美術史・技法

同じ題が、三つ並んでいる——狩野探幽ほか三幅対の掛軸九幅

作者も年も寸法も同じで、番号だけが一つずつ増えていく。三幅対だからである。中央の一幅にだけ月があり、両脇にはない。三本そろってはじめて題が成り立つ。物として三つ、絵として一つという形を読みたい。番号の順が、そのまま掛ける順になっている例もある。

月下の山水
狩野探幽《月下の山水》メトロポリタン美術館蔵

同じ題が、三つ並んでいる

当サイトで、こういう並びに出会うことがある。

《月下の山水》。

《月下の山水》。

《月下の山水》。

作者も、年も、寸法も同じである。

違うのは番号だけで、それも一つずつ増えていく。

一九七五・二六八の四九、五〇、五一。

技法の欄を読むと、理由が分かる。

「三幅対の掛軸のうちの一幅」。

三本で一組の掛軸である。

そして館は、その三本を三件として登録している。

月下の山水
狩野探幽《月下の山水》1662年より後。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨。画面は縦100.6センチ、横42.5センチ。表装を含めると縦191.5センチ、横59.7センチ。番号は1975.268.49。メトロポリタン美術館蔵。狩野探幽《月下の山水》メトロポリタン美術館蔵

まず、右の一幅である。

画面の下のほうに、低い山と、その裾の村がある。

木立が点々と並び、屋根がいくつか見える。

その上は、ほとんど白い。

薄墨がわずかに刷かれ、霧のようになっている。

上端の近くに、遠い山影がある。

墨だけで、色はない。

そして、この一幅には月がない。

月下の山水
狩野探幽《月下の山水》1662年より後。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨。画面は縦100.6センチ、横42.5センチ。表装を含めると縦191.1センチ、横59.7センチ。番号は1975.268.50。メトロポリタン美術館蔵。狩野探幽《月下の山水》メトロポリタン美術館蔵

中央の一幅である。

上のほうに、白い円がある。

月である。

その下に、岩の塊と、松らしい木。

さらに下に、水面と、小さな舟。

三幅のうち、月があるのはこの一幅だけである。

つまり、三幅を並べて掛けたときに、中央に月が来る。

題の《月下の山水》は、三幅そろってはじめて意味を持つ。

右の一幅だけを見ても、月は見えない。

月下の山水
狩野探幽《月下の山水》1662年より後。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨。画面は縦100.6センチ、横42.5センチ。表装を含めると縦191.1センチ、横59.7センチ。番号は1975.268.51。メトロポリタン美術館蔵。狩野探幽《月下の山水》メトロポリタン美術館蔵

左の一幅である。

上のほうに、薄い山影が横に連なる。

その下に、水と土坡。

右下に、木立と建物。

こちらにも月はない。

三幅を右から左へ並べると、景色が続く。

右の村、中央の月と水、左の遠山。

一つの景色を、三つに割って描いている。

三本を、三件と数える

ここで、単位の問題が出てくる。

三幅対は、一組で一つの作品である。

床の間に、三本まとめて掛ける。

それでも館は、三件として登録した。

理由は、物としては三本だからだろう。

一本ずつ、別々の軸と表装を持っている。

一本ずつ、巻いて別々の箱に収める。

一本だけ掛けることもできる。

物理的に分かれているものを、一件にまとめるのは無理がある。

一方、寸法の欄を見ると、三本がほぼ同じである。

画面はすべて縦一〇〇・六センチ、横四二・五センチ。

表装を含む縦だけ、わずかに違う。

一九一・五センチが一本、一九一・一センチが二本。

四ミリの差である。

作ったときはそろっていたはずである。

表装の伸び縮みか、測り方の差だろう。

数字がほぼ同じであること自体が、一組である証拠になる。

中央だけが、別のものを描く

もう一組を見たい。

不動明王と二童子
龍湫周沢《不動明王と二童子》14世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、紙に手彩色の木版画。画面は縦106.7センチ、横35.6センチ。表装を含めると縦180.3センチ、横52.7センチ。番号は1975.268.26。日本、南北朝時代。メトロポリタン美術館蔵。龍湫周沢《不動明王と二童子》メトロポリタン美術館蔵

赤い身体の人物が、正面を向いて立っている。

髪を結い、右手に何かを持ち、左手を下げている。

足元に、岩を象った台。

背後は、暗い茶色である。

これは、不動明王に従う童子の一人だろう。

不動明王と二童子
龍湫周沢《不動明王と二童子》14世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、紙に手彩色の木版画。画面は縦106.4センチ、横36.2センチ。表装を含めると縦180.3センチ、横52.7センチ。番号は1975.268.27。メトロポリタン美術館蔵。龍湫周沢《不動明王と二童子》メトロポリタン美術館蔵

