美術史・技法

摺った人と、出版した人——コロー《イタリアの思い出》ほか

作者の欄に、斜線で区切られた名が並ぶ。描いた人、彫った人、摺った人、売り出した人。寸法は像と版と紙の三段で書かれる。摺る人の名がなぜ記録に残るのかを読みたい。一枚しか摺れない版画も含まれる。版の跡が、紙にはっきり残る。

イタリアの思い出
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《イタリアの思い出》シカゴ美術館蔵

作者の欄に、摺った人と出版した人が並ぶ

版画を九点、記録の欄で並べてみる。

作者の欄に、複数の名が斜線で区切られて入る。

そして、名の前後に短い語が付く。

〜による。〜が摺った。〜が出版した。

つまり、役割が語で示されている。

描いた人。版に彫った人。紙に摺った人。売り出した人。

九点のうち一点では、この三つが揃って並ぶ。

前の回の記事で、描いた人と彫った人が並ぶ例を見た。

こちらは、そのあとの工程まで名が残っている。

一枚の紙に、四つの職能が関わることがある。

摺る人は、なぜ名が残るのか

版を彫れば、あとは摺るだけに見える。

しかし、摺りは技術である。

版に詰めるインクの量。

拭き取りの加減。

紙の湿し具合。

圧の掛け方。

同じ版でも、摺る人が違えば別のものになる。

だから、名の通った摺り師がいた。

画家は、その人に頼んで摺らせる。

館は、その名を作者の欄に残している。

前の回の記事で、同じ版から出た二枚の版画を見た。

摺るたびに違うという話を、そこでも書いた。

イタリアの思い出
コロー、ドラートル摺り、カダール社出版《イタリアの思い出》1866年ごろ。館の記録では、褐色の簀の目紙にエッチング。像は縦29.3センチ、横22センチ。版は縦32センチ、横24.3センチ。紙は縦42センチ、横29センチ。番号は1887.272。シカゴ美術館蔵。ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《イタリアの思い出》シカゴ美術館蔵

淡い褐色の台紙に、紙が貼られる。

紙の中央に、縦長の像がある。

像の周囲に、版の跡が凹んで残る。

画面の中央から右へ、木が数本立つ。

幹は細く、上へ長く伸びる。

葉は細かい線の集まりで表される。

葉の塊が、暗く固まって見える。

左は明るく、遠くの丘がかすむ。

手前の地面に、小さな人影が二つある。

いずれも数本の線だけで描かれる。

像の下に、細い文字が横に並ぶ。

台紙の右下に、細長い札が貼られる。

寸法が、三段で書かれる

九点の寸法の欄を見ると、多くが三段になっている。

像の大きさ。

版の大きさ。

紙の大きさ。

三つとも違う数字である。

像とは、実際に線が刻まれた範囲だ。

版とは、金属板の外形である。

紙を版に載せて圧を掛けると、版の縁が紙に凹みを作る。

その凹みまでが、版の大きさになる。

そして紙は、版より大きく裁たれる。

前の回の記事で、写真の像と紙と台紙について書いた。

版画でも、同じ三段の構造がある。

版の跡が、残る

版の大きさが書けるのは、紙に跡が残るからだ。

凹みの線を測れば、版の寸法が分かる。

つまり、失われた金属板の大きさが、紙から復元できる。

版そのものは、たいてい残っていない。

摩耗すれば削り直され、最後は溶かされる。

しかし、摺られた紙には跡が残る。

館の記録は、その跡を数字にしている。

九点のうち二点は、版の跡の内側で紙が裁たれている。

寸法の欄に、版の跡の内側で裁断、と書かれる。

つまり、もとの紙より小さくなっている。

いつ裁たれたかは、書かれていない。

ヤン・リーフェンスの肖像
フォルステルマン、ヴァン・ダイクの原画による《ヤン・リーフェンスの肖像》1630年から1645年。館の記録では、生成りの簀の目紙にエッチング。紙は縦24.6センチ、横16.8センチ。番号は1887.713。シカゴ美術館蔵。ルーカス・エミール・フォルステルマン《ヤン・リーフェンスの肖像》シカゴ美術館蔵

