手紙が、掛軸になる——小堀遠州の消息と歌麿《文を読む若い女》ほか九点
誰かに宛てた私信を表装し、床の間に掛ける。そこで読まれるのは用件ではなく、筆の運びのほうである。手紙を持つ人、届ける人、袖にしまう人。手で書かれた文字がさまざまな形で残された九点を読みたい。私信が作品に変わる境目を見たい。

手紙が、掛軸になっている
作品を九点、記録の欄で並べてみる。
九点とも、手紙か、手で書かれた文が関わる。
一点は、手紙そのものが掛軸に仕立てられている。
一点は、手紙に花の絵を添えた巻物である。
一点は、手習いの手本を書いた巻物。
残る六点は、手紙を持つ人、読む人を描く。
つまり、書かれた文字が主題になっている。
表装が、手紙を作品に変える
手紙を掛軸にするには、表装が要る。
紙の周りに裂を貼り、上下を長く伸ばす。
軸を付けて、巻けるようにする。
こうすると、掛けられる形になる。
つまり、表装が手紙を作品にする。
物としては、同じ紙である。
周りの仕立てが、扱いを変える。
館の記録は、その仕立ても含めて寸法を測る。
前の回で、表装込みの寸法を見た。
ここでは、その仕立て自体が話の中心になる。
私信が、作品になる
手紙は、本来ひとりに宛てたものである。
読み終われば、しまうか捨てるかする。
ところが、書いた人が名高ければ話が変わる。
その筆跡を、人が欲しがる。
そこで、手紙を表装して掛軸にする。
床の間に掛け、客に見せる。
内容は、日常の用件でよい。
見るのは、内容ではなく筆づかいである。

横長の小さな紙である。
紺地に模様のある裂で、周りが囲まれる。
紙は淡い褐色で、傷みが見える。
右から左へ、崩した文字が並ぶ。
行は十数行ほどある。
墨は薄く、線が細い。
一行の長さは、揃っていない。
上へ伸びる行と、下へ落ちる行がある。
文字の大きさも、途中で変わる。
左端に、署名らしい文字がある。
紙の縁は、まっすぐではない。
手紙の大きさ
九点のうち、手紙そのものは小さい。
縦22.3センチ、横29.9センチ。
手のひらより少し大きいくらいだ。
これが、当時の手紙の普通の大きさである。
折りたたんで、封に入れる。
あるいは、巻いて紐で結ぶ。
そういう扱いを前提とした大きさである。
掛軸にすると、周りの裂のほうが広くなる。
小さな紙が、中央にぽつんと収まる。
その落差も、見どころの一つだろう。
役の欄が、書家になる
この一点の作者の欄には、役が書かれている。
画家ではない。
書家である。
つまり、この人は絵を描いていない。
字を書いただけだ。
前の回で、役の欄が仕事を分ける話をした。
ここでも、同じ働きをしている。
一語で、何をした人かが分かる。
生年と没年が、同じ年になっている
この一点の作者の欄には、気になる点がある。
生年と没年が、同じ年になっている。
1579年と、1579年である。
同じ年に生まれて、同じ年に亡くなったことになる。
しかし、この人は長く生きた人物として知られる。
一般には、十七世紀のなかばに没したとされる。
つまり、何かの手違いだろう。
館の記録にも、こういうことは起きる。
前の回で、記録どうしの食い違いを見た。
これは、記録の中での食い違いである。
数字の欄は、間違えやすい
生没年の欄は、数字だけが並ぶ。
だから、写し間違えても気づきにくい。
前の年をそのまま繰り返してしまう。
一桁だけ違えてしまう。
そういうことが起きる。
文章の欄なら、読めばおかしいと分かる。
数字の欄は、見ただけでは分からない。
つまり、記録の中で最も点検が要る場所である。
九点の欄を読むときも、そこを見ておきたい。
誤りを、どう扱うか
こういう誤りに気づいたとき、どうするか。
黙って直すのは、よくない。
直したことが分からなくなるからだ。
館へ知らせるのが、筋である。
そして、こちらの記録には気づいた点を書いておく。
前の回で、間違いをそのまま残す話をした。
同じ考え方が、ここでも当てはまる。
大事なのは、気づいた記録が残ることである。
巻物の細さ
この巻物は、縦17.2センチしかない。
横は384.3センチある。
つまり、極端に細長い。
手紙をそのまま巻物にすれば、こうなる。
普通の巻物は、縦30センチ前後である。
その半分ほどしかない。
寸法の欄の二つの数字が、成り立ちを語っている。
もとが手紙だから、縦が短い。
前の回で、寸法が物の作りを示す話をした。
ここでも、同じことが起きている。
手紙に、花を添える
九点のうち一点は、長い巻物である。
横は三メートルを超える。
そこに、花や石が描かれる。
そして、手紙が添えられている。
館の題は、花を同封した手紙、と訳せる。
つまり、贈り物としての手紙である。
花を添えて送る。
その手紙が、そのまま巻物として残った。

