廃墟を、部屋に飾る——ユベール・ロベール
崩れた橋に洗濯物が干され、神殿の池で人が水浴びをする。18世紀の貴族が客間に掛けた「廃墟の絵」は、滅びの絵ではなく、時間と同居する暮らしの絵だった。一室を飾った装飾連作を含む八点から、廃墟という主題の仕組みを読む。

崩れた塔に、洗濯物が干されている
一枚の絵から始めたい。

ローマ郊外を流れる川に、古い石橋が架かっている。
サラリオ橋。古代から続く街道の橋である。
街道は、内陸へ塩を運んだ古い道だと伝えられる。
軍隊が渡り、商人が渡り、巡礼が渡った。
この橋は、二千年ちかく人と荷を通し続けてきた。
横長の画面の中央に、要塞の塔がそびえている。
橋を守るために築かれた、中世の見張り塔だろう。
だが、その塔はすでに崩れかけている。
壁は欠け、上部は割れ、石の肌がむき出しになっている。
長い年月が、建物を少しずつ齧ってきた。
そのことが、ひと目でわかる姿である。
空は広く、雲の間から柔らかい光が差している。
光は塔の石を照らし、川面に反射している。
石の色は温かく、影は青みを帯びる。
廃墟を描いた絵として、これ以上ないほど整った舞台である。
崩れた建物というものは、なぜか人の目を引きつける。
完全な建物には想像の入りこむ隙がない。
欠けた建物は、失われた部分を想像で補わせる。
見る者の頭のなかで、絵の続きが組み上がっていく。
ところが、よく見ると奇妙なことに気づく。
塔の窓に綱が渡され、洗濯物が干されているのだ。
白い布が、崩れた石壁の前で風に揺れている。
洗濯物は、この塔に人が住んでいることの証である。
要塞は、いつのまにか住まいに変わっていた。
視線を下ろせば、橋のたもとの水際に女たちがいる。
かがみこんで、洗い物をしている。
川は、飲み水であり、洗い場であり、道でもある。
かたわらには水汲みの姿もあり、犬が歩いている。
物売りらしい人影も見える。
日常の物音が、画面から聞こえてきそうである。
廃墟と暮らしが、同じ画面にいる
つまりこの絵には、二つの時間が同居している。
崩れていく古代からの石。
その足元で今日も続いていく、名もない暮らし。
廃墟は、空っぽの残骸として描かれていない。
人が住みつき、洗濯物を干し、水を使う場所として描かれている。
大きな歴史と小さな日常が、ひとつの光のなかに収まっている。
この同居こそ、ユベール・ロベールという画家の基本文法だった。
彼は生涯、崩れた建物を描き続けた。
そして、その廃墟のなかに、必ずといってよいほど人の営みを描き込んだ。
なお所蔵館の来歴記録によれば、この絵は画家と同時代のパリの人物が所有していた。
廃墟の絵は、まさに同時代の部屋に飾られていたのである。
「廃墟のロベール」と呼ばれた男
ユベール・ロベールは1733年、パリに生まれた。
1754年、二十一歳でローマへ渡る。
以後十一年ものあいだ、この町にとどまった。
ローマは古代遺跡の宝庫である。
ロベールは神殿や水道橋、浴場の跡を写生して回った。
紙と鉛筆を持って、石のあいだを歩き続けた青年時代だった。
当時の遺跡は、柵に囲われた史跡ではない。
古代の広場は家畜の放牧地と化し、神殿の柱の間に小屋が建っていた。
人々は遺跡のなかで、ふつうに暮らしていたのである。
廃墟と暮らしの同居は、机上の空想ではなかった。
若いロベールが毎日目にしていた、ローマの現実だった。
当時のローマには、廃墟表現を円熟させた先行者たちがいた。
幻想的な版画で知られるピラネージ。
遺跡の景観画を量産したパニーニ。
ロベールは彼らの仕事に学んだと伝えられる。
十一年の滞在を終えてパリへ戻ると、ロベールはサロンで人気画家となった。
得意としたのは、もちろん廃墟である。
