分類の欄に、家具の名が入っている——婚礼櫃の板、天井画の下絵、扉上の灰色画
櫃の正面、天井、扉の上。もとの置き場所が、そのまま種別の名になっている。横長の画面、四隅の塗り残し、彫刻に見せかけた灰色。壁に掛ける前提で作られなかった絵を、九点並べて読みたい。もとの高さを知ると、構図の理由まで見えてくる。見上げる絵と見下ろす絵を並べたい。

分類の欄に、家具の名が入っている
メトロポリタン美術館の絵画の分類には、こういう種別がある。
「絵画、婚礼櫃の板」。
「絵画、天井画のための下絵」。
「絵画、扉上の灰色画」。
いずれも、絵の置かれていた場所の名が入っている。
櫃の側面。天井。扉の上。
つまり、これらの絵は壁に掛けるために描かれたのではない。
家具や建物の一部として作られた。
そして、いまはそこから外され、額に入っている。
今回は、そういう九点を並べたい。

画面の中央に、緑の柱が立っている。
その左右に、人物が集まっている。
左に、赤い帽子の男性が数人。
右に、白い衣の女性が数人。
中央の卓の上に、市松の盤がある。
その両側に、二人が向かい合っている。
一人は白い衣の女性、一人は赤い衣の男性。
床は、桃色と赤の格子。
背景は暗く、上部に天蓋のような赤い布がある。
寸法は、縦三四・九センチ、横四一・三センチ。
小さい。
婚礼櫃という家具
婚礼櫃は、衣類や布を収める大きな箱である。
嫁ぐときに、持参する道具として作られた。
その正面や側面に、絵が描かれる。
物語の一場面や、行列や、寓意の場面。
つまり、家具の装飾である。
そして、家具として使われるあいだ、この絵は箱の一部だった。
蓋を開け、物を出し入れする。
日常の道具である。

こちらは、横に長い。
縦四五・一センチ、横一一五・六センチ。
比が二・五対一を超える。
これが、婚礼櫃の正面の形である。
箱の正面だから、横に長い。
画面の左に、赤い衣の人々が並んでいる。
天幕のようなものが立ち、そのまわりに兵士がいる。
中央に、緑の草地と、川。
そこを、白い馬に乗った人物が渡っている。
右に、城壁のある町。
そして、その門から人が出てくる。
古代の物語の一場面である。
人質になった娘が、川を泳いで逃げ帰る話である。
寸法の欄を見ると、描かれた面と全体に差がある。
縦で六・七センチ、横で五・七センチ。
縁に、絵の無い部分がある。
そこが、櫃の枠に隠れていた部分だろう。

さらに横に長い。
縦六〇・一センチ、横一五四・三センチ。
一メートル半を超える。
画面には、行列が描かれている。
左から右へ、人と馬と車が進んでいる。
金と赤の衣、旗、槍。
中央に、白い馬に引かれた車。
その上に、赤い衣の人物が立っている。
右に、城門と、そこに集まる人々。
背後に、岩山と、遠い建物。
この一点の分類には、家具の名が入っていない。
ナショナル・ギャラリーの分類は「絵画」だけである。
しかし、寸法の比率が同じ性格を示している。
縦六〇センチ、横一五四センチ。
壁に掛ける絵の形ではない。
家具の正面か、壁の腰板の形である。
天井のための下絵
九点のうち四点は、天井のための絵である。
正確には、天井画のために描かれた下絵である。

寸法の欄に「円形に描かれた面」とある。
四角い布の上に、円形の絵が描かれている。
画像を見ると、それがよく分かる。
布の四隅は、絵具が塗られていない。
淡い黄褐色の下地のままである。
その中に、円が描かれている。
円の中には、雲と人物がいる。
上に、白い雲。
下に、青い海と、そこに立つ人物。
三叉の矛のようなものを持っている。
そのまわりに、子どもの姿がいくつも浮かんでいる。
天井の絵は、丸い開口部に描かれることがある。
だから、下絵も丸くなる。
四角い布に丸を描いて、そのなかだけを塗る。
支持体の形と、絵の形が一致していない。