横に細長い巻物である。
地は、淡い褐色の紙である。
左に、平たい鉢が置かれる。
鉢の中に、白い石と小さな草が並ぶ。
その右に、松の枝が伸びる。
葉は細い針を束ねた形である。
さらに右に、赤い花が二輪咲く。
花の下に、丸い石が横たわる。
余白は、上下に広い。
右端に、赤い印が押される。
彩色は淡く、墨の線が主である。
千の文字を、二度使わない
この手本には、決まりがある。
千の文字を並べ、同じ字を二度使わない。
しかも、四字ずつで意味の通る句にする。
作るのは、たいへんな仕事だっただろう。
覚える側には、都合がよい。
同じ字が出ないから、覚えたかどうかが分かる。
そして、順序が決まっているので、番号代わりにもなる。
書物の巻数や、部屋の番号に使われた。
一つの文が、道具として使われている。
手習いの手本を、書く
九点のうち一点は、千の文字を並べた文である。
昔から、字を習う手本として使われた。
同じ字を二度使わない、という決まりがある。
だから、覚えるのに都合がよい。
その手本を、名高い書家が書く。
すると、手本であると同時に作品になる。
長さは七メートルを超える。
一文字ずつ、崩した書体で書かれる。

横に長い巻物の一部である。
地は、淡い褐色の紙である。
崩した文字が、縦の行で並ぶ。
一行に五、六字ほど入る。
墨は濃く、線が太い。
筆の速さが、掠れに出る。
字と字がつながる箇所がある。
つながらずに離れる箇所もある。
大きさは、行ごとに変わる。
紙の継ぎ目が、縦に走る。
余白は、ほとんどない。
手紙が、絵になりやすい理由
手紙を持つ姿は、動きの途中である。
受け取ったところ。
読んでいるところ。
隠すところ。
いずれも、次に何かが起きそうに見える。
止まった絵に、時間を持ち込める。
そして、内容が分からない。
分からないから、見る人が想像する。
つまり、絵の中に空白ができる。
その空白が、絵を面白くする。
文を持つ人を、描く
九点のうち五点は、手紙を持つ人物を描く。
読む人、届ける人、袖に入れる人。
いずれも、江戸の版画か絵である。
手紙は、当時の暮らしの中心にあった。
会えない相手に、文字で伝える。
だから、手紙の場面は絵になりやすい。
そして、手紙には文字が書いてある。
その文字を、画家がどう描くかが見どころになる。

縦長の版画である。
女性が、胸から上で大きく描かれる。
顔はやや右を向き、目を伏せる。
髪は高く結い上げられる。
前髪が、左右に張り出す。
黒い衿の着物を着る。
内側に、赤い模様の衿が重なる。
肩に、黄色い布が掛かる。
両手で、白い紙を持つ。
紙は下のほうで折れる。
背景は、淡い黄褐色の地である。
書き込む場合もある
もっとも、文字を書き込む例もある。
宛名を書く。
差出人の名を書く。
短い一行だけ書く。
そうすると、場面が具体的になる。
九点の中には、その例はない。
いずれも、白い紙として描かれる。
つまり、この画家たちは書かない方を選んだ。
選択が揃っているのは、偶然かもしれない。
あるいは、当時の作法だったのかもしれない。
文字を、描かないという選択
いま見た一点の手紙には、文字がない。
白い紙が描かれるだけである。
つまり、何が書いてあるかは示されない。
読む人の表情だけが描かれる。
これは、選択である。
文字を書き込めば、内容が決まる。
書かなければ、見る人が想像できる。
前の回で、読めない文字の話をした。
こちらは、はじめから書かない。

