作者の欄に、工場の名が入る——マイセンとセーヴル
マイセン磁器製作所(1710年から現在)。十点のうち四点の作者の欄は、人ではなく組織の名で始まる。型、装飾、花、鳥。四つの役を書き分ける欄もある。名が残る人と残らない人を分けるものを読みたい。出所の行が、三十を超える名で埋まる一点もある。

作者の欄に、工場の名が入る
マイセン磁器製作所(1710年から現在)。
ウースター磁器工場(フライト期、1783年から1792年)。
デュ・パキエ磁器製作所(1719年から1744年)。
セーヴル磁器製作所(1756年から現在)。
十点のうち四点の作者の欄は、工場の名で始まる。
人ではなく、組織である。
そして括弧の中に、その工場が操業していた期間が入る。
現在も続く工場なら、そう書かれる。
閉じた工場なら、終わりの年が書かれる。
作者の欄が、会社の履歴を兼ねている。
工場の名だけでは、足りない
工場の名だけを書けば、それで済むわけではない。
十点のうち三点では、そのあとに人の名が続く。
型を作った人。
装飾を設計した人。
花を描いた人。
鳥を描いた人。
一点の花瓶には、四人の名が並ぶ。
工場の名を入れれば、五つの主体になる。
磁器は、分業でできている。
土を練る人、型を取る人、素焼きする人。
釉薬を掛ける人、絵を描く人、金を塗る人。
そのうち名の残る役だけが、記録に入る。

十点でいちばん大きい作品である。
高さは一メートル三十七センチ。
壺の形で、胴が上へ広がる。
首の左右から、把手が大きく立ち上がる。
把手の先には、円い浮彫の飾りが付く。
胴の上半分は金一色で、細かい文様が浮く。
その下に、白い帯が回る。
帯の中に、花束と鳥が描かれる。
花は赤、桃、白が混ざる。
鳥は青と緑で、枝にとまる。
台座は四角く、金銅で作られる。
銘記の欄には、製作所の印と日付が記録される。
三月三十日、そして絵付師の名が金文字で入る。
四つの役を、書き分ける
いま見た一点の作者の欄は、役ごとに動詞が違う。
型を「設計した」人。
装飾を「設計した」人。
花と装飾を「描いた」人。
鳥を「描いた」人。
同じ絵付でも、花と鳥で担当が分かれている。
これは、当時の工場の実態を反映している。
絵付師には専門があった。
花の名手、鳥の名手、風景の名手。
一つの器に、複数の絵付師が順に手を入れる。
館の記録は、その分担をそのまま書く。
前の回の記事で、下絵と彩色を分けて書く例を見た。
こちらは、絵付の中でさらに分かれている。

白い磁器で作られた大きな鳥である。
高さは58センチある。
体は右を向き、首を大きく曲げる。
嘴は太く、先が鋭く曲がる。
嘴の付け根には、赤と黄の肉垂れが付く。
頭部は灰色で、皺が細かく作られる。
首から胸にかけて、白い羽が重なる。
背と翼には、灰と黒の羽が段になって並ぶ。
脚は太く、爪が枝をつかむ。
台は白く、切り株のような形をとる。
台の表面には、葉と実の飾りが付く。
大きな磁器は、焼くときに割れやすい。
これだけの大きさを一度に焼くのは、難しい仕事である。
出所の行が、三十を超える名で埋まる
いま見た一点には、もう一つ特別なところがある。
出所の行が、極端に長い。
基金の名が二十以上、個人や団体の名が十以上。
読点と分号で区切られ、延々と続く。
数えると、三十を超える名が並ぶ。
これまでの記事で長い出所の行をいくつも見てきた。
その中でも、この一点は群を抜いている。
一点の磁器を買うために、これだけの財源が集められた。
しかも、行の中には「以前の寄贈を通じて」という句もある。
過去に贈られた品を手放し、その代金を充てたという意味だ。
館が総力を挙げて買った、ということが行から読める。
名を全部書くという判断
これだけ長ければ、省略したくなる。
代表的な基金の名だけを書き、あとは省く。
そういう選択もありえたはずだ。
しかし館は、全部を書いている。
一つでも省けば、出した誰かの名が消えるからだ。
前の回の記事で、同じ判断を何度も見てきた。
行の長さより、名を残すことを取る。
読む側にとっては、確かに読みにくい。
しかし、読みにくさは書く側の都合ではない。
書かないことの代償のほうが大きい、という判断である。

