五点の記録が、一字も違わない——チャリナー・テイラー社
題も年も技法も寸法も同じ五点が並ぶ。記録の上では区別できない。ところが画像を並べると、渦を巻く模様は一枚ごとにまったく違う。書けるものと書けないものの境目を、九点から考えたい。型は同じで、模様だけが違う。

五点の記録が、一字も違わない
九点のうち五点は、記録がまったく同じである。
題は、いずれも皿。
作った会社も同じ。
年の欄も、1870年から1890年で同じ。
技法の欄も、紫の大理石模様の押し型硝子で同じ。
そして、寸法も同じである。直径26.4センチ。
つまり、この五点は記録の上では区別できない。
違うのは、収蔵番号だけである。
ところが、画像を並べると、五点はまったく違って見える。
九点を並べて、記録が書けないものについて考えたい。

九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
皿が五点、鉢が一点、水差しが一点、杯が一点、盛り皿が一点。
九点とも、技法の欄は同じ言葉である。
年は、1870年から1890年が七点、1870年から1885年が一点、1870年から1880年が一点。
館も同じ。
作者の欄が空のものが二点ある。
記録が同じ、ということ
美術館の記録は、一点ずつに番号を与える。
その番号があれば、物は区別できる。
しかし、番号以外の欄がすべて同じなら、記録を読んでも区別はつかない。
どちらが目の前の一点なのか、記録からは決められない。
五点の皿は、その状態にある。
番号だけが違う
五点の収蔵番号は、続き番号である。
同じときに、まとめて館へ入ったのだろう。
まとめて入ったものは、まとめて記録される。
一点ずつ書き分ける必要がないため、欄の中身は同じ文になる。
そして、そのまま残る。
大理石模様の硝子とは
技法の欄にある大理石模様の硝子は、二種類以上の硝子を混ぜて作る。
色の違う溶けた硝子を、混ぜ切らずに型へ入れる。
すると、渦を巻いた筋や、雲のような斑が出る。
大理石の断面に似ているので、その名で呼ばれた。
十九世紀の後半に、アメリカで流行した種類である。
二つの硝子
この模様を作るには、少なくとも二種類の硝子が要る。
一つは、不透明な白い硝子。
もう一つは、色の付いた硝子である。
九点では、紫が使われている。
白と紫を混ぜ切らずに固めれば、白い部分と紫の部分が入り混じる。
混ぜ切らない、ということ
普通、材料は均一に混ぜる。
そのほうが、品質が安定する。
この硝子では、逆のことをしている。
混ぜ切らずに、むらを残す。
そのむらが、そのまま模様になる。
型で押す方法
溶けた硝子を型に落とし、上から棒で押す。
型の形が、そのまま器の形になる。
吹いて作るより速く、同じ形をそろえられる。
十九世紀のアメリカで、食器の多くはこの方法で作られた。
九点も、いずれもこの方法である。
二つの技術が重なる
つまり、九点には二つの技術が重なっている。
型で押すことによる、形の同一性。
混ぜ切らないことによる、模様の不同性。
同じ形で、違う模様。
意図してそろえた部分と、意図して崩した部分が、一つの器にある。
同じ模様は、二度出ない
混ぜ方を人が制御することはできない。
柄杓で掬うときの角度、型へ流す速さ、温度。
そのすべてが、模様の出方に関わる。
同じ型で押しても、模様は一枚ごとに違う。
五点の皿が、同じ形で違う模様なのは、そのためである。
安く作る
この硝子には、実利の面もある。
色の混ざりが不揃いでも、模様として通る。
つまり、材料の質を厳しくしなくてよい。
余った硝子を混ぜて使うこともできる。
安く作れて、見栄えもする。
十九世紀の後半に広まったのは、そうした事情もあるだろう。
型は、同じである
五点の形を見比べると、まったく同じである。
縁は格子状に透かし彫りになり、輪が連なる。
その内側から、細い線が中心へ向かって放射状に伸びる。
中心には、小さな粒の集まった円がある。
この形は、型で決まる。
型が同じなら、形は同じになる。
模様は、違う
一方、色の広がり方は五点で違う。
ある一点では、濃い紫が中心の周りに広く広がる。
別の一点では、白い筋が三日月の形に走る。
また別の一点では、白と黒に近い濃紫が渦を巻く。
同じ位置に同じ色が来ることは、一つもない。