縦長の画面に、男性が腰から上で描かれる。

顔は右を向き、視線が上へ流れる。

髪は長く、肩まで垂れる。

口ひげを細くたくわえる。

首もとに、白い襟が折り返る。

肩から、明るい色の外套を掛ける。

外套の前に、大きな飾り紐が二本下がる。

紐の先に、丸い房が付く。

右手を胸に当てる。

その下に、机と本が見える。

像の下に、文字が四行ほど刻まれる。

原画の作者と、被写体の関係

いま見た一点には、三人の人物が関わる。

彫った人、原画を描いた人、そして描かれた人。

そして、面白いことが起きている。

この一点で描かれている人物は、別の一点の原画を描いている。

つまり、同じ彫版師が二枚彫り、一方の被写体が他方の原作者である。

九点の中に、その二枚が両方ある。

館の記録は、その関係を書かない。

作者の欄の名を、二点で見比べれば気づく。

前の回の記事で、複数の欄を突き合わせる読み方を書いた。

ここでは、複数の作品を突き合わせている。

一点ずつでは、決して見えない。

ヘロニモ・デ・ブランの肖像
フォルステルマン、リーフェンスの原画による《ヘロニモ・デ・ブランの肖像》1615年から1675年ごろ。館の記録では、象牙色の簀の目紙にエングレーヴィング。紙は縦31.5センチ、横22.3センチ。番号は1887.266。シカゴ美術館蔵。ルーカス・エミール・フォルステルマン《ヘロニモ・デ・ブランの肖像》シカゴ美術館蔵

縦長の画面に、男性が腰から上で描かれる。

顔は正面をやや外れ、こちらを見る。

髪は長く、両側で巻いて肩に垂れる。

口ひげと、細い顎ひげがある。

肩に、幅の広い白いレースの襟が広がる。

襟の縁は、細かい弧が連なる。

上着は明るく、縦に釦が並ぶ。

袖口にも、レースが重なる。

右手に、細い杖を握る。

像の下に、文字が四行ほど刻まれる。

その最終行の右端に、彫った人の署名がある。

銘記の欄に、彫った人の署名が写される

いま見た一点の銘記の欄には、一行が写されている。

像の下、右寄りに書かれた語である。

その語は、彫った人の名と、彫ったという意味の語だ。

つまり、版画には彫った人の署名が入る。

描いた人の署名も、別の位置に入ることが多い。

一枚の紙の上で、二人が名乗る。

前の回の記事で、銘記の欄が位置とともに文字を写す例を見た。

版画では、位置が役割と対応している。

左に描いた人、右に彫った人。

そういう慣例があった。

館の記録は、慣例までは書かない。

書かれるのは、写された一行だけである。

年の欄に、二つの年が入る

九点のうち二点は、年の欄が二段になっている。

制作された年と、出版された年である。

一方は、1763年に作られ、1800年から1807年に出版。

他方は、1776年に作られ、同じ時期に出版。

三十年以上の差がある。

しかも、作者は1778年に世を去っている。

つまり、出版は死後である。

前の回の記事で、刀身と拵の年について同じことを書いた。

一つの品に、複数の時間が畳まれている。

版画では、版を彫った時と摺った時が離れうる。

版は残るからだ。

アニエネ川のポンテ・ルガーノ
ピラネージ、その子二人の出版《アニエネ川のポンテ・ルガーノ》1763年制作、1800年から1807年出版。館の記録では、厚い象牙色の簀の目紙にエッチング。像は縦45.2センチ、横66.1センチ。版は縦46.1センチ、横66.9センチ。紙は縦49.8センチ、横72.9センチ。番号は1887.252。シカゴ美術館蔵。ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《アニエネ川のポンテ・ルガーノ》シカゴ美術館蔵

