描いた人と、彫った人——複製版画に残る二つの署名
画面の左下に描いた人の名、右下に彫った人の名。銅版画は、二人の手を両端に分けて記す。館は銘記の欄にその文字をそのまま写し、作者の欄には二人を並べる。複製という仕事が記録の中でどう扱われるかを読みたい。

画面の左下と右下に、別々の名がある
一枚の銅版画の下に、二つの文字がある。
左下に、ある画家の名と「これを描いた」という語。
右下に、別の人物の名と「これを彫った」という語。
描いた人と、彫った人が、画面の両端に分けて書かれている。
館の記録は、その文字を銘記の欄にそのまま写す。
そして作者の欄には、二人の名を並べる。
彫った人の名が先。描いた人の名が後。
そのあいだに「〜に倣う」にあたる語が入る。
九点のうち六点が、この形をとる。
複製版画である。
もとになる絵があり、それを版に写して刷る。
複製版画という仕事
写真がない時代、絵を広く見せる方法は限られていた。
一つは、その絵の前まで行くこと。
もう一つは、版画にして配ることである。
版画なら、同じ図柄を何百枚も作れる。
肖像画なら、その人の顔が各地に伝わる。
宮廷の画家が描いた肖像を、版画師が銅板に彫る。
出来上がった版画は、書物に綴じられ、額に入れられ、売られる。
この仕事は、下働きではない。
絵を線に置き換える技術が要る。
色も筆致もない画面で、布の艶や肌の柔らかさを出す。
線の太さと間隔だけで、それを作る。

九点でいちばん大きい一枚である。
楕円の枠の中に、聖職者が半身で描かれる。
顔はやや左を向き、目はこちらを見る。
髪は肩まで垂れ、両側で巻く。
衣は黒く、袖と胸に襞が寄る。
首もとには、白い二枚の布が垂れる。
肩から胸へ、光沢のある布が掛かる。
その光沢は、細い線の間隔だけで作られている。
楕円の枠には、文字が円周に沿って刻まれる。
名と役職が、ラテン語で書かれる。
枠の下には台座があり、紋章が付く。
その左下と右下に、二つの署名がある。
一方が描いた人、他方が彫った人である。
「描いた」と「彫った」を、書き分ける
銘記の欄に写された文字を読むと、動詞が違う。
一方には、描いた、という語。
他方には、彫った、という語。
同じ画面に、二つの動詞が並ぶ。
これは、当時の版画の慣習である。
誰が構図を作り、誰が版にしたかを明示する。
版画師は、自分の仕事を隠さない。
隠す必要もない。彫りは、それ自体が評価される技術だった。
館の記録は、その慣習をそのまま作者の欄へ移している。
二人の名を並べ、関係を示す語でつなぐ。
前の回の記事で、下絵と彩色を分けて書く例を見た。
役ごとに名を挙げるという点で、考え方は同じである。

