セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》の解説——どこで見られ、どこから描いたのか
セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》を解説します。ワシントンのナショナル・ギャラリーにある一点を館の記録と画面から読み、山がどこにあるのか、画家がどの位置から見たのか、薄い絵具が残した白い山肌までをたどります。

セザンヌ《サント=ヴィクトワール山》は、画家が故郷の山を描いた一点である。館の記録での題は《ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山》という。当サイトで画像を扱えるのは、ワシントンのナショナル・ギャラリーにある一点と、クリーヴランド美術館にある晩年の一点である。

画面の上方に、青灰色の稜線が横たわる。右寄りの一点が尖って立ち上がり、そこから左へ長く伸びる。中景には黄土色の壁と赤い屋根の家が並ぶ。その右に、濃い緑の樹が一本だけ縦に立つ。手前は畑地で、桃色と黄土と緑の面が段になって重なる。
《サント=ヴィクトワール山》はどこで見られるか
ワシントンのナショナル・ギャラリーにある。館の記録では、カンヴァスに油彩、縦67.2センチ、横91.3センチ、1887年ごろの作である。当サイトの作品ページは《ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山》から開ける。
館の来歴によれば、この絵はパリの画商を経て、収集家レーバー夫妻の手に渡った。夫妻はドイツのバルメンから、のちにスイスへ移っている。いつ入手したかは分かっていない、と館は注記する。1931年にアメリカのハリマン夫妻が買い取り、1972年に財団から館へ贈られている。番号は1972.9.4である。
ただし、この山を描いた絵はこの一点ではない。セザンヌは同じ山を繰り返し描き、作品は各地の館に分かれている。当サイトが図版に使うのは、館が権利の制約なく公開した画像(CC0)だけである。有名な絵でも、館が公開していなければここでは見せられない。
同じ1887年ごろの一点は、ロンドンのコートールド美術館にある。題は《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》という。手前の松の枝が、額縁のように山を囲む。館の記録では縦66.8センチ、横92.3センチで、ワシントンの一点とほぼ同じ大きさである。
館の解説では、同じ眺めを描いた3点のカンヴァスのうち、最も大きく仕上げの進んだ一点とされる。右手には鉄道の高架橋があり、通る列車の煙も描かれている。色の組み方も館は説明する。手前の緑と黄の面が目を山へ導き、山は冷たい青と桃色で塗られる。前景と背景に置いた小さな赤が、画面全体をつなぐという。
ワシントンの一点と並べると、違いは仕上げの度合いにある。コートールドの一点は、館が三点のうち最も仕上げの進んだ絵と呼ぶものである。対してワシントンの一点は、下地が広く残ったままになっている。同じ年ごろの同じ山でも、手の止め方は一枚ごとに違う。
館はさらに、1880年以降のセザンヌには珍しく署名のある絵だと記す。のちに画家は、この絵を若い詩人ジョアシャン・ガスケに贈った。館の解説では、この絵はエクスの素人画家の展覧会で初めて示され、そこでは理解されなかったという。
ニューヨークのメトロポリタン美術館には、この山の油彩が2点ある。館の記録では、《サント=ヴィクトワール山とアルク川谷の高架橋》は1882年から85年の作で、65.4×81.6センチ。もう一点の《サント=ヴィクトワール山》は1902年から06年ごろの作で、57.2×97.2センチと横に長い。
日本にも、同じ題の油彩がある。横浜美術館の記録では、《ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山》は1892年から95年の作である。油彩・カンヴァスで、縦73センチ、横92センチとある。ワシントンの一点とは別の絵で、当サイトでは画像を扱えない。
東京のアーティゾン美術館には、晩年の《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》がある。1904年から06年ごろの油彩で、66.2×82.1センチと記録される。館の前身のブリヂストン美術館の時代から、収蔵品の中心にあった一点である。
題にあるシャトー・ノワールは、この記事の後半に図版を出す建物と同じものである。晩年のセザンヌは、山と建物を一つの画面に組み合わせている。
いつでも展示されているとはかぎらない。館の都合で壁から下りることもある。確実に見たいときは、行く前に館の展示情報をあたるほうがよい。これはワシントンの一点でも、横浜の一点でも変わらない。
題の似た絵をどう見分けるか
同じ山の絵は題がよく似ているため、所蔵館と年で見分けるのが確かである。この記事で触れた油彩を、館の記録の年代順に並べる。
- 1882年から85年《サント=ヴィクトワール山とアルク川谷の高架橋》メトロポリタン美術館
- 1887年ごろ《ガルダンヌ近くから見たサント=ヴィクトワール山》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)
