九点を、六つの経路が運ぶ——ジョン・シングルトン・コプリー
八回の寄贈と、一回の移管。九点はいずれも館が買ったものではない。しかも括弧の中には、百二十年前の寄付による購入と書かれた一点がある。行と番号と年を並べて、九点が同じ壁に並ぶまでを読みたい。下絵の一点と、大画面の一点も並ぶ。

九点を、六つの経路が運ぶ
ジョン・シングルトン・コプリー。
十八世紀のアメリカとイギリスで活動した画家である。
その作品が、一つの館に九点ある。
出所の行を並べると、六通りに分かれる。
ある夫人の寄贈が三点。
ある財団の寄贈が二点。
大きな収集の一部が一点。
別の個人の寄贈が一点。
夫妻による寄贈が一点。
そして、前の館からの移管が一点。
九点のうち八点までが、寄贈である。
館が自分の予算で買ったものは、一点もない。
同じ人が、三点を贈る
九点のうち三点は、同じ夫人からの寄贈である。
番号を見ると、1942.4.1、1942.4.2、1947.15.1。
最初の二点は、同じ受入に含まれる。
三点目は、その五年後である。
一度に二点を贈り、五年後にもう一点。
出所の行はどれも同じ一行だ。
行だけを見ると、三点が同時に来たようにも読める。
番号を見れば、二度に分かれていることが分かる。
行と番号は、別のことを記録している。
これは、これまでの記事で何度も出てきた形である。

九点でいちばん大きい画面である。
横は二メートル七十三センチある。
中央に、白い衣の女性が立つ。
金の帯を腰に締め、右手に杯を持つ。
その頭の後ろに、光が円く広がる。
左には、黒い甲冑の男が立つ。
赤い外套が背後で大きく翻る。
兜には羽根飾りが揺れる。
右には、青い衣の女性が二人並ぶ。
一人は手を胸に当て、一人は肩に触れる。
背後の左には、赤い幕が垂れる。
右奥には、暗い風景が見える。
足もとには、盾と武具が置かれる。
物語詩の一場面を描いた画面である。

年配の男が、椅子に座る。
赤い法服をまとい、白い毛皮の襟を掛ける。
袖口にも白い毛皮が付く。
頭には、長い白い鬘をかぶる。
鬘は肩まで垂れ、巻きが幾重にも重なる。
顔はやや左を向き、目はこちらを見る。
左手を、書類の上に置く。
右手は、椅子の肘掛にかかる。
背後には、石造の柱と階段が見える。
上には緑の幕が垂れる。
椅子には赤い布と、金の飾りが付く。
赤と白の対比が、画面を支配する。
法服の姿は、その人の職務を示す。
二つの国の、二つの仕事
九点の年を並べると、二つの時期に分かれる。
1756年から1772年ごろまでが五点。
1779年から1804年までが四点。
前半は、北米で描かれた肖像である。
後半は、英国へ渡ってからの仕事だ。
前半は、上半身か四分の三身の肖像が多い。
後半には、大画面の物語画と、法服の肖像が入る。
同じ画家の仕事が、途中で大きく変わっている。
注文の性格が変わったためだと考えられる。
肖像の注文を受ける画家から、展覧会に大作を出す画家へ。
九点の並びが、その移り変わりを示している。
出所の行を見ても、この二つの時期は区別されない。
行は、絵がどこで描かれたかを書かないからだ。
年と主題を見て、はじめて分かることである。
財団が、二点を贈る
九点のうち二点は、財団からの寄贈である。
同じ財団の名が、二つの行に現れる。
番号は1959.4.1と1965.6.1。
六年の間隔がある。
財団による寄贈は、個人の寄贈と扱いが同じだ。
行の形も変わらない。
寄贈者の名の場所に、財団の名が入るだけである。
記念の寄贈でも見たとおり、記録は主体の種類を区別しない。
区別するのは、贈与か購入かという行為の種類である。

