作品を知る

象牙の上の七センチ——グロリア・マニーの細密肖像300点超、2006年

縦横の比がほぼ一定で、大きさも七センチ前後に集まる。持ち歩くものだからである。裏に髪を納める部分を持つものもある。方眼紙の上で撮られた一点には、絵具の欠けが写る。一分野を覆う寄贈を読みたい。象牙という材料のいまの扱いにも触れておきたい。

ブルース嬢
アルフレッド・トマス・アゲート《ブルース嬢》メトロポリタン美術館蔵

手のひらに載る肖像を、一人で集める

出所の行に、こう書かれた作品がある。

グロリア・マニーによる寄贈、二〇〇六年。

当サイトで公開している分だけで、六十点ある。

番号は二〇〇六・二三五で始まり、枝番は一から三二四まで散らばる。

もとの寄贈は、三百点を超える規模だったと考えてよい。

そして、その中身がきわめて均質である。

種別を数えると、細密肖像画が五十八点。

水彩が二点。

技法を数えると、象牙に水彩が五十四点。

紙に水彩が二点。

犢皮紙に水彩が一点。

金鍍金の銅の容器に収めた象牙の水彩が二点。

七宝が一点。

ほとんどが、象牙に水彩で描かれた小さな肖像である。

前の回で見た寄贈は、材料も形もばらばらだった。

こちらは、まるで逆である。

ブルース嬢
アルフレッド・トマス・アゲート《ブルース嬢》1837年。館の記録では、象牙に水彩。6.7×5センチ。番号は2006.235.1。出所の行は「グロリア・マニーによる寄贈、2006年」。メトロポリタン美術館蔵。アルフレッド・トマス・アゲート《ブルース嬢》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