人と鳥を組み合わせた形の容器である。
大きな雄鶏の背に、人物が横向きに乗る。
雄鶏は首を上へ伸ばし、嘴を開く。
鶏冠は赤く、羽は白に淡い色が差す。
尾は大きく反り返り、注ぎ口になる。
乗っている人物は、白い衣をまとう。
頭には、先の尖った帽子をかぶる。
顔は笑い、口が開く。
片手を上げ、もう片手で鶏の首を抱える。
台は緑と褐色で、岩と草を模す。
番号の末尾には、aとbの枝番が付く。
本体と蓋が、別々に数えられている。
枝番が、蓋を数える
いま見た一点の番号は、末尾に文字が付く。
前の回の記事で、シカゴ美術館の枝番の付け方を見た。
二つの部分からなる一件に、aとbを与える。
器と蓋。本体と台。対になる二枚。
十点のうち、この一点だけが枝番を持つ。
他の九点は、部分に分かれていないか、分けて数えられていない。
たとえば遊戯具の一点は、箱と小箱と札の集まりである。
しかし番号は一つしかない。
数え方の判断は、品ごとに違う。
その判断の跡が、番号の末尾に残る。

中央に、大きな箱が開いた状態で置かれる。
蓋の内側には、トランプの札の絵が描かれる。
箱の中は仕切られ、小さな容器が並ぶ。
その左右に、小さな箱が二つずつある。
いずれも蓋に絵が描かれる。
手前には、細長い札が散らばる。
札は白い磁器で、数字や記号が描かれる。
色は桃色、緑、青、金が混ざる。
すべての面に、細かい文様が入る。
金の縁飾りが、各辺に回る。
技法の欄には、金とダイヤモンドも挙げられる。
留め具に使われているのだろう。
題には「おそらく」が付く。
誰のために作られたかは、確定していない。
十点の年が、二百八十年に散る
十点の年を並べてみる。
1553年、1630年、1698年から1720年、1734年。
1735年ごろ、1737年ごろ、1792年ごろ、1800年から1850年。
1813年、1878年。
いちばん古い一点と、いちばん新しい一点で三百二十五年ひらく。
その間に、作者の欄の書き方も変わっていく。
十六世紀と十七世紀の三点は、いずれも個人の名である。
十八世紀の四点は、工場の名が中心になる。
十九世紀の三点では、工場と個人が併記される。
つまり、作り方の組織化が記録に現れている。
一人の職人から、工場の分業へ。
そして、分業の中で設計者の名が浮かび上がる。
作者の欄の型が、産業の変化を映している。
技法の欄が、二段になる
十点の技法の欄を読むと、多くが二段構えである。
まず材料。次に、その加工。
硬質磁器と、釉薬と金彩。
錫釉陶器と、その別名。
銀と、金鍍金の銀。
材料だけでは、見え方が決まらない。
同じ磁器でも、色絵か白磁かで別のものになる。
だから加工まで書く。
前の回の記事で、ギリシアの器の技法の欄を見た。
そこでも、材料と装飾が二段で書かれていた。
部門が違っても、技法の欄の作りは共通している。
材料が先、加工が後。
読む順序が決まっているから、比べられる。
銘記の欄に、刻印が写される
十点のうち三点は、金属の器である。
その三点の銘記の欄には、刻印の内容が写されている。
一点では、底に会社の名と番号が打たれる。
純銀という語と、その他の金属という語も並ぶ。
もう一点では、把手と蓋に同じ二文字が繰り返される。
作った人の頭文字である。
さらに、胴には家の紋章が彫られる。
底には、後の時代に彫られた文字もある。
結婚の年と、二人の名が読める。
三点目には、都市の刻印と作者の刻印がある。
そして、十九世紀末の輸入の印まで加わる。
一つの器に、時代の違う刻印が重なっている。