中央の一幅である。

黒い身体の像が、炎を背負って立っている。

目を見開き、口を結び、右手に剣を持つ。

背後の炎が、赤と白の渦になって広がる。

足元に、岩の台。

不動明王である。

三幅のうち、これだけが炎を持ち、これだけが黒い。

不動明王と二童子
龍湫周沢《不動明王と二童子》14世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、紙に手彩色の木版画。画面は縦102.6センチ、横35.6センチ。表装を含めると縦181.3センチ、横57.2センチ。番号は1975.268.28。メトロポリタン美術館蔵。龍湫周沢《不動明王と二童子》メトロポリタン美術館蔵

もう一人の童子である。

白い身体で、赤と青の衣をまとっている。

両手を胸の前で合わせている。

前の童子とは、身体の色も、手の位置も違う。

三幅を並べると、中央に不動明王、両脇に童子が立つ。

これは、決まった形式である。

一人と二人。

主尊と、その脇侍。

三幅対という形式は、この関係を表すために使われてきた。

木版で摺られた仏画

この三幅の技法の欄は、少し変わっている。

「紙に手彩色の木版画」。

描いたのではない。

版で摺り、その上から手で色をつけている。

部門は東洋美術、分類は絵画である。

しかし、実際には版画である。

十四世紀の日本で、仏画を版で摺ることは行われていた。

同じ図像を、多く作るためである。

つまり、この三幅対は複数存在した可能性がある。

同じ版から摺られた別の三幅が、どこかにあるかもしれない。

館の記録は、そこまで書いていない。

そして三幅の寸法を見ると、わずかに違う。

画面の縦が、一〇六・七、一〇六・四、一〇二・六センチ。

中央より、左の一幅が四センチほど短い。

摺った紙の断ち方の差だろう。

あるいは、傷んで切り詰められたのかもしれない。

記録には書かれていない。

番号が、掛ける順に付いている

三組目を見たい。

蓬莱山と瀟湘八景
狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》19世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨と彩色。画面は縦95.3センチ、横34.3センチ。表装を含めると縦186.7センチ、横49.2センチ。軸首の径は2.5センチ。番号は14.76.14。メトロポリタン美術館蔵。狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》メトロポリタン美術館蔵

右の一幅である。

下に岩山と水、上に霞がかかる。

木立が点々と並び、小さな家が見える。

墨に、わずかな緑と青が加わっている。

蓬莱山と瀟湘八景
狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》19世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨と彩色。画面は縦95.6センチ、横34.3センチ。表装を含めると縦186.7センチ、横49.2センチ。番号は14.76.15。メトロポリタン美術館蔵。狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》メトロポリタン美術館蔵

中央の一幅である。

上に、赤い円がある。

日の出である。

その下に、松の生えた島が浮かんでいる。

松は濃い緑で、幹は太い。

島の下に、白い波。

これが蓬莱山だろう。

不老不死の仙人が住むという島である。

三幅のうち、島と日があるのはこの一幅だけである。

蓬莱山と瀟湘八景
狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》19世紀。館の記録では、三幅対の掛軸のうちの一幅、絹に墨と彩色。画面は縦95.6センチ、横34.3センチ。表装を含めると縦187センチ、横49.2センチ。番号は14.76.16。メトロポリタン美術館蔵。狩野探水守常《蓬莱山と瀟湘八景》メトロポリタン美術館蔵

