名画の楽しみ方

買うための金に、人の名がある——基金の行

美術館が絵を買うとき、金はたいてい基金から出る。そして基金には人の名が付いている。九点の番号は、いずれも枝番が1で終わる。購入は一点ずつ決まるからだ。行の形と番号の形から、買い方の違いを読みたい。寄贈の群とは、番号の形からして違う。

アンリオ夫人
ピエール=オーギュスト・ルノワール《アンリオ夫人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

買った絵にも、人の名がつく

美術館が絵を買うとき、金はどこから出るのか。

館の予算のこともあるが、多くは基金である。

そして基金には、たいてい人の名が付いている。

アイルサ・メロン・ブルース基金。

アンドルー・W・メロン基金。

ファーディナンド・ラモット・ベリン基金。

アドルフ・カスパー・ミラー基金。

チェスター・デイル基金。

いずれもナショナル・ギャラリー(ワシントン)の出所の行に実在する。

寄贈でも遺贈でもない。館が買った作品である。

それでも、行には人の名が残る。

金を出した人の名が、絵の記録に残る仕組みである。

九点とも、枝番が1

九点の番号を並べると、共通点がある。

1961.3.1、1961.6.1、1962.8.1、1963.6.1、1966.6.1。

1972.25.1、1978.12.1、1982.36.1、1986.17.1。

末尾がすべて1である。

つまり、その受入には一点しか含まれていない。

これは、購入という行為の性質による。

寄贈は、まとめて渡されることが多い。

購入は、一点ずつ決めて買う。

だから受入も一点ずつになり、枝番は1で終わる。

番号の形が、受け入れ方の違いを写している。

寄贈の群には枝番が二千まで続くものもあった。

購入の受入は、その対極にある。

アンリオ夫人
ピエール=オーギュスト・ルノワール《アンリオ夫人》1876年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、画面が縦65.8センチ、横49.5センチとされる。出所の行は「アデル・R・レヴィ基金からの寄贈」。番号は1961.3.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ピエール=オーギュスト・ルノワール《アンリオ夫人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い女性が、上半身で描かれる。

