同じ大きさの海を、何枚も——トマス・チェンバーズ
七点がほぼ同じ寸法で、水面はどれも白い線の連なりでできている。規格で描かれた港と嵐と湖。線の引き方の違いだけを追って、九点を見ていく。版画から借りた構図を、自分の色で描き直す。量産と手仕事は矛盾しなかった。

波が、縞になっている
一枚の海の絵から始めたい。

手前に、帆を上げた船が一隻いる。
帆は黄土色で、大きく膨らむ。
船体は黒く、水面すれすれに低い。
船尾に、赤と白の縞の旗が立つ。
右奥には、円い石造りの砦がある。
砦の壁には、窓が等間隔に並ぶ。
左奥には、小さな帆船が三隻。
空は、灰と桃色の雲で埋まる。
そして、水面である。
濃い緑の地に、白い線が何本も引かれている。
線は水平に、規則正しく並ぶ。
波を、線で描く
この水面の描き方が、この画家の目印である。
波は、うねりとして描かれていない。
白い細い線を、水平に並べる。
線の間隔は、手前で広く、奥で狭い。
その差だけで、遠近が示される。
自然の観察にもとづく描き方ではない。
決めた手順で、面を埋めていく描き方である。
近くで見ると、模様に見える。
離れると、光の反射に見える。
単純だが、効いている。
描いた人について
トマス・チェンバーズは、一八〇八年に英国で生まれたとされる。
一八三〇年代に米国へ渡った。
ニューヨーク、ボストン、オールバニなどで働いた記録がある。
一八六九年に没したと考えられている。
美術学校で学んだ形跡は、確認されていない。
いわゆる民衆画家、あるいは独学の画家に分類される。
生前の評価は高くない。
作品は、船主や商人に売られたとみられる。
同じ大きさが、七枚
九点の寸法を並べてみたい。
縦56センチ、横76.3センチ。
縦55.8センチ、横76.5センチ。
縦56.5センチ、横76.1センチ。
縦56センチ、横76.2センチ。
縦54.4センチ、横77.2センチ。
縦55.8センチ、横76.6センチ。
縦57.2センチ、横77.5センチ。
つまり、七点がほぼ同じ大きさである。
誤差は数センチに収まる。
これは偶然ではない。
規格で描く
同じ寸法で描くことには、利点がある。
まず、画布をまとめて張れる。
木枠も、同じ寸法で作れる。
額も共通のものが使える。
そして、構図の型を使い回せる。
一度うまくいった配置を、次の絵でも使う。
つまり、量産の仕組みである。
売る側も、値付けがしやすい。
同じ大きさ、同じ額、同じ値段。
商品として整っている。
ボストンの港
二枚目は、別の港である。

左手前に、大きな船の側面が見える。
船体には、砲門らしい四角い開口が並ぶ。
その上に、星と縞の旗が高く掲げられる。
旗は風をはらみ、左へ流れる。
中央には、緑の丘が低く横たわる。
右には、帆を上げた船が二隻。
空には、細長い雲が斜めに走る。
雲の間から、青い空が覗く。
水面は、やはり白い線の連なりである。
雲を、型で描く
空の描き方にも、型がある。
雲は、丸い塊として描かれる。
輪郭は明瞭で、内側に明暗がつく。
明るい側と暗い側が、はっきり分かれる。
そして、雲の並びが斜めに走る。
この斜線が、画面に動きを与える。
海は水平の線、空は斜めの線。
二つの向きが交差している。
構図の骨組みとして、単純で強い。
砦と、旗
三枚目も、ニューヨークの港である。