- 1887年ごろ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》コートールド美術館
- 1892年から95年《ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山》横浜美術館
- 1902年から06年ごろ《サント=ヴィクトワール山》メトロポリタン美術館
- 1904年ごろ《サント=ヴィクトワール山》クリーヴランド美術館
- 1904年から06年ごろ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》アーティゾン美術館
「ガルダンヌ近くから」と「ガルダンヌから」は、題が近いが別の絵である。前者はワシントン、後者は横浜にあり、年代も5年以上離れる。迷ったときは、寸法と所蔵館の名を見くらべるとよい。
コートールドの一点の右手に描かれた鉄道の高架橋は、メトロポリタン美術館の一点では題にも入っている。山を望む眺めの中に、近代の鉄道が入りこんでいる。
どこから描いた絵なのか
題にあるガルダンヌは、南フランスの町の名である。セザンヌが生まれ育ったエクス=アン=プロヴァンスの南にある。館の記録は、この絵をその町の近くから見た眺めとしている。
サント=ヴィクトワール山は、エクスの東に横たわる山である。エクスの観光局によれば、最高点は1011メートルになる。南の側は切り立った岩壁で、北の側はゆるやかな石灰岩の台地に続く。一つの峰ではなく、東西に長い壁のような山だと考えるとよい。
だから、見る位置によって形が変わる。この画面では、尖った頂は中央ではなく右寄りにある。そこから稜線は、落ちるのではなく台地のように平らへ伸びる。ガルダンヌはエクスの南にあるから、ここでは尾根を南の側から斜めに見ていることになる。
晩年になると、描く位置が変わる。1902年、セザンヌはエクスの北にあるレ・ローヴの丘にアトリエを構えた。1906年10月22日にエクスで没するまで、ここで仕事を続けた。アトリエの建物はいまも残り、見学できる施設になっている。
丘を少し上がると、東の方角に山が見える。最後の数年の山の絵は、このあたりから描かれた。フィラデルフィア美術館の一点も、その時期の作である。
セザンヌはこの山を何点描いたのか
クリーヴランド美術館の記録では、油彩36点と水彩45点で、合わせて81点になる。素描を含めるか、山が遠景に小さく入るだけの絵を含めるかで、数は資料ごとに変わる。どの数え方でも、一人の画家が一つの山を描いた数としては際立って多い。
描いた時期は、晩年の約20年に集まる。同じ記録は、生涯の最後の20年に、画家がこの山を繰り返し描いたと書く。題材への関心は、亡くなるまで途切れなかった。
ガルダンヌとの縁は、この時期の初めにある。メトロポリタン美術館の解説では、セザンヌは1885年の夏から翌年の春まで、この丘の町で仕事をした。町そのものを描いた絵が3点あり、その一点が同館の《ガルダンヌ》である。
ワシントンの一点は、館の年代では1887年ごろとされる。滞在の直後にあたるが、町にいるあいだに描きはじめたかどうかは記録からは分からない。確かなのは、題が町の名で眺めの位置を示していることである。
画面はどう組み立てられているか
画面は、横に走る三つの帯でできている。手前の畑、中景の家と樹、奥の山である。帯の境は水平に近く、画面を上下に区切る。
その区切りを、縦と斜めが横切る。中景の樹は一本だけ縦に立ち、上の帯と下の帯をつなぐ。手前の道は淡い線で曲がりながら奥へ延びる。右下からは、赤褐色の斜面が三角に迫り上がる。
筆の向きもそろっている。畑でも斜面でも、短い筆が同じ角度で斜めに並ぶ。対象が変わっても筆づかいは変わらない。土も草も屋根も、同じ部品として画面に置かれている。
作品ページの画像で見るときは、三つの点を順に追うとよい。まず、稜線が一本の線か、何本もの線の重なりか。次に、絵具の無い面がどこに残っているか。最後に、筆の向きが場所ごとに変わるか、そろっているか。この三つは、ほかの年の山の絵とくらべるときの物差しにもなる。
山の面はなぜ白く見えるのか
近くで見ると、山にはほとんど絵具が置かれていない。稜線は数本の青い線で引かれ、その内側は下地の淡い色のままである。空も同じで、青はまばらにしか乗っていない。
色が重ねられているのは手前である。畑の桃色と黄土、右下の赤褐色の斜面、中景の赤い屋根がそうだ。遠いものほど筆が減り、近いものほど絵具が増える。
これを未完成と呼ぶかどうかは、当サイトでは決めない。確かめられるのは、描き込んだ面と手を止めた面が、同じ画面に並んでいることである。そして塗り残された地は空白ではなく、光を受けた山の面として働いている。
輪郭の線にも同じ手つきが出ている。家の壁も畑の境も、青い線で区切られる。線は一本に決められず、面と面が接するところに沿って何度も引かれている。
晩年の《サント=ヴィクトワール山》はどう変わったか
晩年の山は、塗り残しの多い画面から、色の筆触が全面を覆う画面へ変わる。クリーヴランド美術館の一点が、その違いをよく見せる。館の年代では、ワシントンの一点からおよそ17年後の作である。

