美術史・技法

銀貨をつくる植民地——ジョン・ハルと松の木シリング

二文字の刻印だけの銀貨から、松の木を彫った貨幣へ。重さが価値そのものだった時代の五枚と、同じ職人が作った銀の杯。六点を数字から見ていく。削られない縁飾り、いびつな輪郭、手作業の誤差。三百五十年前の槌の跡を見る。

シリング銀貨
《シリング銀貨》メトロポリタン美術館蔵

二文字だけが、打たれている

一枚の銀貨から始めたい。

シリング銀貨
ジョン・ハル《シリング銀貨》1652年。銀。直径2.8センチ、重さ4.52グラム。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンソ・T・クリアウォーター遺贈、1933年。《シリング銀貨》メトロポリタン美術館蔵

円い銀の板である。

直径2.8センチ。

一円玉より少し大きい程度である。

面は、ほとんど何もない。

平らな銀の地が広がる。

その左上寄りに、小さな刻印が一つ押されている。

四角い枠の中に、二つの文字がある。

それだけである。

図柄も、人の顔も、年号もない。

貨幣というより、金属の板に近い。

最初の型は、簡素だった

なぜ、これほど簡素なのか。

この銀貨は、植民地で最初に作られた貨幣の一つとされる。

一六五二年、当地の議会が造幣を決めた。

手元にあるのは、銀の食器や外国の貨幣である。

それを溶かし、一定の重さに切り、刻印を押す。

最初は、これで十分だった。

重さが正しく、当局の刻印があればよい。

意匠を凝らす余裕も、必要もない。

ただし、この形には弱点があった。

縁を削られる

平らな銀の板は、縁を削れる。

少しずつ削り取れば、銀が手に入る。

削られた貨幣も、見た目は変わらない。

これを繰り返せば、貨幣の重さが減っていく。

当時の欧州でも、これは大きな問題だった。

対策は、縁まで図柄を入れることである。

図柄が欠けていれば、削られたと分かる。

だから、次の型では図柄が全面に入る。

簡素な型は、短期間で置き換えられた。

作った人について

この貨幣を作ったのは、ジョン・ハルである。

一六二四年に生まれ、一六八三年に没した。

英国から渡ってきた家の出である。

職業は銀細工師だった。

当地の議会に任じられ、造幣の責任者となった。

つまり、職人が公の役目を負った形である。

当時の植民地には、造幣の専門家がいない。

銀を扱える職人が、そのまま任される。

美術館の記録も、この人物を作者として登録している。

松の木が、彫られる

二枚目を見たい。

シリング銀貨
ジョン・ハル《シリング銀貨》1667年ごろ〜1682年ごろ。銀。直径3センチ、重さ4.68グラム。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンソ・T・クリアウォーター遺贈、1933年。《シリング銀貨》メトロポリタン美術館蔵

