サージェントの代表作と特徴——なぜ絹とサテンばかりが光るのか
サージェントの代表作と特徴を、当サイトで公開中の8点から読む。上流社会の等身大肖像で名を上げ、やがて注文を減らして風景と素描へ移った画家である。白いサテン、黒いレース、山の岩。筆の置き方がどう変わったかを、館の記録とあわせて順に見る。

ジョン・シンガー・サージェントは、上流社会の肖像で名を上げた画家である。やがて注文の肖像から離れ、風景と水彩へ移っていった。
当サイトではジョン・シンガー・サージェントの作品を30点あまり公開している。ここではそのうち8点を年代順に並べ、代表作と作風の変化を追う。
ジョン・シンガー・サージェントとはどんな画家か
肖像で名声と富を得て、途中からその仕事を減らした画家である。クリーヴランド美術館は、作者名に「アメリカ人、イタリア生まれ、1856年から1925年」と添えて記録している。
同館の記録はこう書く。イタリアに生まれ、フランスで学び、主にイングランドで仕事をしたが、アメリカ国籍を手放すことはなかった。
同じ記録には、もう一歩踏み込んだ記述がある。若い頃に肖像画家として名声と富を得たが、裕福で表層的な貴族を描くことに次第に疲れた、というものである。
この「疲れた」という一語は、作品の並べ方とよく合う。年代順に見ていくと、等身大の注文肖像がある時期から減り、代わりに風景と素描が増えていく。
本稿で扱うのは、所蔵館がCC0として公開し、当サイトが権利表示を確認した8点である。有名な《マダム X》のように、当サイトでは画像を扱えない作品もある。それらは本文で触れるにとどめる。
代表作のはじまり——屋外に立たせた黒い肖像
最初に見るのは、23歳の年に描かれた等身大の肖像である。

縦2メートルを超える画面に、黒い服の女が一人で立つ。注目したいのは、その背景である。
室内ではない。足もとは芝生で、黄や褐色の落葉が散り、淡い紫の小花が点々と立つ。右上からは白樺の幹と黄ばんだ葉が垂れ下がる。
当時の等身大肖像は、暗い室内か簡素な背景に人を置くのが普通だった。ここでは逆に、戸外の明るい緑のただ中に黒を置いている。
その黒も一様ではない。袖は透けるレースで、下の腕の形がうっすら見える。胸には黒い玉飾りが縫い付けられ、光の当たる粒だけが白く跳ねる。裾は幾段もの襞飾りが重なり、面ごとに黒の濃さが変わる。
喉もとの白い襞飾りと、そこに挿した赤い花だけが、画面でいちばん強い色になる。顔は小さく、しかしこちらを正面から見ている。
館の記録では、制作は1879年。画家は1856年生まれだから、23歳の仕事になる。この年齢で等身大の注文肖像を仕上げていたことが、経歴の速さを示す。
《マリー・ビュロズ・パイユロン》の3年後、サージェントは肖像ではない絵も描いている。

こちらは手のひらに載るほどの小さな板である。狭い街路が奥へ細り、灰白の敷石が画面の下半分を広く占める。
中央やや左に、黒いショールの女が一人でこちらへ歩いてくる。右手前では黒い外套の男が二人、向かい合って立つ。一人は手を口もとへ上げている。
人物は小さく、顔の描写もわずかである。主役は街路の光と、濡れたように見える敷石のほうだ。
支持体はカンヴァスではなく板である。等身大の注文肖像とは逆に、持ち運べる大きさで、短い時間で仕上げられる作りになっている。
絵肌には細かい亀裂が全面に走る。これは制作当時の状態ではなく、絵具の層が年月をかけて縮んだ跡である。
注文肖像では描けないものを、自分のために描いた絵だと分かる。この二つの性格は、以後ずっと並走する。
肖像画家としての最盛期——等身大の立ち姿という商品
1880年代の後半から、サージェントはロンドンを拠点に注文を受ける。この時期の代表作は、縦長の等身大肖像に集中する。