中央に、帆を張った大きな船がいる。
帆は三本の柱に、幾段にも上がる。
黄土色の帆が、光を受けて明るい。
船体は黒く、赤い線が水面近くを走る。
左には、四角い建物が立つ。
窓が規則正しく並ぶ。
右奥には、屋根の丸い建物と、細い柱が見える。
水面は、鮮やかな緑である。
白い線が、細かく並ぶ。
港の絵は、誰が買ったか
港と船の絵は、誰のためのものか。
船主、船長、商人が主な買い手だったと考えられる。
自分の船、あるいは自分の町の港を、壁に掛ける。
つまり、記念であり、証明でもある。
そのため、船の細部が重視される。
帆の枚数、砲門の数、旗の種類。
これらが違えば、別の船になってしまう。
一方で、波や雲は型で処理される。
重要な部分と、そうでない部分。
その配分が、はっきりしている。
砦は、どこにあったか
九点のうち、複数の絵に石造りの砦が現れる。
円い塔のようなもの、四角い建物。
いずれも、港の入口を守る施設である。
十九世紀のニューヨーク港には、実際にこうした砦があった。
港の絵に砦が入るのは、位置を示すためである。
砦が見えれば、どの港かが分かる。
いまの写真でいえば、目印になる建物のようなものである。
ただし、形は簡略化されている。
窓の数も、正確とは限らない。
記号として機能すればよい、という描き方である。
民衆画家という分類
チェンバーズは、しばしば民衆画家と呼ばれる。
正規の教育を受けていない画家を指す言い方である。
遠近法や解剖学に、厳密さを欠くことが多い。
しかし、その分類には注意が要る。
技術がないから、そう描いたとは限らない。
型で描くほうが速く、そして注文に合う場合もある。
当サイトの
平らな絵の強さでも、近い話を書いた。
正確さと、効果は別の物差しである。
色数の思い切り
九点の色は、はっきりしている。
海は濃い緑、空は桃色と灰色、帆は黄土色。
中間の色が少ない。
隣り合う色の差が大きい。
だから、遠くからでも構図が読める。
写実の絵では、こういう色は使いにくい。
自然の色は、もっと混ざっているからである。
チェンバーズは、混ぜない。
その割り切りが、画面を明快にしている。
夕暮れの湾
四枚目は、光の扱いが違う。

中央に、帆を張った大きな船がいる。
帆は白に近く、明るい。
船体は黒く、砲門が並ぶ。
船尾に、星と縞の旗が下がる。
左には、四角い石造りの建物。
その奥に、帆柱の林が見える。
港に停泊する船の群れである。
空は、桃色と青が混ざる。
雲は、下側だけが明るい。
日が沈む方向から、光が来ている。
夕日を、どう描くか
夕暮れの絵では、光源が低い。
だから、雲の下側が明るくなる。
そして、水面に光の帯ができる。
チェンバーズは、その帯を白い線で示す。
線の数を増やし、間隔を詰める。
昼の海と、同じ手法である。
線の密度を変えるだけで、光を作る。
新しい方法を発明するのではない。
持っている手を、調整して使う。
荒れる空
五枚目は、九点の中で最も小さい。

縦46センチ、横61.5センチ。
他より一回り小さい。
画面の上半分は、厚い雲で埋まる。
雲は茶色がかり、中央だけが明るい。
その下に、水平線が低く走る。
中央に、帆を畳んだ船が一隻。
左には、赤茶の石造りの砦。
右には、低い島と建物が見える。
水面は静かで、光の帯が縦に伸びる。
手前を、白い鳥が数羽横切る。
小さい画面の効果
寸法が小さいと、印象が変わる。
要素の数を減らさなければならない。
だから、船は一隻だけになる。
余白が増え、空が広くなる。
結果として、静かな絵になっている。
九点の中で、この一枚だけが物語らない。
出来事も、船の細部も、主題ではない。
天候そのものが主題になっている。
同じ画家の中で、例外的な一枚である。
嵐の中の軍艦
六枚目は、動きが激しい。