白い薄物をまとい、肩がわずかに透ける。

首もとには細い黒い紐が回る。

髪は明るい栗色で、細かく巻く。

顔は正面を向き、目はこちらを見る。

輪郭線はない。色の面が隣り合うだけである。

背景は淡い青灰色で、筆の跡がそのまま残る。

衣の白と背景の青が、境目でにじむ。

顔だけが、他より少し密に描かれる。

左下に署名がある。

寸法の欄には、三つの数字が並ぶ。

画面が縦65.8センチ、木枠が縦68.8センチ、額装時が縦102.9センチ。

木枠の寸法が書かれるのは珍しい。

張り替えの記録に関わるからだと考えられる。

基金からの「寄贈」

この一点の出所の行は、少し変わっている。

基金からの寄贈、と書かれている。

館が基金の金で買ったのではない。

基金という団体が絵を買い、それを館に贈った。

だから動詞が「寄贈」になる。

同じ「基金」という語が入っていても、意味が違う。

館の側が使う基金なら、行は基金の名だけになる。

外の団体が贈るなら、寄贈という語が付く。

一語の有無で、金の流れが変わる。

読む側は、そこを見分ける必要がある。

なぜ基金に、名を付けるのか

基金に人の名を付けるのは、寄付を受けた側の礼である。

一定の額を預かり、その運用益で作品を買う。

買った作品には、預けた人の名が残る。

寄付する側から見れば、名が長く残ることになる。

一点だけを贈れば、その一点にしか名は残らない。

基金にすれば、何十年にもわたって名が付き続ける。

九点のうち、いちばん新しい購入は1986年である。

いちばん古いのは1961年。

同じ基金の名が、その前後にも並ぶ。

館の公開データを見れば、その広がりが分かる。

一つの基金の名で検索すると、何十点も出てくることがある。

寄付は一度でも、名は繰り返し記録に現れる。

これは、寄贈とは違う残り方である。

寄贈は作品と一対一で結びつく。

基金は、作品と一対多で結びつく。

二十五年の、買い物の記録

九点の年を追うと、館が何を買い足したかが見えてくる。

1961年に、印象派の肖像と、十七世紀の花の絵。

1962年に、十七世紀のイタリアの人物画。

1963年に、十八世紀のアメリカの大画面。

1966年に、十九世紀末の南洋の風景。

1972年に、十九世紀初めのフランスの騎馬像。

1978年に、十九世紀半ばのアメリカの寓意的風景。

1982年に、十七世紀オランダの静物。

1986年に、十七世紀イタリアの物語画。

時代も地域も、意識して散らされている。

寄贈で入る絵は、贈る側の好みに左右される。

購入は、館の側が空いている場所を埋められる。

九点の散らばりは、その埋め方の記録でもある。

名前だけの行と、名前のない行

九点の行を、名前の有無で分けてみる。

人の名が入るのは七点である。

レヴィ、メロン、メロン・ブルース、ベリン、ミラー、デイル、ミルモア。

人の名が入らないのは二点だ。

アヴァロン基金と、後援者恒久基金である。

前者は地名に由来する語で、人を指さない。

後者は「後援者たち」という複数の集まりを指す。

一人の名を出せないほど多くの人が関わる、という意味である。

同じ基金でも、名の付け方に二種類ある。

個人の名を掲げるものと、集まりを示すもの。

どちらを選ぶかは、金の出どころによる。

花瓶の花
ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム《花瓶の花》1660年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦69.6センチ、横56.5センチとされる。出所の行は「アンドルー・W・メロン基金」。番号は1961.6.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム《花瓶の花》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い背景の中に、花の束が浮かぶ。

中央に大きな白い花が二つ。

その周りに、赤と白の縞の花が咲く。

青い小さな花が、隙間を埋める。

葉は濃い緑で、外へ大きく伸びる。

茎の一本が、右下へ長く垂れる。

花瓶はガラスで、透けて見える。

台は石で、手前の縁に光が当たる。

台の上には、小さな虫が数匹いる。

蝸牛のような形も見える。

上部には蝶が一頭、羽を広げる。

背景は黒に近く、花だけが明るい。

花の種類は、同じ季節に咲くものではない。

いくつもの時期の花が、一つの束にまとめられている。

リュートを弾く女
オラツィオ・ジェンティレスキ《リュートを弾く女》1612年から1620年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦143.5センチ、横129センチとされる。出所の行は「アイルサ・メロン・ブルース基金」。番号は1962.8.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。オラツィオ・ジェンティレスキ《リュートを弾く女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が椅子に座り、楽器を胸に抱える。

体は右を向き、顔は下を向く。

弦を押さえる左手の指が、細かく描かれる。

右手は弦をはじく位置にある。

衣は黄色で、大きな襞を作る。

袖は白く、肘の上でまくられる。

膝から下には、赤い布が広がる。

左には台があり、暗い緑の布が掛かる。

台の上には、別の楽器と楽譜が置かれる。

背後の壁は灰褐色で、右上が明るい。

光は左上から入り、袖と衣に当たる。

顔には影が落ち、表情が読みにくい。

音を聴いている姿勢である。

ワトソンと鮫
ジョン・シングルトン・コプリー《ワトソンと鮫》1778年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦182.1センチ、横229.7センチとされる。出所の行は「ファーディナンド・ラモット・ベリン基金」。番号は1963.6.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョン・シングルトン・コプリー《ワトソンと鮫》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点でいちばん大きい画面である。

