美術史・技法

行の末尾に、理由が書かれる——五十周年の寄贈

出所の行は、ふつう理由を書かない。ところが九点の行には、当館五十周年を記念して、という句が付く。匿名の寄贈、委員会の寄贈、財団の寄贈。記念の年に集まった一点ずつの寄贈を、行の末尾の一句から読みたい。番号の枝は、九点とも1で終わっている。

エジプトへの逃避のある風景
ルーラント・サーフェリー《エジプトへの逃避のある風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

行の末尾に、理由が書かれる

美術館の出所の行は、ふつう理由を書かない。

誰の寄贈か、どの基金による購入か。

それだけで足りるからである。

ところが、九点の行には末尾に一句が付いている。

当館五十周年を記念して。

寄贈者の名のあとに、読点で区切って置かれる。

なぜ贈ったのかが、記録に残されている。

これは珍しい書き方だ。

ふだんの寄贈では、動機は書かれない。

書かれるのは、特別な機会があったときだけである。

五十年目は、いつか

ナショナル・ギャラリー(ワシントン)が一般に開いたのは1941年である。

その五十年後は1991年になる。

九点の受入番号を見ると、1989年、1990年、1991年に散らばる。

1989.22.1が一点。

1990年のものが五点。

1991年のものが二点。

記念の年より前に届いたものもある。

記念の年を過ぎてから受け入れられたものもある。

贈る側の準備と、館の受入手続きには時間差がある。

行に書かれた理由と、番号の年は必ずしも一致しない。

理由は贈る側の言い分であり、番号は館の事務の日付である。

二つは別の時間を刻んでいる。

枝番は、九点とも1

九点の番号を並べると、末尾がすべて1である。

1989.22.1、1990.22.1、1990.50.1、1990.59.1、1990.62.1。

1990.118.1、1990.137.1、1991.64.1、1991.96.1。

つまり、いずれも一点だけの受入だ。

記念の寄贈は、一点ずつ行われている。

まとめて何十点も贈るのではない。

一人、あるいは一組が、一点を選んで贈る。

その形が、番号にそのまま現れている。

そして受入の番号は、1990年だけで137番まである。

一年のうちに、それだけの受入があったということだ。

記念の年の前後に、受入が増えていたことがうかがえる。

エジプトへの逃避のある風景
ルーラント・サーフェリー《エジプトへの逃避のある風景》1624年。板に油彩。館の記録では、縦54.3センチ、横91.5センチとされる。出所の行は「ロバート・H・アンド・クラリス・スミス夫妻の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1989.22.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ルーラント・サーフェリー《エジプトへの逃避のある風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、森と岩山が描かれる。

左には、崩れかけた石造の建物がある。

蔦が絡み、壁の一部が失われている。

その前の道に、動物が集まる。

牛、馬、犬、山羊。

種類の違う動物が、隣り合って立つ。

中央には人物が数人いるが、小さい。

右には、木立の切れ間から遠景が見える。

湖と、青い山並みが薄く重なる。

空は上部が青く、白い雲が湧く。

木は大きく、幹が画面の左右に立つ。

葉は細かい点で描き分けられる。

動物の一頭ずつに、光と影が入る。

主題の人物より、動物のほうが大きく描かれている。

記念の委員会

九点のうち一点だけ、行の形が違う。

五十周年記念寄贈委員会の寄贈、と書かれている。

個人でも家族でもない。委員会である。

記念のために組織が作られ、その名で贈られた。

複数の人が資金を出し合ったのだろう。

一人ずつの名を並べれば、行は極端に長くなる。

委員会の名にすれば、一語で済む。

そのかわり、個々の名は行に残らない。

まとめる利点と、名が消える不利益。

その両方が、この一行に入っている。

聖バルトロマイの殉教
ホセ・デ・リベーラ《聖バルトロマイの殉教》1634年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦104センチ、横113センチとされる。出所の行は「五十周年記念寄贈委員会の寄贈」。番号は1990.137.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ホセ・デ・リベーラ《聖バルトロマイの殉教》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い背景から、三人の人物が浮かぶ。

