作品を知る

番号が、六つ並んでいる一件——組み合わせの甲冑、メトロポリタン美術館

受入年も出所も違う部品が、一領に組まれている。文化の欄には四つの国が並び、一九一三年にニューヨークで作られた部品まで入っている。補ったことを隠さずに書く。その記録の作法を読みたい。鎖の輪の直径まで測る欄が、何のためにあるのかも読みたい。

組み合わせの甲冑
イェルク・ワグナー《組み合わせの甲冑》メトロポリタン美術館蔵

番号が、六つ並んでいる一件

メトロポリタン美術館の武具の記録に、こういう番号がある。

一四・二五の一六六一のb。

二九・一五〇の五、七〇、八〇。

二九・一五六の六六のk。

二九・一五八の二五五のb。

一つの件に、六つ以上の番号が並んでいる。

しかも、受入年が違う。

一九一三年、一九二八年、一九二九年。

出所の行も、部品ごとに分かれている。

丸盾はリッグス氏の寄贈。

兜と胸当てと背当ては、ディーン氏の遺贈。

肘当ては、ハークネス氏の寄贈。

籠手は、複数の寄贈者からの資金による購入。

つまり、この一件は、別々に集められた部品を組み合わせたものである。

そして題は《組み合わせの甲冑》である。

組み合わせの甲冑
イェルク・ワグナー《組み合わせの甲冑》おおむね1485年から1495年ごろ。館の記録では、鋼。写真は、その部品の一つである円形の盾を写している。直径19センチ、重さ226グラム。番号は複数にまたがる。オーストリア、インスブルックほか。メトロポリタン美術館蔵。イェルク・ワグナー《組み合わせの甲冑》メトロポリタン美術館蔵

公開されている画像には、一枚の円い金属が写っている。

花のような形に、八つの膨らみが放射状に並んでいる。

中心に、小さな突起。

表面に、細かい傷と、打ち出しの跡がある。

直径一九センチ。

重さは二二六グラム。

これは、肩や脇の隙間を守るための小さな盾である。

甲冑全体のうちの、ごく一部にすぎない。

甲冑は、部品の集まりである

甲冑は、一つの物ではない。

何十もの部品を組み合わせて作る。

兜、首当て、胸当て、背当て、肩当て、肘当て、籠手。

腰から下も、腿当て、膝当て、脛当て、足当てと続く。

それぞれが、革紐や金具でつながれている。

だから、ばらけやすい。

四百年のあいだに、部品は散る。

一つの甲冑がそろって残ることは、まれである。

そこで、館は残った部品を集めて組み立てる。

同じ時期、同じ地域、同じ作りの部品を選び、一領の形にする。

これが「組み合わせの甲冑」である。

人馬のための組み合わせ甲冑
ミッサリア工房《人馬のための組み合わせ甲冑》1450年から1525年ごろ、およびそれ以降。館の記録では、鋼、真鍮、革、織物、鉄。人の甲冑の重さは26.88キロ。写真は、馬の頭を守る面覆いを写している。番号は29.150.9。メトロポリタン美術館蔵。ミッサリア工房《人馬のための組み合わせ甲冑》メトロポリタン美術館蔵