こちらも楕円の枠の中の肖像である。
年配の男が、正面をやや外して座る。
白い髪が両側に膨らみ、頭頂は薄い。
顔には皺が深く刻まれる。
目の下がたるみ、口の端が下がる。
衣は黒く、胸もとに白い布が二枚垂れる。
楕円の枠には、文字が円周に沿う。
枠の下には、葉の飾りと紋章がある。
背景は細い斜めの線で埋められる。
線の間隔を変えることで、明暗が作られる。
年の欄は「年記なし」である。
制作の年が分かっていない。
一つの収集から、八点
九点の出所の行を見ると、八点が同じである。
ある収集家の名を冠したコレクションだ。
番号は1887年と1888年に集中する。
館が開いてまもない時期の受入である。
版画は、まとまった数で集められやすい。
一枚あたりの値が油彩画より低い。
保管も、箱や帙に収めればよい。
その結果、数百枚、数千枚という単位で館に入る。
九点は、その大きな塊から選んだ九枚にすぎない。
残る一点だけが、別の個人からの寄贈である。
出所の行の偏りは、版画という媒体の性格を映している。
肖像が、五点を占める
九点のうち五点は、人物の肖像である。
聖職者、王の秘書、王付きの画家、画家、そして年配の女性。
複製版画に肖像が多いのは、需要があったからだ。
その人を知りたい人がいる。
顔を見たい人がいる。
書物の口絵として使われることも多かった。
肖像の版画は、いまでいえば報道写真に近い役目を持つ。
だから、もとになる油彩の肖像画が各地で版にされた。
宮廷の画家が描き、版画師が彫り、出版者が売る。
三つの職の連携で、一つの顔が広まっていく。
九点の作者の欄に二人以上の名が並ぶのは、その連携の記録である。
寸法の欄が、三段に分かれる
九点の寸法の欄を読むと、書き方が三通りある。
一つは、画面の大きさだけを書くもの。
もう一つは、版の大きさと紙の大きさを分けて書くもの。
三つ目は、画面と版と紙の三つを並べるものだ。
版とは、銅板そのものの大きさである。
紙に押し付けると、四辺に凹んだ跡が残る。
その跡の内側が版の範囲になる。
紙は、それより大きく切られていることが多い。
つまり一枚の版画には、三つの境界がある。
絵の端、版の端、紙の端。
館の記録は、必要に応じてその三つを書き分ける。
一点には「版の跡の内側で断たれている」という注記まである。
紙が版の跡ごと切られているという意味だ。

やはり楕円の枠の肖像である。
男は毛皮の帽子をかぶる。
帽子は黒く、細かい毛が一本ずつ描かれる。
顔は正面をやや外し、目はこちらを見る。
口髭を蓄え、頬がこける。
衣は黒く、胸に金の鎖が斜めに掛かる。
鎖の輪の一つずつが、点と線で示される。
枠の下には、文字が数行に分かれて並ぶ。
名と、その人の役職が書かれている。
さらにその下に、小さく二つの署名がある。
毛皮の質感が、この一枚の見どころである。
短い線を密に重ねて、毛の柔らかさを出している。
版元の名まで、作者の欄に入る一点
九点のうち一点は、作者の欄がさらに長い。
彫った人の名、もとの絵を描いた人の名。
そして、出版した人の名まで書かれている。
三人が並ぶことになる。
出版した人は、版を買い取って刷り直すこともあった。
年の欄には、その事情が現れている。
1601年、1650年代に刷られた、と書かれる。
版が作られた年と、この紙が刷られた年が違う。
五十年後に、別の出版者が同じ版から刷った。
版画では、こういうことが起きる。
前の回の記事で、同じ版から二枚が摺られた例を見た。
こちらは、同じ版が半世紀をまたいで使われている。

縦長の画面に、裸の女性が立つ。
両腕は背後の岩へ回され、縛られている。
体はやや右へひねられ、顔は左を向く。
髪は長く、肩から胸へ垂れる。
足もとには、白い骨と頭蓋骨が散る。
左上には、翼のある怪物が空を飛ぶ。
その下の海には、大きな魚の背が見える。
右には岩壁がそびえ、上に木が生える。
奥には低い岸と、小さな建物が見える。
下部には、二行の文字が刻まれる。
人物の肌は、細い曲線を重ねて作られる。
線は体の丸みに沿って曲がる。
その曲がり方だけで、立体が生まれている。