やがて彼は「廃墟のロベール」と綽名されるようになった。
ひとつの画題が、そのまま画家の名前になったのである。
これほどわかりやすい看板を持った画家も、そう多くはない。
サロンの壁を、彼の廃墟は何度も飾った。
王の庭園づくりに関わったとも伝えられる。
批評家ディドロが彼の廃墟画を論じたことも知られている。
廃墟の絵は、見る者を物思いへ誘う。
そうした効用が、真面目に論じられる時代だった。
廃墟は、知識人が語るに足る主題だったのである。
世紀そのものが、古代に熱狂していた
背景には、十八世紀という時代がある。
この世紀、ポンペイやヘルクラネウムの発掘が進み、古代への熱が高まった。
土のなかから、二千年近く前の街並みが現れたのである。
貴族の子弟はイタリアへ旅し、遺跡を巡ることを教養の仕上げとした。
旅の記念に、遺跡の絵を買って帰る者も多かった。
庭園には、人工の廃墟や古代風の東屋をわざわざ築く趣味が広がった。
新品の建物を、最初から崩れた姿で建てるのである。
奇妙な話だが、それほどまでに廃墟は好まれた。
絵のように美しい眺め、という言い方も生まれた時代である。
崩れた石は、片づけるべき瓦礫ではなく、鑑賞すべき風景になったのである。
十七世紀のクロード・ロランは、古代建築と光で理想の風景を組み立てた。
系譜はクロード・ロランの光で述べた。
ロベールはこの理想風景の伝統に、崩壊という時間の層を重ねた。
完璧な古代ではなく、崩れかけた古代。
そこに現在の暮らしを住まわせる。
それが彼の発明だった。
理想の風景に、時間の経過という物語が加わる。
眺めるだけの絵が、考えさせる絵になる。
そして、この画題には熱心な買い手がいた。
十八世紀の貴族たちである。
彼らは廃墟の絵を、一枚どころか何枚も欲しがった。
部屋ごと廃墟で飾るという、大きな注文である。
その注文が、次に見る連作を生むことになる。
問い——なぜ、崩れた建物を客間に飾るのか
ここで問いを立てたい。
なぜ十八世紀の貴族は、崩れた建物の絵を、よりによって客間に飾ったのか。
客間は、家のもっとも晴れやかな場所である。
客を迎え、富と趣味を示す舞台である。
そこに飾るなら、栄光や豊かさを描いた絵のほうがふさわしいはずだ。
肖像画でもよい。神話画でもよい。
なぜ、わざわざ滅びの光景を選んだのか。
壁に掛ける絵は、持ち主の趣味の告白でもある。
廃墟を選ぶことには、それなりの意味があったはずである。
答えを先に述べれば、廃墟は「時間」を飾る装置だったからである。
崩れた石は、どんな栄華もいつかは朽ちるという教訓を語る。
古来、絵画にはこの種の戒めを託す伝統があった。
砂時計や頭蓋骨を描いて、命の短さを思わせる静物画がその代表である。
廃墟の絵は、いわば建築の姿を借りた同じ戒めだった。
帝国さえ崩れる。ならば一族の栄華など、なおさらである。
同時に、その石は古代という憧れの時代の証人でもある。
崩れているからこそ、失われた偉大さが想像をかき立てる。
教訓と憧れ。戒めと夢。
廃墟の絵は、この両方を一枚で提供した。
客間で廃墟を語ることは、教養の披露でもあった。
あの神殿はどこの様式か。あの彫像は何の神か。
絵が、会話の種を壁から供給してくれるのである。
しかも庭園趣味の時代である。
理想の庭の眺めを、壁の上にも欲しがる人々がいた。
窓の外に本物の庭。壁の上に絵の庭。
部屋全体を、田園の夢で包んでしまう趣向である。
ロベールは、その需要に応えた装飾画の設計者だった。
一枚の絵描きである以上に、部屋という空間の演出家である。
そのことを、実物の連作で確かめたい。
同じ高さの画面が、並んでいる
メトロポリタン美術館に、ロベールの縦長装飾板の一群がある。