横229.7センチ。人の背丈を超える幅がある。

港の水面に、小舟が浮かぶ。

舟の上に九人が乗り、身を乗り出す。

一人が銛を構え、水面へ突き出す。

二人が手を伸ばし、水中の人物をつかもうとする。

水の中には、裸の若者が仰向けに浮かぶ。

その右下から、大きな魚が口を開けて近づく。

舟の最上部に立つ一人は、綱を持つ。

その人物は黒人として描かれている。

画面の頂点に置かれ、他の誰よりも高い位置にある。

背後には帆船の林立する港が広がる。

奥には都市の建物と塔が見える。

空は上部が赤みを帯びる。

大画面の歴史画の形式で、同時代の出来事が描かれている。

大きさの幅

九点の大きさを見ると、幅が広い。

いちばん小さいのは、騎馬のラッパ手である。

縦60.4センチ、横49.6センチ。

いちばん大きいのは、舟と鮫の画面だ。

縦182.1センチ、横229.7センチ。

面積では、十四倍以上ひらく。

小さいほうは、下絵に近い性格の作品である。

厚く速い筆で、形が探られている。

大きいほうは、展覧会に出すために作られた大画面だ。

人物が実物大に近く描かれる。

同じ「油彩画」でも、作られ方がまるで違う。

館は、その両方を買う。

完成した大作だけでなく、制作の途中を示す作品も集める。

購入の判断には、そういう考えも入る。

一点ずつ番号が独立しているので、その判断の跡は追いやすい。

記念という語

九点のうち一点の行には、記念という語が入る。

ペピータ・ミルモア記念基金。

亡くなった人を記念して設けられた基金である。

寄贈にも同じ形がある。誰それを記念して、という書き方だ。

館の記録は、この語を落とさない。

短くすれば「ミルモア基金」で足りる。

それでも「記念」を残す。

基金の正式な名がそうだからである。

名前を縮めないというのは、記録の基本的な態度だ。

長い名でも、そのまま書く。

縮めた瞬間に、別の基金と区別できなくなる恐れもある。

タヒチ、タウティラ川の河口。魚を突く漁師
ジョン・ラ・ファージ《タヒチ、タウティラ川の河口。魚を突く漁師》1895年ごろ。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦136センチ、横152.4センチとされる。出所の行は「アドルフ・カスパー・ミラー基金」。番号は1966.6.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョン・ラ・ファージ《タヒチ、タウティラ川の河口。魚を突く漁師》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、水と山が広がる。

手前は緑の岸で、草が生える。

その先に、淡い水面が横たわる。

水は青みがかった灰色で、波が立たない。

中景に、赤い衣の人物が一人立つ。

腰まで水に入り、長い棒を持つ。

その姿は小さく、輪郭がぼやける。

背後には濃い緑の木立が横に伸びる。

さらに奥に、山が二つ重なる。

山の色は青と紫で、頂が尖る。

空は上部が桃色で、雲が横に流れる。

色は全体に淡く、輪郭線がない。

水彩のような透明感がある。

題が長いのは、地名と場面の両方を書いているからだ。

ナポレオン親衛隊の騎馬ラッパ手
テオドール・ジェリコー《ナポレオン親衛隊の騎馬ラッパ手》1813年から1814年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦60.4センチ、横49.6センチとされる。出所の行は「チェスター・デイル基金」。番号は1972.25.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。テオドール・ジェリコー《ナポレオン親衛隊の騎馬ラッパ手》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

灰色の斑のある馬が、こちらを向いて立つ。

馬の首は太く、たてがみが短い。

乗っている人物は、赤い上着に金の飾りを付ける。

肩には房の飾りが垂れる。

頭には高い帽をかぶり、赤い羽根が立つ。

手には金色の管楽器を持つ。

その右奥に、もう一騎が小さく見える。

同じ装いだが、輪郭はぼやける。

背景は褐色で、何も描かれない。

地面と空の境が、はっきりしない。

馬の脚は細く、蹄が地に触れる。

筆は速く、絵具が厚い。

小さな画面だが、下描きのような勢いがある。

複数の基金を、並べて書く

館の公開データには、こういう行もある。

二つ以上の基金の名を、並べて書いた行である。

後援者恒久基金と、チェスター・デイル基金。

後援者恒久基金と、新世紀基金。

さらに、基金と個人の寄付を並べた行もある。

これは、一点の絵を複数の財源で買ったという意味だ。

高額な作品では、一つの基金では足りないことがある。

そのとき、複数の基金から出し合う。

出し合った以上、名も全部並べる。

長い行になるが、省略はしない。

省略すれば、出した側の一つが消えてしまう。

九点の中には、こういう合わせ技の行はない。

いずれも単独の基金で買われている。

しかし館全体で見れば、合わせ技は珍しくない。

行の長さが、そのまま買値の重さを示すこともある。

基金の名が、時代を刻む

九点の番号の頭を並べると、1961年から1986年まで散らばる。

その二十五年のあいだに、使われた基金の名は九つとも違う。

同じ基金が二度出てこない。

これは偶然ではなく、選び方の結果でもある。

しかし館の公開データを見ると、基金の名には偏りがある。

アイルサ・メロン・ブルース基金の名を持つ絵は、未使用のものだけでも二十点以上ある。

後援者恒久基金も、同じくらい多い。

つまり、よく使われる基金といくつかの少数の基金がある。

行の名を数えれば、館の購入の主な財源が見えてくる。

出所の行は、会計の記録でもある。

戦争の精神
ジャスパー・フランシス・クロプシー《戦争の精神》1851年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦110.8センチ、横171.6センチとされる。出所の行は「アヴァロン基金」。番号は1978.12.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジャスパー・フランシス・クロプシー《戦争の精神》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、岩山と城が並ぶ。

中央奥に、赤く染まった岩が高く立つ。

その右に、塔のある城が建つ。

城の下では、赤い光が燃える。

火のようにも、夕日の反射のようにも見える。

手前は暗い谷で、道が横に伸びる。

道の上に、小さな人影が並ぶ。

馬に乗った者もいる。

左には木立と、崩れた石の門がある。

空は上部が青灰色で、雲が赤く光る。

雲の縁だけが、明るく染まる。

全体に暗く、赤と黒が主になる。

題は具体的な場所を指さない。

寓意として描かれた風景である。

死んだ獲物のある静物
ウィレム・ファン・アールスト《死んだ獲物のある静物》1661年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦84.7センチ、横67.3センチとされる。出所の行は「ペピータ・ミルモア記念基金」。番号は1982.36.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ウィレム・ファン・アールスト《死んだ獲物のある静物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