年配の女性が、上半身で描かれる。
首には、大きな白い襞襟が回る。
襞は円盤のように広がり、顔を囲む。
頭には、白い布の被り物をかぶる。
顔には深い皺が刻まれる。
衣は黒く、袖に縦の筋が入る。
胸の前で、両手が重ねられる。
画面の下には、二つの枠がある。
左右にそれぞれ数行の文字が入る。
中央には、小さな紋章が置かれる。
題には、この版画が収められた画集の名も書かれる。
ある宮廷の絵画館の名品を集めた版画集である。
年の欄に、二つの年が並ぶ
九点の年の欄を見ると、書き方が四通りある。
一つの数字が三点。1601年、1663年、1650年。
ごろ付きが三点。1699年ごろ、1757年ごろ、1780年ごろ。
幅を持つものが一点。1630年から1645年。
そして年記なしが二点。
さらに一点には、括弧で刷りの時期が添えられる。
版が作られた年と、この紙が刷られた年である。
版画では、この二つが離れることがある。
版木や銅板は、長く使えるからだ。
館の記録は、その二つを分けて書く。
分けなければ、五十年の差が消えてしまう。
画集の一枚として作られる
いま見た一点は、単独の版画ではない。
ある絵画館の所蔵品を集めた画集の一枚である。
こういう企画は、十八世紀に盛んに行われた。
王侯の絵画館にある名品を、版画にしてまとめる。
出版すれば、その絵画館の内容が各地に伝わる。
見に行けない人も、構図と主題を知ることができる。
館の記録は、その画集の名を題の欄に入れている。
長い題になるが、省略しない。
省略すれば、この一枚がどの企画に属するか分からなくなる。
前の回の記事で、揃物の名を題に残す例を見た。
考え方は同じである。
一枚だけを見ていては分からない文脈を、題が運ぶ。

男が、上半身で描かれる。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は肩まで垂れ、額の上で分けられる。
口髭と顎髭を蓄える。
首には、白い襟が広く広がる。
衣は光沢のある布で、肩に大きく掛かる。
その光沢が、細い線の疎密で作られる。
背景の左には柱が立ち、右に空が見える。
画面の下には、名と肩書きが二行で刻まれる。
さらに小さく、四つの署名らしい文字が並ぶ。
描いた人、彫った人、そして出版に関わった人。
一枚の紙に、複数の名が刻まれている。
赤い版画
九点のうち一点だけ、色が違う。
黒ではなく、赤褐色の線で刷られている。
技法の欄には、血赤色のエッチングと書かれる。
赤い絵具で刷ることで、素描のように見せる狙いがある。
もとの作品は、ある画家の素描だったのだろう。
素描を版画にするときは、その色まで真似ることがある。
黒で刷れば、素描には見えない。
赤で刷れば、赤チョークの線に近づく。
技法の欄の「血赤色」という語が、その意図を伝えている。
館の記録は、インクの色まで書き分けている。

縦長の画面が、赤褐色一色で刷られる。
上半分を、大きな木が占める。
幹は太く、途中で折れている。
枝は乱れ、葉が塊となって広がる。
線は短く、あらゆる方向へ走る。
下部には、人物が横たわる。
上半身は裸で、腕を投げ出す。
その脇に、頭蓋骨が置かれる。
背後には岩と、暗い洞窟の口がある。
右下には、小さな文字がある。
作者の欄には、二人の名が疑問符つきで並ぶ。
誰が彫ったかは、確定していない。
自分で考えた版画
九点のうち二点は、複製ではない。
作者の欄に一人の名しかなく、「に倣う」が付かない。
版画師が自分で構図を考え、自分で彫った作品である。
こちらは、もとになる絵がない。
線そのものが、最初から線として考えられている。
複製版画では、線は絵を写すための手段だった。
自作の版画では、線が目的になる。
九点を並べると、その差が見えてくる。
複製の六点は、面をなめらかに作ろうとする。
自作の二点は、線の粗さや強弱をそのまま見せる。
同じ銅版という技術で、狙いが正反対になる。

石造の部屋の中が描かれる。
右手前に、老人が跪く。
上半身は裸で、腰に布を巻く。
髭は長く、胸まで届く。
両手を胸の前で組み、上を見る。
その前には、書物が積まれ、開かれている。
紙が床に散らばる。
左には、細い柱と壁がある。
奥には棚があり、器が置かれる。
上部には、天井の梁が見える。
石の質感、布の襞、紙の薄さ。
すべてが線の疎密だけで描き分けられる。