こちらは、面が図柄で埋まっている。

中央に、円い枠がある。

その中に、一本の木が立つ。

幹はまっすぐで、枝が左右に広がる。

葉は針のように細かく刻まれる。

根元には、地面を示す線が入る。

枠の外側には、文字が円形に並ぶ。

地名を示す綴りである。

さらに外側には、粒を並べた縁飾りがある。

板の縁は、丸くない。

円くない、ということ

この貨幣の輪郭は、多角形に近い。

八角形のようにも見える。

これは、打刻の工程による。

まず、銀の板を切り出す。

その板に、上下から型を当てて槌で打つ。

打つ力で、金属が広がる。

型からはみ出た部分が、不規則な形で残る。

現代の貨幣のように、円く抜くわけではない。

だから、一枚ごとに輪郭が違う。

手仕事の跡

輪郭だけでなく、図柄の位置もずれる。

型と板の中心が、少しずれる。

その結果、文字の一部が欠けることがある。

二枚目でも、下側の文字がやや切れている。

これは失敗ではない。

当時としては、許容範囲である。

重さが正しければ、貨幣として通用する。

見た目の完全さは、二の次だった。

いまの貨幣とは、品質の基準が違う。

木は、何の木か

中央の木について、少し書きたい。

針葉樹に見える。

松の木を表したものとされ、松の木銀貨と呼ばれる。

同じ造幣所では、別の木を彫った型も作られた。

柳、樫、そして松。

いずれも、木を意匠にしている。

なぜ木なのか。

その土地の産物を示す、という説明がよくなされる。

森林資源が、この地方の富の源だったからである。

ただし、確かな根拠は乏しい。

図柄を、なぜ木にしたか

もう一つの見方もある。

当時、この植民地は本国と微妙な関係にあった。

貨幣に君主の肖像を入れれば、忠誠の表明になる。

入れなければ、独自性の表明になる。

木を彫るという選択は、その中間にある。

政治的な意味を持ちうる図柄である。

もっとも、これは推測である。

当サイトとしては、断定しない。

分かるのは、王の顔ではなく木が彫られたという事実である。

貨幣の顔について

貨幣に何を彫るかは、政治の問題である。

古代から、君主の顔が使われてきた。

当サイトの
権力の顔でも、その歴史を扱った。

顔を彫れば、誰の権威かがはっきりする。

木を彫れば、それが曖昧になる。

曖昧にすること自体が、判断である。

小さな銀の円盤に、そういう判断が刻まれている。

重さという基準

二枚の重さを比べたい。

最初の一枚が4.52グラム。

二枚目が4.68グラム。

差は0.16グラムである。

同じ額面の貨幣でも、重さは一定ではない。

手作業で切り出すので、誤差が出る。

もっとも、この差は許容範囲だっただろう。

貨幣の価値は、含まれる銀の量で決まる。

だから、重さがおおむね合っていればよい。

秤で確かめられる時代の話である。

造幣所という場所

造幣所は、町のどこかに設けられた。

建物は簡素なものだったと考えられる。

炉、金床、槌、型、秤。

必要な道具は、銀細工の工房とほとんど同じである。

違うのは、型を押す作業が加わることだけである。

そのため、既存の工房を転用できた。

責任者は、鋳造した貨幣の一部を報酬として受け取ったと伝えられる。

つまり、公の仕事でありながら、請負に近い形だった。

近代の造幣局とは、仕組みが違う。

銀は、どこから来たか

造幣には、材料が要る。

植民地に銀山はなかった。

だから、銀は外から入ってくる。

外国の銀貨、銀の食器、地金。

それを溶かして、鋳直す。

つまり、この銀貨の銀は、もとは別の何かだった。

貨幣は、金属の状態を変えただけの品である。

必要があれば、また溶かして食器になる。

その循環の中に、これらの銀貨は置かれていた。

三枚目のシリング

シリング銀貨
ジョン・ハル《シリング銀貨》1667年ごろ〜1682年ごろ。銀。直径3センチ、重さ4.67グラム。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンソ・T・クリアウォーター遺贈、1933年。《シリング銀貨》メトロポリタン美術館蔵

二枚目とよく似ている。

中央の円枠、その中の木、外周の文字。

しかし、細部が違う。

木の枝の広がりが、やや狭い。

幹の太さも違う。

外周の文字の位置が、時計回りにずれている。

そして、縁の形が違う。

つまり、別の型で打たれている。

同じ意匠でも、型は一つではない。

型は、何度も彫り直される

なぜ、型が複数あるのか。

型は、使えば減る。

硬い鋼で作っても、何千回も打てば潰れる。

そこで、新しい型を彫る。

同じ図柄を、また一から彫り直す。

手で彫るので、まったく同じにはならない。

木の枝の数、文字の間隔、枠の太さ。

少しずつ違う型が、次々に作られる。

だから、現存する貨幣には無数の変種がある。

変種を、どう扱うか

貨幣の研究では、この変種が重要になる。

型ごとに番号を付け、分類する。

どの型が先で、どの型が後か。

型の摩耗や、打ち直しの跡から順序を推定する。

そうやって、製造の時期が絞り込まれていく。

美術館の年代記載も、こうした研究にもとづく。

一六六七年ごろから八二年ごろ、という幅のある表記は、その成果である。

一枚の銀貨の年代を決めるのに、膨大な比較が要る。

額面の違い

四枚目は、小さい。

六ペンス銀貨
ジョン・ハル《六ペンス銀貨》1667年ごろ〜1682年ごろ。銀。直径1.9センチ、重さ2.5グラム。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンソ・T・クリアウォーター遺贈、1933年。《六ペンス銀貨》メトロポリタン美術館蔵