左の一幅である。

右の一幅と、よく似ている。

岩山と、水と、霞。

木立の位置と、山の傾きが違う。

三幅を並べると、中央に蓬莱山、両脇に瀟湘八景の景色が来る。

題は、その組み合わせをそのまま書いている。

そして、番号を見てほしい。

一四・七六の一四、一五、一六。

一四が右、一五が中央、一六が左である。

番号の順が、掛ける順になっている。

これは、受け入れたときに三本の関係が分かっていたということである。

もし関係が分からなければ、番号は順不同になっていただろう。

軸首の径まで、記録される

狩野探水守常の三幅には、他の六点にない数字が書かれている。

軸首の径、二・五センチ。

軸首とは、下の軸の両端に付ける飾りである。

その太さまで測っている。

なぜこの三点だけ、そこまで細かいのか。

記録の作成時期によるのだろう。

近年に測り直したものは、細かい数字が入っている。

古い記録は、縦横の二つだけで済ませている。

同じ目録の中でも、こういう差がある。

そして、軸首の径は、意外に実用的な数字である。

巻いた状態の太さに関わる。

箱に収めるとき、軸首がつかえないかを見るからである。

保管のための数字が、目録に紛れ込んでいる。

前の回に、巻いた状態の太さは記録されないと書いた。

掛軸では、軸首の径がその代わりを務めることがある。

三幅が、まったく同じ寸法ではない

三組の画面の寸法を、細かく並べてみる。

探幽の三幅は、縦一〇〇・六センチが三本。

完全に一致している。

龍湫周沢の三幅は、一〇六・七、一〇六・四、一〇二・六センチ。

最大四・一センチの差がある。

狩野探水守常の三幅は、九五・三、九五・六、九五・六センチ。

三ミリの差である。

この差の大きさが、素材と作り方を映している。

探幽の三幅は絹に描かれている。

絹は、はじめから枠に張って描く。

だから寸法がそろいやすい。

龍湫周沢の三幅は、紙に摺られた版画である。

摺ったあとで断ち、表装する。

断ち方は手作業だから、差が出る。

四センチの差は、そこから来ているのだろう。

もっとも、後の修理で切り詰められた可能性もある。

館の記録は、どちらとも書いていない。

数字の差だけが残っている。

表装の寸法は、そろっている

面白いのは、画面の寸法がずれていても、表装を含めた寸法はそろっていることである。

龍湫周沢の三幅は、画面に四センチの差がある。

ところが、表装を含めた縦は、一八〇・三、一八〇・三、一八一・三センチ。

一センチの差に収まっている。

これは、表装のときに調整したからだろう。

画面が短いぶん、上下の裂を長く取る。

そうすれば、三本を並べたとき、下端がそろう。

床の間に掛けるとき、下端がそろっていないと目立つ。

だから、表装で合わせる。

つまり表装は、掛けるための構造であると同時に、そろえるための道具でもある。

寸法の欄が画面と全体を分けて書くのは、こういうときに効く。

画面はばらばら、全体はそろっている。

その事実が、二段の数字から読める。

一幅だけを見るとき

三幅対の一幅を単独で見ると、何が起きるか。

狩野探幽の右の一幅には、月がない。

月がなければ、《月下の山水》という題は成り立たない。

それでも、題はそのまま付いている。

館は、三幅に同じ題を与えている。

一幅ごとに違う題を付けることもできたはずである。

《山と村》、《月と舟》、《遠山》というふうに。

そうしなかったのは、三幅で一つの絵だからだろう。

題は、組に対して与えられている。

そして、その題が三件に複製されている。

同じ題が三つ並ぶという、一覧の上の奇妙さは、この方針の結果である。

探幽の三幅に、月が一つだけある理由

月を一つだけ描くというのは、当たり前のようでいて、決まりごとである。

三幅それぞれに月を描くこともできたはずである。

そうしなかったのは、三幅が一つの空を共有しているからである。

同じ夜の、同じ月。

右の村からも、左の遠山からも、同じ月が見えている。

見えているが、画面には描かれていない。

描かれていない月を、両脇の絵は前提にしている。

これは、三幅を並べて掛けることを前提にした作りである。

一幅ずつ売られたら、この前提は崩れる。

右の一幅を買った人は、月のない山水を手に入れる。

題だけが《月下の山水》のまま残る。

館の目録では、その状態が起きていない。

三幅そろっているからである。

年の欄には「一六六二年より後」とある。

作者は一六〇二年に生まれ、一六七四年に没している。

つまり、晩年の十二年ほどのどこかということになる。

なぜ一六六二年という年が下限になるのかは、記録に書かれていない。

款記か印か、あるいは別の資料によるのだろう。

三幅そろって残ることの、まれさ

九点は、三組とも三幅がそろっている。

これは、実はまれなことである。

三幅対は、ばらけやすい。

一本ずつ売られ、別々の場所へ行く。

中央の一幅だけが残ることもある。

主尊が描かれた中央は、単独でも掛けられるからである。

脇侍だけが残ると、扱いに困る。

だから、脇のほうが失われやすい。

そろって残るには、条件がある。

まとまって一人の手に渡り、まとまって館へ入ること。

