十七世紀の絵に、1925年ごろとある——フェルメールの模倣者
作者の欄に模倣者と書かれ、年の欄に二十世紀の年が入る。二つの欄が揃って、はじめて隔たりが分かる。館の最初の受入にも、そういう一点が含まれていた。記録が意図を書かず、材料だけを渡す書き方を読みたい。二十世紀初めに、四点が集中している。

十七世紀の絵に、1925年ごろとある
作者の欄に、ヨハネス・フェルメールの模倣者と書かれている。
年の欄には、1925年ごろとある。
フェルメールが亡くなったのは十七世紀である。
その二百五十年後の年が、制作年として記録されている。
つまりこの絵は、フェルメールの絵ではない。
フェルメールの様式で、二十世紀に描かれたものである。
館の記録は、そのことを二つの欄で示している。
作者の欄に「模倣者」。
年の欄に「1925年ごろ」。
どちらか一方だけでは、意味が伝わりにくい。
二つが揃って、はじめてはっきりする。
番号は、館の最初の受入にある
この一点の番号は1937.1.54である。
1937年の、最初の受入。
館の最初の寄贈に含まれていた作品だ。
出所の行も、他の百四十三点と同じである。
アンドルー・W・メロン・コレクション。
つまり、受け入れた時点では別の扱いだったと考えられる。
その後の調査で、作者の欄と年の欄が書き換えられた。
番号と出所の行は動かない。
動いたのは、作者と年の欄である。
前に見たとおり、記録には動く欄と動かない欄がある。
この一点は、その違いが最もはっきり出た例だ。

若い女が、机の前に座る。
体は右を向き、顔は正面へ戻す。
目はこちらを見ない。手もとを見ている。
髪は後ろでまとめられ、額が出る。
上着は黄色で、袖に白い縁飾りが付く。
胸もとにも、白い襞飾りが見える。
両手は机の上で、細い糸を扱う。
机には暗い色の布が掛かる。
その手前に、真鍮らしい皿が置かれる。
左の壁は淡い黄土色で、何も掛からない。
光は左から入り、顔と手に当たる。
構図も、光の入り方も、十七世紀オランダの絵に似せてある。
しかし絵具の置き方は、やや均一である。
「模倣者」と「に倣う」の違い
別の記事で、作者の欄の修飾語には段階があると書いた。
工房、追随者、周辺、に倣う。
そこにもう一つ、模倣者という語が加わる。
この語は、時代の隔たりが大きい場合に使われることが多い。
同時代の追随者ではなく、後の時代に様式を真似た者。
九点のうち、模倣者と書かれるのは四点である。
いずれも、もとの画家より数十年から数百年あとの年が付く。
一方、に倣うと書かれる四点は、年の幅が広い。
十六世紀末から十七世紀初め、十九世紀、というふうに。
そして一点だけ、まったく別の書き方がある。
マルコ・ゾッポ、または模倣者。
本人か、模倣者か、どちらとも決めていない。

青い空の前に、聖母が立つ。
濃い青の外套が、頭から肩へ掛かる。
その下に、赤い衣が見える。
袖には切れ込みが入り、白い下着が出る。
膝の上の子は裸で、母のほうを向く。
子の右手は、母の顔へ伸びる。
聖母の後光は、細い金の線で描かれる。
足もとには石の縁があり、小石が並ぶ。
その上に、小さな鳥が一羽いる。
右下には、赤い三角の形が置かれる。
背景の空には、細い雲が横に走る。
輪郭線は硬く、体の稜線が強い。
年の欄は、もとの様式に合わせて十五世紀とされている。
作者の欄だけが、二つの可能性を残している。
出所の行は、五通りに分かれる
九点の出所の行を並べると、五つの形がある。
アンドルー・W・メロン・コレクションが二点。
チェスター・デイル・コレクションが二点。
サミュエル・H・クレス・コレクションが一点。
そして個人名の寄贈が三点。
うち二点は、同じ姓の画商による寄贈である。
一点は、別の個人からの寄贈だ。
大きな収集の中に混じっていたものと、単独で贈られたもの。
二つの経路がある。
単独で贈られた場合、贈った側は写しだと知っていた可能性が高い。
大きな収集に混じっていた場合は、そうとは限らない。
行だけでは、そこまでは分からない。
分かるのは、経路が一様ではないという一点である。
二十世紀に描かれた、四点
九点のうち四点は、制作年が二十世紀である。
1925年ごろ。二十世紀初め。1925年から1928年が二点。
いずれも、模倣者と書かれた作品だ。
このうち二点は、同じ画家の名を持つ。
フィンセント・ファン・ゴッホの模倣者。
一点は肖像、一点は風景である。
年の欄は、どちらも1925年から1928年とされる。
三年の幅で、同じ期間が書かれている。
同じ時期に、同じ様式の絵が複数作られたことを示す。
館の記録は、なぜその年に絞れるのかを書いていない。
材料の分析によるのか、来歴の記録によるのか。
分かるのは、幅の狭い年が付いているという事実だけだ。