直径1.9センチ。

シリングの三分の二ほどの大きさである。

重さは2.5グラムで、およそ半分。

つまり、額面の半分の重さになっている。

図柄は、シリングと同じである。

中央の枠、木、外周の文字、粒の縁飾り。

同じ意匠を、小さく彫り直している。

小さいぶん、彫りは粗くなる。

木の枝も、単純な線になっている。

半分の重さ、半分の価値

貨幣の重さと価値の関係を確かめたい。

シリングが4.67グラム、六ペンスが2.5グラム。

六ペンスは、シリングの半分の額面である。

そして、重さもおよそ半分。

つまり、銀の量が価値そのものである。

これは、いまの貨幣とは考え方が違う。

いまの硬貨は、素材の価値より額面が高い。

当時は、素材の価値が額面だった。

だから、重さを守ることが最重要になる。

秤と、貨幣

この仕組みには、道具が要る。

秤である。

商人は、小さな秤を持ち歩いた。

受け取った貨幣を、その場で量る。

軽ければ、値引きを求める。

削られた貨幣を見分けるためでもある。

つまり、貨幣は数えるものであると同時に、量るものだった。

粒の縁飾りは、その手間を減らす工夫でもある。

飾りが欠けていれば、削られたと分かる。

図柄を小さく彫る

六ペンスの図柄を、拡大して見てほしい。

木の枝が、シリングより少ない。

葉を示す刻みも、粗い。

これは手抜きではなく、必然である。

彫る面積が小さくなれば、線の数を減らすしかない。

同じ密度で彫れば、潰れてしまう。

だから、要点だけを残す。

幹、左右の枝、根元の線。

それだけで、木と分かる。

小さな面に彫るときの原則である。

縁飾りという実用

粒を並べた縁飾りを、もう一度見たい。

装飾に見えるが、実用の意味がある。

まず、縁が削られていないことの証明になる。

次に、打刻の位置を示す目安になる。

そして、貨幣らしい見た目を作る。

三つの働きを、一つの意匠が兼ねている。

工芸の意匠には、こういうものが多い。

飾りと機能が、はじめから分かれていない。

もう一枚の六ペンス

五枚目も、六ペンスである。

六ペンス銀貨
ジョン・ハル《六ペンス銀貨》1667年ごろ〜1682年ごろ。銀。直径1.9センチ、重さ2.14グラム。メトロポリタン美術館蔵。アルフォンソ・T・クリアウォーター遺贈、1933年。《六ペンス銀貨》メトロポリタン美術館蔵

直径は先の一枚と同じである。

重さは2.14グラムで、0.36グラム軽い。

図柄は、より鮮明に残っている。

木の枝が、はっきり見える。

外周の文字も、四枚目より読み取りやすい。

一方で、輪郭の欠けが大きい。

上下が、いびつに切れている。

つまり、打刻の位置が中心からずれている。

重さの差を、どう考えるか

二枚の六ペンスの重さが、0.36グラム違う。

割合にすると、一割以上である。

これは、無視できない差である。

理由は、いくつか考えられる。

切り出しの誤差。

流通中の摩耗。

そして、削り取り。

どれが原因かは、この一枚からは分からない。

美術館の記録も、そこまでは書いていない。

数字は、事実として記録されているだけである。

摩耗という記録

貨幣の表面には、使われた跡が残る。

指で触れ、袋の中で擦れ、机の上を滑る。

そのたびに、彫りの高い部分から減っていく。

木の枝の先、文字の角、縁飾りの粒。

これらが丸くなっていれば、よく使われた証拠である。

逆に、鋭く残っていれば、あまり流通しなかったことになる。

四枚目と五枚目を比べると、この差が見える。

五枚目のほうが、彫りがはっきりしている。

同じ時期の貨幣でも、たどった道は違う。

摩耗も、来歴の記録である。

数字を並べる意味

九点ではなく、六点の記事である。

そのうち五点が貨幣で、重さが記録されている。

4.52、4.68、4.67、2.5、2.14。

こうして並べると、規格と誤差の両方が見える。

工芸品の記録では、寸法と重さが基本の情報になる。

絵画の縦横と同じである。

数字を読むことは、作品を見ることの一部である。

飾りの美しさより先に、まず数字を確かめたい。

銀の杯

六点目は、貨幣ではない。

葡萄酒の杯
ジョン・ハル《葡萄酒の杯》1660年ごろ。銀。高さ17.5センチ、重さ318.4グラム。メトロポリタン美術館蔵。ロイ・J・ザッカーバーグ寄贈、2012年。《葡萄酒の杯》メトロポリタン美術館蔵