放射状の線
五点の内側には、中心から外へ向かう細い線が並ぶ。
これは型に彫られた溝で、模様とは別の要素である。
線が並ぶと、光が細かく反射する。
そして、色の流れる方向とは無関係に、画面を整える。
型による規則正しさと、混ざり方による不規則さ。
一枚の皿の中で、二つが重なっている。
中心の塊
いま見た一点では、中心のすぐ上に濃い塊がある。
輪郭のはっきりした、丸みのある形である。
混ざり切らなかった濃い硝子が、そのまま固まったのだろう。
他の四点には、この塊がない。
一点ごとの違いが、最もはっきり出ている部分である。
塊の位置
この塊は、中心から少し外れた位置にある。
上寄りに、はっきりと見える。
もし五点を記録で区別しようとするなら、こうした特徴を書くことになる。
中心から何センチの位置に、直径何センチの濃い斑。
書けなくはないが、実用的ではない。
そして、そこまで書いても、模様の全体は伝わらない。
記録は、模様を書かない
技法の欄が書くのは、材料の種類である。
紫の大理石模様の押し型硝子。
この言葉は、五点すべてに当てはまる。
しかし、どの一点がどんな模様かは、書かれていない。
書こうとしても、書けないだろう。
渦の形を言葉で表すのは、難しい。
種類の名で書く
技法の欄は、種類の名で書くようにできている。
紙に水彩。カンヴァスに油彩。青銅。
いずれも、材料の種類である。
大理石模様の押し型硝子も、その一つである。
種類の名は、多くの物に共通して使える。
だからこそ、一点ごとの違いは書けない。
書けるものと、書けないもの
記録の欄は、書けるものを書くようにできている。
寸法は、測れば数字になる。
年は、範囲で書ける。
材料は、種類の名で書ける。
しかし、一点ごとに違う模様は、種類の名にならない。
だから、記録から落ちる。
画像が、その役を担う
では、模様はどこに残るのか。
画像である。
五点の画像を並べれば、違いは一目で分かる。
記録が書けない情報を、画像が持っている。
九点のうち五点で、画像のほうが情報量が多い。

五点を、並べて数える
五点の模様を、色の広がりで分けてみる。
濃い紫が中心の周りに集まるものが二点。
白の面積が広く、淡いものが一点。
白い筋が大きく渦を巻くものが一点。
白と濃紫の対比が強いものが一点。
五点とも、違う型に分けられる。
淡い一点
いま見た一点は、五点の中で最も淡い。
紫が薄く、白の面積が広い。
縁のあたりは、ほとんど白に近い。
混ぜる色硝子の量が少なかったのだろう。
同じ日に作られたものでも、こうした差は出る。
縁の透かし
五点の縁は、輪が連なって格子を作っている。
つまり、穴が開いている。
型で押すだけで、この形が作れる。
手で吹いた硝子では、こうはいかない。
一つずつ穴を開けることになる。
型で押す方法の利点が、はっきり出た形である。
透かしの使い道
穴の開いた縁は、料理を盛る皿としては使いにくい。
汁気のあるものは、こぼれる。
つまり、これは飾るための皿だろう。
壁に掛けるか、棚に立てて見せる。
十九世紀の家では、そうした使い方が普通だった。
穴があるのは、紐を通して掛けるためかもしれない。
穴の数
縁の輪を数えてみると、外周に沿って三十以上ある。
内側にも、もう一列並ぶ。
つまり、六十を超える穴が開いている。
型の作りが、そのぶん複雑になる。
型を彫る手間は大きいが、一度作れば何百枚も押せる。