低く広い杯である。
両側に、渦を巻いた把手が付く。
把手は細い帯を曲げて作られる。
胴の下半分には、葉の形の浮彫が並ぶ。
葉は先が丸く、上へ向かって立つ。
胴の上半分は平らで、中央に紋章が彫られる。
紋章は楕円の枠に収まる。
蓋は低く、周囲に同じ葉の浮彫が回る。
頂には、小さなつまみが付く。
銀は光を強く返し、稜線が白く光る。
底には、後から彫られた文字がある。
ある夫婦の名と、1730年という年が読める。
器が贈られた記念だろう。
刻印が、来歴を代わりに語る
いま見た一点では、来歴の欄は短い。
しかし銘記の欄には、多くのことが書かれている。
作者の頭文字。家の紋章。後から彫られた名と年。
これらは、器そのものに残った履歴である。
紙の記録が失われても、金属には残る。
前の回の記事で、来歴の長短について書いた。
紙の記録が残るかどうかで、来歴の欄の長さが決まる。
金属の器では、物の側に記録が刻まれる。
だから来歴が短くても、銘記の欄が補う。
館の記録は、その両方を別の欄に置いている。

背の高い水差しである。
胴は上へ向かってわずかに広がる。
口は片側が伸び、注ぎ口になる。
把手は太く、上下で胴につながる。
胴の表面には、水辺の情景が浮き彫りにされる。
細い草が縦に伸び、その上に蜻蛉がとまる。
蜻蛉の羽は薄く、透けるように作られる。
下部には、小さな魚のような形が二つ見える。
これらは、色の違う金属を象嵌している。
赤みのある部分は銅、明るい部分は金である。
銀の地に、二つの金属が嵌め込まれる。
底の刻印には、会社名と番号が並ぶ。
そして、純銀とその他の金属という語がある。
「その他の金属」と刻む
いま見た一点の刻印には、変わった語がある。
純銀、そして「その他の金属」。
なぜわざわざ書くのか。
銀器には、純度の表示が求められる。
しかしこの器には、金と銅も使われている。
銀だけと書けば、正しくない。
だから「その他の金属」と付け加える。
刻印は、法や商習慣に沿って打たれる。
作品の表示というより、証明に近い。
館の記録は、それをそのまま銘記の欄へ写す。
前の回の記事で、記録が引用の作法を守ることを書いた。
刻印の文字も、引用として扱われている。

馬が前脚を上げて立つ姿の杯である。
馬は金鍍金で、全体が金色に光る。
たてがみと尾は、細かい線で刻まれる。
その背に、裸の人物が乗る。
人物は白い銀のままで、金の馬と対をなす。
体をひねり、片手を上へ伸ばす。
台は不定形で、岩と草を模す。
台にも、細かい打ち出しがある。
馬の胴の部分が外れ、杯になる作りだという。
飾りと道具を兼ねている。
銘記の欄には、署名と年が記される。
さらに、都市の刻印と作者の刻印がある。
そして、十九世紀末の輸入の印まで加わる。

円い皿である。直径は24.8センチ。
縁には、濃い青の帯が回る。
その帯の上に、金の細い線が放射状に並ぶ。
線と線のあいだには、金の小さな花が置かれる。
内側の白い面には、円い枠がある。
枠の中に、灰色一色で人物が描かれる。
女性が横たわり、片肘をつく。
背後には、柱と幕が見える。
灰色だけで描かれ、彫刻のように見える。
枠の縁にも、細い金の線が回る。
題には、食器揃の名が入る。
一枚だけでなく、大きな一式の一部である。
揃いの一枚
いま見た皿の題には、食器揃の名が書かれている。
つまり、これは単独で作られたものではない。
数十枚、数百枚の一式の中の一枚である。
同じ模様の皿が、他の館にもあるだろう。
館の記録は、その一式の名を題に残す。
残しておけば、他の一枚と結びつけられる。
前の回の記事で、揃物の版画や連作の織物を見た。
同じ考え方が、食器にも使われている。
一点として数えるが、群の一部であることも書く。
分けることと束ねることは、いつも同時に行われる。

