同じ年、同じ姓、三つの大きさ——ジョン・シングルトン・コプリー
1771年に描かれた同じ姓の三人は、画面の大きさが三通りに分かれる。当時の肖像では、寸法が料金の等級だった。下絵と本画、対の二点、三メートルの群像まで、大きさから注文の形を見たい。額の厚みまで記録される点にも触れる。

同じ年、同じ姓、三つの大きさ
九点のうち三点は、同じ年に描かれている。
1771年である。しかも、描かれた三人は同じ姓を持つ。
ところが、画面の大きさが三つとも違う。
一点は縦125.7センチ、一点は縦91.4センチ、一点は縦76.2センチである。
面積で比べると、最も大きいものは最も小さいものの二倍以上になる。
同じ画家が、同じ年に、同じ家の三人を描いた。それでも大きさがそろわない。
なぜそろわないのか。九点を並べると、その理由が見えてくる。
肖像の大きさは、美的な判断だけで決まるものではない。
九点の顔ぶれ
先に、九点の中身を確かめておきたい。
単独の肖像が六点、群像が二点、下絵が一点である。
年は1771年から1801年まで。三十年の幅がある。
すべてカンヴァスに油彩で、技法の欄に差はない。
違うのは大きさである。そこに注目したい。
大きさは、値段である
十八世紀の肖像画では、画面の大きさが料金の等級になっていた。
胸から上を描く小さな画面が最も安い。膝から上になると上がる。全身になるとさらに上がる。
だから、同じ画家に同じ年に注文しても、支払う額によって大きさが変わる。
三点の差は、腕の差ではない。注文の等級の差である。
九点を並べると、この等級がはっきり見える。
等級があるということは、価格表があったということである。
画家は、寸法ごとの料金を決めていた。注文する側は、予算に応じて選ぶ。
いまの言い方をすれば、商品の型番に近い。
美術の話に見えて、商いの話でもある。
三つの等級
最も小さい一点は、縦76.2センチ、横63.5センチである。
インチに直せば、三十掛ける二十五になる。当時の標準的な胸像の寸法である。
次の一点は、三十六掛ける二十八にあたる。腕まで入る。
最も大きい一点は、四十九掛ける四十である。座った全身が入る。
数字が規格として決まっていることが、九点から読み取れる。
規格があると、布や枠を用意しやすい。あらかじめ張った布を用意しておける。
注文が来てから布を裁つのでは、時間がかかる。規格は制作の速さにも効く。
九点のうち六点は、この三つの規格のいずれかに近い数字である。
残る三点は、群像と下絵で、規格から外れる。

少年が石の段に腰かける。全身が入る。
衣は淡い赤褐色の上下で、膝までの丈である。膝下は白い靴下である。
靴は黒く、甲に銀の留め具が光る。
右手に細い紐を持つ。紐の先には、小さな獣がいる。
獣は栗鼠で、前脚を上げる。膝の上に置かれた皿のようなものに近づく。
背後には、太い円柱と暗い壁がある。
左には、外の景色が開ける。木立と丘、そして遠くの空が見える。
背景の作りは、室内と屋外を一枚に入れる型である。
九点のなかで、動物が描かれるのはこの一点だけである。
もっとも、最後の一点には馬と犬が出てくる。四足の動物という意味では二点になる。
小さな動物を膝の上に描くのと、大きな馬を隣に立たせるのとでは、意味が違う。
前者は持ち主を示し、後者は身分と行動を示す。
栗鼠という約束
十八世紀のアメリカの肖像では、子どもに小動物を持たせる例がある。
栗鼠は、そのなかでも繰り返し出てくる。紐でつないだ姿で描かれる。
飼い慣らすことと、しつけを結びつける読み方があると言われる。
ただし、その解釈は絵の外から来ている。館の記録には書かれていない。
ここでは、栗鼠が描かれているという事実だけを確かめておく。
紐は細く、金色に光る。首輪と結ばれているように見える。
膝の上の器には、木の実らしいものが入る。餌を与える場面だと読める。
少年の視線は、栗鼠ではなくこちらを向く。動作と視線が別々である。