館の解説によれば、画家はこの眺めを現地で描いた。エクスから東へ山に向かう小道の脇に、画架を立てたという。そこからは2本の傘松と、その奥にそびえる山が見えた。
画面の左上からは、松の枝が空を横切る。館はこの枝が山の斜面と呼応し、近くと遠くを結ぶと説明する。ワシントンの一点で一本の樹が担った役を、ここでは枝が担っている。
山の頂は、やはり中央より右に寄る。稜線は濃い青の線で何度も引かれ、山肌には桃色と青の筆触が並ぶ。空にも青緑の筆触が斜めに置かれ、山と空の境は線がなければ溶けてしまうほど近い色になる。
手前の地面は、橙と桃色の短い筆触で埋まる。右には暗い緑の樹が丸く茂り、その下に細い幹がのぞく。ワシントンの絵とくらべると、下地のまま残された面はずっと少ない。
それでも、変わらないものがある。稜線を青い線で何度もなぞる手つき、斜めにそろった短い筆、右に寄せた頂である。17年のあいだに変わったのは、色を置く量と密度のほうだと言える。
来歴も館の記録に残る。画家の死後は遺産の一部となり、1907年3月に画商ヴォラールが買い取った。1939年にクリーヴランドの収集家ハンナの手に渡り、1958年に遺贈で館に入った。当サイトの作品ページは《サント=ヴィクトワール山》から開ける。
同じ土地を描いた絵と並べる

レスタックは、マルセイユの海沿いにある集落である。この絵では、黄土色の家の壁に窓がほとんど描かれない。壁は平らな面のまま置かれ、橙の屋根だけが上にのる。
手前の斜面には短い筆が並び、傾きに合わせて向きを変える。空は上端の細い帯しかない。山の絵と同じで、面の向きが筆の向きで示されている。

シカゴ美術館の記録によれば、セザンヌはピサロに宛てた手紙で、レスタックから見た海をトランプの札にたとえた。形と色が単純だから、というのが理由である。館の記録は、この画面が建物・水・山・空の四つの帯に分かれていると整理する。そして1880年代に、同じような眺めを十数点以上描いたと書いている。
同じ記録は、印象派の画家たちとの違いにも触れている。移ろう光を記録することよりも、見ているものの構造と組み立てに関心があった、という説明である。積み木のような筆で空間を作るため、画面は平らにも立体にも見える。
この組み方は、のちの絵画へもつながる。シカゴ美術館の記録は、この画面が伝統的な風景画の構図を引き継ぎつつ、キュビスムの革新を先取りしていると書く。メトロポリタン美術館も《ガルダンヌ》の解説で、同じ見方を示す。幾何学的に切り分けられた建物が、20世紀初めのキュビスムを予告するという。

シャトー・ノワールは、エクスの近くにある建物の名である。晩年のこの一点では、絵具が厚くなり、色も濃くなる。橙の壁が緑の葉群の奥に浮かび、青い空には枝が網のように渡る。
それでも、左端には下地が見えたままの帯が残る。筆の向きをそろえ、輪郭を青い線でなぞる手つきも変わらない。二十年近く隔てた絵が、同じ組み方でできている。
ほかの作品はポール・セザンヌの作品一覧から見られる。筆の置き方と合わない辻褄についてはポール・セザンヌの特徴と代表作で扱った。印象派との距離は印象派とは何かで確かめられる。