年配の男が、四分の三身で描かれる。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
白い鬘が肩まで垂れる。
顔は大きく、頬に赤みがある。
上着は褐色で、釦が並ぶ。
袖口から、白い布が折り返る。
左腕を、石の台の上に置く。
その手は、丸みを帯びて重い。
手の甲の皺まで描かれる。
台は円柱の一部のように見える。
右手には、細い杖を持つ。
背景は暗く、右上に空がわずかに見える。
手の描写が、この絵の要である。

年配の男が、椅子に腰かける。
体は右を向き、顔もその向きに近い。
白い髪が耳の上で巻く。
上着は褐色で、前を留める釦が並ぶ。
膝までの脚衣と、白い靴下。
両手を膝の前で組む。
その手に、細い杖を握る。
椅子は木製で、背もたれの棒が縦に並ぶ。
背後の壁は暗い緑である。
右には、赤い布が斜めに垂れる。
床は褐色で、平らである。
人物と椅子だけの、簡素な画面だ。
先の一点と、寸法がほぼ同じである。
四点が、同じ大きさ
九点の寸法を見ると、四点が近い値になる。
縦126.2センチから127.2センチ。
横100.2センチから102.2センチ。
差は一センチから二センチにとどまる。
これは、四分の三身の肖像に使われた規格である。
腰から上を描き、手を入れる大きさだ。
胸から上だけの肖像より、一回り大きい。
規格の布については、九点が、七通りの経路で入るでも触れた。
同じ時代の肖像画家は、同じ規格を使っていた。
だから館の記録に、同じ寸法が並ぶ。

女性が、四分の三身で描かれる。
衣は青緑の絹で、光沢が強い。
袖口には、白い襞飾りが幾重にも重なる。
胸もとにも、同じ白い布が渡る。
首には黒い紐が回り、飾りが下がる。
頭には、白い頭巾のような布を被る。
右手には、細い茎の花を持つ。
その花を、こちらへ差し出す。
左手は、膝の上の花に添えられる。
背後には石の柱が立つ。
上から赤い幕が垂れ、房飾りが付く。
奥には緑の景色が小さく見える。
絹の光沢の描写が、画面の中心である。
楕円の枠を、描き込む
九点のうち一点は、画面の中に楕円が描かれている。
四角い布の四隅を暗く塗り、楕円の窓を作る。
こうすると、板や布を切らずに楕円の効果が出る。
額を楕円にする方法もあるが、費用がかかる。
描き込む方法なら、絵具だけで済む。
寸法の欄は、四角い布の寸法を書く。
楕円だとは書かれない。
楕円と明記された一点とは扱いが違う。
あちらは布そのものが楕円だった。
こちらは四角い布に楕円が描かれている。
同じ楕円でも、記録の書き方が変わる。
記録が書くのは、物としての形である。
描かれた形は、画像を見なければ分からない。
寸法の欄と画像を並べて、はじめて全体が分かる。
百二十年前の寄付が、購入の行に出る
九点のうち一点だけ、購入という語が入る。
ただし、その語は括弧の中にある。
コーコラン・コレクション、と外側にはある。
括弧の中は、こう書かれる。
美術館購入、ウィリアム・ウィルソン・コーコランの寄付による、1989年。
この人物は、その館の創立者である。
前の館では、1869年に自分の名で絵を贈っていた。
その名が、1989年の購入の行にも現れる。
百二十年の隔たりがある。
寄付された資金が、長い年月を経て使われたということだ。
寄贈された金は、寄贈した人の名で使われ続ける。
基金の仕組みについては、買うための金に、人の名があるでも扱った。