蝶番の付いた箱が開かれている。

右側の面に、楕円の画面が嵌まっている。

そこに、若い女性の胸から上。

顔は正面をやや外し、こちらを見る。

髪は中央で分けられ、両側で巻き毛になって垂れる。

首は細く、肩が出ている。

衣は暗い色で、襟ぐりが広く開く。

袖は肩から膨らむ。

背景は淡く、下から上へ濃くなる。

箱の左側の面は、無地の板である。

金具が二つ、外側に付いている。

閉じれば、画面が保護される。

寸法は六・七センチ掛ける五センチ。

名刺よりわずかに小さい。

象牙という材料

技法の欄に、象牙に水彩とある。

これは、この分野の標準的な材料である。

象牙を薄く削ぎ、板にする。

厚さは一ミリに満たない。

その上に、水で溶いた絵具を薄く重ねる。

象牙は白く、わずかに透ける。

だから、下から光が返ってくる。

肌の色が、内側から光っているように見える。

紙では、この効果が出ない。

十八世紀から十九世紀にかけて、細密肖像はほとんどこの材料で描かれた。

一方で、扱いは難しい。

薄いので反る。

湿気を吸って波打つ。

割れることもある。

だから、枠に嵌めて固定する。

九点のうち、枠のないものは一つもない。

描くための道具

細密肖像の描き方について、分かっていることを書いておきたい。

まず、象牙を薄く削ぐ。

削いだ板を、紙か厚紙に貼る。

そのままでは、絵具が弾かれる。

象牙の表面は脂を含んでいるからである。

だから、下地の処理をする。

細かい粉で磨くか、薬品で拭う。

そのうえで、水彩を置く。

筆は、きわめて細いものを使う。

毛が数本しかないものもある。

色は、重ねるのではなく、点で置く。

細かい点を並べて、肌の色を作る。

離れて見ると、面に見える。

近寄ると、点の集まりである。

この描き方は、時間がかかる。

一点に何日もかかる。

だから、値段も高かった。

十九世紀の半ばに、写真が普及する。

同じ大きさの肖像が、はるかに安く、速く手に入るようになる。

細密肖像の需要は、そこで急速に減った。

九点の年を見ると、いちばん新しいものが一八三八年である。

この分野の終わりの時期に近い。

箱と、枠と、吊り具

九点の外側を、並べて見たい。

蝶番の付いた箱が一点。

木の枠が二点。

金属の枠が三点。

台紙に置かれたものが一点。

額に入った学園の作が二点。

つまり、九点とも何らかの外装を持っている。

そして、その外装は肖像と同時に作られたとは限らない。

枠が傷めば、付け替えられる。

集める人が、自分の好みで作り直すこともある。

第六回で表装について書いたのと、同じことである。

いま見えている外装は、その作品が最後に手入れされた時期のものである。

蝶番の付いた箱は、後の時代のものかもしれない。

写真の時代に使われた形式に近いからである。

館の記録は、外装について何も書かない。

寸法の欄も、画面の寸法だけである。

外装は、記録の外にある。

いまの扱い

象牙について、現在の状況にも触れておきたい。

象牙の国際取引は、現在は厳しく制限されている。

象の保護のためである。

十九世紀に作られたこれらの作品は、その規制ができるはるか前のものである。

館の記録は、材料の名を書くだけで、そこには触れない。

当サイトも、記録にある材料の名をそのまま訳している。

ただし、材料の名がいまどういう意味を持つかは、読む側で意識しておきたい。

古い作品の材料には、現在は作れないものが含まれる。

縦横の比が、そろっている

九点の寸法を並べたい。

六・七センチ掛ける五センチ。

六・八センチ掛ける四・九センチ。

七・八センチ掛ける六・二センチ。

七・一センチ掛ける五・二センチ。

六・九センチ掛ける五・一センチ。

三・八センチ掛ける三・一センチ。

七・一センチ掛ける五・八センチ。

四・一センチ四方。

四・三センチ四方。

肖像の七点は、縦横の比がほぼ一定である。

縦が横の一・三倍前後。

そして、大きさも六・七センチから七・八センチに集まる。

例外は、三・八センチの一点だけである。

つまり、この分野には標準の寸法がある。

理由は明快で、これらは持ち歩くものだからである。

上着の内側に入れる。

首に掛ける。

引き出しに仕舞う。

その用途が、大きさを決めている。

サミュエル・ボールドウィン・ラドロー
セオドア・ランド《サミュエル・ボールドウィン・ラドロー》1838年。館の記録では、象牙に水彩。6.8×4.9センチ。番号は2006.235.100。メトロポリタン美術館蔵。セオドア・ランド《サミュエル・ボールドウィン・ラドロー》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

粗い布のような台紙の上に、四角い紙が置かれる。

その中に、男性の胸から上。

顔は正面を向く。

丸い眼鏡をかけている。

細い金属の枠で、鼻の上に載る。

髪は短く、額の上で分けられる。

上着は黒く、襟が高い。

首もとに、黒い布を巻いている。

胸元から、白い襟が三角に覗く。

背景は暗く、輪郭がぼける。

眼鏡が描かれた肖像は珍しい。

小さな画面で、細い金属の線を描くのは難しいからである。

ジョージ・ベシューン
エドワード・グリーン・マルボーン《ジョージ・ベシューン》1800年ごろ。館の記録では、象牙に水彩。7.8×6.2センチ。番号は2006.235.102。メトロポリタン美術館蔵。エドワード・グリーン・マルボーン《ジョージ・ベシューン》メトロポリタン美術館蔵

