美術史・技法

出所の行に、もう一人いる——「〜の思い出に」を含む330件の書き方

彫刻家という職業と生没年。姉という続柄と敬称。母、夫、博士、夫人。書き添えられる情報は寄贈のたびに違う。亡くなった人と生きている人が同じ一行に並ぶ例もある。追悼が記録の欄になる仕組みを読みたい。銀器の重さの欄が何を意味するかにも触れたい。

ミルドレッド・ハウエルズ
オーガスタス・セント=ゴーデンズ《ミルドレッド・ハウエルズ》メトロポリタン美術館蔵

出所の行に、もう一人いる

出所の行には、ふつう贈った人の名が入る。

ところが、名前が二つ入っている行がある。

誰それによる寄贈、誰それの思い出に。

前の名が、渡した人。

後ろの名が、渡した人ではない誰かである。

たいていは、亡くなっている。

当サイトで公開している作品のうち、この句を含む行は三百三十件ある。

けっして少なくない。

今回は、その句の書き方を九点で読みたい。

誰が、誰の名を残そうとしたのか。

そして、その関係が行のどこに書かれるのか。

ミルドレッド・ハウエルズ
オーガスタス・セント=ゴーデンズ《ミルドレッド・ハウエルズ》1897年。館の記録では、銀めっきの青銅。径7.3センチ。番号は2009.432のaとb。出所の行は「ジーン・ジブランによる寄贈、彫刻家カリール・ジブラン(1922年から2008年)の思い出に、2009年」。メトロポリタン美術館蔵。オーガスタス・セント=ゴーデンズ《ミルドレッド・ハウエルズ》メトロポリタン美術館蔵

丸い金属の板である。

厚みがあり、縁が少し盛り上がる。

中央に、若い女性の横顔が浮き彫りにされている。

左を向いている。

髪は編まれて頭のまわりを一周し、後ろで束ねられる。

首は細く、肩の線が下端で切れる。

縁に沿って、文字が円く並ぶ。

人名と、ローマ数字の年である。

左の縁に、小さな穴が二つ開いている。

紐を通すためか、留め具の跡だろう。

銀めっきの表面は、ところどころ黒ずんでいる。

職業と、生没年を書き添える

この行を、注意して読みたい。

思い出に、と書かれたあとの名前に、二つの情報が添えられている。

彫刻家という職業。

そして、一九二二年から二〇〇八年という生没年。

寄贈の年は二〇〇九年である。

つまり、亡くなった翌年に、その人の名で作品が贈られた。

ところで、同じ名を持つ人物が、もう一人よく知られている。

詩人である。

その人の生没年は、一八八三年から一九三一年とされる。

まるで違う。

記録が職業と生没年をわざわざ書いたのは、この混同を避けるためだろう。

出所の行は、人を特定するための欄でもある。

同じ名前が世に複数あるとき、記録は区別の材料を足す。

金色の巻き毛の話
シーモア・ジョーゼフ・ガイ《金色の巻き毛の話》1870年ごろ。館の記録では、布に油彩。86.4×71.1センチ。番号は2013.604。出所の行は「ダニエルおよびマシュー・ウルフによる寄贈、姉である故ダイアン・R・ウルフの思い出に、2013年」。メトロポリタン美術館蔵。シーモア・ジョーゼフ・ガイ《金色の巻き毛の話》メトロポリタン美術館蔵