石の台の上に、狩りの獲物が置かれる。

中央に、白い鳥が逆さに吊るされる。

首が下へ垂れ、赤い鶏冠が見える。

その左に、褐色の兎が横たわる。

上には小さな鳥が数羽、紐で吊られる。

右奥には、緑の葉が広がる。

台の前面には、浮彫の装飾がある。

小さな人物が並ぶ彫刻である。

青い紐が台の縁から垂れる。

金属の道具が、その紐に結ばれる。

背景は暗く、上部だけがわずかに明るい。

白い羽が、画面の中心を作る。

質感の描き分けが、この絵の主題である。

アムノンとタマル
グエルチーノ《アムノンとタマル》1649年から1650年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦123センチ、横158.5センチとされる。出所の行は「後援者恒久基金」。番号は1986.17.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。グエルチーノ《アムノンとタマル》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

二人の人物が、横並びで描かれる。

左の男は上半身が裸で、青い布を腰に巻く。

右腕を横へ伸ばし、追い払う仕草をする。

右の女は、衣が肩から落ちる。

胸の前で腕を組み、身を守る姿勢を取る。

顔は男のほうを向き、口が開く。

背後には暗い布が垂れ、右奥に空が見える。

光は左から入り、二人の肌に当たる。

旧約聖書の一場面である。

暴力の後の、追い出される場面として描かれている。

館の記録は、題に二人の名を並べるだけである。

何が起きた場面かは書かれない。

見る側が、題から場面を補うことになる。

買われた年と、描かれた年

九点の描かれた年と、買われた年を並べてみる。

1660年ごろの花の絵は、1961年に買われた。三百年後である。

1876年ごろの肖像は、1961年に買われた。八十五年後だ。

1778年の大画面は、1963年に買われた。百八十五年後。

1813年から1814年の騎馬像は、1972年に買われた。百六十年後。

1895年ごろの南洋の風景は、1966年に買われた。七十年後。

差はまちまちである。

七十年から三百年まで、幅が広い。

この差は、美術市場に何が出てくるかで決まる。

館が欲しいと思っても、出てこなければ買えない。

出てきたときに、金がなければ買えない。

だから基金が要る。

基金は、機会が来たときに動けるようにするための備えである。

出所の行に基金の名があるのは、その備えが働いた印だ。

一点ずつ、二十五年かけて九回、その備えが使われた。

一点だけの受入という形

枝番が1で終わる受入は、館の記録の中で数が多い。

購入も、一点だけの寄贈も、この形になる。

同じ形でも、行を読めばどちらか分かる。

行に動詞がなければ、館が買った可能性が高い。

行に「寄贈」や「遺贈」があれば、外から来ている。

九点のうち八点は、動詞のない行だ。

残る一点だけが、基金からの寄贈と書かれる。

見た目はよく似ているが、意味は違う。

館が選んで買ったのか、外から選ばれて贈られたのか。

その違いが、収蔵品の性格を作る。

買った絵ばかりの館と、贈られた絵ばかりの館では、並びが変わる。

多くの館は、その両方を抱えている。

出所の行を数えるだけで、その割合が分かる。

割合は、館の歴史そのものである。

行を読むと、買い方が見える

九点の出所の行は、いずれも短い。

長くても、基金の名と一語の動詞だけである。

それでも、そこから読めることは多い。

館が自分の判断で買った絵か、外から贈られた絵か。

金がどの基金から出たか。

その基金が、個人の名を持つか、集まりの名を持つか。

そして枝番の1が、一点ずつの購入であることを示す。

寄贈の群と購入の一点は、番号の形からして違う。

同じ館の記録の中で、二つの流れが並行している。

一方は数百点、数千点の塊で入る。

他方は、一点ずつ、二十五年かけて九点である。

館の収蔵品は、この二つの流れが重なってできている。

出所の行は、どちらの流れで来たかを一行で示す。

短い行を読み分けることが、その館の成り立ちを読むことになる。

基金の名は、そのために置かれた目印でもある。

名を残す代わりに、館は買う自由を得た。

九点は、その取り決めの上に成り立っている。

絵の前に立つとき、その取り決めは見えない。

見えないものを見えるようにするのが、記録の役目である。

一行の基金名は、その最も短い形だと言える。

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