男が、四分の三身で立つ。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
白い鬘が耳の上で巻く。
上着は暗い褐色で、前が開く。
その下に、同色の胴着が見える。
首には白い布が巻かれる。
両手を体の前で重ね、杖を握る。
杖は太く、床まで届く。
背後には石造の壁と、丸いくぼみがある。
左には、柱の一部が見える。
床は暗く、影が広がる。
姿勢は直立で、動きがない。
先の三点と、寸法がほぼ同じである。
大画面の下絵
九点のうち一点は、大画面のための下絵である。
縦52.7センチ、横64.2センチ。
九点でいちばん小さい。
描かれているのは、議場の場面だ。
同じ主題の大画面が、別の館にある。
下絵は、構図を決めるために描かれる。
人物の配置、光の方向、群衆の広がり。
それを小さな画面で試す。
完成作と比べれば、変更点が分かる。
館がこういう作品を収蔵するのは、そのためでもある。
完成作だけでは、制作の過程が見えない。

横長の小さな画面である。
全体が淡い黄褐色で、色が薄い。
中央に、人物が倒れかかる。
その周りに、数人が手を差し伸べる。
左には、椅子に座る人々が並ぶ。
右にも、立ち並ぶ人影が続く。
数えれば、五十人近くいる。
一人ずつの顔は描かれていない。
輪郭と姿勢だけが、素早い筆で置かれる。
上には、高い天井と大きな窓がある。
窓から光が差し込む。
背後の壁には、円い紋章のようなものが見える。
絵具は薄く、地の布が透ける。
一点だけ、大きな収集から
九点のうち一点は、大きな収集の一部として入っている。
アンドルー・W・メロン・コレクション。
番号は1942.8.2である。
同じ受入番号の作品は、これまでの記事にも出てきた。
ギルバート・スチュアートの肖像が、同じ帯にあった。
つまり、アメリカの肖像画がまとめて入った受入である。
そこにコプリーの一点も含まれていた。
大きな収集の中に、この画家の作品が一点だけ混じる。
九点の中で、この一点だけが群の一部である。
残る八点は、いずれも個別に贈られた。

若い女性が、上半身で描かれる。
画面の中に、楕円の枠が描かれる。
その枠の内側に、人物が収まる。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は黒く、後ろでまとめられる。
胸もとには、桃色の衣が見える。
その上に、黄土色の布が掛かる。
袖には、白い襞飾りが重なる。
首から胸へ、細い鎖が斜めに渡る。
鎖の先には、赤い飾りが留まる。
背景は暗い青緑で、雲のような筆の跡がある。
九点の中で、いちばん早い年の作品である。
画家がまだ十代の終わりに描いたとされる。