六十の穴を型で作る
型に六十を超える穴を作るには、型の側にそのぶんの突起が要る。
突起は細く、折れやすい。
そして、押した後に硝子から外さなければならない。
引っかかれば、硝子が欠ける。
こうした型を作れること自体が、技術の証しである。
渦を巻く一点
いま見た一点では、中心の近くで白い筋が渦を巻く。
二重、三重に巻いて、外へ流れる。
これは、型に流し込むときに硝子が回った跡だろう。
回転しながら落ちれば、渦ができる。
模様が、作る動きをそのまま記録している。
二重の渦
よく見ると、渦は二つある。
中心の近くに小さな渦、その外にもう一つ大きな渦。
流れが二度回ったということだろう。
一度目と二度目のあいだに、時間の差がある。
模様は、その順序も残している。
動きの跡
大理石模様の硝子では、模様が動きの跡になる。
どちらへ流れたか。どこで止まったか。
見る側は、それを逆にたどることができる。
絵ではないが、作られる過程が面に残っている。
渦の向き
この一点の渦は、時計回りに巻いている。
他の四点には、はっきりした渦がない。
同じ工程で作っても、渦ができる場合とできない場合がある。
硝子の粘りと、温度と、落とす速さ。
そのすべてが揃ったときにだけ、渦が残る。
五点の使い道
同じ形の皿が五点ある。
もとは、揃いとして売られたのかもしれない。
六枚組、十二枚組といった売り方が普通だった。
揃いなら、形は同じで、模様は一枚ごとに違う。
買う側も、それを承知で買う。
揃いの考え方
普通、揃いの食器は同じ見た目になるよう作られる。
この種の硝子では、そうならない。
同じ形で、違う模様。
それを欠点と見るか、面白みと見るか。
十九世紀の買い手は、後者と見たのだろう。

最も強い一点
いま見た一点は、五点で最も対比が強い。
白い筋が大きく広がり、その周りが濃い紫に沈む。
鳥の羽のような形に見える。
もっとも、そう見えるだけである。
作った側が形を狙ったわけではない。
白の量
この一点は、白の面積が最も広い。
先に見た淡い一点とは、白の出方が違う。
淡い一点では、白が薄く広がっていた。
この一点では、白が濃く、はっきりした帯になっている。
同じ二つの硝子を使っても、混ざり方でここまで変わる。
見立てるということ
模様を何かに見立てるのは、見る側の働きである。
雲を動物の形に見るのと同じである。
記録は、そうした見立てを書かない。
書けば、他の見方を狭めてしまう。
種類の名だけを書くのは、その意味でも理にかなっている。

作者の欄が空になる
いま見た一点は、作者の欄が空である。
技法も、色も、五点の皿と同じである。
しかし、誰が作ったかは記録されていない。
同じ種類の硝子は、複数の会社が作っていた。
印がなければ、断定はできない。
館が推測を書いていないということである。
年の幅が、違う
この一点の年は、1870年から1885年である。
五点の皿より、五年短い。
なぜ短いのかは、記録からは分からない。
形や作りから、時期を絞ったのだろう。
同じ館の同じ種類でも、年の幅はそろわない。
縁の鋸歯
この一点の縁は、細かく尖っている。
鋸の歯のように、山と谷が交互に続く。
型で押した後に、縁を整えたのだろう。
あるいは、型そのものがこの形をしている。
五点の皿の透かし彫りとは、まったく違う縁である。
横から撮る
この一点の画像は、真横に近い角度から撮られている。
そのため、縁の波打ちと、胴の膨らみが分かる。
一方、内側の模様は見えない。
上から撮れば模様が見え、横から撮れば形が分かる。
どちらか一方しか撮らなければ、他方は失われる。
二つの数字
この一点の寸法には、高さと直径の二つが書かれる。
先の五点は、直径だけである。
平たい皿なら、直径で足りる。
深い鉢なら、高さも要る。
形が、書かれる数字の種類を決めている。