若い男が、椅子の背に腕を掛ける。
上着は濃い青で、釦が銀色に光る。折り返しの襟が大きい。
内側には白い胴着が見える。釦が縦に並ぶ。
首元には白い布が巻かれ、袖口からも白い襞が出る。
椅子は赤みのある木で、背もたれの縁が見える。
その手前の卓に、紙が置かれる。
背景は暗い赤褐色の幕で、上部が暗い。
顔はこちらを向き、口元がわずかに上がる。
肘を掛ける姿勢は、くつろぎを示す型である。座って正面を向く型より新しい。
椅子の背に腕を回すには、体をひねる必要がある。動きが生まれる。
同じ等級でも、姿勢の選び方で印象は変わる。
この画家は、姿勢の型をいくつも持っていた。九点を見ると、同じ姿勢は二つとない。

三点のなかで最も小さい画面である。
男が胸から上で描かれる。体はわずかに右を向く。
上着は赤褐色で、大きな釦が縦に並ぶ。布の光沢が細かく描かれる。
首元には白い布が巻かれる。あごの下で結ばれる。
髪は白く、耳の上でふくらむ。当時の男性の髪型である。
右手が画面の下に見える。指のあいだに白いものを持つ。
背景は暗く、平らである。何も描かれない。
三点のなかで、この一点だけ背景に何も置かれない。
大きさが小さくなるほど、背景の情報も減る。等級と手間が対応している。
もっとも、顔の描き方は落ちていない。皮膚の赤み、目の縁、口元の張りまで追われる。
上着の布の光沢も細かい。折り目ごとに明るい線が入る。
省かれたのは、周りの世界である。人物そのものは省かれていない。
姓が同じ三人
三点の人物の関係は、館の記録には書かれていない。
同じ姓で、同じ年に、同じ画家に描かせている。近い間柄だろう。
年齢は、画面から推し量れる。子ども、若者、そして中年である。
三世代が並んでいるようにも見えるが、断定はできない。
ここでは、同じ家の三人が同じ年に描かれた、という事実にとどめておく。
何が省かれるか
三つの等級を比べると、省かれるものが分かる。
小さい画面では、背景が消え、手が減り、持ち物がなくなる。
大きい画面では、風景が入り、家具が入り、動物まで入る。
顔の描き込みは、三点ともよく似ている。省かれるのは顔以外である。
つまり、値段が変わっても顔の質は落とさない。肖像として当然の判断である。

男が椅子に座る。膝から上が入る。
上着は暗い赤褐色で、金の釦が並ぶ。裾が椅子の上に広がる。
両手に、四角い板のようなものを持つ。表紙のある帳面かもしれない。
その手前に、黄色い手袋が置かれる。指の形が残る。
首元には白い布が巻かれる。胸の前で大きく結ばれる。
背景は暗く、右に柱らしい縦の線がある。
顔はこちらを向き、口元が引き締まる。
黄色い手袋は、画面のなかで最も明るい部分である。目を引く位置に置かれる。

対になる一点である。女性が長椅子に座る。
衣は桃色で、光沢が強い。胸元と裾に金の飾りが並ぶ。
肩から、白い毛皮の縁取りが下がる。黒い斑が点々と入る。
その下は濃い青の布で、膝から下を覆う。
頭に白い被り物を載せる。高く盛り上がり、後ろに垂れる。
袖からは白い薄布が出る。折り返しが幾重にも重なる。
両手を膝の上で組む。指が細い。
背景は暗い褐色で、右上がわずかに明るい。
対の相手と比べると、縦が0.2センチ、横が0.9センチ違う。ほぼ同じ大きさである。
手袋と、持ち物
九点の人物が手に持つものを数えてみる。
栗鼠の紐、紙、帳面と手袋、実の付いた小枝、そして馬の背である。
何も持たない人物は、九点のうち三人だけである。
持ち物は、その人の立場や暮らしを示す。文字を使わずに説明する装置である。
小さな画面ほど、持ち物は減る。手が画面に入らないからである。
対の大きさ
夫婦を対で描くとき、大きさはそろえる。
この二点は、縦横とも一センチ以内の差に収まる。
同じ等級で注文され、同じ寸法の布に描かれた。
ただし、額の寸法は大きく違う。縦で8センチ近い差がある。
額はあとから付けられるものだから、そろわないことがある。数字がそれを示している。