横長の大きな画面である。

中央に、石造りの橋が架かる。

橋脚のあいだに、四つほどの拱がある。

拱の下を、水が流れる。

橋の右端に、円い塔が立つ。

塔は太く、上部が崩れている。

石の一つずつが、細い線で刻まれる。

左には、平らな野が広がる。

手前の水辺に、小さな人影が数人いる。

上部は空で、雲が横に流れる。

下辺の中央に、細い枠と文字がある。

出版した人が、作者の子である

いま見た一点の出版者の欄には、二人の名がある。

いずれも、作者と同じ姓である。

生没年を見ると、作者の子の世代にあたる。

つまり、父が彫った版を、息子たちが後から出版した。

版は、財産として受け継がれる。

摺れば紙が増え、売れば金になる。

だから、版は捨てられない。

三十年後、四十年後にも摺られる。

館の記録は、その事情を書かない。

書かれるのは、二つの年と、二人の名だけである。

前の回の記事で、代を継ぐ家について何度も書いてきた。

ここでは、版が受け継がれている。

パンフィーリ荘
ピラネージ、その子二人の出版《パンフィーリ荘》1776年制作、1800年から1807年出版。館の記録では、厚い象牙色の簀の目紙にエッチング。像は縦49センチ、横70.3センチ。版は縦49.5センチ、横71センチ。紙は縦51.6センチ、横71.8センチ。番号は1887.255。シカゴ美術館蔵。ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《パンフィーリ荘》シカゴ美術館蔵

横長の大きな画面である。

奥に、長い建物が横たわる。

正面に、拱の並ぶ回廊がある。

その手前に、幾何学的に区切られた庭が広がる。

刈り込まれた木が、等間隔に並ぶ。

庭の左右に、低い塀が走る。

手前の右に、大きな木が一本立つ。

枝が上へ大きく広がる。

その下に、小さな人影が数人いる。

左手前に、崩れた石の橋がある。

下辺の中央に、枠と文字がある。

版の摩耗が、摺りの時期を示す

同じ版から、何十年にもわたって摺る。

すると、線が浅くなる。

摩耗した版から摺った紙は、線が弱い。

館の記録は、そこには触れない。

年の欄に、出版の時期を書くだけである。

しかし、二つの年が離れていること自体が、後刷りであることを示す。

前の回の記事で、記録が書かないことを何度も見てきた。

書かないが、書かれた数字から推測はできる。

推測にとどめておくのが、正しい読み方だ。

摺った人の名が、単独で入る一点

九点のうち一点は、作者の欄が二人である。

描いた人と、摺った人。

出版した人の名はない。

そして、技法の欄が長い。

二つの石から、淡い青と黒の二色で摺った転写リトグラフ、とある。

石が二つ。色が二つ。

つまり、二回摺っている。

前の回の記事で、色ごとに版を分ける木版について書いた。

石版でも、同じ原理が使われる。

色の数だけ、版と摺りの工程が増える。

そして、その工程を担ったのが摺り師である。

病める子ども
エドヴァルド・ムンク、オーギュスト・クロ摺り《病める子ども》1896年。館の記録では、二つの石から淡い青と黒の二色で摺った転写リトグラフ。像は縦42センチ、横57.2センチ。紙は縦48.3センチ、横63.5センチ。番号は2003.1。シカゴ美術館蔵。エドヴァルド・ムンク《病める子ども》シカゴ美術館蔵

横長の画面である。

左から中央にかけて、顔が二つ重なる。

奥の顔は伏せられ、髪が広がる。

手前の顔は横向きで、目を閉じる。

輪郭は、太い線を何度も重ねて作られる。

線は乱れ、途切れる。

顔の周囲は、細かい線で埋め尽くされる。

右半分に、暗い塊がある。

縦の線が密に走り、面が沈む。

左上に、細い横線が数本走る。

紙の下端に、鉛筆らしい細い文字がある。

一枚しか摺れない版画

九点のうち一点は、技法の欄が変わっている。

モノタイプ、とある。

版に直接インクを塗り、紙を当てて写す方法だ。

版に線を刻まないから、二枚目はほとんど摺れない。

つまり、一枚しか存在しない。

版画でありながら、複製できない。

前の回の記事で、金属板に直接像を作る写真について書いた。

あちらも、一枚しかない写真だった。

同じ分類の中に、原理の違うものが混じる。

技法の欄の一語が、その違いを示している。

アダムの創造
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ《アダムの創造》1645年から1650年ごろ。館の記録では、象牙色の簀の目紙に黒インクのモノタイプ。縦30.3センチ、横20.3センチ。番号は1985.1113。シカゴ美術館蔵。ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ《アダムの創造》シカゴ美術館蔵