高さ17.5センチの杯である。

上部は、まっすぐな筒に近い形をしている。

やや外へ開き、口の縁は薄い。

その下に、細くくびれた脚がある。

脚の中ほどは、膨らみを持つ。

台は円く、緩やかに広がる。

表面は磨かれ、光を返す。

装飾は、ほとんどない。

杯の上部に、小さな文字が刻まれている。

所有者の頭文字だろう。

銀細工師としての仕事

この杯は、造幣の仕事とは別である。

本業である銀細工師としての仕事にあたる。

重さは318.4グラム。

銀貨のシリング七十枚分ほどの銀である。

つまり、貨幣と同じ材料でできている。

必要があれば、溶かして貨幣にもできる。

逆に、貨幣を溶かして器を作ることもできた。

銀という材料は、その両方の姿を行き来する。

装飾のない器

この杯には、彫りも打ち出しもない。

面は、なめらかなままである。

当時の英国では、より装飾的な銀器も作られていた。

この簡素さは、地域の好みを反映しているとされる。

宗教上の考え方も、関わったと考えられている。

華美を避ける規範があったからである。

ただし、これも一つの見方である。

単に、装飾に費やす手間と費用の問題かもしれない。

館の記録には、説明がない。

簡素の美しさ

装飾がないと、形そのものが問われる。

筒の傾き、脚の太さ、台の広がり。

その比率だけで、器の印象が決まる。

この杯は、上部が大きく、脚が細い。

不安定に見えそうだが、そうならない。

台が十分に広いからである。

上下の重さの配分が、目で見て納得できる。

装飾のない器は、比率で持たせるしかない。

そこに、職人の判断が集中する。

打ち出しという技法

銀器は、板から作られる。

平らな銀の板を、槌で打って形にする。

内側から打てば膨らみ、外側から打てば締まる。

打つ位置と回数で、曲面を作っていく。

この杯の筒の部分も、板を丸めて継いだうえで整えたのだろう。

脚と台は、別に作って接合する。

接合には、銀の合金を用いた鑞付けを使う。

つまり、複数の部品を組み立てている。

継ぎ目は、磨いて見えなくする。

磨きという工程

銀器の最後の工程は、磨きである。

槌で打ち、形を作り、削り、そして磨く。

磨けば、面が鏡のようになる。

光が反射し、周囲が映り込む。

つまり、器の表面は常に周囲を写している。

写真では、この効果は分かりにくい。

平らな灰色に見えてしまう。

実物を手に取れば、印象は違うだろう。

工芸品の画像には、そういう限界がある。

頭文字の刻印

杯の上部に刻まれた文字を見たい。

三つの文字が、三角形に配置されている。

上に一つ、下に二つ。

これは、夫婦の頭文字を示す配置である。

上に姓の頭文字、下に夫と妻の名の頭文字。

英国と植民地の銀器で、広く使われた形式である。

つまり、この杯は誰かの家の品だった。

婚礼の記念か、教会への寄進かは分からない。

しかし、特定の家に属していたことは確かである。

教会と銀器

十七世紀の植民地では、銀器の多くが教会に伝わった。

聖餐に使う器として、寄進されるからである。

家庭の杯が、そのまま教会の器になることもあった。

だから、現存する初期の銀器には、教会由来のものが多い。

家庭で使われ続けたものは、溶かされたり失われたりした。

この杯がどちらの経路をたどったかは、記録がない。

いずれにせよ、三百五十年以上を経て残っている。

一九三三年と二〇一二年

六点の受け入れ年も見ておきたい。

貨幣五点は、一九三三年の遺贈である。

同じ収集家から、まとめて館に入っている。

杯は、二〇一二年の寄贈である。

八十年近い開きがある。

つまり、この六点は別々の経路で集まった。

いま同じ作者の名で並んでいるが、由来は違う。

貨幣の収集家と、銀器の収集家。

関心の異なる二つの流れが、館の中で合流している。

器の名前

この作品は、館の記録で葡萄酒の杯とされている。

用途を示す名前である。

同じ形の器が、教会の聖餐にも使われた。

つまり、名前は用途を一つに決めてしまう。

しかし実際には、器の用途は移り変わる。

家庭で使われ、教会に寄進され、また家庭に戻る。

館が付ける名前は、その一つの局面を切り取ったものである。

名前を絶対視しないほうがよい。

形と大きさから、使い方を想像するほうが実りがある。

貨幣を、美術館で見る

貨幣は、美術館の展示品としては地味である。

小さく、金属で、色もない。

しかし、情報の密度は高い。

図柄、文字、重さ、輪郭、摩耗。

そのすべてが、当時の社会を示している。

誰が権威を持ち、何を資源とし、どう取引したか。

一枚の銀貨に、それが畳み込まれている。

絵画のように、遠くから眺める対象ではない。

数字と細部を読む対象である。

六点をつなぐもの

六点は、一人の職人の手による。

貨幣五点と、杯一点。

作るものは違うが、材料は同じである。

そして、技術の根も同じである。

銀を溶かし、延ばし、打ち、削り、磨く。

貨幣では、型で打つ工程が加わる。

器では、形を作る工程に重心がある。

同じ材料を、別の目的へ向ける。

一人の職人が、その両方を担っていた。

六点を、順に見る

最後に、見方を提案したい。

六点を、表面の状態で見比べてほしい。

最初の一枚は、平らでほとんど無地である。

次の三枚は、図柄が全面を覆う。

そして杯は、磨かれてなめらかである。

同じ銀という材料の、三つの表情がある。

何もしない面、彫りを打った面、磨いた面。

材料の扱い方が、そのまま用途を示している。

小さな円盤を手に取るつもりで、拡大して見てほしい。

三百五十年前の槌の跡が、そこに残っている。

小さいものほど、近づいて見る値打ちがある。

銀の板が、貨幣にも器にもなった時代の話である。

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