右に、上半身が裸の老人がいる。

両腕を上げ、片手を縛られている。

体は痩せ、肋骨と筋が浮く。

顔は上を向き、口が開く。

中央には、褐色の衣の男が立つ。

老人の腕をつかみ、引き上げる。

その手に、刃物が握られる。

左奥には、もう一人の顔が見える。

光は左上から差し、三人の顔と体に当たる。

背景は黒に近く、輪郭が溶ける。

殉教の場面である。

処刑の直前を描いた画面であり、直接の暴力は描かれない。

しかし緊張は強く、体の力みが克明に描かれる。

一点だけを贈るということ

まとめて贈る寄贈と、一点だけを贈る寄贈は、性格が違う。

まとめて贈るときは、群としての価値が問われる。

一点だけなら、その一点で判断される。

館の側も、受け入れるかどうかを一点ごとに決める。

収蔵品の穴を埋めるか、既にあるものと重なるか。

記念の寄贈では、その判断が九回繰り返されたことになる。

しかも短い期間に集中している。

1990年の一年間だけで、五点がこの句を持つ。

館の受入の担当者にとっては、忙しい年だっただろう。

番号の137という数字が、その忙しさを示している。

一年で百三十七件の受入があったということだ。

もっとも、一件が何点かは番号からは分からない。

枝番まで数えなければ、総数は出ない。

受入の件数と、作品の点数は別の数である。

匿名という書き方

もう一点、変わった行がある。

匿名の寄贈者、当館五十周年を記念して。

名前が書かれていない。

贈った側が、名を出さないよう求めたのだろう。

館は、その意思に従う。

かわりに「匿名の寄贈者」と書く。

空欄にはしない。

空欄にすれば、書き忘れと区別がつかなくなる。

匿名だと明記することで、意図的な空白であることが分かる。

記録は、書かないことも書く。

分からないことと、書かないことを区別するためである。

聖アントニウス・アッバスとシエナの聖ベルナルディーノ
ヤコポ・ベッリーニ《聖アントニウス・アッバスとシエナの聖ベルナルディーノ》1459年。ポプラ板にテンペラ。館の記録では、縦110センチ、横57センチとされる。出所の行は「匿名の寄贈者、当館五十周年を記念して」。番号は1990.118.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤコポ・ベッリーニ《聖アントニウス・アッバスとシエナの聖ベルナルディーノ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板に、二人の聖人が並んで立つ。

左は黒い修道服をまとい、白い髭が長い。

右は褐色の修道服で、頭が禿げている。

二人とも本を持つ。

右の聖人は、もう一方の手に円い板を掲げる。

板には金色の文様が入る。

背後には、半円のくぼみが作られる。

くぼみの中は淡い緑で、外は建物の壁である。

足もとには、石の床が奥へ伸びる。

床の目地が、遠近を示す。

上部には、細い柱が二本立つ。

九点でいちばん古い作品である。

年の欄は1459年と一つに決まっている。

夕
ウィリアム・ブレイク《夕》1820年から1825年ごろ。木に水彩とチョーク。館の記録では、縦91.8センチ、横29.7センチとされる。出所の行は「ゴードン・ヘインズ夫妻の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1990.22.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ウィリアム・ブレイク《夕》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点の中で、いちばん薄い画面である。

公開されている画像を見ても、形がほとんど判別できない。

淡い黄褐色の地に、うっすらと線が残る。

中央に、人物らしい縦長の形が見える。

腕を上げているようにも見える。

輪郭は途切れ、面としての色はほとんどない。

これは、絵具が失われた状態を示している。

技法の欄には、木に水彩とチョークとある。

水彩もチョークも、水や摩擦に弱い。

木の上に描かれていれば、なおさら定着しにくい。

九点の中で、状態がいちばん厳しい一点である。

館は、それでも受け入れ、番号を与えた。

見えにくくても、記録の対象になる。

大きさが、正確な尺で決まる

九点の寸法を見ると、一点だけ数字がきれいである。

縦182.9センチ、横304.8センチ。

これをインチに直すと、72掛ける120になる。

どちらも端数のない数字だ。

つまり、この画面は六フィート掛ける十フィートで作られている。

規格の寸法で布を切ったということである。

他の八点は、そういうきりのよい数字にならない。

センチにしてもインチにしても端数が出る。

大きな画面ほど、規格を使う理由がある。

布を継ぐ位置や、木枠の組み方が決まるからだ。

寸法の数字は、そういう作り方の痕跡を残している。

ルツェルン湖
アルバート・ビアスタット《ルツェルン湖》1858年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦182.9センチ、横304.8センチとされる。出所の行は「リチャード・M・スケイフとマーガレット・R・バトルの寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1990.50.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルバート・ビアスタット《ルツェルン湖》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点でいちばん大きい画面である。