こちらは、縦長の四角い画面いっぱいに描かれている。
画面の中央が、明るく開いている。
そこに、青い空と白い雲。
そのまわりを、大勢の人物が取り囲んでいる。
上に、翼を持つ人物と、旗。
左右に、雲に乗った人々。
下に、暗い色の人物の群れ。
これは、下から見上げたときの見え方である。
天井画は、見上げて見る。
だから、人物は下から見た角度で描かれる。
足が手前、頭が奥になる。
その効果が、下絵の段階から作られている。

こちらの画面には、二重の枠が描かれている。
外側は、四角い布の縁。
その内側に、楕円に近い曲線の枠がある。
角が丸く、上下がくびれた形をしている。
その枠のなかに、絵がある。
雲と、そこに浮かぶ人物。
左に、白い衣の女性。
右に、翼を持つ人物。
まわりに、花と、子どもの姿。
枠の外側は、灰色に塗られている。
つまり、この下絵は枠の形まで含めて描かれている。
天井のどの部分に、どういう形で入るか。
それが、下絵の段階で決まっている。

同じ画家の、別の下絵である。
こちらも、曲線の枠のなかに絵がある。
枠の形は、前の一点とよく似ている。
同じ建物の、別の部屋のためだろうか。
館の記録は、そこまで書いていない。
画面には、雲と人物がいる。
中央に、白い衣の女性が座っている。
そのまわりに、子どもたちが集まっている。
一人は本を持ち、一人は楽器を持っている。
芸術を表す寓意である。
扉の上の、灰色の絵

横に細長い画面である。
縦三五・六センチ、横八三・五センチ。
そして、色がない。
灰色と褐色だけで描かれている。
画面には、行列がある。
左から右へ、子どもたちが進んでいる。
車を引く者、旗を持つ者、楽器を鳴らす者。
中央に、車に乗った人物。
すべてが、浮き彫りのように見える。
平らな面に、光と影だけで立体を作っている。
これは、石の彫刻を模した絵である。
灰色画と呼ばれる技法である。