まず《水浴の池》である。
円形の柱廊をもつ神殿が、水辺に建っている。
古代風の堂々たる建築だが、よく見れば風化が進んでいる。
その足元の池で、女たちが水浴びをしている。
衣を脱ぎ、水に入り、岸で語らう。
木々の緑が水面に映り、空気はどこまでも穏やかである。
神殿は神々の家ではなく、水浴の東屋になっている。
ここでも、廃墟と暮らしが同居している。

《踊り》は、さらに細長い画面である。
峡谷の岩壁を、滝が幾筋にも落ちてくる。
岩の上には、古い建物の影も見える。
その滝の下で、人々が輪になって踊っている。
水音が、そのまま踊りの伴奏になっているかのようだ。
そそり立つ自然の前で、人の姿は小さい。
だが、その小ささが楽しげである。

《泉》では、彫像を戴く柱が画面の軸になる。
もっとも幅の狭い、柱のような一枚である。
奥には水道橋がのぞき、手前の泉には女たちが集う。
水は古代の水路をつたって、いまも湧き続けている。
水を汲み、荷を置き、言葉を交わす。
古代の石組みが、村の井戸端として使われている。

《牛の帰り道》は、ひときわ背の高い一枚である。
巨大なアーチが、画面いっぱいに口を開けている。
その下を、牛の群れが家路につく。
牛飼いが歩き、犬が群れを追う。
アーチにはランタンが吊られ、夕暮れの生活の気配が漂う。
かつて何を記念した門なのか、いまでは誰も知らない。
凱旋門を思わせる建築が、家畜の通り道になっているのである。
若き日にローマで見た遺跡の光景が、ここに響いているのだろう。
一室の壁を、絵で設計する
寸法に注目したい。
《水浴の池》は縦174.6センチ。
《踊り》と《泉》は、ともに縦173.4センチ。
いずれも1777〜79年の作で、高さがほぼ揃った縦長の画面である。
同じ高さの縦長画面が揃うのは、偶然ではないだろう。
一室の壁面を飾る連作として注文されたものと考えられる。
寸法そのものが、注文のかたちを物語る証拠なのである。
《牛の帰り道》は1773〜75年ごろとやや早く、縦も205.1センチと高い。
こちらも同じく、部屋の壁のための縦長装飾画である。
つまりこれらは、額に入れて掛け替える絵というより、壁そのものだった。
装飾画とは、絵画とインテリアの中間にある仕事である。
画家が画面の大きさを決めるのではない。
部屋の設計が、画面の大きさを決める。
絵は羽目板にはめ込まれ、建具と一体になって壁を構成する。
一枚だけ外して眺めるものではなかった。
天井の高さ、扉と窓の位置、鏡の場所。
その間を埋めるように、画面の縦横が定められる。
窓の間の細い壁には、細長い画面を。
広い壁には、幅のある画面を。
ロベールはその制約のなかで、田園の理想を画題ごとに配っていった。
水浴、踊り、泉、家路。
円形神殿、滝、水道橋、大アーチ。
理想の暮らしと古代建築のカタログのように、画題が壁一面に並ぶのである。
壁のどこを見ても、崩れた石と穏やかな暮らしが目に入る。
部屋の主は、椅子に座ったまま廃墟の庭園を一周できた。
現実の旅の記憶と、絵のなかの空想の旅。
その二つが、ひとつの客間で重なり合っていたはずである。
ぶらんこが、廃墟の庭で揺れている
同じ一群には、遊びの場面もある。

《ぶらんこ》である。
ポプラの木立が、細長い画面を垂直に貫いている。
高い木の間にぶらんこが吊るされ、人が宙に揺れている。
下では仲間たちが綱を引き、見上げて笑っている。
かたわらには古い彫像が立ち、遊ぶ人々を黙って見下ろしている。
ぶらんこは、十八世紀フランス絵画が好んだ遊びの画題である。
ロベールはそれを、廃墟の庭に持ち込んだ。
石は古代のまま動かない。
人は今このときを遊んで揺れている。
その対比が、この細長い一枚の主題である。

《旅の楽師たち》では、オベリスクと噴水が画面の奥に立つ。
古びた館の前の広場で、旅の楽師たちが楽器を奏でている。
集まって聴き入る人々がいて、水を運ぶ人もいる。
音楽と水音と足音が、ひとつの広場に混ざっている。
遊ぶ人、見る人、働く人。
ロベールの廃墟には、いつもこの三者が配されている。
古代の石は舞台装置であり、主役はそこに生きる人々なのだ。
なお所蔵館の記録によれば、この一群の五点は1917年に同じ寄贈者から収まった。
《牛の帰り道》も、のちに遺贈で同じ館に加わっている。
離れずに伝わったこと自体が、ひと揃いの装飾として生きた証だろう。
あり得ない建築——空想は、どこまで大きくなるか
では、その舞台装置はどこまで大きくできるのか。
晩年に近い大作が、その答えを見せてくれる。