色の付いた画像である。

金色の枠に収まった楕円の画面。

枠の縁に、小さな白い玉が一列に並ぶ。

真珠か、それに似せたものだろう。

上端に、吊り輪が付く。

画面には、若い男性の胸から上。

髪は白く、ふくらませて整えられている。

顔は右を向き、視線はやや下がる。

上着は茶色で、襟が高く立つ。

首もとに、白い布が幾重にも巻かれる。

背景は淡い水色。

上のほうが明るく、下へ暗くなる。

象牙の白が、肌の部分で生きている。

方眼紙の上で撮る

四点目の画像には、背景に方眼が写っている。

一ミリの目盛りが引かれた紙である。

作品をその上に置いて撮影している。

理由は単純で、大きさを示すためである。

細密肖像は小さい。

画像だけを見ると、大きさが分からない。

七センチの画面も、七十センチの画面も、同じように見える。

方眼を一緒に写せば、その場で寸法が読める。

これは、記録のための撮影の作法である。

修復の記録や、状態の記録でよく使われる。

第七回で見た色見本の帯と、目的は同じである。

画像に、測るための基準を入れておく。

そして、その基準ごと公開されている。

作品の像としては邪魔だが、記録としては正しい。

公開される画像には、こういう痕跡がしばしば残る。

見る側にとっては、むしろ手がかりになる。

傷みが、写っている

同じ四点目には、絵具の欠けが見える。

黒い点や、線状の隙間である。

象牙は湿度で伸び縮みする。

その動きに、絵具の層が追いつかない。

すると、層が浮き、剝がれる。

小さな画面ほど、その欠けは目立つ。

顔の部分に欠けが出ると、印象が変わってしまう。

館は、こうした状態も含めて公開している。

きれいな状態のものだけを選んで見せてはいない。

これは、記録としては誠実な態度である。

見る側も、そのつもりで見たい。

二百年前の材料が、いまどうなっているか。

画像には、その情報が含まれている。

兄弟が、二枚に分かれる

プライアー・スモールウッド
ジェームズ・ピール《プライアー・スモールウッド》1798年ごろ。館の記録では、象牙に水彩。7.1×5.2センチ。番号は2006.235.134。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・ピール《プライアー・スモールウッド》メトロポリタン美術館蔵

色の付いた画像である。

方眼紙の上に置かれて撮影されている。

一ミリ目盛りの罫が、背景に見える。

つまり、寸法を測るための撮影である。

楕円の画面には、少年の胸から上。

金髪が耳のあたりで巻いている。

首もとに、白い襞飾りが大きく広がる。

上着は暗い色で、釦が縦に並ぶ。

背景は緑がかった灰色。

顔の左側から光が当たる。

画面のところどころに、黒い点や欠けが見える。

絵具の層が失われた部分だろう。

象牙が反り、絵具が浮いて剝がれる。

この材料に特有の傷み方である。

ウィリアム・スモールウッド
ジェームズ・ピール《ウィリアム・スモールウッド》1798年ごろ。館の記録では、象牙に水彩。6.9×5.1センチ。番号は2006.235.135。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・ピール《ウィリアム・スモールウッド》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

木の枠の中に、楕円の画面が嵌まる。

そして、画像の右端に、もう一つの楕円が半分だけ写っている。

つまり、二点が一つの枠に収められている。

前の一点と、この一点だろう。

番号は一三四と一三五。

続き番号である。

姓が同じで、年も同じ。

兄弟の肖像を、対で作らせたものと考えられる。

第十七回で扱った、対の肖像と同じ形である。

画面には、少年の胸から上。

髪は肩まであり、外へ巻く。

首もとに白い襞飾り。

上着は暗い色。

前の一点と、姿勢がほぼ同じである。

二点で一枠、番号は二つ

ここで、記録の書き方を見ておきたい。

二点は、別々の番号を持つ。

一三四と一三五。

しかし、枠は一つである。

第十七回で見た三部作は、三つの番号に一つの額だった。

同じ形である。

物としては二つ、掛けるものとしては一つ。

そして、記録は物のほうを数えている。

寸法の欄にも、枠のことは書かれていない。

画像を見なければ、二点が同じ枠にあることは分からない。

記録に書かれないことが、写真に写っている。

枠に、留め具が付く

紳士の肖像
ジョン・レイミッジ《紳士の肖像》1780年ごろ。館の記録では、象牙に水彩。3.8×3.1センチ。番号は2006.235.155。アイルランド。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・レイミッジ《紳士の肖像》メトロポリタン美術館蔵

