくとも二回、持ち主が変わっている。

出所の行が書くのは、最後の一回だけである。

一八八六年のガラス工房の絵は、事情が違う。

描かれた年と、館に入った年が同じである。

つまり、新作をその場で買って贈った。

同時代の画家を支える寄贈だった可能性が高い。

同じ「数名の紳士」でも、古い絵を買い戻す場合と、新しい絵を後押しする場合がある。

行の文面からは、その区別がつかない。

年の差を見て、はじめて分かる。

年の差を、数えてみる

九点について、制作年と受け入れ年の差を並べてみたい。

蓋物は一八五〇年ごろの作で、一八七九年に受け入れ。

差は三十年ほどである。

花生二点も、十九世紀の作なので同じくらい。

皿は一八四〇年から六〇年代の作で、やはり二十年前後。

ガラス工房の絵は、同じ年。

肖像は一八一五年ごろの作で、六十六年後。

わが相棒は十三年後。

追跡は六十年ほど後。

椅子は百六年後である。

工芸品は、作られてすぐに海を渡っている。

絵は、家のなかで何十年か過ごしてから館に来る。

椅子にいたっては、一世紀を経ている。

ものの種類によって、館に入るまでの時間がまるで違う。

出所の行の年と、制作年の欄。

この二つを引き算するだけで、そのものがどういう経路をたどったかが見えてくる。

誰の名で呼ばれるか

美術館の部屋には、寄贈者の名が付くことがある。

分野ごとの展示室に、大きな寄贈をした人の名を掲げる。

これは、出所の行の続きのようなものである。

名を残すことが、寄贈の見返りになっている。

公募や匿名の寄贈は、その見返りを求めない。

見返りを求めない代わりに、記録から人が消える。

九点のうち、名前で追いかけられる人は一人もいない。

それでも、九点はここにある。

出所の行を読み続けていると、こういう空白に何度も行き当たる。

空白は、記録の不備ではない。

そういう渡し方が選ばれた、という結果である。

数のほうを、記録している

出所の行は、人の名を記録する欄だと考えられがちである。

しかし、今回の九点はそうではない。

人の名ではなく、人が複数いたという事実のほうを記録している。

千点を超える陶磁を、まとめて買えた理由。

亡くなった画家の絵が、その年のうちに館へ入った理由。

どちらも、大勢が少しずつ出したからである。

一人の大きな寄贈は、名が残る。

大勢の小さな寄贈は、数だけが残る。

館の所蔵は、その両方でできている。

次の回では、名前が残ったほうの側を読みたい。

一八七〇年代から八〇年代にかけて、館に最初にものを渡した人たちである。

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