横は三メートルを超える。

左手前は暗い森で、大きな樹が枝を広げる。

その下に、家畜と人影が小さく見える。

中央から右へ、平らな土地が開ける。

草地に牛が散らばる。

奥には湖が横たわり、水面が明るい。

さらに奥に、雪をいただいた山が連なる。

山の稜線は鋭く、白と灰で描かれる。

空は上部が青く、雲が横に流れる。

手前の暗さと、奥の明るさの差が大きい。

画面の下三分の一が影で沈む。

その暗い場所から、明るい湖を見る構図である。

同じ寄贈者が、二度出てくる

九点のうち二点は、同じ寄贈者の名を持つ。

ロバート・H・アンド・クラリス・スミス夫妻である。

1989年に一点、1990年に一点。

いずれも記念の句が付く。

記念の贈り物を、二年にわたって二度行っている。

行が同じで、番号が違う。

これは、これまでの記事でも見た形だ。

繰り返しの寄贈は、行では区別できない。

区別するには、番号を見るしかない。

九点の中で、この二点だけが同じ行を共有する。

イタリアの港の眺め
ニコラース・ベルヘム《イタリアの港の眺め》1660年代初め。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦48センチ、横59.5センチとされる。出所の行は「ロバート・H・アンド・クラリス・スミス夫妻の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1990.62.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ニコラース・ベルヘム《イタリアの港の眺め》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、港と岩山が描かれる。

右に、高い岩の崖が立つ。

崖の上には建物があり、旗が立つ。

崖の下は水で、船が停まる。

手前の岸辺に、人と家畜が集まる。

馬に乗った人物が中央にいる。

赤と青の衣が見える。

その周りに、牛と羊が横たわる。

左には水が広がり、遠くに小舟が浮かぶ。

空は上部が青く、下は黄色みを帯びる。

白い雲が大きく湧く。

光は左後方から差し、人物の背に当たる。

南の港を描いた作品だが、画家は北方の人である。

状態の記録と、公開の判断

薄くなった水彩の一点について、もう少し考えたい。

画像を見ても、ほとんど何も読み取れない。

それでも館は、この作品を公開している。

見えないから隠す、という判断は取っていない。

理由はいくつか考えられる。

一つは、状態そのものが記録に値するということだ。

いま見えている状態を残しておけば、後の比較ができる。

もう一つは、存在の証明である。

その作品が館にあることを示す必要がある。

画像がなければ、記録は文字だけになる。

薄くても画像があれば、大きさや形は分かる。

技法の欄と合わせれば、なぜ薄いのかも推測できる。

木の上の水彩とチョークという組み合わせは、もともと定着が弱い。

記録は、見える情報だけでなく、見えない理由も運ぶ。

記念の年に、何が集まったか

九点の内容を並べると、時代も地域もばらばらである。

十五世紀のイタリアの板絵。

十七世紀のフランドルとオランダとスペイン。

十九世紀のアメリカとフランス。

十九世紀初めの英国。

一つの主題でまとまってはいない。

これは、贈る側がそれぞれ選んだからである。

館が「これが欲しい」と指定したわけではないだろう。

各自が持っているもの、あるいは買えるものを贈る。

その結果、記念の年の受入は雑多になる。

雑多であることが、記念の寄贈の性格を示している。

計画された購入とは、成り立ちが違う。

サント=アドレス
クロード・モネ《サント=アドレス》1867年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦57センチ、横80センチとされる。出所の行は「キャサリン・ギャンブル・カランと家族の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1990.59.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。クロード・モネ《サント=アドレス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、浜と海が描かれる。

手前は白い砂利の浜である。

浜に、黒い小舟が数艘引き上げられる。

舟のそばに、人が数人立つ。

一人は白い服を着ている。

中央から右へ、海が広がる。

水は青緑で、波は穏やかである。

奥には低い崖が横たわる。

崖の上に、家並みが小さく見える。

空は画面の半分を占める。

雲は灰色と白で、厚く重なる。

筆は速く、絵具の粒が残る。

浜の白と、海の緑と、空の灰。

三つの帯が、水平に重なる構図である。

宿屋の前の働く人々
イサーク・ファン・オスターデ《宿屋の前の働く人々》1645年。板に油彩。館の記録では、縦66センチ、横58.4センチとされる。出所の行は「リチャード・A・アンド・リー・G・カースティン夫妻の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1991.64.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。イサーク・ファン・オスターデ《宿屋の前の働く人々》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

右に、大きな茅葺きの家が建つ。

屋根は傾き、煙突が突き出る。

煙突の上に、鳥の巣らしいものが見える。

家の壁には蔦が絡む。

戸口の前に、荷を積んだ馬が立つ。

その周りに、人が数人働く。

荷を担ぐ者、綱を引く者。

手前には、黒い豚と鶏がいる。

左は開けた土地で、遠くに水と町が見える。

空は上部が暗く、右下が明るい。

光は右奥から差す。

人物は小さく、屋根と樹が画面を支配する。

日常の労働を描いた画面である。

牧歌的風景
アッシャー・ブラウン・デュランド《牧歌的風景》1861年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦99センチ、横152.5センチとされる。出所の行は「マヌージアン財団の寄贈、当館五十周年を記念して」。番号は1991.96.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アッシャー・ブラウン・デュランド《牧歌的風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、川と草地が広がる。

