名画の楽しみ方

「おそらく」は、どこに掛かるか——ヤコポ・バッサーノほかの年の欄

おそらく1637年。おそらく1500年ごろ。同じ語でも、後ろに来るものが違えば意味が変わる。十年をひとまとまりで書く形や、その年以降と開いておく形もある。九点の年の欄から、留保の段階を読みたい。技法の欄にも、同じ疑問符が置かれている。

ロドヴィーコ・ヴィドマン
ティベリオ・ティネッリ《ロドヴィーコ・ヴィドマン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

「おそらく」は、どこに掛かるか

年の欄に「おそらく」と書かれることがある。

九点のうち五点が、この語を持つ。

ただし、掛かり方が一様ではない。

おそらく1637年。

おそらく1618年。

おそらく1500年ごろ。

おそらく1445年ごろ。

おそらく1555年から1560年。

最初の二つは、一つの年に留保が掛かる。

次の二つは、「ごろ」の付いた年に留保が重なる。

最後の一つは、五年の幅に留保が掛かる。

同じ語でも、後ろに来るものが違えば意味が変わる。

留保が二重、三重になることもある。

留保の重ね方を、数えてみる

年の欄の留保には、いくつかの道具がある。

「おそらく」は、判断の確からしさを下げる。

「ごろ」は、年の前後に幅を持たせる。

斜線は、二つの年のあいだを示す。

これらは重ねて使える。

九点でいちばん重い留保は、おそらく1555年から1560年である。

幅があり、そのうえで留保が掛かる。

いちばん軽いのは、おそらく1637年。

年は一つに絞られ、留保だけが付く。

留保の重さは、そのまま材料の少なさを示している。

ロドヴィーコ・ヴィドマン
ティベリオ・ティネッリ《ロドヴィーコ・ヴィドマン》おそらく1637年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦206.1センチ、横137.5センチとされる。番号は1946.6.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ティベリオ・ティネッリ《ロドヴィーコ・ヴィドマン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点でいちばん大きい画面である。縦は二メートルを超える。

石造の壁を背に、男が全身で立つ。

黒い上着に、白い襟飾りを付ける。

襟飾りは大きく、肩まで広がる。

袖口にも、同じ白い布が重なる。

胸には赤い飾りが留まる。

左手は石の台に置かれ、右手は下へ垂れる。

足は膝までの黒い脚衣に、白い靴下。

足もとの右に、白い犬が伏せる。

犬は顔を上げ、こちらを見る。

背後の壁には、崩れた石が積まれる。

右奥には、緑の景色と空が見える。

作者の名は、下の浮彫の上に小さく記される。

年は絵の中に書かれていない。

だから記録は「おそらく」を付ける。

十年をひとまとまりで書く

九点のうち二点は、「おそらく」を使わない。

かわりに、十年をひとまとまりとして書く。

1490年代の半ば。

1460年代の終わり。

この書き方は、幅を持ちながら、位置も示す。

半ばと言えば、1494年から1496年あたりだろう。

終わりと言えば、1467年から1469年あたりだろう。

数字で書くより、かえって狭い範囲を示すこともある。

そして、留保の語を使わずに済む。

十年をひとまとまりと見る書き方が、留保の代わりになる。

ラザロの蘇生
ベノッツォ・ゴッツォリ《ラザロの蘇生》1490年代の半ば。カンヴァスに、おそらく油彩。館の記録では、縦65.5センチ、横80.2センチとされる。番号は1942.9.24。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベノッツォ・ゴッツォリ《ラザロの蘇生》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、人物が二十人ほど並ぶ。