画面の右寄りに、男の顔が描かれる。
顔は正面をやや外し、目はこちらを見る。
髪と髭は赤みを帯びた金色である。
顔の輪郭は細く、頬がこけている。
上着は青で、細かい筆の線が縦に走る。
線は短く、平行に並ぶ。
背景は淡い黄緑で、同じような線で埋められる。
左には、木枠らしい黄色の帯が縦に入る。
画架の一部として描かれている。
筆致は、もとの画家の特徴をなぞる。
しかし線の向きが単調で、変化が少ない。
題には、描かれた人の名がそのまま入る。
自画像ではなく、他人が描いた肖像という扱いである。

縦長の小さな画面である。
手前は花畑で、赤と黄の点が密に並ぶ。
その奥に、緑の葉が茂る。
中央左に、大きな木が立つ。
木の葉は黄と緑の短い線で描かれる。
右奥には、白い壁の小屋がある。
屋根は赤く、傾斜が急である。
小屋の左には、木の柵が横に伸びる。
空は淡い青緑で、雲がない。
絵具は厚く盛られ、筆の跡が残る。
色の対比が強く、隣り合う色が補色に近い。
この一点の出所の行は、画商の名による寄贈である。
前の一点は、収集家の名を冠したコレクションに属する。
同じ作者の欄でも、来た経路は違う。
題の中に、写しと書かれる一点
九点のうち一点は、題そのものが変わっている。
《イタリアの喜劇役者たち(写し)》。
題の末尾に、括弧つきで写しと書かれている。
ふつう、作者の欄で示せば足りるはずだ。
実際、この作品の作者の欄にも、アントワーヌ・ヴァトーに倣う、とある。
それでも題にまで書かれている。
理由は書かれていないが、推測はできる。
もとの作品と題が同じだと、区別がつかないからだろう。
同じ題の作品が別の館にあれば、混同が起きる。
括弧の一語が、その混同を防いでいる。
題は本来、作品の内容を示す欄である。
そこに管理上の注記が入り込んでいる。

石の階段の上に、人物が大勢集まる。
中央に、白い衣の人物が立つ。
袖と裾が大きく、体の形が隠れる。
その左右に、色とりどりの衣の人物が並ぶ。
赤、緑、黄、青。
手前には、楽器を持つ人物が座る。
右には、赤い幕が上から垂れる。
奥には、門のような構造が見える。
夜の場面らしく、全体が暗い。
中央の白い衣だけが、強く明るい。
人物の顔は小さく、造作は簡略である。
もとの作品の構図を、そのまま写している。
年の欄は19世紀。もとの画家の没後百年以上である。
二つの欄が、対になって働く
作者の欄と年の欄は、この記事の主題そのものである。
作者の欄だけを見ても、時間の隔たりは分からない。
模倣者と書かれていても、同時代かもしれない。
年の欄だけを見ても、関係は分からない。
1925年と書かれていても、誰の様式かは分からない。
二つを並べて、はじめて意味が定まる。
十七世紀の画家の名と、二十世紀の年。
その組み合わせが、隔たりを語る。
記録の欄は、単独では働かないことが多い。
寸法の欄と技法の欄が、盾の形を示したのと同じである。
出所の行と番号が、繰り返しの寄贈を示したのと同じである。
欄は、組になって意味を作る。
読むときは、どの欄とどの欄が組かを探すとよい。
年の欄の幅が、判断の幅を示す
九点の年の欄を並べると、幅がまちまちである。
1925年ごろ。二十世紀初め。1925年から1928年。
十六世紀末または十七世紀初め。十九世紀後半。十九世紀。
1467年から1468年ごろ。
幅の狭いものと、広いものがある。
幅が狭いのは、材料や来歴から絞れた場合だろう。
幅が広いのは、様式だけで判断した場合だと考えられる。
十九世紀、とだけ書かれた二点は、百年の幅がある。
その百年のどこかとしか言えない。
言えないことを、無理に絞らない。
これが記録の基本的な態度である。

