同じ寸法で、九人の女神を——ジュゼッペ・ファニャーニ
一八六九年、同じ大きさの絵が九枚描かれた。詩神を一人ずつ、持ち物と姿勢だけで描き分けている。うち七枚は白黒の記録写真しかない。制約の中の工夫を、九枚並べて確かめる。同じ背景、同じ衣。変えられるのは姿勢と持ち物だけという条件の中の仕事である。

同じ大きさの絵が、九枚ある
一枚の女性像から始めたい。

女性が机に肘をつき、頬に手を当てている。
衣は肩を出した長い一枚布で、留め金で肩に止められる。
机の上には、巻いた紙が置かれている。
背景は暗く、何も描かれていない。
画面の左上に、文字が薄く書き込まれている。
ギリシャ文字で、この人物の名が記されている。
読むと、クレイオとある。
歴史をつかさどる女神の名である。
つまりこれは、特定の誰かの肖像ではない。
古代の神話に出てくる女神を描いた絵である。
そして、同じ大きさの絵が、あと八枚ある。
九人そろって、はじめて意味がある
九枚はいずれも一八六九年の作である。
寸法もすべて同じで、縦110.5センチ、横83.8センチ。
技法も同じ、油彩・画布である。
つまり、最初から九枚一組として作られている。
主題はギリシャ神話の九人の詩神である。
ムーサ、あるいはミューズと呼ばれる姉妹である。
叙事詩、歴史、恋愛詩、音楽、悲劇、喜劇、舞踊、賛歌、天文。
それぞれが受け持つ分野を持つとされる。
九人まとめて描く例は、古代から近代まで数多い。
天井画にも、書物の挿絵にも使われてきた。
ファニャーニの九枚は、その系譜に連なる。
ただし、扱いはかなり近代的である。
描いた人について
ジュゼッペ・ファニャーニは一八一九年にナポリで生まれたとされる。
英語では名をジョゼフと記す資料が多い。
欧州で肖像画家として働き、のちに米国へ渡った。
ニューヨークで肖像の注文を受け、社交界に出入りしたと伝えられる。
没年は一八七三年である。
つまりこの九枚は、亡くなる四年前の仕事にあたる。
米国での肖像画家の生業については、当サイトでも
肖像を商売にするということや
肖像画という商売で書いた。
需要のある土地では、肖像は安定した仕事になる。
そのうえで、こうした連作を手がけるのは別の動機による。
まとまった主題の作品は、画家の名を残しやすいからである。
寓意画とは何か
ここで、絵の種類の話をしておきたい。
人の姿を借りて、目に見えないものを示す絵がある。
正義、勝利、平和、学問、季節。
こうしたものは、形を持たない。
そこで、人の姿に置き換えて描く。
これを寓意の絵と呼ぶ。
九人の詩神も、その一種である。
詩や音楽や天文といった営みを、女性の姿で示している。
寓意の絵には、決まった持ち物がついてくる。
天秤なら正義、鎌なら時間、というふうに。
その約束を知っていれば、絵は読める。
知らなければ、ただの人物画に見える。
十九世紀に、なぜ古代の主題か
一八六九年に、なぜ古代の女神を描いたのか。
当時の米国は、まだ若い国だった。
美術の歴史も、欧州に比べて浅い。
そこで、古代の主題が便利に使われた。
古代ギリシャ・ローマは、共通の教養だったからである。
学校でも古典を学び、建物にも古代の柱が使われた。
首都の議事堂にも、古代風の装飾がある。
だから女神の姿は、当時の人にとって親しいものだった。
古めかしいどころか、新しい国の飾りだった。
この事情を知らないと、主題が唐突に見える。
古代を借りるのは、当時としては現代的な選択だった。
色が残っている一枚
九枚のうち二枚は、色のある画像で公開されている。
まず、その一枚を見たい。

背景は緑がかった灰色である。
女性は白い衣に、金色の布を斜めにかけている。
石造りの台に肘をつき、開いた書物に手を置く。
右手には、長い管のようなものを持つ。
台の側面には浮き彫りがある。
髪には細い環が巻かれている。
カリオペーは叙事詩をつかさどるとされる。
書物と筆記具が、その徴になる。
色を見ると、絵の調子がよく分かる。
肌は明るく、影は温かい茶に寄る。
背景の緑が、白い衣を引き立てている。
天球儀を持つ人
もう一枚、道具のはっきりした例を見たい。