画面全体が暗い。
空は黒い雲で覆われる。
雲の切れ間に、白い月がある。
中央に、船が一隻傾いている。
帆は一枚だけ残り、大きく膨らむ。
船体は右へ大きく傾く。
その周りに、白い波頭が渦を巻く。
波は高く、船を持ち上げている。
手前の波は、渦を巻いて泡立つ。
暗い画面の中で、白だけが際立つ。
波の描き方が、変わる
この一枚では、波の線が変わっている。
水平の縞ではない。
渦を巻き、うねり、跳ね上がる。
つまり、型を捨てている。
嵐を描くには、水平の縞では足りない。
だから、別の描き方を持ち出す。
同じ画家が、主題に応じて手を変えている。
型で描く画家だと言われるが、型は一つではない。
穏やかな海の型と、荒れた海の型。
二つを使い分けている。
月を、雲の間に置く
嵐の絵で、もう一つ注目したい点がある。
暗い雲の切れ間に、白い月が描かれている。
小さな円である。
この月が、画面の中で唯一の光源になる。
海の白い波頭は、その光を受けている、という理屈になる。
実際には、月ひとつでは、これだけ明るくならない。
しかし絵としては、辻褄が合う。
見る側は、光の出どころを探す。
そこに月があれば、納得する。
説明としての光である。
嵐の絵の需要
嵐の海の絵には、需要があった。
危険と、そこからの生還を描く主題である。
船に関わる人にとっては、身近な現実だった。
同時に、見る側には劇として楽しめる。
十九世紀の欧州でも、嵐の海の絵は人気があった。
その型が、米国へも伝わっている。
チェンバーズは、英国の生まれである。
海の絵の伝統を、渡航前に見ていた可能性は高い。
版画を通じて型を知ることもできた。
二枚の湾の絵
四枚目と五枚目は、いずれもニューヨーク湾である。
同じ場所を、別の天候で描いている。
夕暮れと、荒れ模様。
同じ画家が、同じ場所を繰り返し描く。
型が決まっていれば、天候だけを差し替えられる。
空の色を変え、水面の線の密度を変える。
それで別の絵になる。
同じ主題を繰り返す仕事については、当サイトの
同じ場所を何度も描くでも扱った。
動機は違っても、方法は似ている。
版画からの写し
十九世紀の画家は、版画をよく参照した。
有名な絵が、版画になって広く流通していたからである。
構図を借り、細部を変えて描く。
これは、当時としてはふつうの手続きだった。
チェンバーズの作品にも、版画に由来する構図があると指摘されている。
つまり、まったくの独創ではない。
借りた型を、自分の色と線で描き直す。
その過程で、独特の画面が生まれている。
写しであることと、独自であることは、両立する。
光る白
九点を通して、白の使い方が印象的である。
波頭の白。
帆の明るい部分。
雲の縁。
いずれも、細く、鋭い。
厚く塗られ、盛り上がっている箇所もある。
暗い地の上に、白を置く。
その対比が、画面を締めている。
この白の置き方は、九点すべてに共通する。
主題が変わっても、この癖は変わらない。
署名がない
チェンバーズの作品には、署名のないものが多い。
そのため、帰属は様式による判断が中心になる。
波の縞、雲の塊、帆の色。
こうした特徴の一致で、同じ手と判断される。
一方で、似た絵を描いた画家もいたはずである。
だから、帰属には常に幅が残る。
館の記録も、その前提で書かれている。
当サイトも、館の登録に従う。
九点は、いずれもチェンバーズ作として登録されている。
地中海の船
七枚目は、場所が変わる。

手前に、三角帆の船が一隻いる。
帆は二枚、大きく張り出す。
船体は細長く、黄色い線が舷に走る。
背後には、切り立った岩山がある。
岩肌は緑と茶で、頂に建物が見える。
水面は、青みがかった緑である。
白い線が、規則正しく並ぶ。
空は、明るい灰色と桃色。
雲は、丸い塊として並ぶ。
行ったことのない場所
この画家が、地中海へ行った記録はない。
つまり、見ずに描いている。
手がかりは、版画や挿絵だっただろう。
十九世紀には、各地の風景を版画にした本が多く出ていた。
そこから構図を借り、色を付ける。
見ずに描くことは、当時としては珍しくない。
問題は、そうと分かるように描くかどうかである。
この一枚は、岩山の形が印象的である。
実景に忠実というより、記号としての岩である。
三角帆という細部
この船の帆は、三角形である。
地中海で使われた形式の船である。
四角い帆の船とは、扱いが違う。
風上へ向かう性能が高いとされる。
つまり、船の形式が場所を示している。
船の絵では、この対応が重要になる。
形式を間違えれば、場所も間違いになる。
チェンバーズは、そこは押さえている。
見ずに描いても、種類は取り違えない。
海戦の絵
八枚目は、主題が特殊である。

