風景はいつ「主役」になったのか——クロード・ロランの十数年をたどる
到達点のあと——1673年のデルフォイ
《ラ・クレシェンツァの眺め》を到達点と呼びたくなるが、話はそこで終わらない。
シカゴにある《行列のあるデルフォイの眺め》は1673年の作である。ロランは七十歳を超えている。

物語が戻ってきている。ギリシアの聖域デルフォイ、神託を求める行列、供犠の牛。文献から組み立てられた場面である。
しかも人物の数は増え、身振りも読み取れる。手前の行列だけで十人以上が数えられる。
《ラ・クレシェンツァの眺め》の無人ぶりを思い出すと、正反対の選択である。二十数年のあいだに、彼は逆方向へ戻っている。
ただし光の扱いは変わっていない。岩山は逆光で暗く沈み、その向こうの平野と海が白く霞んでいる。
前景の人物にも、細かい陰影はほとんど付けられていない。彼らは光を受ける小さな面として置かれているだけである。
つまり戻ったのは主題であって、方法ではない。晩年の彼は、物語をもう一度載せながら、光の絵を描き続けたことになる。
一直線に「物語を捨てて光へ」進んだ画家、という物語のほうが分かりやすい。しかし作品はそう並んでくれない。
こういう食い違いこそ、複数の作品を並べて初めて見えるものである。一枚だけを見て時代を語ると、たいてい間違える。
何が「主役」になったのか
五枚を通して見ると、風景画の主役の座に着いたのは、じつは風景そのものではない、という気がしてくる。
樹も川も館も、結局は光を受け止めるための面として置かれている。何が描かれているかより、そこにどんな光が当たっているかが問題になっている。
考えてみれば、五枚に共通して描かれているものは驚くほど少ない。樹、水、遠い山、小さな人影。組み合わせはほとんど同じである。
違うのは光だけだ。朝なのか、昼過ぎなのか、日が傾いた頃なのか。その一点で、五枚はまったく別の絵になっている。
ロランが顧客に売っていたのは、景色ではなく時刻だった——そう考えたい。朝の光、昼の霞、夕方の斜光。彼の絵は、一日のどの瞬間かを指定する装置である。
この見方が正しければ、後の画家たちが彼に惹かれた理由も分かりやすくなる。ターナーもコローも、結局は光を追いかけた人たちだった。
彼らがロランから受け取ったのは、木の描き方でも構図の型でもなく、「時刻を主題にしてよい」という許可だったのではないか。
とくにイギリスでの受容は徹底していた。十八世紀の英国貴族はイタリア旅行の記念にロラン風の風景画を買い求め、自邸の庭までその画面に似せて造らせた。
「絵のような」という言葉が、そのまま庭園の様式を指すようになった時代である。絵が現実の風景の手本になった、めずらしい例と言える。
ターナーは遺言で、自作二点をロランの二点の隣に永久に並べて展示するよう求めた。条件が守られる限りにおいて、という但し書き付きの遺贈である。
その執着の中身については別のコラムで書いた。単なる憧れではなく、勝負を挑む姿勢だったと考えている。
もっとも、これは五枚から引き出した読み方にすぎない。年代にも幅があり、証明された筋道ではないことは、もう一度断っておきたい。
真似できる形になった、ということ
もうひとつ、彼の光の扱いには副作用があった。型として完成したせいで、真似されやすかったのである。

この一枚は、ロラン本人の作ではない。所蔵館は「クロード・ロランの追随者」と記録している。
出来が悪いわけではない。むしろ型がよく守られていて、遠目には見分けがつきにくい。
ロランが自作の構図を『真実の書』という帳面に写し取り続けたのは、まさにこの状況への備えだった。贋作を防ぐため、と本人が語ったと伝えられる。
皮肉なことに、その帳面は十八世紀のイギリスで版画集として複製され、彼の構図を広く配ることになった。守るための記録が、広めるための道具になったわけである。
作者欄の書き分けについては別のコラムで詳しく書いた。「追随者」という一語の重みも、そこで触れている。
なぜローマだったのか
ここで、彼が働いた場所についても触れておきたい。ロランの仕事は、ローマという都市の条件と切り離せない。
十七世紀のローマは、ヨーロッパ随一の美術市場だった。教皇庁と枢機卿たちが常に注文を出し、各国の貴族が滞在して買っていく。
そこへ北方から画家が集まってくる。オランダ、フランドル、フランス、ドイツ。ロランもその一人だった。
彼らは古代の遺跡を写生し、郊外の風景を描いた。北方の写実の訓練と、イタリアの光が、そこで結びつく。
風景画の需要が生まれた背景には、この「外国人の集団」がある。旅行者は、自分が見た土地の記憶として絵を買った。
つまり理想風景とは、ローマ滞在の記念品でもあった。実景に基づきながら、思い出しやすいように整えられている。
そう考えると、彼が実在の館を描かなかった理由も見えてくる。特定の場所を描けば、その場所を知る人にしか意味が届かない。
《ラ・クレシェンツァの眺め》の例外性は、この点にもある。あれは、記念品ではない一枚だったのかもしれない。
点景の人物は、うまくない
彼の絵について、当時から言われていたことがある。人物が下手だ、という指摘である。
たしかに、彼の描く人物は硬い。手足の運びがぎこちなく、顔はほとんど描き分けられていない。
風景の側があれだけ精緻なのに、人物だけが図式的である。並べて見ると、その落差は隠しようがない。
本人にも自覚があったらしく、風景は売るが人物はおまけだ、という趣旨のことを語ったと伝えられる。逸話の真偽は確かめようがない。
重要なのは、それでも彼が人物を置き続けたことである。神話の主題を掲げるには、人物が要る。
苦手な部分を外部の型で処理し、得意な部分に力を集める。職業画家として、これは合理的な配分である。
そして結果的に、この配分が絵の性格を決めた。人物が弱いぶん、見る側の目は風景と光へ向かう。
欠点が主題を押し出している。うまくいった絵には、こういう逆説がしばしば見つかる。
どの時刻を見ているか
絵を見るとき、私たちはたいてい「何が描かれているか」から入る。花の絵、海の絵、人物の絵、という具合に。
ロランの五枚は、そこに別の入り口を差し出す。これは朝の絵か、夕方の絵か。明るい絵か、沈んだ絵か。まず時刻から見る、という入り方である。
試しに、五枚を時刻の順に並べ替えてみてほしい。制作年順とは違う並びになるはずだ。《日の出》が先頭に来て、《ラ・クレシェンツァの眺め》が最後に来る。
そうやって並べると、この画家が一日のどの瞬間を好んだかが見えてくる。答えは、たぶん夕方である。
四百年前の画家が扱っていたものが時刻だったのなら、こちらもその単位で受け取ってみたい。何が起きているかを探すより、いつなのかを感じるほうが、この絵には合っている。