左に、石造の入口がある。

そこから、白い布に包まれた人物が出る。

包まれた人物は、まだ立ち上がったばかりに見える。

その前に、青い衣の男が立つ。

手を上げ、こちらへ向ける。

周囲の人々は、驚いた姿勢をとる。

手を口に当てる者、後ろへ身を引く者。

背後には岩山と、遠い街が描かれる。

中央には、細い樹が一本立つ。

その左に、棕櫚のような植物がある。

空は淡く、雲がほとんどない。

技法の欄には、疑問符が付く。

油彩であることが、確定していないという意味だ。

出所の行と、年の欄の関係

九点の出所の行を見ると、五点がクレス・コレクションである。

二点がウィドナー・コレクション、残る二点が個人の寄贈だ。

年の欄に留保の多い作品が、特定の収集に偏っている。

これは偶然ではないかもしれない。

十五世紀から十六世紀のイタリア絵画は、年の確定が難しい。

契約書や支払いの記録が残っている例は少ない。

署名や年記のある作品も限られる。

だから様式による判断に頼ることになる。

様式は幅を持つので、年も幅を持つ。

その時代の作品を多く集めた収集ほど、留保の多い欄が並ぶ。

出所の行と年の欄は、直接には関係しない。

しかし、集めた時代が同じなら、記録の性格も似る。

群として読むと、そういう傾向が浮かぶ。

技法の欄にも、留保がある

年の欄だけでなく、技法の欄にも留保が入る。

九点のうち二点が、そうなっている。

カンヴァスに、おそらく油彩。

板に油彩とテンペラ、ただしテンペラには疑問符。

材料の判定は、目で見ただけでは難しい。

分析をすれば分かるが、すべての作品にはできない。

だから、確定できないものには疑問符を付ける。

年の欄と同じ考え方である。

分からないことを、分からないと書く。

書かなければ、確定した情報として読まれてしまう。

一文字の疑問符が、その誤読を防いでいる。

降誕
フラ・フィリッポ・リッピと工房《降誕》おそらく1445年ごろ。板に油彩とテンペラ。テンペラには疑問符が付く。館の記録では、縦23.2センチ、横55.3センチとされる。番号は1939.1.279。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フラ・フィリッポ・リッピと工房《降誕》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横に長い、細い板である。

縦23.2センチ、横55.3センチ。

比は一対二を超える。

左に、赤い衣の聖母が跪く。

手を合わせ、下を見る。

中央には、木で組まれた構造物が立つ。

その下に、白い布に包まれた幼な子がいる。

右には、青い衣の人物が跪く。

背後には岩と樹が並ぶ。

さらに右に、石造の壁が見える。

画面の上下には、桃色の帯が入る。

もとは大きな祭壇画の下部だったと考えられている。

細長い形が、その用途を示している。

寓意
ピエロ・ディ・コジモ《寓意》おそらく1500年ごろ。板に油彩。館の記録では、縦56.2センチ、横44.1センチとされる。番号は1939.1.160。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ピエロ・ディ・コジモ《寓意》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

中央に、白い馬が立ち上がる。

前脚を高く上げ、後ろ脚で立つ。

たてがみは風に流れる。

その右に、翼のある人物が立つ。

上半身は裸で、赤い布を巻く。

手には細い紐を持ち、馬の口へつなぐ。

足もとには、枯れた枝が広がる。

右下には、もう一人が横たわる。

体は小さく、白い。

背後には草地が広がり、細い樹が二本立つ。

地面には水が流れ、魚のような形が見える。

空は淡い青で、雲が薄い。

題は《寓意》とだけ書かれる。

何の寓意かは、記録に書かれていない。

「その年以降」という書き方

九点のうち一点は、まったく別の形をとる。

1742年、またはそれ以降。

上限がない書き方である。

これは、画面の中に手がかりがある場合に使われる。

たとえば、その年に起きた出来事が描かれている。

あるいは、その年に建てられた建物が写っている。

だとすれば、それより前ではありえない。

しかし、どれだけ後かは分からない。

だから「以降」と開いておく。

年の欄には、下限だけを書く形もある。

ヴェネツィア、総督宮殿の中庭の行列
アントニオ・ヨリ《ヴェネツィア、総督宮殿の中庭の行列》1742年、またはそれ以降。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦160.7センチ、横221.6センチとされる。番号は1945.15.1。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アントニオ・ヨリ《ヴェネツィア、総督宮殿の中庭の行列》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の大きな画面である。

左右に、石造の建物が向かい合う。

いずれも二層のアーチが並ぶ。

柱の一本ずつ、アーチの一つずつが描かれる。

中央奥には、丸屋根のある建物が見える。

手前の広場には、人が大勢集まる。

中央を、行列が奥へ進む。

赤や白の衣の人物が、列を作る。

その両脇に、見物の人々が立つ。

一人ずつの姿勢が描き分けられる。

上には青い空が広がり、雲が薄い。

建築の線は、定規で引いたように正確である。

行列が何の行事かは、題に書かれていない。

羊飼いへの告知
ヤコポ・バッサーノ《羊飼いへの告知》おそらく1555年から1560年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦106.1センチ、横82.6センチとされる。番号は1939.1.126。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ヤコポ・バッサーノ《羊飼いへの告知》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い画面の上部に、光が差す。