九点のなかで、いちばん小さい。

三・八センチ掛ける三・一センチ。

親指の先ほどの画面である。

白黒の画像で、金属の枠に収まる。

上端に、平たい留め具が付く。

紐か鎖を通す部分だろう。

枠の縁に、細かい刻みが並ぶ。

画面には、男性の胸から上。

髪は後ろで束ねられ、耳の上で巻く。

顔は右を向く。

上着は暗く、襟が折り返される。

胸元に、白い布が三角に覗く。

この大きさで、目と口と髪の房が描き分けられている。

筆は、数本の毛でできたものを使う。

拡大鏡を使って描いたと考えられる。

ウィリアム・ヤング
ジェームズ・ピール《ウィリアム・ヤング》1807年。館の記録では、象牙に水彩。7.1×5.8センチ。番号は2006.235.145。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・ピール《ウィリアム・ヤング》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

楕円の枠に収まり、上端に蝶番の付いた吊り具がある。

枠の縁は、面取りされて細かく光る。

画面には、男性の胸から上。

髪は短く、額の上で立つ。

顔は正面をやや外す。

上着は暗く、襟が高い。

首もとに、白い布が巻かれる。

背景は上が明るく、下が暗い。

前の三点と同じ画家である。

同じ画家の作が、この寄贈に何点も含まれている。

髪を納める部分

技法の欄に、変わった記述が現れることがある。

裏面に髪の収納部、という記述である。

この寄贈のうち二点に、その記述がある。

金鍍金の銅の容器に象牙の画面を嵌め、裏側に小さな空間を作る。

そこに、描かれた人の髪の一房を納める。

肖像を持ち歩く目的が、これで分かる。

顔を見るためだけではない。

その人の一部を、身につけるためである。

亡くなった人のものであることも多い。

前の回で読んだ「思い出に」という句と、根は同じである。

記録の技法の欄が、そこまで書いている。

材料の名だけでなく、構造を書いている。

九点のなかにその記述はないが、同じ寄贈のなかにある。

汝の航海の無事を
モリス夫人の学園《汝の航海の無事を》1810年ごろ。館の記録では、紙に水彩。4.1×4.1センチ。番号は2006.235.112。メトロポリタン美術館蔵。《汝の航海の無事を》メトロポリタン美術館蔵

白黒の画像である。

太い額の中に、灰色の台紙。

その中央に、四角い枠線が引かれる。

さらにその中に、円形の画面。

画面には、船が描かれている。

三本の帆柱を持つ帆船。

帆はたたまれ、柱と綱だけが見える。

その手前に、小さな舟。

奥に、岸と丘。

左手に、旗を立てた小さな建物のようなもの。

画面は四・一センチ四方。

切手を二枚並べたほどである。

作者の欄に、学校の名が入る

この一点の作者の欄には、人名がない。

学園の名が入っている。

つまり、誰が描いたか分からない。

分かるのは、どこで描かれたかだけである。

十九世紀の初めのアメリカでは、女子の学園で刺繍と絵が教えられた。

その課題として作られた作品が、多数残っている。

作者は生徒だが、名前は記録されないことが多い。

代わりに、学園の名が残る。

第十七回で扱った「散逸した写本の画家」と、事情は違うが構造は似ている。

個人の名がないところに、別の名が置かれる。

アーウィンの墓
モリス夫人の学園《アーウィンの墓》1810年ごろ。館の記録では、紙に水彩。4.3×4.3センチ。番号は2006.235.113。メトロポリタン美術館蔵。《アーウィンの墓》メトロポリタン美術館蔵