大きな鉢である。口が広く、外へ開く。
胴には、絵が全面に描かれる。
海の場面らしく、青い波が広がる。
その上に、多くの人物が浮かぶ。
裸の姿が、泳ぎ、もがき、掴み合う。
右には、岩と木のある岸が見える。
縁の上部には、黄色の帯が回る。
帯には、格子と点の文様が並ぶ。
内側にも絵が続く。
色は黄、青、緑、褐色が主である。
錫を混ぜた白い釉の上に、絵具を置いている。
作者の欄には、個人の名がある。
工場ではなく、一人の絵付師の名だ。

円い大皿である。
中央から縁へ、同心円の帯が並ぶ。
いちばん外の帯は、褐色の細い線である。
その内側に、橙と青の細かい文様が回る。
さらに内側の帯には、鳥のような形が並ぶ。
中央の円には、幾何学の文様が詰まる。
青、橙、緑、黄が使われる。
線は太く、筆の運びが見える。
白い釉の上に、直接描かれている。
作者の欄には、様式の名と地名だけがある。
人の名はない。
同じ技法でも、名が残る場合と残らない場合がある。
名が残るかどうかを、分けるもの
十点の作者の欄を並べると、三つの型がある。
工場の名で始まるものが四点。
個人の名だけのものが三点。
様式や地域の名だけのものが一点。
そして、工場の名と個人の名を並べるものが二点。
工場の名が残るのは、帳簿や刻印があるからだ。
個人の名が残るのは、署名があるからである。
どちらもなければ、様式と地域の名になる。
これは、前の回の記事で見た絵画の場合と同じ構造である。
名が残るかどうかは、作品の質とは関係がない。
記録する仕組みがあったかどうかで決まる。
工場という作者
作者の欄に会社の名を書くことには、含みがある。
その品を作ったのは、一人ではないという含みだ。
工場の名は、集団の名である。
同時に、品質の保証でもある。
ある工場の名が付けば、水準が想像できる。
だから買う側にとっては、人の名より意味がある。
美術館の記録は、その事情を受け入れている。
人の名がなくても、工場の名で十分に位置づけられる。
前の回の記事で、民族や地域の名を作者の欄に置く例を見た。
工場の名も、その一種だと考えられる。
個人を指さない名前が、作者の欄を占めている。
十点のうち六点が、そういう名を持っている。
名前のない作り手は、どこへ行くか
工場の名が作者の欄を占めるとき、職人の名は消える。
土を練った人、轆轤を回した人、窯を焚いた人。
その名は、どこにも残らない。
残るのは、型を設計した人と、絵を描いた人だけである。
なぜその二つの役だけが残るのか。
一つには、署名する慣習があったからだろう。
絵付師は、器の底に印を残すことがある。
型を作る人は、工場の記録に名が残る。
窯を焚く人には、その機会がない。
同じ工場で働いていても、名の残り方が違う。
前の回の記事で、版画の彫師と摺師の話を書いた。
そこでも、残る名と残らない名が分かれていた。
工程のどこにいるかで、記録との距離が変わる。
十点を、関わった人数で並べる
十点を、作者の欄に現れる名の数で並べてみる。
いちばん多いのは、五つの主体が並ぶ花瓶である。
次が、工場と原型師の二つが並ぶ二点。
そして、設計者と会社が並ぶ一点。
残る六点は、一つの名だけで済む。
一人の職人の名か、工場の名か、地域の名か。
数の差は、その品の作られ方の差でもある。
大きく複雑なものほど、名が増える。
小さく単純なものは、一人で足りる。
もっとも、これは記録に残った名の数にすぎない。
実際に手を動かした人の数は、どれももっと多い。
記録の数字は、いつも実際より小さい。
そのことを踏まえて読むのが、この欄との付き合い方になる。