こちらは、人と馬の両方を覆う甲冑である。

そして、文化の欄がすさまじい。

「ヨーロッパ、イタリア、スペイン、フランドル、イングランド」。

四つの国と、その総称が並んでいる。

部品ごとに、産地が違うということである。

年の欄も「一四五〇年から一五二五年ごろ、およびそれ以降」。

七十五年の幅に、さらに「それ以降」が付いている。

つまり、部品の年代がばらばらである。

公開されている画像には、細長い金属の板が写っている。

上が広く、下がすぼまっている。

上部に、目のための丸い突起が二つ。

中央に、縦の稜線が通っている。

これは、馬の頭を覆う面覆いである。

一領のうちの、一つの部品である。

重さが、記録されている

武具の寸法の欄には、重さが入る。

これは、絵画にはない欄である。

九点の数字を拾ってみる。

人の甲冑の重さ、二六・八八キロ。

兜の重さ、一六九七グラム。

野戦用甲冑の重さ、三一・〇七キロ。

腿当てと膝当ての重さ、一二四七グラム。

丸盾の重さ、二二六グラム。

兜の重さ、三八六六グラム。

一領で三十キロ前後。

これは、着る人が支える重さである。

そして、部品ごとの重さも記録されている。

なぜ重さを測るのか。

使うための道具だからである。

絵は、重さを問わない。

甲冑は、重ければ動けない。

重さは、性能の一部である。

だから、記録の欄に入る。

鎖の輪の直径まで、測る

ジョン・スカダモア卿のものと推定される野戦用甲冑
ヤーコプ・ハルダー《ジョン・スカダモア卿のものと推定される野戦用甲冑》1587年ごろ、1915年に修復と補完。館の記録では、鋼、金、革。重さ31.07キロ。番号は11.128.1のaからpまでと、22.147.4のaとbおよび11。英国、グリニッジ。メトロポリタン美術館蔵。ヤコブ・ハルダー《ジョン・スカダモア卿のものと推定される野戦用甲冑》メトロポリタン美術館蔵

公開されている画像には、一領がそろって立っている。

兜から足先まで、人の形をしている。

表面に、細い縦の帯が何本も走っている。

そこに、模様が刻まれている。

肩と肘と膝に、丸みのある板が重なっている。

腰から下は、蛇腹のように板が連なる。

そして、年の欄に注目したい。

「一五八七年ごろ、一九一五年に修復と補完」。

四百年近く後の年が、同じ欄に書かれている。

つまり、いま立っているこの姿は、二十世紀に整えられたものである。

失われていた部品が、新しく作られて足されている。

一九一三年に作られた部品

スカダモア卿の甲冑のための、右の腿当てと膝当て
ダニエル・タショー《スカダモア卿の甲冑のための、右の腿当てと膝当て》1913年。館の記録では、鋼、金、革。高さ41.9センチ、幅19.5センチ、奥行き12.7センチ、重さ1247グラム。番号は11.128.1のo。文化の欄はアメリカ、ニューヨークとする。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・タショー《スカダモア卿の甲冑のための、右の腿当てと膝当て》メトロポリタン美術館蔵

これが、その新しく作られた部品である。

作者の欄に、名前がある。

ダニエル・タショー。

一八五七年から一九二八年。

フランスとアメリカで活動した甲冑師である。

年の欄は、一九一三年。

そして文化の欄は「アメリカ、ニューヨーク」。

十六世紀の英国の甲冑のなかに、二十世紀のニューヨークで作られた部品が入っている。

番号を見てほしい。

一一・一二八の一のo。

前の一点の番号は、一一・一二八の一のaからpまで。

つまり、この一件は、その範囲のなかの一つである。

一領のうちの、oの部品。

画像には、細長い金属の板が写っている。

上下に長く、上が広い。

横に、細い金の線が何本も走っている。

膝のあたりに、丸い板が重なる。

古い部品と並べても、違和感がないように作られている。

補ったことを、記録に書く

ここが重要な点である。

館は、この部品が一九一三年に作られたことを隠していない。

年の欄に、はっきり書いている。

作者の名も書いている。

文化の欄も、アメリカと書いている。

そして、独立した番号と独立した記録を与えている。

つまり、この部品は「一件」として登録されている。

甲冑の一部でありながら、それ自体が一つの記録を持つ。

前の回に見た三翼祭壇画では、同じ板が二つの番号で数えられていた。

こちらでは、一領のなかの一部品が、別に数えられている。

数え方が二重になっている。

一領としての記録と、部品としての記録。

両方があるから、どこが新しいかが分かる。

一式のうちの、いくつか

ザクセン公クリスティアン一世のための一式甲冑の部品
アントン・ペッフェンハウザー《ザクセン公クリスティアン一世のための一式甲冑の部品》1582年。館の記録では、鋼、金、革、真鍮。胸当ては縦49.6センチ、横39センチ。背当ては縦44.5センチ、横36センチ。番号は38.163.1のaからdまで。ドイツ、アウクスブルク。メトロポリタン美術館蔵。アントン・ペッフェンハウザー《ザクセン公クリスティアン一世のための一式甲冑の部品》メトロポリタン美術館蔵

