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ターナーはなぜ、自作をロランの隣に掛けよと遺言したのか

太陽を月に置き換える

ロランの発明のうち、もっとも大胆だったのは「画面の中央に太陽を置く」ことだった。ターナーはその位置に、別のものを置いてみせる。

Keelmen Heaving in Coals by Moonlight
《月光下で石炭を積み込む男たち》1835年。中央の高い位置に月があり、銀色の光の帯がまっすぐ手前へ伸びる。右側では石炭の火が赤く燃えている。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《Keelmen Heaving in Coals by Moonlight》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵(CC0)

構図はロランの港湾風景そのままである。左右に帆船を立て、中央を水面で抜き、光源を画面の中心に置く。

違うのは時刻だ。夕日のかわりに月がある。そして港で働いているのは、神話の登場人物ではなく夜勤の労働者である。

この絵には二種類の光が同居している。冷たい月の光と、石炭を燃やす赤い炎。片方は自然の光、もう片方は産業の光である。

ロランの港は、古代風の建築と交易船の世界だった。ターナーの港は、石炭を積み替える十九世紀イギリスの現場である。

型は同じ、中身は同時代。この置き換えを、彼は生涯にわたって続けている。

そして月を主役にしたことで、彼は「明るさの絵」から一歩踏み出した。暗い画面の中でどれだけ光を語れるか、という挑戦になっている。

ヴェネツィアという実験場

もうひとつ、彼が繰り返し戻った場所がある。ヴェネツィアである。

Venice: The Dogana and San Giorgio Maggiore
《ヴェネツィア、税関とサン・ジョルジョ・マッジョーレ》1834年。水面と空がほとんど同じ明るさで、建物は白い帯として浮かぶ。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《Venice: The Dogana and San Giorgio Maggiore》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵(CC0)

ターナーは生涯に三度ヴェネツィアを訪れ、多くの水彩と油彩を残した。彼にとってこの街は、光の実験に最も適した場所だったのだろう。

理由は分かりやすい。建物が水面に映るので、上下二重に光がある。石は白く、空気は湿っていて、輪郭は自然に緩む。

この絵では、水平線あたりの建物が、ほとんど紙一枚の厚みで描かれている。輪郭線はなく、白い絵具の帯として置かれているだけである。

そして手前には舟と人が小さく配され、画面全体の明るさを測る目盛りになっている。

ロランの港では、暗い前景が明るい遠景を引き立てていた。ここでは前景まで明るい。落差ではなく、光の量そのもので画面を支えている。

調子を上げる

では、ターナーはロランの模倣者だったのか。そうではない。

もう一度《ヴェネツィア、サルーテ聖堂の玄関から》に戻りたい。骨格はロランのものだが、色の調子がまったく違う。

ロランの画面は、暗い前景と明るい遠景の落差で奥行きを作っていた。手前は深い茶色に沈み、その対比が距離を語る仕組みである。

ターナーのヴェネツィアには、その深い影がない。空も水も建物も、白と淡い青の中に収められている。画面全体が明るいまま保たれているのだ。

影を捨てれば、奥行きを作る手立てを一つ失う。それでもターナーは調子を上げた。暗さを犠牲にしても、光の量そのものを画面に入れたかったのだろう。

実際、この絵で奥行きを支えているのは影ではなく、水面の反射と、遠くへ行くほど輪郭が緩むことである。手段を入れ替えている。

ロランが夕方の斜光を描いたとすれば、ターナーは正午の眩しさに近づいていった。同じ骨格を使いながら、目指す時刻が違う。

そして時刻が違えば、必要な技法も変わる。骨格を残したまま中身を入れ替えていくと、いつか骨格のほうが邪魔になる。

一枚の絵の中で、借りた形式と自分の目的がきしみ始める。その音が聞こえるのが、この時期のターナーである。

骨格まで手放す

そして晩年、ターナーは骨格そのものを手放してしまう。1845年ごろの《捕鯨船》を見てほしい。

捕鯨船
ターナー《捕鯨船》1845年ごろ。左右の枠も、明快な奥行きもない。白い大気の中から、船と小舟と鯨がかろうじて現れる。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《捕鯨船》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

左右を挟む建物はない。中央へ導く水路もない。あるのは白っぽい大気だけである。

その中から、帆船がぼんやりと立ち上がる。小舟が数艘。左下の暗い塊は、おそらく鯨だ。だが確信は持てない。輪郭が最後まで定まらないからである。

注目したいのは、この絵と《ヴェネツィア》がほぼ同じ大きさだということだ。縦92センチ、横122センチ前後。十年ほどの間に、同じ寸法の画布の上で、これだけのことが起きている。

ロランから受け取った構図の型は、ここでは跡形もない。にもかかわらず、あるいはだからこそ、光は画面のすべてになっている。

見る側に要求されるものも変わった。ロランの絵は、示された順路をたどれば奥まで行ける。この絵にはその順路がない。自分で目を凝らして、形を探し当てるしかない。

同時代の批評には、こうした晩年作を未完成と見る向きもあった。輪郭が定まらない絵を、仕上げ切っていない絵と受け取るのは、当時としては無理のない反応だったろう。