雲の切れ間から、翼のある人物が現れる。

その光を受けて、下の人物が身をひねる。

手前には、羊飼いが三人いる。

一人は横たわり、体を起こそうとする。

一人は立ち上がり、上を見る。

一人は左でうずくまる。

その周りに、牛と羊がいる。

牛は褐色で、大きく描かれる。

羊は白く、地面に伏せる。

背景は岩と樹で、暗い。

上部の光だけが強く、下は沈む。

夜の場面である。

大きさの幅と、留保

九点の寸法を並べると、幅が大きい。

いちばん小さいのは、縦23.2センチの細長い板絵である。

いちばん大きいのは、縦206.1センチの全身像だ。

縦で九倍近くひらく。

小さいほうは祭壇画の一部、大きいほうは単独の肖像である。

用途がまったく違う。

そして、どちらにも年の留保が付く。

大きい作品なら記録が残っているかというと、そうでもない。

大きな肖像でも、年が確定していない例がある。

留保の有無は、作品の重要さとも大きさとも関係がない。

関係するのは、材料が残っているかどうかだけだ。

契約書が残れば小さな絵でも年は決まる。

残らなければ、大きな絵でも決まらない。

「おそらく」が付かない絵

九点のうち二点には、「おそらく」も「ごろ」も付かない。

1490年代の半ば、と1460年代の終わり。

十年単位の書き方である。

この二点は、それ以上絞れないが、それ以上ぼかす必要もない。

留保の語を足せば、かえって曖昧になる。

「おそらく1490年代の半ば」と書けば、二重に緩む。

だから語を足さない。

必要以上に留保を重ねないのも、書き方の判断である。

留保は、多ければよいというものではない。

聖母子
フランチェスコ・ベナリオ《聖母子》1460年代の終わり。板からカンヴァスへ移されたテンペラ。館の記録では、縦80.7センチ、横56.2センチとされる。番号は1942.9.44。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フランチェスコ・ベナリオ《聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

聖母が半身で描かれ、膝に子を寝かせる。

聖母の衣は暗い緑と褐色で、金の文様が入る。

胸もとには、装飾の帯が横に渡る。

頭には円い飾りが載る。

顔はやや下を向き、目は伏せられる。

膝の上の子は裸で、緑の布の上に横たわる。

体は正面を向き、腕を広げる。

右下に、果物を盛った鉢が置かれる。

背後の左右には、細い樹と丘が見える。

空は上部が青く、雲が横に伸びる。

技法の欄には、支持体を移した記録がある。

もとは板に描かれ、後にカンヴァスへ移された。

フランドルの婦人の肖像
アンソニー・ヴァン・ダイク卿《フランドルの婦人の肖像》おそらく1618年。カンヴァスに油彩。館の記録では、縦123センチ、横90センチとされる。番号は1940.1.14。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アンソニー・ヴァン・ダイク《フランドルの婦人の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が椅子に座り、こちらを見る。

首には、大きな白い襞襟が回る。

襞は幾重にも重なり、円盤のように広がる。

衣は黒く、胸もとに金の刺繍が見える。

腕には金色の織物が掛かる。

手は膝の上で組まれ、指が細い。

右手首には、細い飾りが巻かれる。

椅子の背が、右に少し見える。

背景は暗い褐色で、何も描かれない。

白い襞襟だけが、強く明るい。

顔は小さく、襞襟の中に収まる。

年の欄には「おそらく」が付く。

画家がまだ若い時期の作品とされる。

主題が決まらない一点

九点のうち一点は、題そのものが《寓意》とだけ書かれている。

何を寓意しているかは、記録に書かれていない。

白い馬、翼のある人物、横たわる小さな体。

これらが何を意味するかは、諸説あるということだろう。

館は、その説を選ばない。

選べば、記録が特定の解釈に固定される。

かわりに、見えるものを題にする。

寓意である、という以上のことは言わない。

年の欄の留保と、題の慎重さは同じ姿勢から来ている。

分かっていないことを、分かったように書かない。

題の欄でさえ、そういう判断が働いている。

読む側は、題が短いときには理由を疑うとよい。

短いのは、情報が少ないからかもしれない。

数字と語の、組み合わせ

九点の年の欄を、形で分類してみる。

おそらく+一つの年が二点。

おそらく+ごろ+一つの年が二点。

おそらく+幅が一点。

十年単位が二点。

その年以降が一点。

そして残る一点は、ごろだけである。

六つの形が、九点の中に現れている。

館の記録には、他にも形がある。

斜線の用法や、二つの時点を並べる形。

年の欄は、短いようでいて自由度が高い。

数字と語を組み合わせて、確からしさを表す。

その組み合わせに、決まった一覧表があるわけではない。

書く人が、その都度いちばん正確な形を選ぶ。

洗礼者聖ヨハネ
リッポ・メンミ《洗礼者聖ヨハネ》おそらく1325年ごろ。板にテンペラ。館の記録では、刻線から刻線までの画面が縦88.7センチ、横42.2センチとされる。番号は1939.1.291。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。リッポ・メンミ《洗礼者聖ヨハネ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