縦2メートル30センチ。見上げるほどの大きさである。白いサテンの衣を着た女が、桃色の長椅子に右手を添えて立つ。
左腕には淡い褐色のショールが大きく掛かる。このショールは、一見すると描き込みが足りないように見える。近くで見れば、幅の広い筆を数回引いただけの面が並ぶ。
離れて見ると、それが絹の照りに変わる。筆の跡をそのまま残して質感を作る手つきは、17世紀のオランダにも先例がある。筆あとを消さない肖像の系譜に連なる仕事である。
背景は灰褐色の壁で、左右に金の渦巻き装飾が走る。描かれているのは装飾のごく一部で、どんな部屋かは分からない。人物の格だけが残るように作られている。

翌年の作も、同じ型である。淡い象牙色のサテンの衣、肩を出した立ち姿、床に長く引く裾。前身頃には小花の刺繍が斜めに連なる。
この一点については、所蔵館の記録が事情まで伝えている。描かれたのはコルト銃器の一族につながる知人で、画家の遠縁にあたるラルフと結婚したばかりだった。
館の記録は、ヴェネツィアの豪奢な住まいで客を迎えるような姿勢だと述べる。絵は二人への結婚の贈り物だったらしい、とも書かれている。
その根拠は画面の右上にある。「ラルフとラルフ夫人へ」と読める献辞が、署名と1898年の年記とともに書き入れられている。
肖像は買うものであり、贈るものでもあった。19世紀の肖像がどんな商売だったかは、帳簿が残る画家の例から具体的に見ることができる。

10年後の一点では、背景がさらに希薄になる。淡い青と桃と灰の絵具が渦を巻くだけで、雲とも布ともつかない。
若い女が水色がかった白い絹の衣を着て立ち、両手で薔薇色の大きな絹を持ち上げる。その布は腰を巻き、左右へ広がって床まで垂れる。
薔薇色の布は、ほとんど絵具の勢いだけでできている。刷毛の跡が一本ずつ読み取れ、折り目の稜線に白が置かれる。
顔は丁寧に、布は速く。この速度の差が、画面に張りを作っている。
立ち姿の肖像で、手は何をしているか
4点を並べると、手の置き方に型があることが分かる。
《マリー・ビュロズ・パイユロン》では、両手を体の前で軽く組む。指には指輪が光り、袖口から白い布がわずかにのぞく。
《ジョージ・スウィントン夫人》では、右手を長椅子の背へ伸ばして添え、左手を腰に当てる。腕が作る三角形が、立ち姿に幅を与えている。
《リサ・コルト・カーティスの肖像》では、右手が背後の円卓の縁に触れ、左手は体の脇に垂れる。腕と胴の間にできる細い隙間が、画面に奥行きを作る。
《マティルド・タウンゼンド嬢》では、両手が薔薇色の布を持ち上げる。手は布を支える役と、布を見せる役を同時に担っている。
どの手も、何かに触れているか、何かを支えている。行き場のない手が一つもないことが、長身の画面を保たせている。
サージェントの特徴——なぜ布ばかりが光るのか
一言でいえば、布を「一息で置く」からである。絵具を塗り重ねて滑らかにせず、幅の広い筆の一筆を襞そのものにしている。

長椅子に女が身を沈め、頭を背もたれに預けて顔を上へ向ける。目は閉じられている。
画面の下半分は、膝から下に広がる淡い灰青の絹で占められる。縁には青い唐草の模様が織り出される。
絹の襞は、ほとんど一筆ずつ置かれている。白の絵具は厚く盛り上げられ、絵具そのものの厚みが光になっている。
顔は小さく、名前も題に入らない。これは誰かの注文肖像ではなく、布と姿勢を描くための絵である。
同じ手つきは水彩でも使われた。クリーヴランド美術館の記録は、顔料を慎重に重ねる描き方をしなかったと述べる。一度の制作で一気に仕上げ、色を自由に混ざり合わせた、という書き方である。
同館はその水彩の成果を、ウィンズロー・ホーマーと並ぶものと位置づけている。油彩の速さと水彩の速さは、同じ性質の延長にある。
もう一つの特徴は、色数を絞ることである。《休息》では灰青と生成りと金、《ジョージ・スウィントン夫人》では白と灰褐色しか使われていない。
少ない色で、絹と木と壁を描き分ける。そのために筆の置き方を変えている、と見るほうが正確だろう。
黒の扱いにも、同じ考え方が働く。《マリー・ビュロズ・パイユロン》の黒は、レースと襞飾りと玉飾りで濃さが変わる。
いっぽう《ヴェネツィアの街路》の外套の黒は、ほとんど平らな影として置かれる。質感を見せる黒と、形だけを切り取る黒を使い分けている。
肖像をやめたあと——山の岩と、戦場の素描
世紀が変わると、注文肖像の比重が下がる。クリーヴランド美術館の記録は、名声が確かになったのちは他のどの種類よりも多く風景を描いた、と述べる。