題に「一式甲冑の部品」とある。

一式甲冑とは、一つの基本の甲冑に、取り替え用の部品を多数付けた組である。

馬上の試合、徒歩の試合、野戦。

用途に応じて、部品を付け替える。

もとは、何十もの部品があった。

いま残っているのは、四つである。

胸当て、背当て、右の腿当て、左の腿当て。

枝番のa、b、c、dがそれに当たる。

画像には、上半身の甲冑が写っている。

胸当てと、肩当てと、腰の板。

表面に、縦の帯が何本も走り、模様が刻まれている。

そして、この一件の題には、着るはずだった人の名がある。

ザクセン公クリスティアン一世。

一五六〇年から一五九一年。

三十一歳で没している。

試合のための、補強の板

馬上試合のための補強の板
コルマン・ヘルムシュミット《馬上試合のための補強の板》1510年から1515年ごろ。館の記録では、鋼、銅合金、金。展示した状態での高さ94センチ。番号は29.150.6のd、f、およびmからpまで。ドイツ、アウクスブルク。メトロポリタン美術館蔵。コールマン・ヘルムシュミット《馬上試合のための補強の板》メトロポリタン美術館蔵

番号が、飛び飛びである。

d、f、そしてmからpまで。

eとgからlまでが抜けている。

抜けている部品は、別の件になっているのだろう。

あるいは、失われているのかもしれない。

そして寸法の欄に「展示した状態での高さ」とある。

九四センチ。

つまり、部品をどう組み立てるかで、寸法が変わる。

絵画の寸法は、置き方で変わらない。

武具の寸法は、変わる。

だから「展示した状態で」と断る必要がある。

画像には、左胸に丸い赤い板が付いた甲冑が写っている。

その右に、肩を守る大きな板。

下に、腕を守る筒状の部品。

いずれも、試合のときに追加する補強である。

馬上試合のための兜
コルマン・ヘルムシュミット《馬上試合のための兜》1515年から1520年ごろ。館の記録では、鋼、銅合金。高さ31.8センチ、幅24.8センチ、奥行き29.1センチ、重さ3866グラム。番号は29.150.6のaとb。メトロポリタン美術館蔵。コールマン・ヘルムシュミット《馬上試合のための兜》メトロポリタン美術館蔵

同じ番号の頭を持つ、別の一件である。

二九・一五〇の六のaとb。

前の一点はd、f、mからp。

同じ甲冑の部品が、二つの件に分かれている。

なぜ分けるのか。

兜と、それ以外の補強を分けたのだろう。

分類の欄も違う。

一方は「甲冑の部品」、他方は「兜」。

分類が違えば、件も分かれる。

画像には、横から見た兜が写っている。

顔の前に、大きな面覆いが付いている。

そこに、細い覗き穴が横に走っている。

表面全体に、細かい模様が刻まれている。

首のあたりに、板が重なっている。

重さは三八六六グラム。

四キロ近い。

これを頭にかぶって、馬に乗る。

部分だけが残る

ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプアのための甲冑の部分
ポンペオ・デッラ・チェーザ《ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプアのための甲冑の部分》1595年ごろ。館の記録では、鋼、金、革、銅合金。展示した状態での高さ48センチ。番号は2001.72のaからdまで。イタリア、ミラノ。メトロポリタン美術館蔵。ポンペオ・デッラ・チェーザ《ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプアのための甲冑の部分》メトロポリタン美術館蔵