縦長の画面が、全体に暗い。

黒い地から、明るい形が浮かび上がる。

左下に、人が横たわる。

上体を起こし、右腕を上げる。

体の輪郭は、地を拭き取って作られる。

右上に、大きな塊がある。

雲か、衣か、判別しにくい。

その中から、光の筋が放射状に走る。

筋は白く、鋭い。

背景の下部に、水平の線が幾本か引かれる。

拭き取りの痕が、そのまま画面になっている。

紙の種類が、細かく書かれる

九点の技法の欄には、紙の種類まで書かれている。

象牙色の簀の目紙。生成りの簀の目紙。

褐色の簀の目紙。厚い象牙色の簀の目紙。

生成りの網目紙。象牙色の網目紙。

そして一点だけ、紙とだけ書かれている。

簀の目紙とは、簀の跡が残る手漉きの紙である。

網目紙は、細かい網の目が残る紙だ。

作り方が違えば、目が違う。

そして、色にも差がある。

館は、その差を細かく書き分けている。

なぜか。

紙が違えば、同じ版から摺っても見え方が変わるからだ。

前の回の記事で、写真の紙の色について書いた。

版画でも、支持体が仕上がりを左右する。

紙とだけ書かれた一点

九点のうち一点の技法の欄は、短い。

エングレーヴィングとエッチング、そして紙。

紙の種類も、色も書かれていない。

ほかの八点には、種類と色がある。

同じ館の同じ部門で、粒度が揃っていない。

古い記録なのだろう。

紙の同定は、後からでもできる。

しかし、数万点を調べ直すことはできない。

だから、書かれた時期の差がそのまま残る。

前の回の記事で、欄の詳しさが調査の有無を映す話を何度も書いた。

作品の性質の差ではない。

記録した人と、その時期の差である。

摺り方が、作品の性格を決める

九点の技法の欄を並べてみる。

エッチングが四点、エングレーヴィングが二点。

その両方を併用したものが一点。

リトグラフが一点、モノタイプが一点。

エングレーヴィングは、金属を直接彫る。

エッチングは、酸で腐食させる。

前者は硬く均質な線になり、後者は自由な線になる。

九点の線の見え方は、その差をよく示している。

館は、その差を説明しない。

技法の名を書けば足りると考えている。

名を知る人には伝わる。

知らない人には、伝わらない。

リゴーの肖像
エデリンク、リゴーの原画による《リゴーの肖像》1698年。館の記録では、紙にエングレーヴィングとエッチング。像は縦47.9センチ、横36.1センチ。版は縦48.1センチ、横36.7センチ。紙は縦51センチ、横40.2センチ。番号は1888.58。シカゴ美術館蔵。ジェラール・エデリンク《リゴーの肖像》シカゴ美術館蔵