女性の左手のそばに、球が置かれている。
球の表面には線が引かれ、区画が刻まれている。
天球儀である。
右手には細い棒、あるいは分度器のようなものを持つ。
ウーラニアーは天文をつかさどるとされる女神である。
だから、星を測る道具が添えられる。
九枚は、こうした持ち物で見分けられるようになっている。
顔立ちを変えて描き分けるのではない。
道具で示す。
これは古代以来の約束事である。
見る側が持ち物の意味を知っている前提で成り立つ。
白黒の写真しかない、ということ
正直に書いておきたい。
今回の九点のうち七点は、白黒の記録写真として公開されている。
色は分からない。
美術館が撮影した古い写真が、そのまま使われているためである。
作品自体は油彩なので、実物には色がある。
しかし、いま手元で見られる画像には色がない。
だから本文でも、白黒の七点については色を書かない。
書けることは、形と明暗と構図である。
これは制約だが、悪いことばかりではない。
色が抜けると、構図の骨がよく見える。
九枚を並べたとき、姿勢の違いだけが残る。
九という数の由来
九人という数にも、由来がある。
古い伝承では、記憶の女神と主神の間に生まれた姉妹とされる。
数は文献によって違い、三人とする伝えもある。
九人に定まったのは、後の時代である。
受け持つ分野の割り当ても、書物によって揺れる。
つまり、九人と九分野の対応は固定ではない。
それでも近代には、ほぼ決まった形が使われた。
画家は、その決まった形に従って描く。
新しく考え出す必要はない。
主題の型を借りて、描き方だけを工夫する。
連作の絵とは、たいていそういうものである。
弦楽器を抱える人
ここからは、持ち物を順に見ていきたい。

女性が立ち、右手で竪琴を支えている。
竪琴は木の枠に弦を張った古代の形である。
左手には、細い棒のようなものを持つ。
弦をはじく撥だと考えられる。
足元には、裸の幼児が立っている。
翼は見えないが、愛の神の姿とされることが多い。
エラトーは恋愛詩をつかさどる女神である。
だから、愛の神が添えられている。
九枚のうち、人物が二人写る唯一の絵である。
構図としても、これだけが例外になっている。
一組の中に、ひとつだけ例外を置く。
連作としては、よくある工夫である。
笛を掲げる人
次の一枚は、動きが大きい。

女性が右腕を高く上げ、笛を持っている。
笛は横笛で、指孔と金具が見える。
左手は下がり、別の道具を握っている。
衣は肩から落ち、腰で結ばれている。
エウテルペーは笛の音楽をつかさどるとされる。
九枚の中で、腕をもっとも高く上げた姿である。
顔はやや上を向き、目線は笛のほうへ流れる。
立ち姿でありながら、静止していない。
音を出す直前、あるいは出したあと。
そのどちらかの瞬間に見える。
九枚を通して見ると、この一枚が最も動いている。
短剣を持つ人
暗い調子の一枚もある。