薄暗い子ども部屋である。

床に、白い寝間着の少女が座っている。

膝の上に開いた本を置く。

右手を口もとに当て、何かを言っている。

顔は横を向き、視線は寝台のほうへ向く。

寝台には、二人の子どもが横たわる。

上掛けから顔だけを出している。

一人はこちらを見て、目を大きく開いている。

もう一人は、少女のほうを見る。

寝台の脇に椅子が一脚。

奥の窓に、青い夜の色が見える。

床に、赤い敷物と、脱いだ衣が散る。

物語を読んで聞かせている場面である。

そして、聞いている側は、怖がっているように見える。

撮影の帯が、写り込んでいる

この画像には、絵の下に細い帯が写っている。

色のついた四角が並ぶ、色見本の帯である。

撮影のときに、色を正しく再現するために置く。

つまり、これは記録のための撮影である。

作品を額から外し、台に立て、色見本を添えて撮る。

修復の前後や、収蔵の記録で行われる作業である。

公開されている画像に、その帯が残っている。

第四回で見た、番号が写り込んだ古い写真と同じである。

写真は作品の像であると同時に、事務の記録でもある。

姉の名に、敬称が付く

出所の行を、もう一度読む。

二人の兄弟が贈っている。

そして、思い出に、のあとに姉の名が来る。

その名の前に、敬称が付いている。

公職にあった人に用いる呼び方である。

つまり、この行は三つのことを書いている。

贈ったのが誰か。

その人と、亡くなった人の関係。

そして、亡くなった人の社会的な立場。

前の一点では、職業と生没年だった。

ここでは、続柄と敬称である。

書き添える情報の種類は、そのつど違う。

決まった書式があるわけではない。

二人の名を、まとめて

カップ
エドワード・C・ムーア《カップ》1853年。館の記録では、銀と銀鍍金。9.5×8.3×12.1センチ、重さ208.2グラム。番号は2005.70。出所の行は「ジェローム・B・ドワイトによる寄贈」。二人の人物の思い出に捧げられた旨が続き、年は2005年。メトロポリタン美術館蔵。エドワード・C・ムーア《カップ》メトロポリタン美術館蔵

銀のカップである。

胴は下がすぼまり、上へ向かって開く。

側面に、葉と枝が浮き彫りで貼り付けられている。

葉は五枚ほどで、細長く先が尖る。

葉脈まで打ち出されている。

取っ手は、縄をねじったような形である。

上端が胴の縁につながり、下端が胴の中ほどに付く。

底の近くに、小さな玉が一列に並ぶ。

胴の右上に、細い文字が彫られている。

人名と年らしい。

贈答の品として作られ、名前を刻んだのだろう。

重さまで記録されている。

二百八グラム。

銀器の記録には、重量の欄がある。

材料そのものに値段があるからである。

思い出に、が二人分

この行では、思い出に捧げられている名前が二つある。

姓が同じで、片方には二世を示す語が付く。

親と子か、あるいは近い親族だろう。

贈った人の姓は、その二人とは違う。

つまり、家族ではない誰かが、ある家の二人を偲んで贈っている。

友人か、仕事の関係か。

記録は、そこまでは書かない。

続柄が書かれないときは、関係も分からない。

前の一点では姉と明記されていた。

ここでは、何も書かれていない。

同じ館の記録でも、書く場合と書かない場合がある。

寄贈者がどう書いてほしいと言ったかによるのだろう。

皿
ジョージ・W・シーブラー社《皿》1893年ごろ。館の記録では、銀。4×15.9×25.7センチ、重さ231.6グラム。番号は2004.204.1。出所の行は「チャールズ・W・ミラード三世による寄贈、ハリエットおよびチャールズ・W・ミラードの思い出に、2004年」。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・W・シーブラー社《皿》メトロポリタン美術館蔵

浅い皿である。

横に長く、縁が波のように大きく起伏する。

八つほどの山と谷が交互に並ぶ。

底は平らで、そこから縁へなだらかに立ち上がる。

装飾はほとんどない。

銀の面が、光を柔らかく返す。

形だけで作られた器である。

寸法は四センチ掛ける十五・九センチ掛ける二十五・七センチ。

高さが四センチしかない。

名前が、繰り返される

この行は、贈った人と偲ばれた人の姓が同じである。

しかも、名前まで同じである。

贈った人には三世が付く。

偲ばれた二人のうち、一人には何も付かない。

つまり、贈った人は、自分と同じ名の人物の名で寄贈している。

続柄は書かれていないが、親子と考えるのが自然だろう。

もう一人の名は女性のもので、両親の組み合わせと読める。

推測ではあるが、名前の並びがそれを示している。

出所の行は、こうして家族の形を残すことがある。

三世という語が一つ入るだけで、世代が見える。

婦人と子どもの肖像
ジョージ・W・トワイビル・ジュニア《婦人と子どもの肖像》1833年。館の記録では、布に油彩。90.2×72.4センチ。番号は2002.508。出所の行は「スーザン・スポールディング・マンローによる寄贈」。故人一名の思い出と、その子二名への敬意が続き、年は2002年。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・W・トワイビル・ジュニア《婦人と子どもの肖像》メトロポリタン美術館蔵

