画家を知る

風景はいつ「主役」になったのか——クロード・ロランの十数年をたどる

物語は、どこに置かれるか

このずれ方は、彼の作品にほぼ共通している。ワシントンにある《パリスの審判》で確かめてみたい。

The Judgment of Paris
1645年から46年。神話の場面でありながら、人物は画面の左下、岩と樹のあいだの狭い場所に収まっている。The Judgment of Paris》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵(CC0)

三人の女神と羊飼いパリス。誰がいちばん美しいかを競う、西洋絵画で繰り返し描かれてきた主題である。

ふつうなら人物が画面の中心を占め、身体の描写が見どころになる。ところがここでは、人物は小さく左下に寄せられている。

画面の大半は、岩と滝と樹、そして遠い山並みと空である。神話は、風景の片隅で起きている小さな出来事として置かれている。

これは当時の格付けをうまくかわす方法でもあった。神話を描いている以上、この絵は歴史画である。だが実際に見えているのは風景である。

看板は歴史画、中身は風景画。ロランの多くの作品は、この二枚看板で成り立っていた。

そして注文する側も、それを承知だったはずである。教養ある主題を掲げつつ、実際には壁に掛けて心地よい景色を買う。需要と供給が噛み合っている。

光そのものが主題になる

そのずれが表に出てくるのが、1646年から47年ごろの《日の出》である。

日の出
題名が示すのは出来事ではなく、時刻である。手前の人影は小さく、誰とも特定できない。クロード・ロラン《日の出》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

画面中央に大きな木立が影となって立ち、その向こうの空が橙色に染まっている。左手には平野が開け、遠い山まで薄明かりに沈む。

手前の水辺には牛を追う人影があるが、小さく、暗く、誰とも特定できない。物語は、もはや口実としても置かれていない。

注目したいのは明るさの配り方である。画面の下半分はほとんど闇に沈み、光は空の帯と、遠くの丘の上の集落にだけ当たっている。

暗い前景を置いて遠景を明るくすると、目は自然に奥へ引かれる。ロランはこの効果を、この頃には完全に手中にしている。

そして題名である。《日の出》。人の名でも事件の名でもなく、時刻の名がついている。

何を描いた絵かと問われれば、朝の光を描いた絵だと答えるほかない。風景が主役になったというより、光と時刻が主役になったと言うべきかもしれない。

ちなみにこの絵の画面はかなり大きい。縦およそ103センチ、横134センチ。前節の《トロイアの女たち》に迫る寸法である。

物語のない絵に、物語画と同じ大きさの画面が与えられている。この事実だけでも、当時としては小さな事件だったのではないか。

なぜ朝と夕方なのか

彼の絵は、朝か夕方であることが多い。真昼の絵はほとんどない。好みの問題だけではないと思う。

太陽が高いと、光は上から落ちてくる。物には短い影がつき、それぞれの色がはっきり出る。個々の形を見せるには都合がよい。

太陽が低いと、事情が変わる。光は横から差し、影は長く伸び、遠くの空気の層を長く通ってくる。

すると全体に一枚の膜がかかる。赤みを帯びた膜であり、この膜が画面をひとつにまとめてくれる。

そしてもうひとつ、低い太陽は画面に入れられる。真昼の太陽は見上げる位置にあり、風景画の枠には入らない。

太陽そのものを画面の中に置き、そこから手前へ光の帯を引く。彼の港の絵が繰り返しやっているのは、この操作である。

つまり朝と夕方は、光を主題にするための条件だった。時刻の選択は、主題の選択でもある。

到達点

そして1648年から50年の《ラ・クレシェンツァの眺め》に行き着く。

ラ・クレシェンツァの眺め
実在する館を主題にしながら、館は小さく、木立の隙間から半ば覗くだけである。クロード・ロラン《ラ・クレシェンツァの眺め》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

画面は五枚の中でもっとも小さい。縦およそ39センチ、横58センチ。前節の《日の出》の半分ほどしかない。

そしてここでは人影がほぼ消える。牛が数頭いるが、目を凝らさなければ気づかない。

左右を挟む樹の枠もない。木立は画面を横切る一列の衝立のように立ち、視線を導く小道具は置かれていない。

しかも描かれているのは、ローマ北方に実在する館である。ロランが油彩で実在の建物をそのまま主題にした作例は、これひとつとされる。想像でも理想化でもない、ただの場所だ。

型を捨て、物語を捨て、理想化まで捨てて、最後に残ったのが夕方の光だった。

もっとも、この一枚は例外的な作でもある。以後ロランがこの方向へ進んだわけではなく、晩年には再び神話主題の大作を手がけている。到達点というより、いったん行き着いてしまった地点と言うほうが正確かもしれない。

この作品については別稿で一枚まるごと読んでいるので、あわせてご覧いただきたい。

現場では何をしていたのか

ここで、制作の手順にも触れておきたい。これらの油彩は、現場で描かれたものではない。

戸外での油彩制作が広まるのは十九世紀のことで、十七世紀の画家は工房で描いた。では現場では何をしていたのか。

素描である。紙にインクと淡彩で、光の配分を採取していた。

Panorama from the Sasso
《サッソからの眺望》。極端に横長の紙に、丘と湖と遠い山が淡い茶色の濃淡だけで置かれている。右端の壁の上に、腰かけた小さな人物が見える。Panorama from the Sasso》シカゴ美術館蔵(CC0)

輪郭を追った素描ではないことに注意したい。ここで記録されているのは、明るさの層である。

手前の丘は濃く、中景の木立はやや薄く、湖と遠山はほとんど紙の色に近い。三段か四段の調子だけで、何十キロ先までの距離が出る。

同時代の証言によれば、彼は夜明けと日没にローマ郊外へ出かけ、空の色が変わっていく様子を繰り返し観察したという。

つまり彼が現場から持ち帰っていたのは、景色ではなく光の配分表だった。工房での組み立ては、その表を骨にして行われたことになる。