アルプスの峠を描いた一点である。ただし、絶景を見晴らす構図にはなっていない。
手前には灰青の大きな岩が幾つも重なり、中央の一つが平らな面を上へ向ける。左端では白い水が岩の間を落ちる。山頂は画面の上部へ押し込まれ、空はわずかに残るだけだ。
同館の記録は、この型を明確に説明している。アルプスの眺めは好んだ主題だが、崇高の修辞と結びつけることは避けた、という。近接して切り取り、低い位置から描くことが多かったとも述べる。
《シンプロン峠》はその説明どおりの絵である。岩の面は数筆で示され、絵具は幅の広い筆で一度に置かれている。注文肖像で絹を扱った手が、そのまま岩に使われている。
なお、この一点は水彩ではなく油彩である。館の記録でも、カンヴァスに油彩と記されている。
晩年の風景というと水彩が先に挙がるが、同じ主題を油彩でも描いていた。当サイトでは水彩の風景も公開している。クリーヴランド美術館が持つ《中庭》と《オーストリア・チロルにて》である。
晩年には、まったく別の仕事も加わる。

一枚の紙に、同じ姿勢の兵士が四度描かれている。地面に座り、脚を前へ投げ出し、両手で飲み口を顔へ運ぶ姿である。
頭には白い布が巻かれ、目のあたりを覆っている。脚には巻脚絆、足もとは編上靴。中央の一つは木炭の太い線で全身が決められている。
左の二つは腕と手だけに絞った部分の習作で、顔は面として塗りつぶされる。右の一つは黒鉛で薄く描かれ、その上に細かい方眼の線が引かれている。
方眼は、大きな画面へ正確に移すための目印である。館の技法欄にも、右の人物は黒鉛で方眼が引かれている、と記録されている。
館の記録によれば、この素描は1919年にロンドンのロイヤル・アカデミーで展示された大作のための習作である。毒ガスを浴びた兵士と救護所を主題とした絵で、英国の戦争記念委員会が委嘱した。
同じ記録は、主題の出どころも伝える。1918年にフランスの戦場を訪れた画家が、実際に目にした光景に基づくという。完成作は現在、ロンドンの帝国戦争博物館にある。
サテンの照りを描いた筆が、水を飲む兵士の腕を測っている。代表作を並べると、この距離がそのまま画家の経歴になる。
代表作はどこで見られるか
本稿で図版に使った8点の所蔵先は、四つの館に分かれる。
ナショナル・ギャラリー(ワシントン)が5点を持つ。《マリー・ビュロズ・パイユロン》《ヴェネツィアの街路》《マティルド・タウンゼンド嬢》《休息》《シンプロン峠》である。
シカゴ美術館は《ジョージ・スウィントン夫人》を所蔵する。クリーヴランド美術館は《リサ・コルト・カーティスの肖像》と《水を飲む兵士の習作》を持つ。
当サイトにはこのほか、スミソニアン協会が持つ肖像や、クリーヴランド美術館の水彩の風景も公開されている。いずれも所蔵館がCC0として公開した画像である。
肖像だけを続けて見たい読者には、《ビアトリス・タウンゼンド嬢》も勧められる。1882年の小さな肖像で、少女が毛足の長い小犬を抱え上げている。
いっぽう、代表作として名が挙がりながら当サイトで画像を扱えない作品もある。最もよく知られるのが《マダム X》である。
メトロポリタン美術館の記録では、制作は1883年から1884年、カンヴァスに油彩で、収蔵番号は16.53。1916年に美術館が購入した。
同館の記録は、購入を持ちかけたのが画家本人だったことも伝える。画家は、描かれた女性との後年の不和を理由に、彼女の名で呼ばないよう求めたという。
そのため作品は、人名ではなく《マダム X》として記録に残った。当サイトでは所蔵館の権利表示に従い、この作品の画像は掲載していない。
画像を見られる8点から言えることは、はっきりしている。サージェントの代表作とは、注文された等身大の立ち姿と、誰にも頼まれずに描いた布と岩の両方である。