題に「甲冑の部分」とある。

一領ではない。

一部だけである。

枝番はaからdまで、四つ。

画像には、上半身の甲冑が写っている。

胸当てと、肩当てと、腰の短い板。

首の周りに、縁の立った襟。

表面には、金の帯が縦に走り、模様が刻まれている。

そして、この件も題に人の名がある。

ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプア。

一六二七年に没した人物である。

誰のために作られたかが分かっている。

これは、甲冑の記録によく見られる。

注文主の名が、記録に残る。

少年用の装飾甲冑の部分
ハンス・ゾイゼンホーファー《少年用の装飾甲冑の部分》1532年。館の記録では、鋼、銅合金、金。寸法の欄は空である。番号は29.158の121と304。オーストリア、インスブルック。メトロポリタン美術館蔵。ハンス・ゾイゼンホーファー《少年用の装飾甲冑の部分》メトロポリタン美術館蔵

こちらも、部分だけである。

そして、寸法の欄が空になっている。

数字が一つも書かれていない。

九点のなかで、これだけである。

理由は分からない。

測っていないのか、記入されていないのか。

画像には、腕を守る筒状の部品が写っている。

横に、太い襞が何本も走っている。

服の袖の膨らみを、金属で真似た形である。

これが「装飾甲冑」と呼ばれる作りである。

実戦のためではなく、当時の衣服の形を鋼で写している。

そして、少年用である。

小さい。

番号は、二九・一五八の一二一と三〇四。

離れた二つの番号が、読点でつながれている。

前の回に見た六曲一双の屏風と、同じ書き方である。

別々に受け入れたものを、あとで一件にまとめている。

一領という単位

九点を通して、単位の話をまとめておきたい。

甲冑の一件は、たいてい複数の部品を含む。

枝番のaからpまで、というような形である。

そして、その部品は別々に受け入れられていることがある。

番号が読点でつながれ、出所の行が部品ごとに分かれる。

つまり、一件のなかに複数の来歴がある。

これは、これまで見てきたどの形式より複雑である。

写生帖は、一冊が頁に分かれた。

屏風は、二隻が一件になった。

祭壇画は、三枚が一つの番号にまとまった。

甲冑は、六つ以上の別々の受入が、一領にまとめられている。

分ける方向ではなく、集める方向である。

鎖の輪まで、数字が残っている

《人馬のための組み合わせ甲冑》の寸法の欄は、九点でいちばん長い。

人の甲冑の重さ、兜の重さ。

そして、鎖帷子について細かい数字が並ぶ。

高さ八〇センチ、幅一一六センチ、胸幅六一センチ。

さらに、輪の直径まで書かれている。

継ぎ目のない輪の外径が、一〇・二ミリ。

一センチほどの小さな輪である。

その輪を、何万個もつないで一枚の衣を作る。

なぜ、輪の直径まで測るのか。

輪の大きさと作り方が、産地と時代を示すからである。

輪が小さければ、目が細かく、丈夫である。

そのぶん、輪の数が増え、手間も増える。

打ち抜いた輪か、線を巻いて閉じた輪か。

その違いも、作りを示す手がかりになる。

つまり、この数字は分析のための数字である。

絵画の寸法が、大きさを伝えるための数字であるのに対し、こちらは判定のための数字である。

同じ「寸法の欄」でも、役割が違う。

分野が変われば、測るものも変わる。

出所の行が、部品ごとに分かれる

《組み合わせの甲冑》の出所の行を、もう一度読みたい。

丸盾は、リッグス氏の寄贈、一九一三年。

兜と背当てと胸当ては、ディーン氏の遺贈による記念蒐集品、一九二八年。

肘当ては、ハークネス氏の寄贈による同じ記念蒐集品、一九二九年。

籠手は、複数の寄贈者からの資金による同じ記念蒐集品、一九二九年。

四つの経路が、一行のなかに書き分けられている。

これは、他の分野ではまず見ない書き方である。

絵画では、一件に一つの出所の行が付く。

甲冑では、部品ごとに違う。

そして、それを一行にまとめて書く。

読みにくいが、正確である。

どの部品が、誰の手から来たか。

その情報を、一つも捨てていない。

そして、この行を読むと、組み合わせという作業の性格が見えてくる。

館は、手元にある部品を突き合わせた。