白黒の画像
いま見た一点の画像は、白黒である。
技法の欄には、紫と書かれている。
つまり、記録が色を伝えている。
画像だけを見れば、灰色の器である。
九点のうち、白黒の画像は四点ある。
大理石模様の硝子で、色が分からないのは惜しい。
記録が色を補う
白黒の画像でも、技法の欄に紫と書かれていれば、色は分かる。
書かれていなければ、分からない。
九点では、九点とも技法の欄に紫が入っている。
だから、白黒の四点についても、紫だと分かる。
技法の欄が、画像の足りない部分を補っている。
形と模様の関係
この一点では、模様が縦に流れている。
胴の縦の溝に沿って、白い筋が上下に走る。
型に流し込むとき、硝子は上から下へ落ちる。
背の高い器では、その流れが縦の筋になる。
平たい皿では、外へ広がる渦になる。
器の形が、模様の向きを決めている。
注ぎ口
この一点の口は、片側が高く伸びている。
型で押した後に、そこだけ引き出したのだろう。
型による部分と、手による部分が混じっている。
台の付いた形
この一点には、低い台が付いている。
胴から細くなり、また広がって円い台になる。
型で一度に作れる形である。
安定して立ち、注ぐときにも持ちやすい。

最も小さい一点
いま見た一点は、九点で最も小さい。
高さ5.1センチ、直径6.4センチ。
両側に取っ手が付いている。
小さな器では、模様の出る面積も小さい。
それでも、胴に斜めの筋が走っているのが分かる。
取っ手の付いた小さな器
両側に取っ手が付く小さな器は、砂糖を入れるためのものだろう。
食卓の上で、指でつまんで動かす。
取っ手は、型で一体に作られている。
後から付けたのなら、接合の跡が残る。
画像を見る限り、そうした跡は見えない。
上と下で、色が違う
この一点では、口の近くが淡く、下のほうが濃い。
色の重い硝子が下に沈んだのかもしれない。
型に流し込んでから固まるまでのあいだに、そうした動きが起きる。
模様は、その時間の記録でもある。

寸法のない一点
いま見た一点だけ、寸法の欄に数字がない。
不明である、と書かれている。
九点の中で、これが唯一である。
五点の皿は、いずれも直径が書かれている。
同じ館の、同じ種類の器である。
それでも、書かれているものと、いないものがある。
年の幅も、最も狭い
この一点の年は、1870年から1880年である。
十年の幅で、九点の中では最も狭い。
寸法は書かれていないのに、年は絞られている。
年は資料から推定でき、寸法は測るしかない。
推定できるものと、測るしかないものの差が、ここにも出ている。
深さと大きさ
横から撮られた画像では、深さは分かる。
しかし、長さも幅も分からない。
寸法の欄に数字があれば、その二つが補える。
数字がなく、画像も横からとなると、大きさの手掛かりがない。
九点の中で、この一点だけがその状態にある。
楕円の形
この一点は、円ではない。
横に長い形をしている。
縁は波打ち、深さは浅い。
横から撮られているため、上から見た形は分からない。
寸法もないので、大きさも分からない。
九点の中で、最も情報の少ない一点である。
記録と画像を、合わせて読む
九点をまとめると、二つのことが見えてくる。
一つは、記録が同じでも、物は同じではないということ。
五点の皿が、その例である。
もう一つは、記録が書けないものがあるということ。
一点ごとに違う模様は、種類の名にならない。
だから、画像を見なければ分からない。
記録の限界と、その意味
記録が模様を書かないのは、怠慢ではない。
書けないものを、無理に書かないという判断である。
書けば、その言葉に引きずられて見ることになる。
鳥の羽のようだと書かれれば、そう見えてしまう。
種類の名だけを書き、あとは画像に委ねる。
その分担が、九点の記録には表れている。
二つを、行き来する
記録だけを読めば、五点は同じ物に見える。
画像だけを見れば、寸法も年も分からない。
両方を並べて初めて、五点の性格が分かる。
同じ型で押され、同じ大きさに作られ、それぞれ違う模様を持つ。
大理石に似せた硝子については、大理石に似せた、硝子——チャリナー・テイラー社でも扱った。
型で押す方法については、型で押すか、手で吹くか——19世紀アメリカのガラスを参照されたい。



