画家を知る

セザンヌのテーブルは、なぜつながっていないのか

《リンゴの籠》のテーブルは、白い布の左右で高さが合わない。皿は上から見下ろし、籠は真横から見ている。技量の問題ではない。五十六歳でようやく個展にこぎつけた画家が、署名まで入れて世に出した「ずれ」は、何を決めた結果だったのか。八点の作品から追いかける。

リンゴの籠
ポール・セザンヌ《リンゴの籠》シカゴ美術館蔵

籠が、傾いたまま止まっている

食卓の上に、リンゴを盛った籠がある。それだけの絵である。

リンゴの籠
籠は左へ傾き、縁からリンゴがこぼれ落ちかけている。中央に緑がかった黒のワイン瓶。右の白い皿には、細長い焼き菓子が積み上げられている。ポール・セザンヌ《リンゴの籠》シカゴ美術館蔵

籠は左奥へ大きく傾いている。傾いているのに、リンゴは落ちない。

籠の下には木の板が一枚差し込まれていて、それが傾きを支えているように見える。

ところがその板は、テーブルの面とうまくつながっていない。どこから生えているのか分からない。

中央のワイン瓶も、まっすぐ立っていない。首がわずかに右へ振れている。

右の皿に積まれた焼き菓子は、崩れる寸前の塔になっている。所蔵館の記録は、これを「猫の舌」と呼ばれる細長い焼き菓子だと書いている。

そして白い布。厚く、硬く、まるで石膏で固めたように折れている。布というより岩に近い。

布の折り目は、白ではなく青灰色と桃色で描かれている。よく見ると、赤茶の筋が一本、布の上を斜めに走っている。

この布は、テーブルの上に無造作に置かれたものではない。籠の傾きを受け止め、手前のリンゴを受け皿のように囲い込んでいる。

つまり布は、画面を組み立てるための装置として置かれている。柔らかいはずのものが、いちばん硬く描かれているのはそのためだろう。

この絵は、シカゴ美術館にある《リンゴの籠》である。制作は1893年ごろ。作者はポール・セザンヌ。

見れば見るほど、どこかがおかしい。しかしなぜか、絵は倒れない。

おかしさを一つずつ数えていくと、この画家がやったことの輪郭が見えてくる。順に見ていきたい。

テーブルの縁が、つながらない

決定的なずれは、テーブルの縁にある。

白い布の左側に見えるテーブルの縁と、右側に見える縁を、目で結んでみてほしい。

高さが合わない。左の縁のほうが、右の縁より低い位置にある。

布に隠れている部分でテーブルが折れ曲がっている、とでも考えないかぎり、この二本は一本の直線にならない。

同じことが、視線の高さでも起きている。

籠とリンゴは、ほぼ真横から見ている。だから籠の側面が見え、リンゴは球として並んでいる。

一方、右の白い皿は、かなり上から見下ろしている。楕円がはっきり開いていて、皿の底が見える。

つまり一枚の絵の中で、見ている位置が変わっている。

十九世紀の絵画にとって、これは初歩的な誤りである。遠近法は、視点をひとつに固定することを前提にしているからだ。

美術学校では、まずそこを叩き込まれる。テーブルの縁は一本の直線に乗る。皿の楕円は視線の高さで決まる。それが「正しく描けている」の中身だった。

風景画がどれほど型に沿って組み立てられていたかは別のコラムで扱っている。約束事は、破るためにあるのではなく、共有するためにあった。

では、セザンヌのこれは失敗なのか。

技量が足りなかった、という説明は成り立ちにくい。この人は五十代である。三十年以上、毎日のように描いてきた。

そもそも静物画は、当時の絵画の序列でいちばん下に置かれていた。歴史画が最上位で、肖像、風景と下り、静物は末席である。

技量を見せる場でもなければ、思想を語る場でもない。台所のものを並べただけの、練習に近い主題だった。

だまし絵と静物画の序列については別のコラムで扱っている。低く見られていたからこそ、そこでは実験が許されたとも言える。

署名が、ひとつだけある

判断の材料になる事実がひとつある。

画面の左下に、小さく「P. Cézanne」と署名が入っている。

所蔵館の記録によれば、セザンヌが絵に署名することは稀だった。この一枚に署名があるのは、本人がこの絵を特別に扱ったか、最初の持ち主のために整えたことを示している、と館は書いている。

同じ記録は、この絵の来歴を1895年11月のパリ、画商アンブロワーズ・ヴォラールの店から始めている。

その年の11月から12月にかけて、ヴォラールはセザンヌの個展を開いた。五十六歳にして、ほぼ最初のまとまった個展である。

それまでの経歴は、成功とは言いがたいものだった。

1839年、南フランスのエクス=アン=プロヴァンス生まれ。父は帽子商から銀行家になった人で、息子には法律を学ばせたがった。

二十二歳でパリへ出る。官展であるサロンには出しては落ち、出しては落ちた。記録に残るかぎり、正規に入選したのは生涯で一度だけである。

1874年の第1回印象派展、1877年の第3回展にも出品したが、批評はおおむね冷たかった。四十代の後半からは、故郷に近い南仏でほとんど独りで描いている。

そういう画家が、五十六歳でようやく人前に出た。その場に出した一枚に、署名を入れた。

これが「うっかりずれた絵」ではないことは、それだけでもほぼ確かだと考えてよい。

ずれは、残された。残されたということは、選ばれたということである。

リンゴの皿
《リンゴの皿》1876〜77年ごろ。壁紙の前の白い皿。ここでもリンゴは皿の中で押し合い、手前の一個だけがテーブルに転がり出ている。ポール・セザンヌ《リンゴの皿》メトロポリタン美術館蔵