同じ題の、別の一点である。
こちらのほうが大きい。
縦四八・九センチ、横一一七・二センチ。
構図は似ている。
左から右へ進む行列。
車と、それを引く子どもたち。
やはり、灰色と褐色だけである。
同じ画家が、同じ主題を二度描いている。
大きさの違う二つの扉のために作ったのかもしれない。
館の記録は、そこまで書いていない。
扉の上という場所
扉上の絵は、部屋の装飾の一部である。
扉の枠の上に、横長の空間ができる。
そこに、細長い絵を嵌める。
だから、必ず横長になる。
そして、目より高い位置にある。
見上げて見るので、細部は見えない。
灰色だけで描くのは、そのためでもある。
色を使わずに、形だけを見せる。
石の彫刻に見せかければ、建築の一部として収まる。
九点のうち、この二点がいちばん「絵らしくない」かもしれない。
絵でありながら、彫刻のふりをしている。
そして、建物の部品として作られている。
同じ主題を、二度描く
ソヴァージュの二点は、題がまったく同じである。
《バッコスの凱旋》。
年も近い。
一七八〇年代と、一七八〇年代のはじめ。
そして構図も似ている。
左から右へ進む行列と、車と、子どもたち。
違うのは、大きさである。
縦三五・六センチ、横八三・五センチ。
縦四八・九センチ、横一一七・二センチ。
面積にすれば、後者が二倍近い。
同じ主題で、大きさの違う二点。
装飾の仕事では、こういうことが起きる。
同じ館の別の部屋、別の扉。
寸法が違えば、絵も作り直す。
構図は使い回せるが、大きさは合わせなければならない。
つまり、これは注文に応じた設計である。
一点ずつが独立した作品というより、部屋の部品である。
そして、部品だから、寸法が先に決まっている。
前の回に見た三幅対や六曲一双でも、部屋が寸法を決めていた。
分野も時代も違うが、同じことが起きている。
置く場所が、絵の形を決める。
横長という形
九点のうち、五点が横長である。
婚礼櫃の板が二点。
凱旋の場面の一点。
扉上の灰色画が二点。
いずれも、縦に対して横が二倍から三倍ある。
これは、置かれる場所の形である。
櫃の正面。壁の腰板。扉の上。
いずれも、横に長い空間である。
そして、横長の画面には行列がよく合う。
左から右へ、人が進む。
九点のうち三点が、行列の場面である。
形式が主題を選んでいる。
前の回に見た三枚続の版画でも、同じことがあった。
横長の画面が、広い場面を要求する。
一人の寄贈者から、四点が来ている
九点の出所の行を見ると、同じ名が四度現れる。
「ジェイ・ピアポント・モルガン氏の寄贈」。
天井装飾の下絵二点と、扉上の灰色画二点である。
番号も近い。
〇七・二二五の二七二、二九八、三〇一、三一四のa。
同じ受入の一群である。
そして、四点とも建物の装飾に関わる絵である。
これは偶然ではないだろう。
十八世紀の室内装飾のための絵を、まとめて集めた人がいた。
そのまとまりが、館へ移った。
前の回にも、同じ構造を見た。
対の肖像がそろって残るには、途中で一度まとまった手を通る必要がある。
祭壇画の板も、蒐集家の手を経て館に入っていた。
装飾のための絵も同じである。
建物から外されたあと、誰かが集める。
集めた単位が、そのまま受入の単位になる。
だから、番号が近くなる。
番号の近さは、来た道の近さである。
四隅が塗られていない下絵
ティエポロの円形の下絵を、もう一度見たい。
四角い布に、円が描かれている。
四隅は、下地のままである。
なぜ塗らないのか。
塗る必要がないからである。
天井の丸い開口部に入るのは、円の内側だけである。
四隅は、見えない。
だから、時間も絵具も使わない。
これは、下絵という性格をよく示している。
下絵は、作品として仕上げるためのものではない。
本画の設計を確かめるためのものである。
必要な範囲だけを描き、それ以外は放っておく。
そして、いまその下絵が額に入って展示されている。
四隅の塗り残しも、一緒に見えている。
作品として見るなら、未完成である。
設計図として見るなら、完成している。
館の分類の欄は、後者の見方を示している。
「天井画のための下絵」。
この一句が、四隅の塗り残しを説明している。
外されたあと、どうなるか
家具や建物から外された絵は、額に入れられる。
そして、壁に掛けられる。
用途が変わり、見え方も変わる。
婚礼櫃の板は、もとは腰の高さにあった。
見下ろす位置である。
いまは、目の高さに掛かっている。
扉上の絵は、もとは見上げる位置にあった。
いまは、やはり目の高さである。
天井の下絵は、もとから見上げる想定で描かれている。
いまは、正面から見られている。
つまり、九点はいずれも、想定されていた角度とは違う角度で見られている。
そして、館の分類の欄が、そのことを教えてくれる。
「扉上の」「天井画のための」「婚礼櫃の」。
もとの場所が書いてあるから、もとの見え方が想像できる。
見上げる絵と、見下ろす絵