屋外の場面である。

木立に囲まれた中に、赤い座面の長椅子が置かれる。

そこに、黒い衣の女性が座る。

袖は肩で大きく膨らむ。

首もとに白い襟。

胸に留め金のようなものが光る。

髪は左右で巻かれ、頭の上でまとめられる。

その隣に、子どもが一人。

同じ黒い服で、白い襟を出す。

女性の腕が、子どもの背に回る。

右手に、白い布を持つ。

背景の奥に、明るい空と遠い山が見える。

生没年と、生きている人の名

この行は、九点のなかでいちばん長い。

そして、二つの部分に分かれる。

前半は、思い出に。

亡くなった人の名と、一九四一年から一九七八年という年が入る。

三十七歳で亡くなったことになる。

後半は、敬意を表して。

こちらは、生きている人に使う言い方である。

その二人の名が続く。

亡くなった人の子である、と書かれている。

つまり、一つの行のなかに、亡くなった人と、生きている人の両方が入っている。

前を向く句と、後ろを向く句が並んでいる。

寄贈が、追悼であると同時に、次の世代への贈り物でもある。

そういう意図が、行の構造に表れている。

母の名で

椅子
フォスター・アンド・リー《椅子》1858年。館の記録では、紫檀。94×45.7×48.3センチ。番号は2001.763。出所の行は「デイヴィッド・A・ハンクスによる寄贈、母であるエリザベス・ディクソン・ハンクスの思い出に、2001年」。メトロポリタン美術館蔵。フォスター・アンド・リー《椅子》メトロポリタン美術館蔵

背もたれの高い椅子である。

背の板は透かし彫りになっている。

上部に丸い形があり、その中に文様が彫られる。

その下に、縦の細い部材が二本。

さらに下に、円を組み合わせた透かしが入る。

座面は布が張られ、淡い色の織地である。

前脚は挽物で、丸みのある段が重なる。

後脚は角材で、まっすぐ斜めに伸びる。

材は紫檀。

高さ九十四センチ。

この画像は、透明陽画から取り込んだものらしい。

左右の縁に、送り穴の並びが写っている。

撮影の年代が分かる手がかりである。

続柄が、一語で入る

この行では、母、という語が一つ入っている。

それだけで、関係が確定する。

姓が同じであることも、それを支える。

九点の行を並べると、続柄の書かれ方に幅がある。

姉と書くもの。

夫と書くもの。

母と書くもの。

子と書くもの。

そして、何も書かないもの。

記録の書式が決まっていれば、こうはならない。

寄贈のたびに、文面を相談して決めているのだろう。

出所の行は、館と寄贈者の合意文でもある。

皿
アメリカン・ポーセリン・マニュファクチャリング社《皿》1854年から57年。館の記録では、磁器。径20.6センチ。番号は1997.430.4。出所の行は「マルコ・ポーロ・ストゥファーノによる寄贈、ジョン・H・ナリーの思い出に、1997年」。メトロポリタン美術館蔵。アメリカン・ポーセリン・マニュファクチャリング社《皿》メトロポリタン美術館蔵

白い磁器の皿である。

色は付いていない。

縁に、透かしの穴が並ぶ。

穴の形は、心臓の形に近い。

その穴が、四か所にまとまって開けられている。

穴と穴のあいだに、小さな突起が付く。

中央の面は平らで、無地である。

径二十・六センチ。

透かしを入れた皿は、焼く前に穴を開ける。

乾燥と焼成のあいだに歪みやすい。

無地であるぶん、形の精度がそのまま見える。

購入の行に、思い出が入る

画家の家族
ピエール・アンリ《画家の家族》1800年ごろ。館の記録では、象牙に水彩。7×8.6センチ。番号は2000.25。出所の行は「購入、マーサ・J・フライシュマンの寄贈による、ケレン=オル・バーンバウムの思い出に、2000年」。メトロポリタン美術館蔵。ピエール・アンリ《画家の家族》メトロポリタン美術館蔵