シカゴ美術館の《大噴水》である。
縦255.3センチ、横221.2センチ。
人の背丈を超える、見上げるような大画面である。
そこに、巨大なアーチがそびえている。
アーチの上には騎馬像が立ち、下では水が奔流となって落ちる。
岸辺の人物は、点のように小さい。
人と建築の比率が、もはや現実のものではない。
こんな建築は、現実のどこにも存在しない。
ローマで写生した記憶の断片を組み合わせ、築き上げた空想の建築である。
絵の前に立てば、見る者自身が点のような人物の側に立たされる。
装飾画の技術が、そのまま壮大な夢の装置になっている。
実在の景観に空想を混ぜるこの種の絵は、カプリッチョと呼ばれる。
気まぐれ、という意味の言葉である。
廃墟はもともと半分崩れているから、空想で補うことが許される。
写実と夢想の垣根が、廃墟では最初から低いのだ。
ロベールの廃墟は、遺跡の写生から出発しながら、最後は建築の夢に至る。
実景と空想のあわいを漂う点で、同時代のヴェネツィアの画家とも響き合う。
その話はグアルディのヴェネツィアに書いた。
革命をくぐり、美術館を作る側へ
《大噴水》の完成から間もなく、フランス革命が起こる。
貴族の客間を飾ってきた画家にとって、それは顧客の消滅を意味した。
ロベール自身も、革命期に投獄されている。
栄華は崩れるという彼の画題が、現実になったのである。
だが、彼は生き延びた。
獄中でも描き続けたと伝えられる。
そして釈放ののち、ルーヴル宮を美術館へ変える構想に関わったと伝えられる。
王の宮殿を、すべての人に開かれた絵の殿堂に変える。
革命が生んだ、壮大な転用の計画である。
ルーヴルの大回廊を絵の展示室として整備する構想図を、彼は描いている。
天窓から光の降る、長い長い展示室の眺めである。
さらに、同じ大回廊が廃墟と化した空想図も描いたことで知られる。
完成予想図と、廃墟予想図。
ひとつの建物の未来を、彼は両方向へ想像してみせたのである。
廃墟を描き続けた人が、美術館を作る側に回った。
画布の上の想像が、現実の建物の未来図になったのである。
これは偶然ではないだろう。
廃墟画とは、過去の建物に新しい役割を与える想像力である。
古い宮殿に、絵の家という新しい役割を与える。
美術館の発想と廃墟の絵は、その点で地続きだった。
ロベールは1808年、パリで没した。
滅びの絵では、なかった
ここまでを見立てとしてまとめたい。
ロベールの廃墟は、悲観の絵ではない。
崩れた石の上で、人は洗濯物を干し、水浴びをし、踊り、楽器を鳴らす。
牛は家路につき、ぶらんこは揺れ、楽師の音楽が広場に流れる。
崩れた石のまわりは、いつもにぎやかである。
描かれているのは滅びではなく、滅びたものとの同居である。
建物は朽ちる。
しかし、暮らしは続く。
むしろ朽ちた建物のほうが、続いていく暮らしをいっそう引き立てる。
大きな時間の前で、人の営みは小さい。
けれども、その小さな営みこそが画面の主役である。
廃墟の絵でありながら、目が最後に留まるのはいつも人なのだ。
彼の絵は、時間に対する楽観の絵だといってよいだろう。
崩れゆくものの隣で、今日を生きることへの信頼。
それが、ロベールの廃墟の底にある感情である。
時間を、部屋に飾るということ
冒頭の問いに戻ろう。
なぜ貴族は、崩れた建物の絵を客間に飾ったのか。
廃墟が「時間」を飾る装置だったからである。
栄華は朽ちるという教訓。
古代への憧れ。
庭園の理想。
その全部を、部屋の壁の寸法に合わせて仕立てたのがロベールだった。
客間の壁に、数百年の時間を掛けておく。
朝な夕なに、栄華の儚さと古代の夢を眺める。
それは十八世紀なりの、時間との付き合い方だったのである。
そして彼の廃墟は、時間の恐ろしさを説くだけではない。
崩れたもののそばで、どう暮らすかを見せてくれる。
崩れたものを退けず、そのそばで暮らしを続けること。
二百年以上を経て美術館の壁に並ぶ装飾板は、いまもその作法を語っている。
注文主の客間はとうに失われた。
けれども、絵は残り、美術館という新しい壁で生き続けている。
古い建物から出て、別の建物に住みつき、今日も見る人を迎えている。
それ自体が、ロベールの描いた光景そのものではないだろうか。


