美術史・技法

浮世絵は、西洋の絵に何を渡したのか——《神奈川沖浪裏》からカサットの一枚まで

切られた画面は、パリで何になったか

「枠が対象を切る」構図を、最も早く自分のものにした画家のひとりがエドガー・ドガである。

Yellow Dancers (In the Wings)
左上から斜めに降りてくるのは舞台の書き割り。その下端で切られた向こう側に、別の踊り子たちの脚だけが並んでいる。Yellow Dancers (In the Wings)》シカゴ美術館蔵(CC0)

《黄色い踊り子(袖にて)》。1874年から76年ごろの作である。

手前の三人は、肩から下が黄色い衣装で埋まり、画面の下端であっさり切られている。顔の位置は右へ寄り、中央は空いている。

そして左側、書き割りの下の隙間に、脚だけが六本ほど見えている。舞台に出ている踊り子たちである。

胴も顔もない。脚だけが、床すれすれの帯のなかに並んでいる。これは相当に大胆な省略である。

こうした「たまたまこう見えた」風の構図について、写真の影響を指摘する見方もある。両方が同時に働いたと考えるのが自然だろう。

ただ、写真が偶然に切り取るのに対し、浮世絵は意図して切っている。どこで切ると効くかを、あらかじめ設計している。

ドガが学んだのは、その設計のほうだったと考えたい。彼の画面は、偶然を装いながら、切る位置がきわめて厳密である。

もうひとつ、この絵には版画的な感覚がある。色の置き方である。

黄色い衣装は、しわの陰影をほとんど作らずに、大きな面としてまとめられている。背景の書き割りも同様に平らである。

ドガ自身、生涯にわたって版画とパステルを手放さなかった画家だった。銅版に何度も手を入れ、同じ図柄を刷り分けている。

一点の完成品を仕上げるより、同じ主題を条件を変えて繰り返す。その姿勢は、版で仕事をする者の姿勢に近い。

浮世絵から来たのは構図だけではなく、「絵は工程である」という感覚だったのかもしれない。

二、影を捨てる

1888年10月16日、南フランスのアルルにいたフィンセント・ファン・ゴッホは、弟テオに手紙を書いた。自分の寝室を描いた絵についての説明である。

影と落ちる影は取り払った、日本の版画のように平坦な色で塗った——手紙にはそう書かれている。

寝室
床は右奥へ急に落ち込み、家具はどこにも影を落としていない。この絵については別のコラムで詳しく読んだ。フィンセント・ファン・ゴッホ《寝室》シカゴ美術館蔵(CC0)

影を描かないと決めるのは、思うより大きな決断である。ヨーロッパの絵画は、影によって物の丸みと位置を示してきたからだ。

影を捨てれば、物は平らな色の面になる。かわりに、輪郭線と色そのものが働きはじめる。

ゴッホは弟とともに数百点の日本版画を集め、広重の図柄を油彩で写した作品も残している。彼にとって浮世絵は、眺める対象であると同時に教科書だった。

興味深いのは、彼がこの方法を「休息を描くため」に使っていることである。技法の輸入ではなく、目的に合わせた選択になっている。

平らな色は、静かなのだ。陰影があると、物は重くなり、時間が生じる。それを消せば、部屋は一枚の紋様に近づく。

平らな色は、どこまで薄くできるか

同じ「平らな色」を、別の方向へ極端に進めた画家がいる。ジェームズ・マクニール・ホイッスラーである。

Nocturne: Blue and Gold—Southampton Water
ほとんど一色である。水面と空の境は、わずかな調子の差でしかない。金色の小さな帆と、いくつかの灯りだけが画面に留め金を打っている。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《Nocturne: Blue and Gold—Southampton Water》シカゴ美術館蔵(CC0)

《ノクターン 青と金——サウサンプトン・ウォーター》。1872年の作である。

描かれているものを数えてみると、驚くほど少ない。遠くの岸、数隻の舟、光の点。それ以外はすべて青灰色の面である。

輪郭線すらほとんどない。浮世絵から輪郭を取ったのがゴッホなら、ホイッスラーは色面の側だけを取ったことになる。

彼は日本の版画と東洋の陶磁器の収集家でもあった。作品に《ノクターン》《シンフォニー》《アレンジメント》と音楽の言葉を付けたのも、主題より配置を前に出すためである。

当時、この「何も描いていない」画面は理解されなかった。批評家ジョン・ラスキンが痛烈に批判し、名誉毀損の裁判にまでなっている。

裁判の記録は、絵の価値が何によって決まるかという議論として、いまも引用される。省略が高くつくことを、当時の人は受け入れがたかった。

逆に言えば、浮世絵が持ち込んだのはそれほど異質な考え方だった。描く量を減らすほど強くなる、という発想である。

もっとも、ホイッスラーの空白は日本の版画そのままではない。版画の余白は紙の白であり、彼の余白は絵具の層である。

薄く溶いた絵具を何度も重ね、最後に何も描かれていないように見せる。手間をかけて手数を消す、という倒錯した工程になっている。

そこが面白いところだと思う。輸入されたのは形ではなく考え方なので、実現の方法は各自が発明することになる。

三、高いところから見る

喜多川歌麿《行水》。1801年ごろの作である。盥のなかの子どもを、母親が支えている。

行水
盥の縁が、ほとんど真円に近い楕円として見えている。かなり高い位置から見下ろした角度である。喜多川歌麿《行水》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

私たちはこの場面を、斜め上から覗き込んでいる。人物の背後では、衣桁に掛けられた着物が画面の上端を占めている。

床も壁も描かれない。奥行きを示すのは、重なりと角度だけである。

それから九十年後のパリで、これとよく似た画面を作った画家がいる。メアリー・カサットである。

湯浴みする女
縞の部屋着と、花模様の敷物。二つの模様が触れ合ったまま、どちらも譲らずに画面を分けている。メアリー・カサット《湯浴みする女》シカゴ美術館蔵(CC0)

1890年、パリの美術学校で日本の版画の大規模な展覧会が開かれた。カサットはこれを見て、翌年にかけて十点組の色刷り版画を制作する。《湯浴みする女》はその一点である。

女性は盥ではなく洗面台に向かい、うつむいている。顔は見えない。視点は高く、床は奥へ行くほど上へせり上がる。

輪郭線ははっきりと引かれ、色は面として置かれている。影による丸みは、ほとんど使われていない。

技法の選び方にも学んだ跡がある。カサットが使ったのは、色ごとに版を分けて刷り重ねるやり方だった。銅版に酸で調子をつくり、線は直接ひっかいて彫る。

材料は西洋の銅版画のものである。しかし「線の版と色の版を分け、重ねて一枚にする」という考え方は、木版の側にある。

主題はパリの室内である。しかし画面の作り方は、歌麿の側から来ている。