二隻の軍艦が、並んで戦っている。
左の船は帆を張り、旗を三本掲げる。
いずれも星と縞の旗である。
右の船は、帆柱が折れている。
帆布が垂れ下がり、索が乱れる。
船体からは、砲煙が上がる。
海面には、破片が浮かぶ。
空には、細長い雲が斜めに走る。
暗い空の下で、白い帆と煙が光る。
三十年前の出来事
この海戦は、一八一二年からの戦争の一場面である。
絵の制作年は、一八四五年ごろとされる。
つまり、三十年以上あとに描かれている。
画家は、その場にいない。
出来事は、記録と版画で知るしかない。
歴史画とは、そういうものである。
見ていない出来事を、資料から組み立てる。
正確さは、資料の質に依存する。
そして、絵の目的は記録ではなく、記憶の共有である。
勝った側の絵
この絵は、米国側の視点で描かれている。
星と縞の旗を掲げた船が、優勢である。
相手の船は、帆柱を失っている。
つまり、勝敗が図で示されている。
戦争の絵には、常に立場がある。
どちらの旗が高く、どちらの船が傾いているか。
そこに、描かれた側と描いた側の関係が出る。
当サイトとしては、絵の見どころとともに、この点も書いておく。
同じ海戦を、相手側が描けば、逆の絵になる。
湖の風景
九枚目は、海ではない。

手前に、砂地の道と大きな岩がある。
その奥に、木々が茂る。
中央に、湖が広がる。
湖面は白く光り、波がない。
左岸には、白い家々と尖った塔が並ぶ。
村である。
右には、黒っぽい岩の崖が迫る。
背後には、青い山が重なる。
空は白く、雲は薄い。
海の画家が、湖を描く
この一枚では、波の縞がない。
湖面は、鏡のように平らである。
白い面が、そのまま光になっている。
つまり、海の絵とは別の処理をしている。
海には縞を引き、湖には引かない。
対象に応じて、手を変えている。
一方で、手前の岩と木の描き方は独特である。
輪郭が明瞭で、明暗の差が強い。
この癖は、海の絵と共通する。
風景画の需要
十九世紀半ばの米国では、風景画の需要が高まっていた。
新しい国土の景色を、絵にして飾る。
その動きについては、当サイトの
新大陸の風景を描くでも書いた。
チェンバーズも、その流れの中にいる。
港の絵と、風景の絵。
どちらも、同じ寸法で描かれている。
つまり、同じ商品の別の品目である。
買い手の好みに応じて、主題を選べる。
手前に、何を置くか
風景画の手前には、たいてい何かが置かれる。
岩、木、道、人物。
この一枚では、砂地と大きな岩と木である。
これらは、近景として画面を締める役割を持つ。
手前に暗いものがあると、奥が明るく見える。
そして、見る人の立ち位置が定まる。
岩の後ろから、湖を眺めている。
そういう視点が作られる。
風景画の常套手段である。
チェンバーズも、この型に従っている。
二点の寄贈者
九点のうち二点は、同じ夫妻からの寄贈である。
一九六二年と一九六六年。
この夫妻は、米国の民衆絵画を大量に集めたことで知られる。
無名の画家の作品を、体系的に収集した。
その多くが、公共の館へ寄贈されている。
今回のほかの記事でも、この名前が出てきた。
一人の収集家の関心が、後世の研究の土台を作る。
集めなければ、散逸していた作品である。
九点を、順に見る
最後に、見方を提案したい。
九点を、水面の線だけ見比べてほしい。
規則正しい水平の縞。
密度を上げた光の帯。
渦を巻く波頭。
そして、線のない鏡のような湖面。
四つの処理が使い分けられている。
この画家は、水を描く画家である。
船も、砦も、村も、水面の上に置かれた添え物にすぎない。
まず水を見る。
そこから、九点の違いを追ってほしい。
白い線を一本ずつ引いていく手つきを想像する。
その繰り返しが、この画家の仕事だった。
海の絵は、線の反復でできている。
その反復に、規格の寸法が重なっている。
量産と手仕事は、矛盾しない。