年配の男が、上半身で描かれる。
頭の上は禿げ上がり、左右に長い髪が垂れる。
髪は褐色で、肩に届く。
顔は正面をやや外し、こちらを見る。
目の下と口の周りに、皮膚のたるみが描かれる。
上着は深い緑で、襟が高い。
胸もとには、白い布が幾重にも重なる。
背景は暗い褐色で、上部がわずかに明るい。
顔の肌は明るく、額に光が集まる。
輪郭はやわらかく、線がほとんど見えない。
もとの作品は、十八世紀に描かれたものである。
この写しは、その百年後に作られたとされる。
写された理由は、記録に書かれていない。

年配の男が、上半身で描かれる。
顔はやや左を向き、目はこちらを見る。
髪と髭は白く、量が多い。
赤い上着をまとい、その上に黒い外套を重ねる。
外套の襟が、肩の上で大きく折り返る。
赤と黒の対比が、画面を分ける。
背景は暗い褐色で、何も描かれない。
顔の肌には赤みが差す。
髭の一本ずつは描かれず、面としてまとめられる。
年の欄には、二つの世紀が「または」で並ぶ。
十六世紀の末か、十七世紀の初めか。
世紀の変わり目をまたぐ書き方である。
この一点も、番号は1937.1で始まる。
館の最初の受入に、写しが二点含まれていたことになる。

小さな板絵である。手のひらより少し大きい。
寸法の欄には、厚みまで書かれている。
0.5センチ。板の薄さが記録されている。
九点で厚みが書かれているのは、この一点だけだ。
画面には、暗い工房の中が描かれる。
中央左に、男が椅子に座る。
肘掛にもたれ、頭に手を当てる。
黒い上着に、赤い布を巻く。
足を前へ投げ出し、うつむく。
その右奥に、白い彫像が二体立つ。
一体は横たわる姿、一体は立つ姿である。
床には、道具らしいものが転がる。
背景は褐色で、輪郭が溶ける。
作者の欄には、写した人の名まで推定されている。
おそらく、という語つきで括弧に入る。
誰が写したかまで、書かれる場合
作者の欄に括弧が付く例は、ほかにもある。
工房の名に、助手の名が推定で添えられることがある。
九点のうち一点では、写した人の名が推定されている。
これは、その人がもとの画家の助手だったと考えられているためだろう。
同じ工房にいた人が写せば、様式は近くなる。
近いからこそ、区別が難しくなる。
館の記録は、そこに「おそらく」を置く。
推定であることを示したうえで、名を残す。
名を書かなければ、後の研究者は手がかりを失う。
書きすぎれば、断定に見える。
括弧と留保の語が、その間を取っている。