年配の男が、上半身で描かれる。
体は右を向き、顔はこちらを見る。
白い鬘が、耳の上で二段に巻く。
上着は褐色で、金の縁飾りが付く。
前を留める釦が、大きく並ぶ。
胸もとには、白い襟布が重なる。
袖口からも、白い布が出る。
両手で、書類らしい紙を持つ。
紙は白く、折り目が見える。
背景は暗く、右上が緑がかる。
紙と襟布の白が、画面の中で光る。
寸法は、上半身の肖像の規格に近い。
手が、よく描かれている
九点のうち六点で、手が画面の中に入る。
杖を握る手、書類を持つ手、花を差し出す手。
膝の上で組まれた手、台に置かれた手。
肖像画で手を描くのは、簡単ではない。
顔ほど見慣れていないぶん、形が崩れやすい。
それでも手を入れるのは、その人の身分や職務を示せるからだ。
書類を持てば、事務に関わる人だと分かる。
杖を持てば、年齢や地位が伝わる。
花を持てば、家庭の場面になる。
手は、顔の次に情報を運ぶ部分である。
九点の中でも、手の描き方には差がある。
大きく重く描かれた手もあれば、細く軽い手もある。
その差が、描かれた人の印象を分けている。
贈るという行為が、九回
九点を通して見えるのは、寄贈という行為の重なりである。
八回の寄贈と、一回の移管。
八回の寄贈のうち、三回は同じ人による。
つまり、六人の主体が九点を運んだ。
館は、そのすべてを受け入れ、番号を与えた。
同じ画家の作品が集まったのは、結果である。
誰かが「この画家を集めよう」と決めたわけではない。
それぞれの家に伝わった絵が、それぞれの理由で館へ届いた。
届いた先が同じだった、というだけである。
美術館の収蔵品は、こういう積み重なり方をする。
大きさが、四十倍ひらく
九点の面積を計算してみる。
いちばん小さいのは、下絵の一点である。
縦52.7センチ、横64.2センチ。約0.34平方メートル。
いちばん大きいのは、物語画の一点だ。
縦213.5センチ、横273センチ。約5.83平方メートル。
面積では、十七倍ほどの差になる。
額装した状態で比べると、差はさらに開く。
大画面の額は、縦345.4センチと記録されている。
天井の高い部屋でなければ掛けられない。
小さな下絵は、机の上でも扱える。
同じ画家の作品が、これだけ違う条件を要求する。
館の記録は、その条件を寸法の欄で示している。
額装時の寸法が書かれるのは、そのためでもある。
受入の年が、七十二年に散る
九点の番号の頭を並べる。
1942年が三点、1947年、1959年、1965年、1968年、1976年、2014年。
最初と最後で、七十二年ひらく。
前半に集中し、後半は間隔が開く。
これは、別の画家の九点と似た形である。
館が開いてまもない時期に、まとまって寄贈が届く。
その後は、間隔をあけて個別に届く。
館の受入の全体的な傾向が、どの画家にも現れる。
一人の画家の九点は、館の歴史の縮図でもある。
もっとも、九点では標本として小さい。
傾向を確かめるには、館全体で数える必要がある。
言えるのは、この九点がそういう形をしている、ということまでだ。
描かれた人の名が、題になる
九点の題を見ると、六点が人の名である。
グレアム男爵。ジェイン・ブラウン。エピス・サージェント。
エリーザー・ティング。アン・フェアチャイルド・ボウラー。
ハリソン・グレイ。トマス・エイモリー二世。
残る三点は、場面の名か、物語の役の名である。
肖像の題が人の名になるのは当然に見える。
しかし、名が分からなければそうはならない。
作者不詳の肖像では、題が《男の肖像》だった。
九点では、九人とも名が分かっている。
これは、絵が家に伝わってきたからだ。
家の中では、誰の肖像かが忘れられない。
伝えられたまま館へ届けば、名も一緒に届く。
出所の行が家からの寄贈であることと、題に名があることは、つながっている。
寄贈の経路が、題の欄まで支えている。
行を並べて、館を見る
一人の画家の九点から、館の性格が少し見えてくる。
購入がなく、寄贈ばかりであること。
同じ人が繰り返し贈っていること。
財団も、個人も、同じ形式で記録されること。
前の館からの移管が混じること。
そして、百二十年前の寄付が購入の行に残っていること。
どれも、行を読まなければ分からない。
画面を見ても、そこには何も書かれていない。
行は、絵の外側の事実を記す欄である。
外側の事実が積み重なって、いまの並びができている。
九点が同じ壁に掛かるまでに、六つの家と二百年が関わった。
その全部が、六行の文字に畳まれている。
畳まれたものを開くには、番号と年を添えて読むしかない。
行だけでは、三点が一度に来たようにしか見えない。
番号を見れば、二度に分かれていることが分かる。
年を見れば、七十二年の広がりが見えてくる。
三つの欄を並べて、はじめて経緯が読める。
美術館の記録は、そういう読み方を前提に作られている。
一つの欄だけで完結するようには、作られていない。
不便だが、そのぶん取り違えが起きにくい。
欄を分けることは、責任を分けることでもある。
どの欄が何を保証しているかが、はっきりする。
九点の記録は、その分担の上に成り立っている。
読む側も、その分担に沿って読むのがよい。