九点で最も小さい一点である。楕円の画面である。
色はほとんど使われない。褐色の濃淡だけで描かれる。
中央に女性が座る。顔を右へ傾ける。
その膝に、幼い子どもが乗る。顔を上げ、女性に向かう。
右側に、もう一人の子どもが横たわる。腕を伸ばす。
背後には木立と丘が薄く描かれる。輪郭だけである。
画面の外周は塗られず、地の色が残る。楕円の縁がぼける。
これは、大きな画面のための下絵である。構図を試している段階にあたる。
色のない画面
この下絵には、色がほとんど使われていない。
褐色の濃淡だけで、明暗の配置を決めている。
色を決める前に、明暗を決める。それが手順である。
明暗が決まれば、離れて見たときの形が決まる。色は後から乗せられる。
九点のなかで、この段階を見せるのはこの一点だけである。
下絵と本画
下絵と、そこから作られた大きな画面が、同じ館にある。
並べて見られる例は多くない。ふつう、下絵は残らない。
大きさの差は歴然としている。下絵は縦39.5センチ、本画は縦184.1センチである。
面積で比べると、二十五倍以上になる。
下絵で決めた人物の配置が、そのまま拡大されているかどうかは、二点を見比べれば分かる。

大きな横長の画面である。六人が描かれる。
左奥に、年配の男が立つ。手を前に組む。
その手前に、白髪の男が座る。こちらを見る。
膝の前に、幼い子どもが立ち、大人の手に触れる。
中央に、白い衣の子どもが正面を向いて立つ。
右には女性が座り、子どもを抱く。顔を寄せ合う。
さらに右に、もう一人の子どもが横たわる。青い衣である。
背景の左は木立と丘、右は赤い布と長椅子である。屋外と室内が混ざる。
床には草と花が描かれる。屋外のようにも見える。
下絵にあった三人の組は、この画面の右側にほぼそのまま入っている。
拡大するということ
小さな下絵を大きな画面に移すのは、単純な拡大ではない。
大きくなれば、細部を足さなければならない。布の襞も、髪の一本も増える。
人物も増える。下絵には三人しかいなかったが、本画には六人いる。
つまり下絵は、全体の設計ではなく、一部の試作である。
九点のなかで、この二点だけが制作の過程を見せている。

九点で圧倒的に大きい一点である。横は3メートルを超える。
左に、白い衣の女性が立つ。裾が地面まで届く。
その右に、黒い衣の女性がいる。二人は手を取り合う。
中央から右に、男が立つ。赤い上着に白い脚衣、黒い長靴である。
男は右手を上げ、馬の背に触れる。
馬は褐色で、たてがみが黒い。頭を上げ、口を開く。
左端には、大きな石の壺が台の上に載る。
背景は空と雲で、右上が明るい。木が左に立つ。
足元に、犬らしい黒い形がある。
制作年は1800年から1801年で、九点のなかで最も遅い。
群像という仕事
九点のうち二点は、複数の人物を一枚に収めている。
一点は六人、一点は三人と一頭の馬である。
群像は、単独の肖像より難しい。全員の顔を似せ、位置と背丈を決めなければならない。
さらに、誰を前に置くかという判断が要る。序列が画面に出る。
だから群像は高く、注文も少ない。九点に二点しかないのは、そのためである。
顔の向きを、散らす
群像では、全員が正面を向くと画面が硬くなる。
そこで顔の向きを散らす。こちらを見る人、横を向く人、伏せる人を混ぜる。
六人の群像では、正面を向くのは二人だけである。
三人の群像でも、二人は互いを見て、一人だけがこちらを向く。
視線の配り方が、群れを一つの場面にまとめている。
三十年の幅
九点の年を並べると、1771年から1801年に及ぶ。
三十年である。そのあいだに、画家は海を渡っている。
前半の六点は、アメリカで描かれた肖像である。背景は暗く、人物が中心にある。
後半の三点は、イギリスで描かれた画面である。屋外が入り、人数が増え、寸法が大きくなる。
同じ画家でも、場所が変われば注文の性質も変わる。