金地の前に、聖人が立つ。

上端が尖った板である。

聖人は毛皮の衣をまとい、その上に赤い外套を掛ける。

髪と髭は長く、乱れる。

左手に巻物を持ち、下へ垂らす。

巻物には文字が書かれ、読めるように広げられる。

右手は、その巻物を指す。

足は裸で、地に着く。

後光は金地の上に、線で円を描く。

寸法の欄には、三つの数字が並ぶ。

刻線から刻線までが、縦88.7センチ。

もとの板の画面が、縦92.5センチ。

全体が、縦94.3センチ。

刻線とは、金を貼る前に引かれた区切りの線である。

その線を基準に測った数字が、最初に来る。

大きな画面と、小さな人物

九点の中に、人物が二十人ほど描かれた画面がある。

横80.2センチの中に、それだけの人が入る。

一人あたりの高さは、十センチ足らずである。

それでも姿勢と衣の色は描き分けられる。

手を上げる者、身を引く者、うずくまる者。

同じ画面に、驚きの表情がいくつも並ぶ。

一方で、全身像の肖像では一人しか描かれない。

縦206.1センチの画面を、一人が占める。

同じ「絵画」という括りの中に、この差がある。

年の欄は、その差を区別しない。

どちらも同じ形式で、同じ語で書かれる。

記録の欄は、絵の中身に踏み込まない。

踏み込まないからこそ、あらゆる絵に使える。

汎用性と、そっけなさは表裏である。

測る基準まで、書き分ける

いま見た寸法の欄は、この記事の主題と地続きである。

年の欄で「どこからどこまで」を示すのと同じように、寸法の欄も基準を示す。

刻線から刻線まで。もとの板の画面。全体。

三つの基準で測れば、三つの数字が出る。

どれが正しいということはない。

用途によって、使う数字が変わる。

年の欄も同じである。

いつを制作年と呼ぶかで、書く数字が変わる。

始めた年か、終えた年か、手直しの年か。

だから記録は、基準を添えて書く。

数字だけでは足りない。

数字が何を測ったものかを、言葉で示す。

疑問符の位置

技法の欄の疑問符について、もう少し見ておきたい。

「カンヴァスに、おそらく油彩」は、材料全体に留保が掛かる。

「板に油彩とテンペラ、テンペラに疑問符」は、一方だけに掛かる。

疑問符を置く位置で、留保の範囲が変わる。

油彩は確かだが、テンペラが併用されたかは分からない。

そういう細かい状態を、記号の位置で示している。

これは、年の欄で「おそらく」がどこに掛かるかを見たのと同じである。

記録は、留保の掛かる範囲を正確に示そうとする。

そのために、語や記号の位置を選ぶ。

読む側も、位置に注意して読む必要がある。

全体に掛かるのか、一部に掛かるのか。

そこを取り違えると、意味が変わってしまう。

年が決まらない絵を、どう並べるか

美術館は、収蔵品を時代順に並べたいと考える。

展示室も、年代で区切られることが多い。

ところが、年が幅を持つ絵は、どこに置くか迷う。

1555年から1560年の絵は、どちらの部屋に入れるか。

実務としては、幅の中央や、代表値を決めて処理する。

その代表値は、記録には書かれない。

書かれるのは、幅のままの数字である。

つまり、展示のための判断と、記録は別に動く。

記録は正確さを、展示は分かりやすさを取る。

二つを混ぜないことで、どちらも成り立っている。

公開されているデータの年の欄が幅を持つのは、そのためだ。

並べるための数字は、別に用意されている。

読む側は、そのことを知っておくとよい。

一覧の並び順と、記録の年は、必ずしも一致しない。

留保を読む、ということ

九点の年の欄を並べて見えるのは、慎重さである。

分かることは書き、分からないことはぼかす。

ぼかし方にも段階を設け、語を選ぶ。

このやり方は、読む側に負担をかける。

「おそらく1555年から1560年」と書かれても、いつなのか分からない。

一つの数字で書いてくれれば楽である。

しかし楽な書き方は、嘘に近づく。

分からないことを、分かったように書くことになる。

館の記録は、その道を取らない。

読む側は、留保の語を読み、幅を受け入れる。

そして、絵を見るときには年から少し離れる。

いつ描かれたかが決まらなくても、絵は目の前にある。

年の欄は、絵を理解する助けの一つにすぎない。

助けが不確かなら、不確かなまま使えばよい。

九点の欄は、そのことを静かに示している。

留保の語は、書き手の弱気の表れではない。

書ける範囲を、正確に区切った印である。

その区切りを尊重して読むのが、記録との付き合い方になる。

そして、いつか材料が増えれば、区切りは動く。

動いたときに、前の区切りが残っていることが大事になる。

だから留保は、消されずに残されている。

いまの記録は、次の記録のための土台でもある。

土台に嘘があれば、その上には何も積めない。

九点の「おそらく」は、その土台を守るための語である。

読みにくさは、そのための代償にすぎない。

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