極端に細長い版画である。
縦が横の五倍以上ある。
上のほうに、松の枝が広がる。
葉は緑で、細かく描かれる。
その下に、二人の女性が立つ。
一人は右を向き、身をかがめる。
もう一人は、こちらを向く。
どちらも、淡い色の着物を着る。
裾が長く、足もとに広がる。
下のほうに、赤い草履が見える。
地面は、白く空けられる。
二人を、縦に並べる
細長い判型では、人物を横に並べられない。
そこで、縦に重ねる。
手前の人物を下に、奥の人物を上に置く。
すると、奥行きが縦の位置で示される。
上にあるものが遠い。
この約束は、この地域の絵に広く見られる。
西洋の遠近法とは、別のやり方である。
前の回で、絵の中の空間の話をした。
判型の制約が、空間の描き方を決めている。
細長い判型という、形
いま見た一点は、判型が変わっている。
縦66.4センチ、横12.1センチ。
柱に掛けるための形である。
家の柱は細い。
そこに掛けるには、幅の狭い絵が要る。
だから、こういう判型が作られた。
前の回で、判型が用途で決まる話をした。
ここでも、置く場所が形を決めている。
そして、細いぶん人物は縦に並ぶ。

縦長の絵である。
白黒の写真で写される。
女性が一人、右を向いて立つ。
黒い着物を着る。
裾が長く、足もとで広がる。
帯は、腰の前で結ばれる。
右手を上げ、白い紙を持つ。
指が、紙の端をつまむ。
左手は、体の前に下ろす。
髪は結い上げ、簪を挿す。
背景は、何も描かれない。
六人組という、売り方
六人の歌人を、六枚に割り当てる。
一枚ずつ売る。
集めれば、揃いになる。
つまり、続けて買わせる仕組みである。
前の回で、揃い物の話をした。
歌人のほかにも、いろいろな組がある。
名所、季節、役者、風俗。
決まった数で区切れば、揃いになる。
その数が、そのまま商品の単位になる。
歌人の場面を、当世の姿で
九点のうち一点は、昔の歌人を主題にする。
その人が、女性の袖に文を入れる場面だ。
ただし、姿は当世のものである。
前の回で見た、見立ての方法である。
そして、この一枚は揃い物の一つだ。
六人の歌人を、六枚に割り当てる。
題には、揃いの名も入る。
館は、その揃いの名まで題に含める。

縦長の版画である。
二人の人物が、寄り添って座る。
右の人物は、赤い衣をまとう。
頭に、白い布をかぶる。
顔は、下を向く。
左の人物は、朱色の衣を着る。
体を右へ倒す。
袖が、大きく広がる。
床に、緑と白の草が描かれる。
右上に、四角い枠がある。
枠の中に、揃いの名が入る。
枠の中に、揃いの名を刷る
いま見た一点の右上には、四角い枠がある。
その中に、揃いの名と主題が刷られる。
この枠を、題箋という。
版画では、よく使われる形である。
枠の形や色は、揃いごとに決まっている。
だから、枠を見れば揃いが分かる。
次の回では、この枠を主題にしたい。
ここでは、枠の中に文字があることだけを見ておく。

細長い絵である。
白黒の写真で写される。
右に、太い梅の幹が立つ。
幹は、ねじれて上へ伸びる。
枝に、小さな花が点々と咲く。
その左下に、二人の人物が立つ。
どちらも、着物を着る。
一人は、体をひねって上を見る。
一人は、こちらを向く。
背景は暗く、夜であることを示す。
右上に、文字が数行入る。
手書きを、彫るということ
手書きの線を版に彫るのは、難しい。
線の太さが、絶えず変わるからだ。
筆の入りと抜きを、彫刻刀で再現する。
しかも、掠れた部分まで写す。
彫る人の腕が、そのまま出る。
前の回で、下絵を描く人と彫る人の分業を見た。
文字を彫るのは、その中でも特別な仕事である。
絵よりも、ごまかしがきかない。
線が一本崩れれば、字が別のものになる。
遊女の筆跡を、版画に写す
九点のうち一点は、変わった本である。
遊女たちの姿を描き、その自筆を並べる。
つまり、書いた文字を版に写している。
版画は、彫って摺るものだ。
手書きの線を、そのまま彫る。
すると、筆づかいが版に移る。
館の題は、自筆を比べる鏡、という言い方をする。
つまり、筆跡の見本帳である。