九点を、もとの高さで並べ直してみたい。
いちばん低いのが、婚礼櫃の板である。
床から数十センチの高さにあった。
見下ろすか、腰をかがめて見る。
次が、壁の腰板か、家具の正面にあった一点。
こちらも、目より低い。
そして扉の上。
目より高く、見上げる。
いちばん高いのが、天井である。
真上を見上げる。
同じ「絵」でも、体の向きがまるで違う。
見下ろす絵と、見上げる絵。
構図の作り方も、当然変わる。
見上げる絵では、人物が下から見た角度になる。
ティエポロの下絵が、まさにそうだった。
見下ろす絵では、床の格子が手前に広がる。
婚礼櫃の二点が、そうなっている。
いま九点は、すべて目の高さで並んでいる。
もとの高さは、記録の欄からしか分からない。
分類の欄が、四通りある
九点の分類の欄を並べてみたい。
婚礼櫃の板。二点。
天井画のための下絵。二点。
天井装飾のための下絵。二点。
扉上の灰色画。二点。
そして、分類が「絵画」だけのもの。一点。
天井のための下絵が、二通りの語で書かれている。
「天井画のための」と「天井装飾のための」。
わずかな違いだが、そろっていない。
前者はティエポロの二点、後者はデ・ウィットの二点である。
画家ごとに、書き方が分かれている。
記入した時期や担当者の違いだろう。
こういう揺れは、これまでの回でも何度も見てきた。
分類の欄が単数と複数で揺れる。
用語が錦絵と木版画で揺れる。
年の数字が一つ落ちている。
大きな目録では、避けられない。
そして、揺れているのは表記であって、示している事実は同じである。
読む側は、その幅を知っておけばよい。
一点という単位は、どこから来たか
婚礼櫃の板は、もとは箱の一部だった。
箱には、正面と、両側面と、蓋がある。
それぞれに絵があることもある。
外して売るとき、面ごとに切り離される。
つまり、一枚の板が一件になる。
同じ櫃の別の面が、別の場所にあるかもしれない。
記録には、そこまで書かれていない。
天井の下絵は、事情が違う。
これは、はじめから独立した一枚である。
天井の一部ではない。
天井のために描かれた、別の絵である。
だから、外されたわけではない。
もとから一点だった。
同じ「もとの場所の名が分類に入る」でも、二つの性格がある。
そこから外された絵と、そこのために描かれた絵。
分類の欄を読むときは、その違いに注意したい。
縁の余白が、枠の跡である
婚礼櫃の板二点には、描かれた面と全体の寸法が書き分けられている。
《チェスをする人々》では、差が縦一・六センチ、横一センチ。
《クロエリアの物語》では、差が縦六・七センチ、横五・七センチ。
後者の差が、ずいぶん大きい。
上下に三センチ以上、左右に三センチ弱の余白がある。
これは、櫃の枠に隠れていた部分だろう。
婚礼櫃の正面には、装飾の枠が付く。
彫りや、金箔を施した細い枠である。
その内側に、絵の板が嵌まる。
だから、板の縁は枠に隠れる。
隠れる部分には、絵具を塗らないことがある。
塗っても見えないからである。
いま板だけが外されているので、その塗り残しが見える。
つまり、余白の幅が、失われた枠の幅を示している。
前の回に見た祭壇画の板でも、同じ読み方をした。
描かれた面と板全体の差から、枠の当たり方を推定する。
家具の板でも、同じ手が使える。
数字の差は、無くなったものの寸法である。
灰色だけで描く、という選択
ソヴァージュの二点は、灰色と褐色だけで描かれている。
そして、浮き彫りのように見える。
なぜ、絵で彫刻を真似るのか。
理由は、費用と重さである。
本物の石の浮き彫りは、高く、重い。
扉の上に取り付けるには、支えも要る。
絵なら、軽く、安く、早い。
そして、離れて見れば区別がつきにくい。
十八世紀のヨーロッパの室内では、この方法が広く使われた。
壁の一部を絵で作り、建築の一部として見せる。
つまり、この二点は「絵に見えないこと」を目指した絵である。
いま額に入って壁に掛かっていると、その目的は失われている。
絵として見られているからである。
分類の欄の「扉上の灰色画」という語は、もとの目的を思い出させてくれる。
見上げる位置で、彫刻に見えるように作られたもの。
そのことを知って見ると、平らな灰色の面が違って見えてくる。
下絵が残り、本画が消える
天井の下絵について、もう一つ書いておきたい。
下絵が残っているということは、本画があったということである。
その天井は、いまどうなっているのか。
九点の記録には、書かれていない。
建物が残っていれば、天井も残っているだろう。
建て替えられていれば、失われている。
そして、下絵だけが動かせる。
天井は動かせない。
だから、市場に出て、館に入るのは下絵のほうである。
前の回に見た祭壇画の断片と、逆の関係である。
あちらは、本体の一部が動いた。
こちらは、本体は動かず、準備の絵が動いた。
いずれにせよ、館にあるのは全体ではない。
そのことを、分類の欄が示している。