九点でいちばん小さい一枚である。
版は縦10.8センチ、横14.7センチしかない。
横長の画面に、牡牛が一頭立つ。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
角は短く、前へ曲がる。
胴は太く、脚は短い。
毛は短い線の集まりで表される。
背後には木が一本、斜めに立つ。
右奥には、別の牛が数頭小さく見える。
地面には草が生え、細い線で示される。
空は白く、線がほとんどない。
左上には、署名と年が小さく刻まれる。
線は速く、素描のような勢いがある。
線だけで、色を作る
複製版画のいちばん難しいところは、色である。
もとの絵には、赤い衣も、金の鎖も、青い空もある。
版画は、黒か赤の一色でそれを写す。
だから明るさの差に置き換えるほかない。
赤い衣は、中くらいの濃さの面になる。
黒い衣は、線を密に重ねた濃い面になる。
白い襟は、線をほとんど引かない。
九点を並べると、その置き換えの技が見える。
同じ黒でも、毛皮と絹と布では線の向きが違う。
毛皮は短い線を乱雑に、絹は長い線をそろえて。
線の向きと長さが、材質の代わりになっている。
館の記録は、そこまでは書かない。
技法の欄には、銅版とだけある。
見て分かることは、書かれない。
紙の欄が、色と作り方を書く
九点の技法の欄には、紙の説明が付いている。
象牙色の簀の目紙。淡黄色の簀の目紙。
淡黄色の網目紙。ただの紙。
簀の目紙とは、簀の跡が残る手漉きの紙である。
光にかざすと、細い平行線が見える。
網目紙は、より細かい網で漉かれた紙だ。
十八世紀の後半から広まった。
つまり紙の種類は、時代の手がかりにもなる。
そして色も書かれる。象牙色か、淡黄色か。
紙の色は、刷り上がりの見え方を変える。
館の記録は、そこまで書き分ける。
版画では、紙が作品の一部だからである。
楕円の枠が、三点に出てくる
九点のうち三点は、画面の中に楕円の枠が描かれる。
その内側に人物が収まり、外側に文字が回る。
これは肖像版画の定型である。
楕円にすれば、上下左右に余白ができる。
その余白へ、名前と肩書きを入れられる。
紋章を置く場所も生まれる。
油彩の肖像画は、たいてい四角い画面である。
版画にするとき、その四角を楕円へ入れ直す。
つまり構図が作り替えられている。
もとの絵をそのまま写しているわけではない。
館の記録は、その作り替えについて何も書かない。
書かれるのは、二人の名と、関係を示す語だけである。
作り替えの跡は、画像を見るしかない。
二つの名を、並べて書く意味
九点のうち六点の作者の欄には、二人以上の名がある。
彫った人の名が先に来る。
これは、館がどちらを作者と見ているかを示す。
版画としての作者は、彫った人である。
もとの絵を描いた人は、参照される側だ。
だから「〜に倣う」でつなぐ。
もし逆に書けば、この紙は絵の複製にすぎなくなる。
順序が、作品の位置づけを決めている。
前の回の記事で、語順が意味を作ることを書いた。
主たる帰属を先に、補足を後に。
その原則が、ここでも守られている。
九点の作者の欄は、そのために長くなっている。
長さは、関わった人の数の記録である。
一枚の紙を作るのに、少なくとも三人が動いた。
構図を考えた人。銅板を彫った人。刷って売った人。
紙を漉いた人や、インクを練った人まで数えれば、もっと増える。
その全部が記録に残ることはない。
残るのは、画面に名を刻んだ人だけである。
刻んだのは、名を残す慣習があったからだ。
慣習がなければ、彫った人の名も消えていた。
九点の作者の欄は、その慣習の上に成り立っている。
慣習が、二百年後の記録の形を決めている。
美術館で版画を見るときは、画面の下端を見るとよい。
小さな文字が、左右に分かれて入っていることがある。
一方が描いた人、他方が彫った人である。
読めなくても、二つあることは分かる。
二つあれば、その紙は複製版画だと判断できる。
一つしかなければ、自分で考えた版画かもしれない。
下端の文字の数だけで、そこまで見当がつく。
そして記録を開けば、その二人の名が作者の欄に並んでいる。
館は、画面に書かれたことを欄へ移しているにすぎない。
移す先の形式を決めたことが、記録の仕事である。
形式が決まっていれば、三百年前の紙も同じように読める。
九点は、その形式の上に並んでいる。