前の一点と、額も台紙もそろっている。

円形の画面には、木が一本。

枝が長く垂れ下がる。

柳である。

その根もとに、四角い石の塊。

墓石だろう。

石の手前に、人が一人いるように見える。

背景は薄く、空と地面の境が曖昧である。

そして、額の下の縁に、細長い札が貼られている。

学園の名と、絵画と素描という語が読める。

つまり、この額はもとから学園の作品として作られている。

作った場所の名を、額に付けたまま伝わってきた。

追悼の絵という型

柳と墓石の組み合わせには、決まった意味がある。

亡くなった人を悼むために描かれる絵である。

十九世紀の初めのアメリカで、この型は広く行われた。

垂れる柳、四角い墓、悲しむ人。

構成はほぼ決まっている。

家族に不幸があると、娘がこの絵を描く。

そして、家に掛ける。

つまり、これは技術の練習であると同時に、実用の品でもあった。

前の一点の船の絵にも、同じことが言える。

航海の無事を願う言葉が題になっている。

家族が海に出るとき、その無事を祈って作られた。

いずれも、飾るための絵ではない。

用のある絵である。

白黒の画像が多い理由

九点のうち、七点が白黒の画像である。

色付きは二点だけである。

前の回でも同じ傾向があった。

細密肖像は、小さい。

そして、点数が多い。

三百点を一点ずつ色付きで撮り直すのは、簡単ではない。

古い撮影の写真が、そのまま使われ続ける。

しかし、この分野で色が失われるのは痛い。

肌の色、上着の色、背景の色。

象牙の白が透けることで生まれる効果も、白黒では分からない。

色付きの二点を見ると、その差は明らかである。

淡い水色の背景。

金の枠と、白い玉の並び。

緑がかった灰色の地。

白黒では、いずれも灰色になる。

当サイトが扱えるのは、提供元が公開した画像だけである。

だから、この差はそのまま引き継がれる。

見えていないものがある、という前提で読むほかない。

一つの分野を、一人でそろえる

この寄贈の性格を、まとめておきたい。

三百点を超える細密肖像が、一人の名で入っている。

材料は、ほぼ象牙に水彩で統一されている。

年代は、十八世紀の後半から十九世紀の半ば。

制作地は、アメリカが中心である。

つまり、この寄贈は、一つの分野をまるごと覆っている。

館がこの分野を集めようとしたら、何十年もかかる。

一人の収集家が、それを済ませてから渡した。

前の回で見た顔の寄贈は、館の分類を横切っていた。

こちらは、館の分類の一区画にぴたりと収まる。

同じ「一人の寄贈」でも、形が違う。

記録に残らない、選ぶ目

この寄贈で、記録に残らないものがある。

どういう基準で選んだか、である。

三百点を集めるあいだに、買わなかったものが何倍もあったはずである。

その判断は、出所の行には現れない。

現れるのは、集まったものだけである。

九点を並べると、選んだ人の好みが少し見える。

顔がはっきり描かれたもの。

枠の状態がよいもの。

そして、対や組になっているもの。

学園の作品が二点入っているのも、興味深い。

職業の画家の作だけを集めていたわけではない。

小さな肖像という形式そのものを集めていた。

だから、生徒の作も対象になる。

出所の行の一つの名前は、そういう判断の集積である。

次の回では、材料が一つに絞られた別の寄贈を読みたい。

銀器だけを集めた人の話である。

そこでは、材料に値段があるという事情が加わる。

象牙の肖像は、溶かしても何にもならない。

銀の器は、溶かせば地金になる。

同じ「一つの材料に絞った収集」でも、残り方がまるで違う。

残っているものが何を意味するかも、そこで変わってくる。

集める人の目より先に、材料の側の事情が働いている。

そして、その事情は出所の行には書かれない。

書かれるのは、渡した人の名と、年だけである。

何が残り、何が消えたかは、別のところから読むしかない。

九点の状態と材料が、その手がかりになる。

小さいものほど、記録は多くを語らない。

そのぶん、画像を丁寧に見ることになる。

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