横長の画面が、緑と黄で埋まる。
中央上に、丸い月が小さく光る。
その周りの空は、黄緑に染まる。
左右には、暗い木立が大きく茂る。
葉の塊は黒に近く、輪郭がぼやける。
中央下には、細長い水面が見える。
水は月の光を受け、明るい。
手前の地面は暗く、何も見えない。
色は緑と黄に絞られ、他の色がほとんどない。
絵具は薄く、地の色が透ける。
この画家の作品は、生前から多くの模倣を生んだ。
似た画面が、各地に残っている。
館の記録は、その一つとしてこの絵を扱う。
大きさの偏り
九点の寸法を見ると、小さいものが多い。
いちばん小さい板絵は、縦24.4センチ、横18.7センチ。
いちばん大きいものでも、縦75.6センチ、横101.3センチである。
九点のうち六点は、縦が七十センチに満たない。
大画面の模倣は、この九点には含まれていない。
理由は記録に書かれていないが、考えられることはある。
大きな画面を写すには、材料も手間もかかる。
小さければ、扱いやすく、動かしやすい。
もっとも、これは九点だけの偏りかもしれない。
館全体で数えれば、別の傾向が出る可能性もある。
九点から一般化するのは危うい。
言えるのは、この九点に限れば小ぶりだ、ということだけである。
二十世紀という年が、意味すること
制作年が二十世紀の四点について、もう少し書いておきたい。
これらは、いずれも古い画家の様式で描かれている。
十七世紀オランダ、十九世紀オランダ、十九世紀アメリカ。
なぜその時期に、そういう絵が作られたのか。
一つには、その画家の評価が高まった時期と重なる。
評価が高まれば、求める人が増える。
求める人が増えれば、供給が追いつかない。
そこに、様式をなぞる絵が現れる。
これは推測であって、記録に書かれたことではない。
記録が言うのは、年と作者の関係だけである。
ただ、四点の年が二十世紀の初めに集中していることは事実だ。
1925年ごろ、1925年から1928年、二十世紀初め。
三十年ほどの幅に、四点が収まる。
その集中は、偶然とは考えにくい。
数えることでしか見えない事実である。
番号の年と、制作の年
九点の番号の頭と、制作年を並べてみる。
1937年に受け入れられた二点は、十六世紀末と二十世紀初めの作である。
1943年の一点は、二十世紀初め。
1960年の一点は十九世紀。
1961年の一点は十五世紀。
1963年の二点は、十九世紀後半と二十世紀。
1969年と1971年の二点は、二十世紀と十九世紀。
受け入れた年と、描かれた年に相関はない。
古いものが先に入るわけでもない。
館の受入は、市場に出てきた順に起きる。
出てきたときに買うか、贈られるかである。
だから番号の並びは、制作年の並びとは無関係になる。
この無関係さは、館の記録全体に共通する性質だ。
番号は時間を刻むが、それは絵の時間ではない。
館の時間である。
記録は、意図を書かない
九点の記録を読んでも、なぜ写したのかは分からない。
学ぶために写したのか。
売るために写したのか。
記録は、そこに踏み込まない。
書くのは、いつ、どういう関係で作られたかだけである。
模倣者、という語も、意図を含まない。
様式を真似た人、という以上のことは言っていない。
これは慎重な書き方である。
意図を書けば、それは推測になる。
推測を事実の欄に書くわけにはいかない。
かわりに、年の欄で時間の隔たりを示す。
隔たりが大きければ、読む側が判断できる。
判断の材料だけを置いて、結論は書かない。
写しが、記録に残ることの意味
写しや模倣を、館が手放さないのはなぜか。
一つには、記録の連続性がある。
いったん番号を与えたものを外すのは、簡単ではない。
外せば、過去の文献との対応が切れる。
もう一つは、写しにも情報があるからだ。
もとの作品が失われていれば、写しが姿を伝える。
いつ、どの様式が求められたかも分かる。
二十世紀に十七世紀の様式が作られたという事実は、それ自体が資料である。
九点は、そういう資料として並んでいる。
作者の欄の修飾語と、年の欄の数字。
この二つを並べて読むと、絵の立ち位置が見えてくる。
そして館が、何を書き、何を書かないかも見えてくる。
記録は、判断を押しつけずに材料を渡す。
九点は、その渡し方の見本のような並びである。
読む側は、材料を受け取って自分で考えることになる。
それが記録の使い方である。