小さな楕円の細密画である。

金色の枠に収められ、上端に吊り輪が付く。

濃紺の台紙に留められている。

画面には、四人がいる。

中央に、白い衣の女性。

髪は短く巻かれ、顔は正面を向く。

その左に、子どもが一人。

右にも、年長の子どもが一人。

そして、女性の膝に、幼児が抱かれる。

四つの顔が、狭い楕円のなかに詰まっている。

背景は淡い灰色。

幅八・六センチ。

手のひらに載る大きさである。

買うための金が、思い出に捧げられる

この行の形は、これまでと違う。

最初に、購入、と来る。

次に、誰それの寄贈による、と続く。

そして、思い出に、が来る。

つまり、寄贈されたのは作品ではない。

作品を買うための金である。

その金が、ある人の思い出に捧げられている。

第五回と第六回で見た、遺贈や基金で買う形と同じ構造である。

違うのは、そこに追悼の句が加わっている点である。

金の出どころと、その金に付けられた意味。

一行のなかで、両方が書かれている。

源氏物語第四帖「夕顔」の場面
土佐派《源氏物語第四帖「夕顔」の場面》17世紀。館の記録では、台紙に貼った絵、絹本着色。20.3×20.3センチ。番号は47.56。出所の行は「モリス・マンジズ夫人による寄贈、夫であるモリス・マンジズ博士の思い出に、1947年」。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。土佐派《源氏物語第四帖「夕顔」の場面》メトロポリタン美術館蔵