女性が正面を向き、体の前で布を握っている。
腕には太い環が巻かれている。
右手には、短い刃物を持っている。
衣は厚く、縁に模様が入る。
頭にも輪のような飾りがある。
メルポメネーは悲劇をつかさどる女神である。
短剣は、悲劇の徴として使われてきた。
表情も、九枚の中でいちばん硬い。
眉が下がり、口は結ばれている。
同じ画家が、同じ寸法で、調子だけを変えている。
主題に応じて明暗を変える、というやり方である。
持ち物の一覧を作る
九枚の道具を並べると、こうなる。
巻いた紙、竪琴と幼児、横笛、短剣。
書物と管、天球儀と測る道具。
残る三枚については、次の頁で見る。
いずれも、古代から使われてきた徴である。
書物は言葉を、楽器は音を、球は空を示す。
見る側は、それを手がかりに誰かを判断する。
顔で見分けるのではない。
この点は、肖像画とまったく違う。
肖像は顔が主で、持ち物が従である。
寓意の絵は、その関係が逆になる。
ギリシャ文字の書き込み
九枚には、いずれも左上か右上に文字がある。
ギリシャ文字で、女神の名が書かれている。
薄い色で、目立たないように入っている。
これは念のための説明である。
持ち物だけでは、見分けられない人もいる。
そのために、名を書き添えてある。
画家としては、少し弱気な手当てにも見える。
しかし実際的でもある。
九枚が別々の場所に掛かれば、対照ができない。
一枚だけを見た人にも分かるようにしてある。
背景に何も描かない理由
九枚の背景は、いずれも暗く、何もない。
風景も、建物も、家具もほとんど描かれない。
これは連作にとって都合がよい。
背景を描き込むと、九枚に差が出てしまう。
どれかが華やかになり、どれかが地味になる。
背景を消せば、比較の条件が揃う。
見る側は、人物と持ち物だけに集中できる。
もう一つ、実際的な理由もある。
背景を描かなければ、手間が減る。
九枚を短期間で仕上げるには、この省略が効く。
美術館の記録では、九枚とも同じ年の作である。
一年のうちに九枚を仕上げた計算になる。
衣の襞を、どう描くか
九枚に共通するのが、白い一枚布の衣である。
肩で留め、腰で結び、下へ垂らす。
古代の彫刻に見られる形である。
この衣は、描く側にとって恰好の題材になる。
襞の落ち方で、体の向きが示せるからである。
腰をひねれば、襞は斜めに走る。
腕を上げれば、脇の布が引かれる。
つまり、布が体の動きを説明してくれる。
ファニャーニは、この説明をよく使っている。
顔の表情は九枚とも似ているが、襞は毎回違う。
体の状態は、顔ではなく布に出ている。
顔立ちが似ている、ということ
九枚の顔は、よく似ている。
面長で、鼻筋が通り、目が大きい。
髪は中央で分け、後ろでまとめる。
これは意図的な統一だと考えられる。
姉妹として描く以上、似ていたほうが筋が通る。
ただし、副作用もある。
顔で見分けられなくなる。
だから持ち物と銘文が要る。
似せることと、見分けさせること。
この二つを、別々の手段で担わせている。
同じ型で、九回描く
連作を作るには、型を決める必要がある。
ファニャーニの型はこうである。
背景は暗く、何も描かない。
人物は上半身から膝までを入れる。
衣は古代風の一枚布にする。
持ち物をひとつか二つ添える。
名を隅に書く。
この五つを守れば、九枚は一組に見える。
守ったうえで、姿勢と明暗を変える。
型と変化の配分が、連作の出来を決める。
同じ主題を繰り返す仕事については、
同じ場所を何度も描くでも扱った。
繰り返しは、単調と紙一重である。
顔に手を当てる人
三枚目の色のある絵を見たい。

女性が椅子に座り、右手を顎に当てている。
薄い布を頭からかぶっている。
膝の上に巻いた紙があり、傍らに竪琴が置かれる。
背後には青い布と、小さな机が見える。
背景は深い緑である。
ポリュムニアーは賛歌をつかさどるとされる。
考える姿勢が、その性格に当てられている。
色があるので、衣の質が分かる。
上に重ねた薄布は、下の白が透けている。
透ける布を描くのは、手間のかかる仕事である。
下の色を塗り、その上に白を薄く重ねる。
この二層が、透明感を作る。
布を持ち上げる人
舞踊の女神も見たい。

女性が右腕を上げ、薄い布を持ち上げている。
布は頭の上で弧を描き、背後へ流れる。
体はやや左へ傾き、腰がひねられている。
左手は膝の上に置かれる。
テルプシコレーは舞踊をつかさどる女神である。
だから、布の動きが主題になる。
持ち物ではなく、動きで示す珍しい例である。
上げた腕と、傾いた体。
この二つで、踊りの一瞬が示されている。
九枚のうち、体の軸がもっとも曲がっている。
仮面を添えられた人
喜劇の女神も一枚ある。