九点の最後は、卓に肘を置いた肖像である。
女性が右を向き、顔だけこちらへ回す。
衣は青で、光沢が強い。袖口から白い襞が幾重にも出る。
胸元には白い布が広がり、大きなリボンが結ばれる。
頭には花と葉の飾りが付いた被り物を載せる。
右手に、実の付いた小枝を持つ。実は橙で、二つある。
卓は赤褐色で、表面がよく磨かれている。
その表面に、腕と枝が映る。反射が細かく描かれる。
背景は暗く、上部に赤い幕がわずかに見える。
映り込みを描く
磨いた卓に人物が映る。この手は、この画家の肖像でよく使われる。
映り込みを描くと、卓の材質と光の量が同時に伝わる。
同時に、腕の位置も強調される。実物と像が上下に並ぶ。
技術としては難しい。角度と明るさを間違えると、嘘に見える。
九点のなかで、この描き込みが最も細かいのはこの一点である。
果実を持つ手
最後の一点で、女性は実の付いた小枝を持つ。
実は橙色で、葉が三枚ほど添えられる。
果実を持たせるのは、季節や豊かさを示す型である。花を持たせる型と近い。
同時に、手の形を見せる役にも立つ。何も持たない手は、描くのが難しい。
持ち物は、意味と造形の両方を担っている。
記録の詳しさが揃わない
九点は、二つの館に分かれて所蔵されている。
一方の館は、額の寸法まで記録する。もう一方は、画面の寸法だけのこともある。
寄贈者や受入の年も、取得できたものとできなかったものがある。
だから、この記事の図版の説明も、館によって書ける項目が違う。
記録の詳しさの差は、作品の重要さの差ではない。
額の厚み
九点のうち五点には、額の寸法が記録されている。
奥行きは2.2センチから13.9センチまで幅がある。
大きな画面ほど、額も厚くなる。重さを支える必要がある。
最も大きい群像の額は、奥行き13.9センチである。壁からかなり張り出す。
額の数字は、飾る場所の条件をそのまま示している。
大きさの意味
最後に、九点の大きさをもう一度並べてみたい。
最小は縦39.5センチの楕円、最大は縦257.8センチの群像である。
そのあいだに、七つの画面が並ぶ。
大きさは、値段であり、飾る場所であり、注文した人の意図でもある。
小さいものから始まった経歴については、直径3センチから始まる——ジョン・シングルトン・コプリーにも書いた。
屋外が入る
後半の三点には、屋外の要素が入る。
木立、丘、空、そして馬である。人物の背後が開けている。
前半の六点では、背景はほとんど暗い室内である。
屋外を描くと、画面は明るくなり、大きく見える。かわりに手間がかかる。
大きな注文が取れる場所では、屋外の背景も選べる。場所と等級が結びついている。
家という単位
九点のうち、同じ家の人物を描いたものは三組ある。
同じ姓の三人、夫婦の二点、そして家族の群像である。
肖像は、一人を描く仕事に見える。しかし注文は家の単位で来る。
だから同じ画家に、同じ年に、複数の注文が集まる。等級を選びながら、家の壁を埋めていく。
九点の大きさのばらつきは、その壁の記録でもある。