縦長の画面に、男性が腰から上で描かれる。

体を左へ向け、顔はこちらを見る。

髪は大きく巻き、肩まで広がる。

上着は暗く、光沢がある。

その上に、幅の広い布を掛ける。

布の襞が、深い影を作る。

右腕を、石の台に載せる。

台の側面に、浮彫らしい形が見える。

背後に、太い柱と暗い壁がある。

像の下に、文字が四行ほど刻まれる。

その左右の端に、小さな署名がある。

原画を描いた人が、描かれた人でもある

いま見た一点では、原画の作者と被写体が同じ人である。

つまり、自画像を別の人が彫版した。

作者の欄には、彫った人の名が先に来る。

そのあとに、原画を描いた人の名が続く。

そして題は、その原画を描いた人の名である。

一つの記録の中に、同じ名が二度出てくる。

同じ姓が二つの欄にあるのは、偶然ではない。

館の記録は、その関係を説明しない。

作者の欄と題を見比べれば、分かる。

前の回の記事で、同じ読み方を何度もしてきた。

記録は、突き合わせを読む側に任せている。

ヴァン・デン・ボガールトの肖像
エデリンク、リゴーの原画による《ヴァン・デン・ボガールトの肖像》年不詳。館の記録では、生成りの網目紙にエングレーヴィングとエッチング。版は縦57.4センチ、横36.3センチ。紙は縦49センチ、横37.4センチ。番号は1888.59。シカゴ美術館蔵。ジェラール・エデリンク《ヴァン・デン・ボガールトの肖像》シカゴ美術館蔵

縦長の画面に、男性が腰から上で描かれる。

体を右へ向け、顔はこちらを見る。

髪は大きく巻き、白い。

上着は暗く、前が開く。

その下に、白い襟と胸元の布が見える。

左手を前に出し、指を開く。

右腕の下に、石の頭部がある。

彫刻の首だけが、台に載る形だ。

背後に、厚い布が垂れる。

像の下に、文字が三行ほど刻まれる。

紙が版の跡より小さく、左右が切られている。

紙が、版より小さい一点

いま見た一点の寸法の欄は、奇妙である。

版が縦57.4センチ、紙が縦49センチ。

紙のほうが、版より八センチ小さい。

ふつうは、紙のほうが大きい。

小さいということは、後から裁たれたのだろう。

額に合わせて切ったのかもしれない。

あるいは、傷んだ縁を落としたのかもしれない。

館は、理由を書かない。

しかし、二つの数字の関係が異常であることは分かる。

九点を並べれば、この一点だけが逆転している。

前の回の記事で、数字の関係から傷を見つける話を何度も書いた。

出所の行が、二つに集中する

九点の出所の行を並べてみる。

六点が、ある人の名を冠した収集である。

二点が、別の人の寄贈。

残る一点は、基金による購入だ。

そして、六点の番号はいずれも1887年か1888年で始まる。

つまり、館ができて間もない時期に、まとめて入った。

版画は、絵画より安く、数を集めやすい。

だから、開館初期の収集の中心になる。

前の回の記事で、受入の年と分野の関係を何度か見た。

版画が早く、絵画が中ごろ、工芸が近年。

館ごとに順序は違うが、傾向は似ている。

一枚に、何人が関わったか

九点の作者の欄には、延べ十六の名がある。

そのうち一点は、名が一つだけ。

モノタイプの一点である。

版に直接描き、自分で摺った。

だから、名が一つで足りる。

残る八点は、二人か三人が並ぶ。

そして、記録に出ない人がまだいる。

紙を漉いた人。インクを練った人。

版の金属を作った人。

前の回の記事で、名が残る条件を何度も見てきた。

版画では、紙に名を刻める人が残る。

刻む場所が版の中にあるからだ。

刻まれた名が、そのまま記録の欄になる。

最後に、九点の年の欄をまとめておく。

いちばん古いのが1533年、いちばん新しいのが1896年。

三百六十年の幅がある。

そのあいだ、版画は同じ原理で作られ続けた。

版を作り、インクを載せ、紙に写す。

変わったのは、版の材料と、腐食や描画の方法である。

銅、石、そして版を持たないモノタイプ。

技法の欄の語だけが、その変化を伝えている。

作者の欄の形は、三百六十年ほとんど変わっていない。

描いた人、彫った人、摺った人、出版した人。

分業の形が、それだけ長く続いたということだ。

九点の像の大きさも、比べておく。

いちばん小さいのが縦12.9センチ相当、いちばん大きいのが縦49センチ。

版が大きければ、圧を掛けるのも難しい。

大きな版画は、それだけで技術の証しになる。

館の記録は、そこには触れない。

数字を並べるだけである。

数字から何を読むかは、読む側に委ねられている。

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