女性が立ち、胸の前で手を重ねている。
髪には小さな花の輪が載る。
画面の右下、暗がりの中に顔の形が見える。
仮面である。
喜劇の徴として、古代から使われてきた。
タレイアは喜劇と牧歌をつかさどるとされる。
仮面は目立たない位置に置かれている。
正面から見ると、まず見落とす。
しかし気づけば、絵の意味が定まる。
隅に置かれた小さなものが、主題を決めている。
九枚の中で、いちばん控えめな示し方である。
三つの調子を使い分ける
九枚の明暗を見比べると、三段階に分かれる。
明るいもの、中くらいのもの、暗いもの。
明るいのは笛と舞踊の二枚である。
暗いのは悲劇の一枚である。
残りはその間に収まる。
主題の性格に、明暗が対応している。
音楽と踊りは明るく、悲劇は暗い。
単純な対応だが、九枚並ぶと効く。
壁に掛けたとき、調子の波ができるからである。
同じ調子ばかりでは、目が疲れる。
連作を作る側は、飾られた状態を想像している。
どこに掛けるための絵だったか
九枚の寸法は、縦110センチほどである。
天井画にしては小さく、小品にしては大きい。
住宅の広間や、公共の建物の壁に合う大きさである。
九枚を横一列に並べれば、七メートル以上になる。
三枚ずつ三段に組む掛け方もあり得る。
いずれにせよ、ある程度広い壁が要る。
当時の米国には、そういう壁を持つ家が現れていた。
産業で財を成した人たちの住宅である。
美術を飾ることが、地位の示し方になっていた。
この連作は、その需要の中に置いてみると分かりやすい。
主題は古代でも、置かれる場所は新しい国の広間だった。
誰がモデルになったのか
この連作については、伝えられている話がある。
モデルに、当時のニューヨーク社交界の女性が選ばれたという話である。
九人の実在の女性を、九人の女神に当てはめたことになる。
ただし、当サイトとしては、この話を断定しない。
美術館の公開情報には、個々の名は記されていない。
伝えられる話と、記録に残る事実は分けて書きたい。
記録から言えるのは次のことである。
九枚は一八六九年に描かれた。
一八七四年に、ある婦人・紳士の会から美術館へ寄贈された。
つまり、制作から五年で公共の館に入っている。
有志が金を出し合って買い、館へ寄せた形である。
一八七四年という年
寄贈の年にも触れておきたい。
メトロポリタン美術館の設立は一八七〇年である。
つまり、この九枚は開館まもない時期の収蔵品にあたる。
当時の館は、まだ収蔵品が少なかった。
有志の寄贈が、収蔵の柱だった時期である。
九枚まとめての寄贈は、館にとって大きかっただろう。
寄贈者の名は、記録では会の名でまとめられている。
個人名ではなく、集団としての寄贈である。
美術館の成り立ちについては、当サイトの
受け入れ番号を読むでも触れた。
番号と寄贈者名には、館の歴史が畳み込まれている。
白黒の記録写真という資料
最後に、画像のことをもう一度書いておきたい。
七枚は白黒の記録写真で公開されている。
これは、館が長く使ってきた資料写真である。
作品の状態を記録し、台帳に添えるための写真だった。
近年の公開画像は色つきの撮影が主流である。
しかし、すべての作品が撮り直されているわけではない。
展示に出る機会の少ない作品は、古い写真のまま残る。
九枚のうち二枚だけ色がある理由も、そこにあるとみられる。
つまり、画像の有無や質にも、館の事情が写っている。
見えているものだけで判断しない。
そういう構えが、資料を扱うときには要る。
九枚を、順に見る
九枚を並べる順序は、決まっていない。
好きな順で見てよい。
ただ、ひとつ勧めたい見方がある。
腕の高さだけを追ってみてほしい。
高く上げた人、頬に当てた人、膝に置いた人。
九枚で、腕の位置がすべて違う。
同じ寸法、同じ背景、同じ衣。
変えられるのは、姿勢と持ち物だけである。
その制約の中で、画家は九通りを作った。
制約が厳しいほど、工夫の跡は見えやすい。
九枚を通して見ると、その跡がよく残っている。
一枚だけでは分からない絵である。