見開きの二頁が並ぶ。
右の頁に、二人の女性が座る。
一人は、身をかがめて何かを持つ。
もう一人は、床に手をつく。
左の頁に、三人が並ぶ。
一人は立ち、二人は座る。
いずれも、細かい模様の着物を着る。
右上に、格子の窓が描かれる。
中央に、白い行灯が置かれる。
両方の頁の上部に、文字が並ぶ。
紙は、淡い黄褐色である。
筆跡を、比べるという楽しみ
筆跡を比べる本が作られたということは、需要があったということだ。
誰の字が美しいか。
誰の字に人柄が出るか。
そういう見方が、広く行われていた。
そして、その字を版画で複製する。
手書きの一回きりのものを、何百枚も摺る。
前の回で、複製の話をした。
ここでは、筆跡が複製されている。
一回きりのものを、繰り返せる形に変える。
手紙の文字は、なぜ崩されるか
手紙の文字は、たいてい崩して書かれる。
読みにくいが、速く書ける。
そして、続けて書くと線がつながる。
そのつながり方に、書き手の癖が出る。
だから、筆跡で人が分かる。
印を押さなくても、誰の手か見当がつく。
前の回で、署名の癖の話をした。
手紙全体が、長い署名のようなものである。
内容と、筆づかい
掛軸になった手紙を見る人は、内容を読まない。
読めないことも多い。
崩し方が激しく、当時の言い回しも使われる。
それでも掛ける。
見るのは、線の運びである。
太く、細く、速く、遅く。
その変化が、書き手の呼吸を示す。
つまり、文字が絵として見られている。
意味から離れた文字である。
意味を離れた文字は、まだ文字か
これは、面白い問いである。
読めない文字を、文字として見る。
意味は伝わらない。
しかし、書かれた形は伝わる。
前の回で、読ませる気のない文字の話をした。
金の上に金で打った祈りの言葉である。
こちらも、似ている。
読まれることを前提としていない文字だ。
それでも、館の記録は文字として扱う。
記録は、読めなくても写す
館の記録は、読めない手紙も一件として登録する。
作者の欄に名を入れ、役に書家と書く。
技法の欄に、紙に墨と書く。
寸法を測る。
年を推し量る。
内容については、何も書かない。
つまり、物としての情報だけを残す。
内容は、読める人が読めばよい。
記録の役目は、そこまでである。
九点をまとめておく
九点の中身を、もう一度並べる。
掛軸になった手紙が一点。
花を添えた手紙の巻物が一点。
手習いの手本の巻物が一点。
手紙を持つ人物の絵が四点。
文字を並べた絵入り本が二点。
手で書かれた文字が、いろいろな形で残っている。
紙のまま、巻物として、版画として。
形は変わっても、線は残る。
書いた人の手の動きが、そこに封じられている。
書いた人の手が、そこにある
九点を並べて、最後に思うことがある。
書かれた文字は、手の動きの記録である。
速さ、力の入れ方、止め方。
それが、そのまま線に残る。
絵も同じだと言えるかもしれない。
しかし、文字のほうが痕跡がはっきりする。
決まった形を、その人なりに崩すからだ。
崩し方に、その人が出る。
四百年前の手の動きが、いま紙の上にある。
掛軸に仕立てられたのは、そのためだろう。
内容ではなく、動きを残したかった。
館の記録は、動きについては何も書かない。
書けるのは、材料と寸法と年だけである。
残りは、見る人が受け取ることになる。
紙の傷みも、記録の一部である
掛軸になった手紙の紙は、傷んでいる。
縁が欠け、しみが浮く。
折り目のあとが、線になって残る。
これは、手紙として使われた証拠である。
折って封に入れ、運ばれ、開かれた。
その痕跡が、そのまま残っている。
もし新品同様なら、かえって疑わしい。
傷みが、来歴を語ることがある。
館の記録は、状態については別に扱う。
公開されている欄には、現れない。
しかし、写真を見れば分かる。
物そのものが、記録を持っている。