一九一三年に入った丸盾と、一九二八年に入った胸当て。

十五年離れて館に来たものが、同じ一領に組まれている。

展示した状態、という断り

寸法の欄に「展示した状態での高さ」と書かれた件が、二つある。

九四センチと、四八センチ。

この断りは、武具に特有のものである。

甲冑の部品は、組み方によって高さが変わる。

肩当てを上に付けるか、下に付けるか。

腰の板を何枚重ねるか。

そして、台に立てるときの姿勢によっても変わる。

だから、単純に「高さ」とは書けない。

いま展示している状態での高さ、と断る。

つまり、この数字は作品の寸法ではない。

いまの見せ方の寸法である。

見せ方が変われば、数字も変わる。

前の回に、屏風の寸法が「平らに開いた状態」の数字だと書いた。

立てて折れば、横幅は縮む。

甲冑でも、同じことが起きている。

記録に残るのは、測るために整えた姿である。

使うときの姿でも、しまうときの姿でもない。

組み合わせる、という判断

「組み合わせの甲冑」という語は、正直な表示である。

もとから一領だったわけではない、と言っている。

そして、文化の欄に四つの国を並べる。

年の欄に七十五年の幅を書く。

つまり、この一領は歴史的な一領ではない。

館が学術的な判断で組み立てた一領である。

なぜ、そうするのか。

部品をばらばらに並べても、甲冑の姿は伝わらないからだろう。

胸当てだけを見ても、どう身につけるかは分からない。

組み立てて立たせれば、形が分かる。

そのかわり、これが本来の一領ではないことを明記する。

見せることと、正確に記録すること。

その二つを両立させる方法が、この書き方である。

作者の欄が、甲冑師である

九点の作者の欄には、いずれも人名がある。

そして役の欄には「甲冑師」と書かれている。

「画家」ではない。

甲冑には、作った工房の刻印が打たれることがある。

前の回に扱った銘記の話とつながるが、その刻印から作者が特定できる。

だから、五百年前の甲冑でも、作者名が分かる。

九点の作者と産地を並べると、地図が見えてくる。

ミラノの工房。インスブルックの甲冑師が二人。

アウクスブルクの甲冑師が二人。

グリニッジの王室工房の親方。

そして、ニューヨークで働いたフランス生まれの甲冑師。

十五世紀から十七世紀のヨーロッパで、甲冑の産地は限られていた。

ミラノ、アウクスブルク、インスブルック、グリニッジ。

技術と材料と職人が集まる場所である。

その名が、そのまま文化の欄に書かれている。

そして、九点目のニューヨークだけが、二十世紀である。

名の分かる着用者

九点のうち三点の題に、着る人の名がある。

ジョン・スカダモア卿。

ザクセン公クリスティアン一世。

ヴィンチェンツォ・ルイジ・ディ・カプア。

いずれも、生没年が括弧に添えられている。

甲冑は、身体に合わせて作る。

だから、誰のために作ったかが重要になる。

胸の幅、腕の長さ、肩の傾き。

寸法が、その人の身体の寸法である。

そして、注文の記録が残ることがある。

工房の帳簿、宮廷の支払い記録、肖像画。

これらを突き合わせて、着用者が特定される。

一点目の題には「推定される」という語が付いている。

確定していない。

前の回までに何度も見てきた、確からしさの書き分けである。

断定できるものは断定し、できないものには留保を付ける。

甲冑は、どこで一点になるか

最後に、はじめの問いに戻りたい。

甲冑の「一点」は、どこか。

一領か、一部品か。

九点の記録は、両方を採っている。

一領としての件があり、部品としての件がある。

そして、部品の件が一領の件のなかに含まれることもある。

スカダモア卿の甲冑と、その腿当てが、その例である。

これは矛盾ではない。

見せ方と、管理の仕方が違うだけである。

見せるときは、一領で立たせる。

管理するときは、部品ごとに番号を持つ。

前の回に見た祭壇画の三翼でも、似たことが起きていた。

開いた状態と、閉じた状態で、番号が分かれていた。

一点という単位は、対象の性質だけでは決まらない。

どう見せ、どう管理するか。

その二つの要請が、単位の形を決めている。

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