左右に大きな樹が立ち、枠のように画面を挟む。

樹の葉は明るい緑で、細かく描かれる。

中央には水面があり、静かに光る。

手前の草地に、牛が数頭寝そべる。

白と褐色の牛である。

その左に、小さな人影が見える。

奥には低い丘が連なり、青く霞む。

空は上部が淡い青で、雲が薄い。

全体に光がやわらかく、影が薄い。

樹の幹には、樹皮の質感が描き込まれる。

一本ずつの枝が追われている。

近景の細かさと、遠景の淡さが対をなす。

財団の名も、行に入る

九点の行を見ると、贈り主の形が四つに分かれる。

個人の夫妻が三例。

個人と家族が一例。

匿名が一例。

そして財団と委員会が、それぞれ一例。

残る二例は、二人の個人名を並べた形である。

寄贈する主体は、個人だけではない。

財団や委員会も、記録の上では同じ扱いを受ける。

名を書き、記念の句を添える。

法人でも個人でも、行の形は変わらない。

これは、記録が主体の種類を区別しないという方針の表れだ。

区別するのは、贈与か購入かという行為の種類だけである。

記念の句がない一点

九点のうち一点だけ、記念の句の付き方が違う。

五十周年記念寄贈委員会の寄贈、という行である。

よく読むと、記念の句が末尾に付いていない。

かわりに、寄贈者の名の中に記念の語が入っている。

委員会そのものが、記念のために作られたからだ。

だから改めて「記念して」と書く必要がない。

同じ趣旨を、二つの書き方で表している。

名の中に理由が含まれる場合と、末尾に添える場合。

行の形は違うが、意味するところは近い。

こういう細かい差は、読み流してしまいがちだ。

しかし数えるときには効いてくる。

末尾の句だけを検索すれば、この一点は漏れる。

記録を数えるときは、書き方の揺れに注意する必要がある。

支持体が、四通りに分かれる

九点の技法の欄を見ると、支持体が四つある。

カンヴァスが六点、板が二点、そして木に水彩とチョークが一点。

板の二点は、十五世紀のイタリアと十七世紀のオランダである。

同じ「板」でも、片方はポプラ材と明記される。

もう片方には材の記載がない。

イタリアの板絵ではポプラが多く使われた。

その情報が意味を持つので、材まで書かれる。

オランダの板絵では、多くが樫である。

書かれていないのは、調べていないためかもしれない。

あるいは、記載の慣行が違うのかもしれない。

理由は記録からは分からない。

分かるのは、書かれている欄と書かれていない欄があることだ。

その差も、読むときの手がかりになる。

三十年前の記念を、いま読む

記念の年から、すでに三十年以上が過ぎている。

贈った人の多くは、もう館を訪れないだろう。

それでも行の末尾の句は、そのまま残る。

館が続くかぎり、この句は付いて回る。

寄贈という行為の効果は、そこにある。

一度の贈与が、記録の中で反復して読まれる。

九点はいずれも、いま公開画像として見られる。

見る人は、行の末尾まで読まないかもしれない。

それでも、読もうと思えば読める場所に置かれている。

記録とは、そういう待ち方をするものだ。

書いた時点では、誰が読むか分からない。

分からないまま、正確に書いておく。

三十年後にそれを読む人が現れる。

九点の句は、いままさにそういう読まれ方をしている。

理由を書くという例外

最後に、この記事の入口へ戻りたい。

出所の行に理由が書かれるのは、例外的である。

九点の行は、その例外にあたる。

なぜ例外を認めたのか。

一つには、贈った側の意思がそこにあるからだろう。

記念のために贈ったという事実は、贈与の一部である。

それを落とせば、贈与の意味が変わってしまう。

もう一つは、館の側にも理由があるだろう。

記念の年に集まった寄贈は、館の歴史の一部である。

行に句を残せば、後からその年の様子が分かる。

実際、この句を持つ作品を数えれば、記念の規模が見える。

館の公開データでは、この句を含む行が多数ある。

絵画だけでなく、素描や版画にも及ぶ。

一つの句が、一年の出来事を記録している。

短い一句だが、落とせば戻らない。

だから書かれた。そして、いまも残っている。

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