正方形の小さな画面である。

絹の地は、茶色に変わっている。

右手に、板の壁と屋根のある建物。

その前に、人物が三人。

一人は緑の衣で、立っている。

一人は白い上衣に赤い袴で、こちらを向く。

もう一人は、手前で身をかがめる。

左のほうに、女性が一人。

紅と白の衣を重ね、後ろ姿を見せる。

その頭の上に、青い笠のようなもの。

中央に、垣根と草花。

上部に、金の霞のような帯が横に走る。

妻が、夫の名で

最後の行は、いちばん古い。

一九四七年である。

妻が、夫の名で寄贈している。

夫の名には、博士の敬称が付く。

そして、贈った人の名は、夫人、という書き方である。

自分の名ではなく、夫の姓に夫人を付けた形で記録されている。

当時の一般的な表記である。

つまり、この行には、女性の名前が入っていない。

夫の名前が、二度出てくるだけである。

第三回で見た一八七七年の行も、同じ形だった。

七十年たっても、書き方は変わっていない。

その後、書き方は変わる。

九点のうち、二十一世紀のものはすべて、贈った人自身の名で書かれている。

出所の行は、こういう変化も記録している。

三百三十件を、数えてみる

この句を含む行が三百三十件ある、と冒頭に書いた。

その内訳を、もう少し見ておきたい。

部門ごとに数えると、アメリカ美術の分野がいちばん多い。

ついで、ヨーロッパ絵画、東洋美術、武具の順である。

偏りには理由がありそうである。

アメリカ美術の分野は、比較的新しい。

館がこの分野を本格的に集め始めたのは、二十世紀に入ってからである。

そして、集める手段の中心が個人の寄贈だった。

同時代か、少し前の時代のものだからである。

家に置いてあったものが、そのまま館に来る。

そのとき、家の誰かの名を添える。

こういう流れが、自然に生まれる。

一方、古い時代の外国の作品は、買うことが多い。

買えば、思い出の句は付かない。

分野ごとの数の差は、そのまま集め方の差である。

何が贈られているか

九点の種別を並べたい。

メダル、絵画、銀のカップ、銀の皿、絵画、椅子、磁器の皿、細密画、絵。

大きなものは一つもない。

いちばん大きい絵で、九十センチ角ほどである。

小さいものは、七センチのメダルと、九センチの細密画。

これは偶然ではないかもしれない。

家に置いてあったものが渡される場合、大きさには限りがある。

壁に掛かる絵、棚に載る器、部屋にある椅子。

そういうものが、思い出の句とともに館へ来る。

大きな彫刻や祭壇画は、こうは動かない。

出所の行の句と、ものの大きさには、ゆるやかな関係がある。

銀器に、重さが書かれる

九点のうち二点が銀器である。

どちらの記録にも、重さの欄がある。

二百八グラムと、二百三十二グラム。

寸法と並んで、重さが書かれている。

これは、銀器の記録に特有の欄である。

理由は単純で、材料そのものに価値があるからである。

銀は、目方で取引される。

だから、器の値段には、まず地金の分が含まれる。

そこに、細工の手間が乗る。

昔の家では、銀器は財産だった。

必要になれば、溶かして現金にできる。

だから、たくさん作られ、たくさん失われた。

いま残っているものは、溶かされなかったものである。

重さの欄は、溶かせば何グラムになるかを書いている欄でもある。

そう思って読むと、少し違って見える。

思い出に捧げられた器が、かつては最も現金に近い持ち物だった。

名前を残す、という取引

思い出に、という句は、寄贈の見返りである。

館は、ものを受け取る。

寄贈者は、名前を残す。

そして、その名前は自分のものでなくてもよい。

亡くなった人の名を、代わりに残すことができる。

これは、寄贈という行為の性質をよく示している。

ものを手放す動機は、金銭ではない。

誰かの名を、公の記録に残すことである。

三百三十件の行が、それを繰り返している。

敬称の一覧

九点の行に出てくる敬称と肩書きを、拾い出したい。

彫刻家。

公職にあった人への敬称。

二世。

三世。

母。

夫。

博士。

夫人。

七通りある。

これらは、名前だけでは伝わらないことを補っている。

同名の別人と区別する。

世代の順を示す。

続柄を明かす。

社会での立場を記す。

出所の行は、人名簿としての機能も持っている。

そして、その書き方は寄贈のたびに違う。

決まった様式がないことが、かえって多くを伝える。

年の並び

九点の受け入れの年を並べたい。

一九四七年。

一九九七年。

二〇〇〇年。

二〇〇一年。

二〇〇二年。

二〇〇四年。

二〇〇五年。

二〇〇九年。

二〇一三年。

一点を除いて、すべてが二十一世紀に近い。

思い出に、という句は、比較的新しい書き方なのだろうか。

そうとも言い切れない。

第三回で見た一八七七年の寄贈も、実質は同じ形だった。

ただし、そのときは句が書かれていない。

画家の妻が、画家の絵を贈った。

そこに追悼の意味があったことは、年を並べれば分かる。

しかし、行には書かれていない。

書くようになったのは、後のことである。

記録が、事実だけでなく意図まで残すようになった。

その変化が、この句の広がりに表れている。

一行の長さは、関係の数

九点を並べると、行の長さに幅がある。

短いものは、名前が二つ。

長いものは、名前が四つ入る。

長さを決めているのは、財布の数ではない。

書き残したい人の数である。

第六回で読んだ長い行は、金の出どころが七つあった。

今回の長い行は、人の名が四つある。

同じ長さでも、指しているものが違う。

出所の行を読むときは、まずそこを見分けたい。

並んでいるのが財布か、人か。

次の回では、どちらでもない書き方を読む。

多数の寄贈者、とだけ書かれた行である。

RELATEDあわせて読みたい

美術史・技法の記事一覧
  • 美術史・技法

    印象派とは何か——特徴・代表画家・作品の見方をやさしく解説

    印象派とは何かを、特徴・代表画家・見方の順にやさしく解説します。モネ、ルノワール、ドガ、モリゾ、カイユボットの実作六点を、当サイトが公開しているCC0の図版と所蔵館の記録から読みます。影の色をどう見るか、という一点からの入り方も示します。

  • 美術史・技法

    形の名前は、用途の名前——古代ギリシャの壺

    ヒュドリア、クラテル、キュリクス。呪文のようなカタカナの名前は、実はそのまま使い方の名前である。水汲み、宴会、化粧道具。シカゴ美術館の九つの壺の形と把手を読むだけで、二千五百年前の暮らしの一日が家の中まで見えてくる。

  • 美術史・技法

    色を、塗らずに入れる——ルイス・C・ティファニーのガラス

    ティファニーのガラスは、模様を塗っていない。色は素材の内側にあり、熔けたガラスを動かした痕跡が葉や羽根の形になる。値札が残る底、工数を書き込んだ図案、白黒写真しか残らない八点。自然を写すという言葉の中身を十点から考える。