九点の出所の行を見ると、それぞれ一つの経路で入っている。

探幽の三幅と龍湫周沢の三幅は、同じ収集家の蒐集品からである。

狩野探水守常の三幅は、別の家からの寄贈である。

いずれも、三本まとめての受入である。

一本ずつ買い集めたのではない。

掛けるための、二メートル

寸法の欄をもう一度見たい。

表装を含めた縦は、一八〇センチから一九一センチである。

三組とも、この範囲に収まっている。

床の間に掛けるには、この高さが要る。

そして、三本を並べると横は一メートル五十センチほどになる。

四九・二センチが三本なら、約一メートル四十八センチ。

五九・七センチが三本なら、約一メートル七十九センチ。

床の間の幅に、ちょうど収まる。

つまり、三幅対の寸法は、掛ける場所から逆算されている。

一本の幅を三で割った結果が、三四センチや四二センチという数字になる。

画面が細長いのは、そのためである。

縦が横の三倍近い。

この比率は、絵の都合ではない。

部屋の都合である。

中央だけが違う、という形

三組に共通しているのは、中央の一幅だけが特別だということである。

探幽の三幅では、中央に月がある。

龍湫周沢の三幅では、中央に不動明王がいる。

狩野探水守常の三幅では、中央に蓬莱山と日がある。

両脇は、中央を引き立てる役をしている。

この作りは、三幅対の基本である。

仏画では、主尊と脇侍という関係がはっきりしている。

山水では、そこまで明確ではない。

それでも、中央に何かを置く。

月、島、日。

視線が集まる場所を、真ん中に作る。

なぜ真ん中かといえば、部屋の作りによる。

床の間の中央が、部屋から見て正面になる。

座って見上げたとき、目が行くのはそこである。

だから、大事なものを中央に置く。

三幅に割るという形式は、この構造を前提にしている。

一幅だけを見ていると、この関係は見えない。

三幅そろって、はじめて中央が中央になる。

掛け替えるという習慣

床の間の掛軸は、掛けたままにしない。

季節や、客や、行事に応じて掛け替える。

だから、家には何本もの掛軸がある。

そのなかで、三幅対は特別な位置を占める。

まとめて掛けるので、場所を取る。

そして、格式のある場面で使われる。

不動明王の三幅対は、祈りのための道具である。

蓬莱山の三幅対は、祝いの席に向く。

月の山水は、静かな場面に合う。

つまり、三幅対は用途が限られている。

掛け替えの回数も、一幅の掛軸より少ないだろう。

その分、傷みも少ない。

九点がそろって残っているのは、そういう事情もあるかもしれない。

これは推測だが、掛け替えの頻度と保存の状態には関係がある。

館の記録は、そこまでは書いていない。

版で摺った三幅対が意味すること

龍湫周沢の三幅対について、もう少し書いておきたい。

版で摺った仏画は、同じものを何組も作れる。

つまり、この三幅対は唯一の品ではない可能性がある。

同じ版から摺られた別の組が、他の寺や家にあったかもしれない。

そう考えると、単位の話は少し複雑になる。

一組で一つの作品と考えるなら、三件は一件にまとめてもよい。

版で摺った図像として考えるなら、同じ図像が何組もあることになる。

館は、目の前の三本を三件として登録した。

版の存在や、他の組のことは書いていない。

これは、目録として正しい姿勢である。

目録は、手元にある物について書く。

無い物については書かない。

そして手元にあるのは、三本の掛軸である。

三本だから、三件。

判断としては単純である。

その単純さが、かえって単位の性格をよく示している。

三件を、一覧でどう見せるか

当サイトの一覧では、三件が別々に並ぶ。

同じ題、同じ作者、同じ年。

画像だけが少しずつ違う。

これを重複と見るか、組と見るか。

読む人によって、受け取り方が変わるだろう。

そこで役に立つのが、技法の欄である。

「三幅対の掛軸のうちの一幅」という一行を読めば、組だと分かる。

そして番号を見れば、順序も分かる。

一覧の見た目だけでは伝わらないことが、欄には書いてある。

作品の記録を読むというのは、そういう作業である。

見た目の情報と、書かれた情報を突き合わせる。

どちらか一方だけでは、単位の形は見えてこない。

単位は、部屋が決めている

ここまで見てきた形式は、いずれも見る場所と結びついていた。

写生帖は、手に持って開く。

画帖は、膝の上でめくる。

巻子は、机の上で送る。

そして掛軸は、壁に掛ける。

三幅対は、その壁の幅に合わせて三本に割られている。

物としては三つ、絵としては一つ。

館は、物のほうを単位に選んだ。

そのかわり、題と技法の欄で、絵としてのまとまりを示している。

「三幅対の掛軸のうちの一幅」。

この一行が、三つの番号を結び付けている。

一覧の上では、三件がばらばらに並ぶ。

しかし、技法の欄を読めば、三本が一組だと分かる。

そして番号の連続が、掛ける順まで教えてくれる。

一四、一五、一六。

右、中央、左。

数字の順に並べれば、床の間の景色が戻ってくる。

物として数え、絵として結び直す。

目録は、その二つを同時に行っている。

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